―――ほぼ同時刻。
ヴァルハラ師団の主力大型艦アノマロカリス。
この艦隊を統べる最強の戦艦である。
その艦橋に、彼らはいた。
『―――と、いうわけでして。現在ラピスとスカーレットと交戦中です」
「戦況はどうなっている。責めはしない、正直に申せ」
一人の男がおそらく部下であろう相手と通信をしている。
目は鋭く、鼻も尖っており、狡猾そうな顔をしている。
中途半端に長く伸びた髪が不気味さを際立てている。
手袋をしたまま機械をいじりつつ、通信を続ける。
『はっ、申し上げにくいのですが、劣勢です。実力が違いすぎます。
先ほど1隻目が制圧され、すでに2隻目で戦闘が始まっています』
「やはりな、そもそも一般兵などで立ち向かおうなどというのが間違いなのだ。
やつらは別格、化物だ。貴様ら如きでは対処できんよ」
『申し訳ございません…』
「気にするな。貴様らは悪くない。奴等が強すぎるのが悪いのだ。
人間が化物に勝てる道理などない。そうであろう?」
『はぁ…』
男は忌々しげに毒を吐く。
まるでラピスたちをよく知っているかのように。
彼女たちと旧知の間柄とでも言うかのように。
「まあよい。報告ご苦労であった」
男はそれだけ言うと通信を切った。
それにしても先ほどからこの男の発言、妙に引っ掛かる。
まるで瑠璃たちのことをよく知っているような…そんな発言が多い。
「よーうシアン。なんだかバカ面倒くさいことになってるみたいじゃんか?
こりゃあそろそろバカ最強なアタシの出番か」
後ろから誰か女の声がする。
くるりと振り返るといかにも高そうな椅子に女が座っていた。
褐色肌に銀髪の妖艶な美女であった。
特になんというか、胸がすごい。
軍服の間からはちきれんばかりなことになっている。
というか三つくらい開けられたボタンから胸元が見えている。
バインバインである。
「ジーク、貴様はまだ出なくて構わん。今はまだその時ではないからな。
しばらくは一般兵どもに相手をさせておく」
「んだよう。アタシ今バカ退屈してんだぜ?もっと刺激的に、劇的に行こうぜ?」
「何事にも戦略というものはある。もっと奴等をおびき寄せるのだ。
ある程度時間が経ってから貴様を出すことにする。
いくら奴等といえど、流石に消耗はしているだろうよ」
「なるほどねぇ。バカ理に適った戦略だ。流石はヴァルハラ師団の『司令官殿』だ」
「毒を以って毒を制すならぬ、化物を以って化物を制す、ということだ」
「ああ、バカ違いねぇ」
そう言ってシアンと呼ばれた男はにやりと笑ってみせる。
一緒にジークと呼ばれていた女も笑う。
「おそらく奴等ならば約30分後には目的のポイントまでたどり着いてみせるだろうよ。
それまでは我輩が相手をする。直接ではなく、間接的に、だがな」
「了解だ。それまでアタシはゆっくりと《マッド・バッド・ドッグ》の整備でもしてるさ」
「念入りに手入れをしておけよ。貴様の『AOV』は我輩たちの重要な戦力なのだからな。
では、我輩は奴等に少し挨拶でもしてくるとしよう。少しの間、指揮は任せる」
「指揮なんてバカ大層なこたぁできねえけどよ、まあ適当にやっておくさ」
シアンはジークの言葉を聞いてから、艦橋から出て行った。
残されたジークは艦橋にいる部下たちに指示を出さずに何かをしている。
そもそも最低限必要な指示はシアンがあらかじめ出していった。
ジーク自身にするべき指示などろくにない。
だから彼女はずっと椅子に座ったままだ。
椅子に座ったまま『右腕の腕輪をいじっている』だけだ。
「今回の装備はどうすっかねぇ。バカ派手なやつでも積んでみっか。
ミサイル…バズーカ…グレネード…ビームキャノン…他には…」
ぶつぶつと何かを呟きながら、腕輪をいじっている。
15分後、再び艦橋にシアンが戻ってくるまで、それは続けられた。
一仕事終えて戻ってきたシアンに声を掛ける。
「よーうシアン。ラピスたちがもう5隻目を制圧したらしいぜ。
アタシはいつでも出れるけどよ、そっちはどうよ?」
「なに、案ずるな。仕込みは磐石、不安要素など万に一つも無い」
「そりゃあよかった。んじゃ、アタシそろそろ行くわ」
「うむ、せいぜいもてなしてやるといい。それが奴等への手向けだ」
シアンはニヤリと、毒々しい笑みを浮かべた。
艦橋から意気揚々と出て行くジークを見送りながら。
「ふぅ……この艦の敵は片付いたかしらね」
「大した相手じゃなかったけどね。俺とキミにかかれば楽勝さ」
制圧した5隻目の敵艦で佇みながら一息つく。
敵は倒れていたり、気絶していたり、麻痺していたり、手足に釘を刺されていたり。
やたらとバリエーション豊富に倒されている。
だが、誰一人として死者は出ていない。
全員存命。流石に重傷者はいるだろうが。
『ラピス先輩、聞こえますか?』
「あーはいはい。聞こえるわよヴァイオレット。どったのかしら?」
瑠璃の耳元の光のイヤリング、ライトイヤリングがボウッと強く発光する。
ヴァイオレットからの通信が入った、というサインらしい。
『あ、いえ。その艦で丁度敵艦隊が半数になったので、ご報告をと思いまして』
「もう半分なのかい。案外あっさりだね」
「そりゃアレよ、私たちが強すぎるのよ。はあ、強さって罪ね」
『あまり油断しないでくださいね。ここからが正念場ですから。
きっと相手も本気を出してきます。それ相応の実力者が…』
「はいストップ」
言葉を続けようとするヴァイオレットを制止する。
突然の言葉に面食らったようで、言葉が止まる。
それを見計らって瑠璃が言葉を続ける。
「甘く見られたものね。私を誰だと思っているのかしら?私よ?
大船に乗った気持ちでいなさいな。今実際戦艦に乗ってるわけだけれどね」
『ですが……』
「ラピスの言うとおりさ。キミは踏ん反り返って指示でも出していればいいのさ。
ところでノーカラーとはまだ連絡が取れないのかい?」
『はい。何度もコールしてみてはいるんですが…』
そう。連れ去られたノーカラーと一向に連絡が取れないのだ。
確かに彼の耳にもライトイヤリングはつけられているはず。
だから心配はいらないと思っていた。が、違った。
『せめて向こうの様子が分かればいいんですが…。
残念ながら映像も砂嵐状態で全く分からないんです』
「よくは分からないけど、ジャミングされてるのかもしれないわね」
『それか距離が離れすぎているかです。あれは100km圏内でしか扱えませんから』
「むぅ、そんなものなのね。あのバカ、どこまで連れてかれたんだか。
ヴァイオレット、このイヤリングで位置の把握はできないのかしら」
『残念ながら、発信機としての機能はないんです。あくまで無線としてだけしか…』
「便利なようで、不便ねぇ」
ふぅ、と深いため息をつく。
何度も言うようだが、ノーカラーのことは信頼している。
心配は無用。とは言うものの、やはり少しは気になってしまう。
一応は仲間なのだから、蔑ろにするわけにはいかない。
「まあいいわ。ヴァイオレット、あいつと連絡取れたらこっちにもすぐ繋ぎなさいな」
『了解しました。そろそろ次へ向かいますか?』
「んーまあね。休みすぎなのもいけないし、ちゃっちゃと次行っちゃうわ。
スカーレット、あんたもいけるわよね?ってか無理とは言わせないわ」
「大丈夫だよラピス。あと100時間くらいはぶっ続けでもいけるさ」
腕をぐるぐる回し、まだまだ余裕だということを示す。
この程度は準備運動にもならないぜ、といった感じに。
それを見た瑠璃はニッと笑う。
至極、楽しそうに。
「それはよかったわ。んじゃ、行きましょ」
『あ、あのっ先輩』
「ん?どったのかしら?」「なんだいヴァイオレット?」
『……気をつけて、くださいね』
「何度も言うようだけど、私は負けないわよ。心配御無用、するだけ無駄って話よ」
『(さっきからフラグ臭いんだよなぁこのセリフ……)』
気楽に振舞う瑠璃に対し、無線の向こう側で胸騒ぎを感じるヴァイオレット。
なんだか嫌な予感がしてしまう。そう思えてならないのだ。
完全や絶対、100%など存在するわけがない。
まさか、ということもあるのだ。
―――そう。
この後すぐにフラグ回収することになるなど、誰が予想しただろうか。
それは突然に起こった。
イヤリングから激しいアラートが鳴り響く。
その直後にヴァイオレットの声が聞こえてくる。
『熱源反応!前方から高速で接近中です!ミサイルだと思われます!』
「ミサイル?そんな兵器如きで私をどうにかできると思っているのかしら?」
ヴァイオレットの指示する方向へと目を向ける。
確かに高速で接近してくるミサイルが視認できた。
そこまで大きくはない。だが人間相手なら十分な威力はあるだろう。
――――普通の人間相手ならば。
「ど・れ・で・い・こ・う・か・し・ら♪よし、これにしましょ。“砂の魔女《サンドウィッチ》”!」
瑠璃が右腕を軽く持ち上げる。
ザアッと右腕の輪郭が崩れていく。
やがて肘の辺りまで完全に砂へと変化した。
「さぁ、カモンカモーン。相殺したげるわ……はあっ!」
ミサイルが100メートルあたりまで迫ってきた。
タイミングを合わせ、砂へと変化した右腕を大きく振るう。
洗練された砂の刃がミサイルへと向かって放たれた。
真っ向から、真正面から、ミサイルと砂の刃がぶつかり合う。
結果は歴然。見事なまでにミサイルはど真ん中から真っ二つになった。
瑠璃たちの目の前で、派手にミサイルは爆発した。
「ふふっ、余裕余裕。ねえヴァイオレット?」
『油断しないでください!まだ来ます!』
「えっ」
ヴァイオレットの言ったとおり、爆風の中をもうひとつのミサイルが突き抜けてきた。
今度は距離が近すぎる。迎撃するにもこれでは巻き込まれてしまう。
防御を――――
「ラピス下がるんだ!」
「っ!?」
瑠璃の体が後ろに勢いよく引っ張られる。
それと同時に目の前に誰かが立ちふさがった。
と、いってもそんなことをする人物など一人しかいない。
んでさっきの声も確実にそいつだ。
「スカーレット!?あんたなにして…」
「いざというときに好きな女を守る。それが、男ってもんだろう?」
無駄に格好いいキメ台詞を吐きながら、スカーレットが立っている。
盾も何も持たない、ほぼ完全に無防備な状態。
そんな姿でスカーレットはミサイルに立ち向かっていく。
「“レッド・ラッド・シールド”!!」
スカーレットの両手首から血が噴出す。
血液はまるで生き物のように動き、目の前に盾を作り出す。
血液で出来た分厚く堅牢な盾を構え、ミサイルの直撃に備える。
その刹那、ミサイルがスカーレットと接触した。
「ス、スカーレット!」
『スカーレット先輩!!』
流石の瑠璃もこれには動揺したらしく、珍しく声を荒げる。
通信を繋げていたままのヴァイオレットも大声を出す。
が、予想に反して爆発は起こらなかった。
あたりには真っ白な煙が充満している。
「あ……あれー?」
「これって……」
『煙幕弾……だったようですね…』
直撃こそしたものの、大した衝撃ではなかったようでスカーレットは無傷だった。
甲板には微妙な空気が流れている。あと煙幕も。
頭を抱えたまま、瑠璃は残念そうな、そして至極悔しそうな顔をしている。
「あーもうっ。まんまとハメられたわね。ハメるのはおまんk」
「まてぇーい!!」
「なによ。私はおまんじゅうって言おうとしただけよ」
「違うだろう絶対に!『おまんj』じゃなくて『おまんk』だったぜ!!」
「あーもういいじゃない。細かいことは」
「…キミの相手は疲れるよ……」
『あ、あははー………』
先ほどの警戒は消え去り、完全にいつもの軽快な調子に戻る瑠璃。
そんな瑠璃を見てスカーレットもヴァイオレットも呆れてしまう。
脅威はまだ去ってなどいなくて、今も恐怖を撒き散らしている最中だとも知らずに。
「まったく……あれ?ラピス、キミ鼻どうしたんだい?」
「鼻?」
言われてなんとなく鼻を触ってみる、が特になんともない。
普通に形のいい、高くて整った鼻である。
それから何の気なしに鼻の下を触ってみた。
すると何やら違和感を感じる。
「あらっ?」
指先にぬるっとした生暖かい何かが付着する。
見てみるとそれは真っ赤な血液。
自分では気づかななかったことだが、いつの間にか鼻血を垂らしていたのだ。
「うわやだわ。興奮しすぎたかしら。エロいことで鼻血ブーなんて小学生の発想ね」
「おいおい綺麗な顔が台無しになる前に拭いたほうがいいよ。はいハンカチ」
「ん、ありがと」
スカーレットの差し出したハンカチを受け取り、鼻を拭う。
ハンカチが瑠璃の鼻血で真っ赤に染まる。
血まみれのハンカチをスカーレットに突っ返す。
「舐める?」
「舐めないよ!!」
「あらそう。いらないのね残念だわ。
…ん?ちょっとこの艦揺れ酷くないかしら」
「そんなことないけど。波も穏やかだし」
「そう……何か違和感を感じるのよね…」
違和感、というより気分が悪いようだ。
心なしか先ほどに比べて顔色が悪い。
心配に思ったスカーレットは瑠璃の額に手を当ててみた。
「ふむ、熱はないようだけど」
「そんなすぐ風邪なんてひかないわよ」
「風邪じゃなくても、体調で体温ってのは変わるもんだよ」
「あらそう…ごほっごほっ……あれ?マジで風邪ひいちゃたかしら」
少し篭ったような、嫌な咳をする。
その瞬間、ビチャッと液体をぶちまけるような音がする。
瑠璃の手のひらが、鮮血で真っ赤に染まる。
「あ、あらっ?つわりにはまだ早……ゴホッゴホッ!!」
アホなこと言っている間に咳がさらに酷くなる。それに伴い血の量も増える。
おびただしい量の血を吐き、やっと自分の体の異常に気づく。
だが、今更気づいたところで遅かった。
ぐらり、と瑠璃が前のめりに倒れる。
「ラピス!!」『先輩!!』
すかさずスカーレットが倒れる瑠璃の体を抱きかかえる。
出来る限り優しく、割れ物を扱うように、そっと受け止める。
瑠璃はぐったりとしていて、顔色が非常に悪い。
息も大分荒くなってきた。
「しまったな……なんで気づけなかったんだ………」
『スカーレット先輩…これは一体どういう……』
「これはただの煙幕じゃない……毒だ」
『毒っ…!?そんなのを吸っていて、先輩は大丈夫なんですか?』
「俺はね。毒への耐性はかなり強いから。でもラピスは普通の人間だ。
どんなに強い人でも、体内を鍛えることはまずできない。不可能だ。
ほら、ドラゴンボールでも悟空が病気で死ぬとかあっただろう?そういうことさ」
『は、はぁ……』
そんな、分かったような、分からないような、はっきりしない返事をする。
それにしても、瑠璃が動けなくなるほどの毒を吸っていて本当に大丈夫なのだろうか。
いくら毒への耐性が強いとはいえ、多少は体に異常が出るはずだが。
「ま、いろいろ事情があってね。それよりもこの毒、誰のものかわかったよ」
『本当ですか?』
「ああ。少なくともこれは自然界に存在する毒でも、科学的に生み出された毒でもない。
これは魔術で作られた毒だ。そして俺は…いや、俺達はこの毒を使える人物を一人知っている」
『それは……まさか』
「分かったみたいだね。察しの通りグレイだよ」
『………やはりそうですか』
「《猛毒の王(ロードオブヴェノム)》と呼ばれた男、シアン・V・アルヴァーナ。
COLORSの元幹部のあいつだよ」
懐かしき人物の名を、忌まわしき元同僚の名を告げる。
スカーレットとヴァイオレットは勿論、他のメンバーも全員知っている。
彼の狡猾さを。ずる賢さを。冷酷さを。非道さを。
そして―――
彼が数ヶ月ほど前に失踪し、消息を絶ったはずだということも。
ここで少しシアンという男の話をしておこう。
彼はどうしようもなく酷い人間で、誰もを見下していた。
子どもの頃から不出来な同級生に毒を吐いていた。
それ故に彼に友達などという人物はいなかった。
だが彼はそれでも構わないと思っていた。
なぜなら、それがシアンという人物だからだ。
彼の毒気の強さはとどまることを知らず、いつまでもそれは続いた。
それが影響したのかは知らないが、扱う魔術は毒を扱うものだった。
どう扱っても回りに被害を及ぼし、迷惑をかけ、忌み嫌われる。
そんな彼を、人は「悪魔」とか「害獣」とか様々なあだ名で呼んだ。
彼を好む人など誰もいなかった。
親族ですら、それは例外ではない。
成人すると彼は家を出て各国を雇われ傭兵として渡り歩いた。
傭兵、というと聞こえは格好いいかもしれないが、彼はそんなイメージとはかけ離れていた。
敵味方関係無しの無差別攻撃。致死性の毒での虐殺。
敵味方どちらにも死傷者および多大な被害が及んだ。
しかし彼が所属した側はほぼ必ず勝利を収めた。
英雄とこそ呼ばれはしなかったが、彼の名は各地に知れ渡っていった。
いつしか彼は畏怖と侮蔑を込めて《猛毒の王(ロードオブヴェノム)と呼ばれるようになった。
そんな頃だろうか。
彼がフロイツェンに出会ったのは。
大したきっかけではない。
ただ戦場で刃を交えた。ただそれだけのこと。
だが、彼らにはそれだけで十分だった。
生まれて初めて彼は他人を、フロイツェンのことを認めた。
やがてはヴァルハラ師団に入り、行動を共にするようにもなった。
彼らは強かった。立ちはだかるものを屈服させ、甚振り、殺した。
もはや適うものなどはいないだろうと、そう思っていた。
だがそんなとき、彼らの元にある情報が入ってきた。
COLORSのことである。
当初戦場において、COLORSは新規参入したばかりの名も無き部隊だった。
だが、わずか一年足らずでそれは過去のものとなった。
世界各地の紛争や戦争に足を運び、圧倒的な力でねじ伏せる。
あまりの強さに、世界中が注目した。
勿論彼らとて、それは例外ではない。
彼らはCOLORSをなんとか潰してやろうと、そう考えた。
しかし真正面から戦うなど愚の骨頂。馬鹿のすることだ。
戦略を、智謀を、奇策を練った。
最終的結論として、COLORSにスパイを送り込むことを考えた。
そしてそのスパイに、シアンが名乗りを上げたのだ。
彼はCOLORSに何の違和感もなしにすぐ馴染むことができた。
幸い名こそ知られてはいたが、ヴァルハラ師団の団員だということは知られていなかった。
彼はここではグレイという名を貰い、日々戦闘に身を投じた。
それと同時に、COLORS内部で情報を集めることもした。
集めた情報はヴァルハラ師団のフロイツェンへと送った。
スパイ活動は順調に、抜かりなく進んでいった。
そして必要な情報を集めた後、彼はCOLORSから姿を消した。
それが今から2年ほど前のことである。
彼に関する物語は大体こんなものだ。
閑話休題。話は艦上のスカーレットと瑠璃に戻る。
瑠璃は未だに咳き込んでは血を吐いている。
ぐったりとしていて顔色も悪く、非常に危ない状態だ。
『先輩!今からボクがそっちに向かいます!すぐにでも解毒を…』
「いや駄目だ。キミにはそこを守るという使命と、全員に指示を出すという義務がある。
キミが慌てちゃ駄目だ。焦っては駄目だ。ここは俺がなんとかするから」
『ですがっ……!スカーレット先輩は魔術を使えないじゃないですか!
ラピス先輩を助けることができるのはボクくらいしか………』
「うろたえるんじゃあない!」
『ひゃっ!!』
一喝。いつになく真剣な顔でヴァイオレットを怒鳴りつけた。
別に怒っているからではない。彼女を一度落ち着かせるためだ。
思惑通り、ヴァイオレットは一度怒鳴られたことで頭が冷えたようだ。
しかしそれでもスカーレットに対する心配と疑惑は変わらない。
『ですが、やっぱり魔術を使えない先輩じゃ……』
「確かに俺は魔術を使えない。
しかし魔術を使えることだけが、仲間を助けられる理由にはならない!」
スカーレットが両腕を高く上に掲げる。
両腕のいたるところから血があふれ出し、腕に纏わりついていく。
やがてそれは大きな翼のような形状に変化した。
そして、体を捻りながら、両腕を大きく振るう。
激しい風が甲板に吹き荒れ、毒煙幕を吹き飛ばした。
『す、すごい………』
「まださ。今度はこっちだ」
今度は人差し指を口にくわえ、歯を立てて強く噛んだ。
どれほど強く噛んだのだろうか、指先から異常な量の血があふれ出す。
そしてその指を瑠璃の顔の前へ持っていった。
「さぁラピス、俺の血を飲むんだ」
「……なに……?新しい……プレイのつもり……かしら…………?」
「いやそうじゃないよ。死に掛けている女の子に無理矢理プレイ強要するほど俺は落ちぶれてないよ。
説明は省くけど、俺の血を飲めばキミの体内の毒を解毒できる。だから飲むんだ」
「………嘘つき」
「いや嘘じゃないって(今の言い方可愛いなぁ)。
俺を信用してくれないか?キミを助けたいんだよ」
「……わかったわよ」
少し、いや、かなり嫌そうな顔をしながらスカーレットの指先を舐める。
口の中に血独特の鉄のような味が……しない。
むしろ、なんというか、甘いような気がする。
それは高級なチョコレートのような上品な甘さ。
つい一舐め、また一舐め、何度も指を舐めてしまう。
そして最終的には―――。
「………あむっ」
「ちょ、ら、ラピス!?」
「うるひゃいわよ……だまってなひゃい……んっ……」
指をくわえてしゃぶり始めてしまった。
一心不乱に、無我夢中で。
それはまるで赤ん坊のようだ。
だが、実際はそんな可愛いものではなかった。
「んちゅ……ちゅ、ちゅく……んっ、んっ……じゅる……」
「………えっと」
「じゅっ……んむっ……じゅっ、じゅるっ……ちゅ……」
「……あれー?」
なんだかいやらしい感じになってしまった。
どういう状況なんだろうかこれは。
確かただ血を飲ませるだけの作業だったはずなのに。
血を吸うどころか指を吸われてしまっている。
しかも妙にえっちぃ感じで。
「あ、あのさラピス…」
「ちゅる……じゅる……ちゅ、ちゅぶっ……なによぅ……?」
「いやあの、なんでしゃぶってるのかなーって思って」
「……こっちのほうが……んちゅっ……効率いいからよ……じゅっ……」
だ、そうだ。が、絶対に違う。
なんだ。なんなんだこの状況は。
自分が片思いしている相手に指フェ…いや指を吸われている。
しかも妙に官能的に。どういうことなんだろうか。
理由を考えてみる。数分くらい。
(……そうか。夢魔の催淫効果か。
まいったな。俺の血にはそんなのも混じってたか。
いまいち不便だね俺の体は)
などと意味深なことを頭の中で考えている。
この言葉の意味は近いうちに明らかになるだろう。
多分スカーレットが活躍する場面あたりで。
そんなことよりも今は瑠璃だ。
「んっ……ちゅく……じゅくっ……んむぅ……」
(……しかしなんだ、こんなことされてると俺まで変な気分に…
って駄目だ駄目だ!これは飽くまでラピスを助けるためであって…!
お、俺は、どうすればいいんだああああああああああああ!!!!)
などという理性と本能との葛藤がしばらくの間続いた。
スカーレットの脳内で激しい戦争が行われている間も、瑠璃は指をしゃぶっていた。
ちなみにヴァイオレットは一時的に通信を一方的に遮断していた。
なんかもう、とても聞いていられなかったので。
『(やっぱりボクが行くべきだった……)』
結論から言うと、瑠璃の解毒は無事成功した。
しかし催淫効果はしばらくの間残っていたらしい。
数分間くらいはぺたん座りでポーっとしていた。
しかし時間が経過してくるといつもの表情に戻ってきた。
そして先ほどまでの自分の所業を思い出す。
と、いうわけで今の状況は――
「うあああああああああああああ…………」
甲板にガンガン頭をぶつけ、馬鹿な真似をした自分を呪う。
死んでしまいたい。今すぐにでもそこから身を投げ出して海の藻屑と成り果てたい。
頭の中ではずぅっとそんなことばかりがぐるぐるぐるぐる回っている。
そこには普段のクールビューティーな姿など何処にもない。(さっきから無いが)
そこにいるのは極々普通のお茶目な乙女だ。
「私としたことが……もう死ぬしかないわ……」
「ま、まあ不可抗力だったってことで」
「…………」ジロリ
「はっ!し、しまっ……」
墓穴を掘った。確実にこれは怒鳴られる。
そう思った瞬間勝手に体が身構えてしまった。
しかし瑠璃から返ってきた言葉は意外なものだった。
「……迷惑かけたわね、スカーレット」
「え!?あ、ああ、いや全然構わないよ。ラピスのためだし」
「……ありがと」
いつもと違い、妙に素直な瑠璃に戸惑ってしまう。
と、いうよりもなんだかしおらしいような気もする。
やはり先ほどのが原因なのだろうか。
ふとそんなことを思ってしまう。
「そういえば、さっき倒した奴等ってどうなったのかしら。
ほら、殺さないようにして戦闘不能にしてやった」
「彼らかい。確認したけど全滅だ。全員毒煙幕を吸って死んでるよ」
「味方がいても見境無し……ってわけね。グレイのやつのやりそうなことだわ」
「所詮は俺たちを足止めするための駒に過ぎない、ってことかな」
『先輩方』
二人が話しているとしばらくぶりにヴァイオレットから通信が入る。
しかしなんとなく口調というか雰囲気が先ほどと違うような気がする。
違和感を覚えつつも、それに応じる。
「なにかしらヴァイオレット」「どうしたんだい?」
『時間が経ちすぎなんで、さっさと次行ってください。早く』
「……えーっと?」「ど、どうしたのよヴァイオレット」
明らかに気分が、態度が悪い。
いつもの礼儀正しさはどこへやら。
まるで反抗期を迎えた娘のようだ。
『いいから次の敵倒せっていってるじゃないですか。
こうしてる間にもノーカラー先輩戦ってるんですから。
怠けてんじゃないですよ。先輩に言いつけますよ』
「わ、わかったよ!ほら、行こうぜラピス!」
「うわ、ちょ、ちょっと!」
ヴァイオレットの威圧と気迫に当てられ、焦って瑠璃の腕を掴むスカーレット。
だがそれを瑠璃は無理矢理振りほどき、後ろを向いてしまう。
黙ったまま、その場からまったく動こうとしない。
気になったスカーレットが声を掛ける。
「? ラピス、どうかしたかい?」
「なっ、なんでもないわよ……」
スカーレットからは見えないが、今の瑠璃は顔が真っ赤だ。
そして何より、ワケが分からないくらい心臓が高鳴っている。
謎の胸の鼓動はどんどん強く、速く、激しくなっていく。
(なんなのよもう……!落ち着きなさい私、平常心、平常心……)
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
大きく息を吸って、吐いて、気持ちを静めようとする。
しかしどうしても収まらない。むしろ激しくなるばかりだ。
それどころかなんだか顔まで熱くなってきた。
(うああ……ど、どうしよう……)
「ラ、ラピス?もしかしてまだどこか悪いのかい?」
「え!?い、いいえ!全然大丈夫よ!もう戦えるから!」
「そうかい、それならいいんだけど……」
『いいから行けよ』
「わ、わかったよ!」「りょ、了解……」
普段からは考えられないほどにドスの聞いた声を聞き、慌てて次の艦へ向かう。
やっと行ったか、とヴァイオレットはため息をつく。
まったく世話の掛かる先輩だ。
最終更新:2012年03月02日 01:27