そちらは妹さんですか?未成年の方にはお酒は出せませんよ。
愛想の良いバーテンダーのその台詞を聞いた瞬間、つい噴出しそうになった。
顔を背けて口元を押さえ、肩を揺する。
「・・・教師なんだけどー」
むすっとした面持ちで、織部先生がバーテンダーに教員免許を見せた。
バーテンダーは途端に慌てた様子になって、顔を赤くしながら謝りだしている。
「仕方ないですよ、織部先生じゃ・・・くっ」
「うっさい、孝輔は黙ってて」
ぺし、と白衣の袖が俺のスーツの背中を叩く。
俺も先生も仕事あがりの服装のままで、この場からは少しだけ浮いていた。
「すみません、どうも・・・」
「いーんですよ。この人いつも間違われてますし」
申し訳なさそうなバーテンダーをフォローしておく。
織部先生の視線が痛い。
「ま、いーや。先生は寛大なのだー」
跳ねるようにカウンタ席について、着ていた白衣を背もたれにかける。
加えて足を軽く前後に振る様はこのバーに似つかわしくない、本当に子供のようだった。
しかし、教員免許見せられちゃ納得せざるを得ないわな。
この若々しさというか、もはや幼さというか、童顔とかそういうレベルじゃないからなこの人。
「フレンチ・コネクション。こっちのはファジー・ネーブルね」
「あ、ちょっと」
何を飲もうか、と思ったところで織部先生が俺の分まで勝手に頼む。
きついのを飲む気がないとは言え、ファジー・ネーブル、か。
「もしかして馬鹿にされてるのか、俺は」
「子供っぽい孝輔にはお似合いだよ。くくっ」
嫌いじゃないけど、年上(一応)の女性に「お似合いだ」と言われるとなんだか悔しい。
バーテンダーが微笑ましげに口端を上げた。更に悔しい。
そして、そう言う織部先生はフレンチ・コネクション。
正確には覚えていないが、度数は30を軽く超えていたはずだ。
「俺、ちょっと飲んだら帰るつもりなんだけど・・・」
「こらこら、先輩がバーに誘ってんだからちゃーんと付き合えー」
バーの人影はまばらだった。奥の方の席に、一人で酒を飲む男や女がちらほら。そのくらいだ。
「っても、明日も仕事ありますよ」
時計を見ると、既に10時が近くなっている。
日付が変わる頃には寝たい。睡眠時間が減ると、悪い寝起きが更に悪くなるからだ。
「この間、アルコールによる悪影響の類をきれいさっぱりする薬が完成したの」
織部先生の前に置かれた琥珀色の液体が、控えめな照明を反射する。
ほどなく俺の前にも、オレンジ色の液体で満たされたロックグラスが置かれた。
「だから付き合えって?」
「当然。拒否権とかないから」
グラスに口をつけて、こちらを見て目を細める。
10歳程度の少女にしか見えない彼女がロックグラスを傾ける姿は、酷く非現実的だ。
俺も同じようにグラスを傾けると、甘い味が喉を過ぎていくのを感じた。
「・・・・・・」
そのまま少しずつ口をつけて、お互い黙ったままでいる。
・・・なんか話があって酒に誘われたんじゃないのか。俺から振るか。
「話」
「ん?」
「何か話があるから、俺を誘ったんじゃないんですか」
無意識に少し語尾が間延びした。
織部先生がにやりと笑って俺を見る。なんだ。
「そうだなぁ、仕事の話でもしよっか」
仕事の話か。まあ、俺達の間に共通する話題なんてそれくらいだ。
「被服科はどう?」
「いきなりどうって言われても」
臨時講師という体ではあるが、実際教師が放浪の旅で行方不明なんだから、
俺の業務は普通の教師と大差なかった。
専門的に被服科で勉強している生徒と、選択授業で被服を取っている生徒。
前者は極僅か、後者も他の選択科目に比べれば少ない。
「他の先生よりは楽なんじゃないかって思いますけど」
被服は俺の専門だし、生徒数も多くないから必然的に酷い苦労はしないし、比較的時間も食わない。
それでも今は、赴任当初の倍は仕事をするようになっていた。
「いいねー、先生はいつも大変だよ。たまに代わってくれない?」
植物属性は比較的メジャーで、専攻する生徒は多い。
あの馬鹿でかい植物園を当番制で管理しているのだから相当だろう。
その分、俺よりもずっと仕事量も苦労も多いはずだ。
「俺、植物とかすぐ枯らすタイプだし無理」
「うわ、最悪。いけない子だね、孝輔は」
かるく額を小突かれた。続いて頬をつままれる。
「にゃにするんれひゅか」
上手く喋れなかった。最高に格好悪いから今すぐ忘れたい。
「変な顔」
「誰のせいだ・・・」
小声で悪態をついて、一気にグラスを空にする。
織部先生も同じように、残り僅かになったフレンチ・コネクションを飲み干した。
「せっかくだから色んなの飲みたいなー。次、ニコラシカ」
薄赤くなった頬に触れながら頬杖をついて、織部先生が機嫌よさそうにまたカクテルを頼む。
俺ももう少し飲んでもいいかなという気になって、今度こそ何を飲もうか思案する。
「メジャーな所で、スクリュー・ドライバーなんてどう?」
冗談めかして織部先生がくつくつと笑う。
子供扱いの次は女扱いか。俺はこの人にどんな男だと思われているんだろう。
「・・・じゃ、モスコーミュール」
ひゅー、と織部先生がわざとらしく口笛を吹いた。
「飲む気になった?」
「メジャーな所、ってのを汲んでみただけ」
それ以上でも以下でもなく、本当にそれだけだ。
奇しくも、同じウォッカが使われているカクテルだったけど。
「んーっ」
織部先生が、グラスの上に乗せられた砂糖つきのレモンを二つ折りにして噛む。
少し眉を顰めながら笑うその顔を見て、口内に広がっているであろう甘酸っぱさを想像した。
「んくっ」
そして、グラスに残ったブランデーを一気に煽る。
恐ろしく良い飲みっぷりだった。
「おいしー」
照明の落とされたバーでも容易に分かるほど赤みの差した頬を歪ませ、満足そうに笑んだ。
その横顔と、グラスの底に残るブランデーの残滓を見る。
すぐに目を逸らして、モスコーミュールの注がれたタンブラーに口をつけた。
「孝輔」
「んー・・・?」
喉から出たのは随分と間抜けな声だった。
その返事を聞いた織部先生が、言いかけた言葉を飲み込んで相好を崩す。
「やっぱり子供だねー。酔い安いにも限度があるよ」
僅かに粘つく、フレンドリーな嘲笑。
見た目幼いはずの織部先生が、酷く大人に見えた。
「俺ら、浮いてませんか」
なんとなくそう思った。
頬がやけにひんやりするなと思ったらいつの間にか突っ伏していた。慌てて起き上がる。
「浮いてるかもね。たかだかファジー・ネーブル一杯とモスコーミュールに口をつけただけなのに、
こんなになってるんだから。つまり『俺ら』じゃなくて『俺』が正しいから勘違いしないよーに」
ちっち、と織部先生が指を振る。俺の顔を見て、口端を釣り上げた。
「どんな顔してます」
「鏡代わりに覗けばいいよ」
そう言って、俺のタンブラーを指す。
言われるまま、モスコーミュールの水面を覗いた。
そこにうっすらと映っているように見える俺の顔には、色がなかった。
「まだ話をしたかったんだけどなー。こんなんじゃ無理だね」
織部先生はまじまじと俺を見詰め続ける。
そんなに酔っているつもりはない。至って平静だ。
「俺、そこまで酔ってないですよ」
「酔ってる奴は皆そう言うんだよー。テンプレすぎて超笑えちゃう・・・けど我慢我慢」
いや、結構マジに酔ってなんかいない。はずだ。
話を続けようというなら、そうしよう。そんな気分になってきた。
「孝輔は男でよかったねー」
「急になんすか」
はぁ、と面白がるようなため息を吐いて、織部先生は笑顔で居続ける。
「こうして酔わせれば、誰でも連れて帰れそうだから」
「なんだそれ・・・」
意味がわからん。
わからんが、なんかとんでもない事を言われた気がした。
いつのまにかグラスの中身は大分減っていて、いつ飲んだのかは不明瞭だった。
時計を見ると、大分時間も経っている。
だけどどうでもいい、と何故かこの時の俺は思ってしまった。
「せんせ」
不自然に声が途切れた。
やれやれといった顔をする織部先生が見える。
「俺、教師として駄目かなあ」
なんとなくネガティブな思考になる。
生徒にはからかわれたり馬鹿にされてばかりだし。
そう思うと急に、自分が駄目なのではないかと、後ろ向きな考えが頭を過ぎる。
「威厳はないよねー。信頼もどうかな?小児性愛は否定的に捉えられることが多いよ」
「ロリコンって言うな・・・」
「ロリコン、とは言ってない」
意地の悪い笑みを零して、俺を見下ろす。
見下ろす?
そうか、また気付かないうちに突っ伏す姿勢になっていたのか。
「今日はネガティブかー。泣くのはやめてねー」
「・・・そんな簡単に泣かない」
最後に泣いたのはいつだっけ?
「いや、孝輔結構泣いてるっていうか泣かされてるって言うか、
威厳なしに信頼も微妙なのに加えて不憫、情けないも追加。ああ、笑えてきちゃう」
織部先生の言葉がガシガシと心に刺さる。
そうか、俺は情けない奴だったか。なんで教師なんてやってんだろ。頼まれたから?
「でも先生は嫌いじゃないよ。曼珠沙華と同じくらい好き」
「基準がわかりません」
曼珠沙華ってなんだっけ?
「孝輔は孝輔の好きなようにやればいい。どうせ教職辞めても食べていけるんでしょ?
なら、上手くいかなくてもいーんじゃないの」
「・・・それじゃ、生徒の奴らが困る・・・」
俺しか教師が居ないんだから、俺が職務怠慢だったら被服を勉強してる奴らは困る。
魔法被服は、独学での限界が来るのが非常に早い。
「そう思ってるならいいよ」
ぽす、と織部先生の小さな手が俺の頭に乗った。
わしわしと髪をまさぐるように撫でられる。頭皮に鳥肌が立ちそうだった。
「髪、柔らかい」
「家系です」
美緒の髪の毛も、毛先に癖がある割に柔らかい。昔は、その髪を指で梳くのが好きだった。
それは今でも嫌いじゃないがあまりやらせてくれない。なんでだ。
「年下の男の子だなぁ」
「俺と、5歳しか違わないのにな」
俺がフランスから日本に引っ越したのが5歳で、その頃、織部先生は10歳か。
今でも10歳みたいな外見だが、当時はどうだったのだろう。
「たかが5歳、されど5歳。だけどお互いこうしてお酒は飲める歳」
ああ、ここはどこだっけ?
「帰りは宇宙船に乗せてくれるんだよね」
たっ、と椅子から降りて織部先生が白衣を羽織る。財布を取り出した。勘定か。
俺も椅子から立ち上がり、飲んだ分の代金を支払う。
少しふらつく。眠いのだろうか。
今は、何時だったっけ?
小銭が100円だけ余ったが、日本にはチップなんて根付いてないのでそのままにした。
「今日は楽しかったよ、孝輔。いいものも見れたし、いいことも聞けた」
教員寮は建物こそひとつだが、流石に男女でエリアが分かれている。
その境目で、織部先生はそう言った。
「・・・なんか、織部先生が別人に見える」
それはバーでもずっと思っていたことだ。
なんだか、いつもと違う気がした。
「バーでは笑い声は控えめに。これ常識ね」
白衣の裾を翻し、たん、と軽快に織部先生が向こうを向いた。
「おやすみ、孝輔。部屋に行くまで寝ちゃ駄目だからねー」
そして肩越しにそう言って、もう振り返らなかった。
「・・・おやすみなさい」
見えないだろうけど、小さく右手を振った。
早く部屋へ帰りたい。
この体のだるさと体温の上昇と瞼の重さは、眠気によるものだ。
そうに違いないから、早く部屋へ帰って寝よう。
シスカを随分と待たせてしまったな。
夜遅くまで俺を待って、朝は早くに俺を起こす。
人形って、そういうものだ。だけど決して俺の使用人なんかじゃなくて。
結論。
「シスカは可愛い」
その可愛い人形が待っている部屋へ帰るために、俺は足早に階段を登った。
・・・一番上の段につまずいて転んだ。痛ぇ。
最終更新:2012年03月02日 01:28