このお話は、七坂美緒(高校二年生)と
アルティメット美少女先輩(高校三年生)のお話です。
部屋を明るくして、画面から離れて見てください。
始まりは、何の変哲も無い金曜日の放課後のことである。
「七坂は明日、暇か?」
「暇ですけど・・・どうかしましたか」
偶然廊下ですれ違った教師に呼び止められる。
面倒事でも頼まれるのだろうか。
そう思って出かけたため息を、投げやりに飲み込んだ。
「ちょっと受けて欲しい依頼があるんだが、考えてみてくれないか」
予想した言葉とは違ったが、どちらかといえば良い方に予想を裏切ってくれた。
ちょうど明日何をやるかと考えていた所だ。
内容を聞いて、明日の尊い暇を潰すのに値する依頼かどうか考えてみるのもいいだろう。
「七坂は確か水専攻だったよな」
「はい、まぁ」
彼は日本史の担当教師の一人で、私のクラスの日本史は彼が受け持っていた。
字はちょっと汚いが、豆知識を交えた面白い授業が多くの生徒に受けている。
「水属性使える生徒探してたんだよ」
どうも、その依頼に適しているのは水属性の生徒らしい。
炎属性の困った魔物の退治か、水道関係のトラブルか。
ちなみに、私の受ける依頼は圧倒的に後者の方が多い。
戦闘よりも、そういうお仕事の方が確実で危険もなく、気が楽だからだ。
「水は専攻生徒少ないからさー、見つけても予定あるやつばっかで」
「何人くらいに声かけたんですか?」
「4人。廊下歩いてる生徒はいっぱい居るのに、水専攻って知ってる奴はそれだけ」
「それはまた」
職員室に向かって歩きながら、話に相槌を打つ。
私の休日が有意義な暇潰しになることを祈りながら、人の行き交う廊下に上靴の音を響かせた。
「犬探し、ですか」
職員室の一角、机に座った教師から薄い紙を三枚ほどホチキスでとめた束を手渡される。
一枚目の紙には依頼内容や依頼のランク、報酬などが記されている。
どうやら、いなくなった犬を探して欲しいという依頼のようだ。
しかし、依頼を受けた生徒のところにはすでに名前が書かれていた。
「あれ・・・?」
そこには、春原蓮という名前が記されている。
所属は3年B組、上級生だ。
「先生、この依頼もう受けてる人がいますよ」
「ああ、実はそうなんだが・・・二枚目見てくれ」
言われるまま、ぺらりと紙をめくる。
一枚目と同じような、依頼内容を示した紙だ。
しかし、内容は異なる。
「・・・手伝い?」
依頼主は春原蓮。
たった今見た、犬探しの依頼を受けた生徒だ。
依頼内容に、『依頼された仕事の手伝い』と書いてある。
「先生、どういうことですかこれ」
「書いてある通りだ、まあ色々あってだな」
つまり、この生徒が受けた犬探しの依頼を手伝う、という依頼なのか。
確かに探しものには人海戦術が有効であるし、納得はできる。
飼い犬を心配する依頼人に、『やっぱり一人じゃ探しきれません、無理です』というのは気が引けたのだろう。
同時に、生徒から生徒への依頼もできるんだな、と新たな発見をした。
おそらく極僅かな事例なのだろう。
わざわざ依頼にせずとも、直接口頭で頼めばよいのだから。
随分と丁寧な事をする人だ。
「内容はわかりましたけど、水属性である必要性はどこに・・・?」
犬探しの手伝いなら、捕縛魔術や探知魔術を使える生徒に依頼すべきだろう。
しかし、そう思った直後に見えた教師の苦笑いで、その疑問は嫌な予感に姿を変える。
「ただの犬じゃなかったんだよ、捜索依頼された奴」
・・・果たして、私の休日は『有意義な暇潰し』と成り得るのだろうか。
そして、土曜日。
結局のところ、他にやることも思いつかなかったので私はその依頼を受けた。
それに、ペットが居なくなって心配する飼い主と、それをなんとか解決しようと助っ人まで呼ぶ生徒。
多少でも、情が動くのが人間ってものだ。
報酬は、依頼完遂時の報酬から出されるそうだ。
犬探しの依頼主は中々に裕福な家庭らしく、報酬の額はお小遣いにしては十分すぎる額に思えた。
・・・近隣地域に及ぶ危険を未然に食い止めるという意味では、妥当なものかもしれないが。
それは追々、触れるとしよう。
校門傍のベンチに腰掛け、足を軽くぶらつかせながら春原蓮という生徒を待つ。
今日の休みを目一杯使っての捜索になるらしい。
私は、春原蓮がどういう生徒かは全く知らない。
3年B組という所属以外は、専攻属性や外見なども全然だ。
上級生ということもあって少し緊張する。いい人だといいんだけど。
待ち合わせ時間になった。
「はやく来すぎちゃったかな」
ちょっと気をつかって早めに出た結果、10分前についてしまったのだ。
5分前でもよかったような気がする。
というか待ち合わせ時間ぴったりでも問題なかった。これは結果論だが。
「あの・・・」
腕時計を眺めていた私の背後から、声が降ってくる。
鈴が優しく鳴るような、落ち着いた少女の声だ。
「はいっ」
突然の事だったので、僅かに肩を跳ねさせながら振り向く。
考え事をしていたせいか、足音には気付かなかったのだ。
「七坂美緒さん、ですか」
振り向いた先には、繊細なガラス細工のような女生徒が立っていた。
その柔らかい笑みに一瞬だけ目を奪われたが、すぐにベンチから立ち上がって向き直り、返事をする。
「はいっ、七坂です。えっと・・・」
「初めまして、3年B組の春原蓮です」
ぺこりと頭を下げて自己紹介された。
動作の一つ一つが完成された美しさを持っている。
「お待たせしてしまいましたか」
「いえっ、そんなこと全然ないです・・・あ・・・っと、2年B組の七坂美緒です」
慌ててこちらも自己紹介をする。
挙動不審な感じが払拭できていない。
全く容姿の想像をしていなかっただけに、その端正な容姿には驚かざるを得なかったのだった。
「依頼内容は、先生から聞いていますよね」
校門から出て、並んで歩きながら依頼について話し始める。
これから依頼主の家に向かい、改めて話を聞くらしい。
「大体は聞いてます。その・・・ウェルダネスのことも」
ウェルダネス、とは件の犬の名前だ。お金持ちの犬らしく大層な響きで、
なおかつその犬種に見合うであろう名前がつけられている。
「ぼく、直接依頼を聞くまで知らなくって」
一人称は『ぼく』らしい。
その繊細な女の子らしい容姿とはミスマッチに思えたが、
自分のことを僕と言う女子は意外とありふれているため、私の脳はあっさりとその違和感を受け入れた。
「きっと誰だって思いませんよ、ヘルハウンド飼ってるなんて」
そう。
捜索を依頼された犬は、ただの犬ではないのだ。
炎を操り、地獄に住む黒い毛並みを持った魔獣。
ヘルハウンドが、街中に脱走したというのだった。
依頼主は先天的に魔術の心得があるらしく、
召喚契約ではなくまさにペットのようにヘルハウンドと暮らしているそうだ。
依頼主の祖父が飼っていたヘルハウンドの子供を依頼主の父が飼い、
さらにその子供を依頼主が飼っている・・・というように、代々番犬としてその家を守る役目を担っているようだ。
祖父に当たる人物がどうやって一代目のヘルハウンドと出会ったか気になる所だが、
今回の件には関係ないので気にするのはやめた。
赤信号で止まる。
「きっと捕まえる時に抵抗されちゃうと思うんですけど、ぼくは炎属性だから相性が悪くて」
「なるほど・・・」
それで水属性の出番、というわけだ。
ちらりと見た春原先輩の横顔には、僅かに落ち込みの色が見えた。
そのまま、不躾とは思いながらも少しだけ容姿を観察させてもらう。
身長は、160cmちょっとくらいだろうか。私よりも少し高い。
儚さを感じさせる細い体躯が、静かな足音をアスファルトに染み込ませてゆく。
信号が青になった。また歩き出す。
私の真横で揺れる髪の毛は、カフェオレを思い出す甘い薄茶色をしている。
黒いリボンで結ばれたツインテールが、まっすぐ腰の辺りまで伸びていた。
曲がり角を曲がる。
風で靡いた髪から、ふわりといい香りがする。
私がもしも男なら、恋をしてしまうかもしれないな、と思った。
「七坂さん」
ふと、春原先輩の深緑の瞳がこちらを向く。
「あ、いや、その」
いくらなんでも不躾すぎたか。
隣で歩いている人からじろじろ見られれば不審にも思うだろう。
とっさに取り繕おうとするが、上手く言葉が出ない。一体何をしているんだ私は。
「・・・?」
しかし、私の短く切れ切れな言葉に対する反応は意外なものだった。
目を丸くして、小さく首をかしげている。
「ここが依頼人さん・・・二階堂さんのお家です」
「ふぇ・・・あっ」
正面を向くと、白い壁の建物が目に入った。
二階堂という苗字に反して一階建てだが、面積は相当広そうだ。
どうやら、すでに目的地に到着していたらしい。目の前には細かい細工の施された門扉が立ちはだかっている。
「ごめんなさい、少しぼーっとしてて」
言い訳は諦め、素直に謝っておく。
春原先輩はしばらく不思議そうな顔をしていたが、やがて笑顔に戻った。
「いきましょうか」
「はいっ」
白く細い指が、門についているインターホンらしきボタンを押した。
これっきりにするから、と心の中で呟いてもう一度春原先輩を見てみる。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな言葉が浮かぶ。
可憐という言葉をそのまま人間にしたような、やはり完全ともいえる美少女だった。
「首輪が弱っていたというのもあると思うのですが、どうも相当嫌だったようで」
さっきから座っているソファーがふわふわしすぎて妙に落ち着かない。
低いガラステーブルを挟んで話す二階堂さんの言葉も、なんとなく耳の横に浮かんでいる気がする。
二階堂さんは気の優しそうな50代ほどの男性だった。
息子がいるらしいが、今は出かけているそうだ。
「わたしがいけなかったんです、慣れないことをするから」
二階堂さんの隣に座る二階堂さん、どちらも二階堂さんだからややこしいがこちらは二階堂夫人だ。
その二階堂夫人が申し訳なさそうな顔でうつむいている。
聞いた話を要約するとこうだ。
今から一週間前、常にストックしてあるはずのウェルダネスのご飯がうっかり切れていた。
しかたなく有り物で犬用ご飯を作ろうと思ったものの、この家で料理を担当している二階堂さんは外出中。
掃除と洗濯を担当する二階堂夫人はなんとか努力するが、結果はお察しください。料理の腕は壊滅的だそうだ。
とりあえず暗黒物質と化した元・食材を皿に入れて出してはみた。
・・・が、小一時間経って庭を見ると、そこには千切れた首輪とひっくり返された皿が。
つまりウェルダネスは、おおよそご飯とは呼べないそれが自分の傍にある事に耐え切れずに逃げ出したのだ。
代々仕える家から、首輪まで千切って逃げ出すとは。
そのご飯もとい暗黒物質を一度拝見したいものである。
そもそも、魔物であるヘルハウンドのご飯は普通の犬と同じでもいいのか?素朴な疑問だ。
「・・・えと、ウェルダネスの普段の散歩コースとかってありますか?」
一通りの話を聞き終わったので、情報収集に移る。
話を聞く限り、ウェルダネスは普通の犬として扱われている。なら、当然散歩もしているはずだ。
「そうですね・・・大体、ここを通って・・・ここの分かれ道は、時々こっちに行ったりもします」
用意された地図に、赤いペンで道筋を書き込む二階堂さん。
春原先輩が最初に訪れた時には、ここまで細かい話はしなかったのだろう。
少し戸惑っているようだ。
「じゃあ、とりあえずここを探して・・・」
隣に座っている春原先輩と共に、捜索プランを組み立てていく。
計画と呼べるほど立派なものでもないが、犬探しならこんなものだろう。問題は特にない。
・・・もしも問題があるとすれば、それはヘルハウンドという魔獣と邂逅した時。たったそれだけだ。
「見付かりませんねー・・・」
「本当ですね・・・今頃、お腹が空いていたらどうしましょうか」
かれこれ2時間は探し回っただろうか。
散歩コースを一周し二周し、さらに逆回りにもう一周。
見渡せる範囲の周辺も同時に探すが、ウェルダネスどころか犬猫の気配さえありはしない。
せいぜい小鳥が電線の上でさえずっているくらいだ。
流石にそろそろ歩き疲れてくるというものだ。
やや勝手ではあるのだが、ここらへんで小休止を挟まないか先輩に提案してみよう。
「「あの」」
同時に声をかけあう。多分0.3秒ほど春原先輩の方が早かった。
「あ、どうぞ」
「いえ、先輩からどうぞ」
漫画のように譲りあう。
こういうやり取りは大抵不毛で、時間を無駄にするだけだ。
春原先輩もそれを理解しているのか、すぐに私の勧めを受け入れて口を開く。
「休憩に、しませんか」
おずおずと、自らの鞄の紐に触れながらそう切り出してきた。
「あはは」
「ど、どうしましたか」
つい笑ってしまう。
自分が何かおかしなことを言ったのかと、先輩が慌てる。
「いえ、私もちょうど休憩にしないかって言おうと思ってたんです」
そう言うと、先輩は安心したのかほっと息をついた。
「よかったです、じゃあ、すぐそこの川原にいきましょう」
「そうですね、ベンチもありますし」
前方に見える、川原のすぐ横にある小さな公園を目指す。
ゆるやかに流れる川に、太陽がきらきらと反射していた。
簡素なつくりのベンチに二人並んで座る。
公園には誰も居ない。生き物の影は、ブランコの脇に生えた花に止まっている紋白蝶くらいだった。
「お弁当を作ってきたんです」
春原先輩が自分の鞄から二つ、チェック柄の包みを取り出す。
それぞれの包みの上に、コンビニなどでもらえるような割り箸が乗っていた。
「お口に合えばいいんですけど」
「わ、わざわざ私の分まで」
黄色とピンクの包みのうち、黄色い方を私の方へ渡してくれる。
私は特に何も用意してこなかったから、正直とてもありがたい。
捜索中、パンくらい持ってこればよかったと後悔していた。
「あ、りがとうございます」
『悪いですよ』と言いかけたが、その言葉は喉に押し込める。
厚意を無下にするのは趣味ではない。
せっかく作ってもらったのだから、素直に受け取らせてもらうことにした。
そして、お決まりの台詞として小さく、お気遣いすみません、と呟いた。
「わぁ」
ぱこ、と音を立てて開けた弁当箱の中には、色とりどりのおかずが詰まっていた。
どれも丁寧な手作りなのだと一目でわかる。
「いただきます」
ぎこちなく手を合わせてから食べ始める私を、春原先輩はにこにこと見ていた。
ほどなくして、先輩も食べ始める。
女の自分から見ても見惚れてしまうほど、慎ましやかで綺麗な食事風景だった。
ベンチの肘掛や足元に、白い小鳥が佇んでいる幻覚が見えそうになる。
やはり、美味しい。見た目通り、もしくはそれを上回る。
時間がゆっくりと流れていく。穏やかとは、今このときのことを言うのだろうか。
「七坂さんは」
「はい」
「お茶は好きですか」
花柄の水筒と、袋に入った紙コップを両手に聞いてくる。
「好きです」
そう答えると先輩は顔を微かに綻ばせ、とくとくと先輩が紙コップにお茶を注いでいく。
注がれている液体を見る限り、おそらくアイスティーだろう。紅茶は好きだった。
紙コップに注がれたお茶を受け取る。
「ありがとうございます、先輩」
「やっぱり、ご飯には飲み物が無いと」
自身の分も注ぎ、口をつける。
「・・・ふふ、おいしい」
このお茶は、先輩が淹れたのだろうか。
「すごく、おいしいです」
「よかった。今日はいつもよりも上手くいった気がするんです」
やはり、先輩の淹れたものだったようだ。
そして私たちは、今日会ったばかりとは思えないほどの暖かい雰囲気で、素敵な昼食を摂ったのだった。
「それでどーしてこうなった」
ベンチが丸焦げになった。芝生の一部が焼失した。川岸の背の高い植物が枯れ草と化した。
たった数分程度の短い時間の間に、この公園に訪れた変化を列挙してみる。
どの事例からも導き出される答えはひとつ。
「赤い瞳に黒い毛並み・・・間違いありませんね」
隣に立つ春原先輩が、鞄を閉じながら視線を上げる。
その先では、狼のような容貌の獣が、炎を纏いながらこちらを睨み付けていた。
穏やかな昼食を突然ぶち壊しにするという形で、ウェルダネスはようやく私たちの前に現れたのだった。
濃い魔力の気配を警戒したか。
草むらをかき分けて出てきたウェルダネスは、私たちを視認するなり炎を地に走らせたのだ。
「おかげで台無し」
はぁ、とため息をつく。
お弁当も紅茶も白い小鳥の幻が佇んでいたベンチも炭になった。
二階堂さんごめんなさい、ベンチを弁償してもらう事になるかもしれません。
「七坂さん、ぼくがサポートします。攻撃は七坂さんにお任せしますから、防御はぼくに任せてください」
先輩の能力はまだ未知数。だが3年B組という所属を聞く限り、実力はかなり上の方に入るだろう。
クラスの数を数えなおした。ABCDEF。きっと心配ない。
「川岸に追い込みながら戦いましょう」
そう投げかけると、先輩が視線を逸らさないまま顎を引く。
この川はやや浅い方だが、面積は広い。
これだけの距離を一気に飛び越せる跳躍力が無いとは限らないが―――水際は常に、私の領域だ。
ウェルダネスを見る。体格を見るに、大型犬だ。
弱らせて動きを封じるまではよくても、そこから二階堂宅まで運ぶ手段は限られる。
どうしたものかと考える。
「そんなことは」
右手を真横に払う。
「捕まえてから、考える!」
考えるのはやめた。いつの時も大事なのは今なのだ。
払った右の手のひらから水が現れ、半月を描く。
螺旋のような軌跡をともない、右手に水を纏う。
「フルードマニューバー」
私は至って鈍足で、俊敏性もない。実は体育の成績は悪い。
それを補うのは、疾走する様に流動し、少女の指先の様に繊細に形を変える水。
滴が一滴飛ぶのと同時に、視線の先で黒い犬が地を跳んだ。
駆けた足元の芝生を焼きながら、ウェルダネスは走る。
その背後ぎりぎりを、腕を伸ばし掴もうとするように水流が追う。
「さすが獣は足が速いね」
指揮するように水流の方へ伸ばした腕を振る。
水流の指を数度切り返して、プレッシャーを与えるように追尾し続けていく。
まだ体力にも余裕があるのか、俊敏性だけをフルに使ってこちらの追尾を逃れるウェルダネス。
このまま追い続け、ばてた所を捕獲・・・というのが理想だが、そう上手くいくとも思えない。
予想を良い形で裏切ってもらえるよう祈る。
指をすっと折り曲げ、上空から覆うように水流を襲い掛からせる。
「・・・っ!」
私と相手の距離が思ったより近い。ウェルダネスは水流をかわすため、私の目前を目指して跳んだ。
数メートルも離れていない、すぐ前方に着地したウェルダネスの爪が、赤く燃える。
攻撃魔術を使っている真っ最中に、たった一秒の時間もかけずに防御壁を張る力は私には無い。
そんなものは、人間の動体視力、反射神経、そして一介の学生の力を超えた所業だ。
しかし、ひるまずに攻撃を続ける事に賭けるというとっさの判断はできた。腕を上げ、こちらに水流を招く。
(間にあわない・・・っ)
私が腕を上げるのとほぼ同時に、赤い炎が眼前に迫る。
意味が無いと理屈で理解していても、本能が瞼を強制的に下ろす。腕が顔を守ろうとする。
「七坂さんっ!」
春原先輩が叫んだ。
ぎゅっと閉じた瞼の周りが薄く痛む。
別にすぐに死ぬわけではないと思うが、この炎の量なら大火傷は確実だろう。
痛いのは、嫌だ。治せればいいって訳じゃない。
どれだけ体の傷が塞がっても、『痛い』という感覚と、その記憶は残る。
数秒の間に覚悟を決められるだろうか。
無理だと思った。
そして、痛みに耐える覚悟もろくに決められないまま、長い一秒が過ぎた。
何秒そうしていたのだろうか。
「・・・・・・?」
何の感触もない。
手ごたえも痛みもない。
恐る恐る、目を開ける。
「防御は任せてくださいって、言ったはずですよ?」
春原先輩が、すぐ斜め前に立っている。
こちらを振り向きながら、唇に人差し指を当て、くすりと笑った。
「今だけ、ぼくに全幅の信頼をください」
先輩の周囲に、先ほどウェルダネスが放ったであろう赤い炎が、先輩を守るように漂っている。
放たれた炎を取り込んで、自分のものにしたのか。
その熱気で影が揺らめいた。
「あらゆる炎を従える力」
ウェルダネスが威嚇の視線を送る先、赤い光を受けた薄茶色の髪を揺らして春原先輩が呟く。
「・・・っていうのは、言いすぎかもしれないですけどね」
屈託なく笑う。
その力は、確かに炎を防御するという点においては完璧だ。
防ぎ、威力を殺すだけでなく、その力を自分のものにする。
惜しむらくは、今回ばかりはその取り込んだ力で攻撃しても効果が薄いということか。
「ありがとう、先輩」
「お互い様です」
改めて、攻撃はお願いしますね。
深緑の視線が、私にその言葉を伝える。
「っよし!」
ぺち、と頬を叩く。強すぎた。
「いたた」
防御できずに縮こまって助けてもらうなんて、私らしくない。『私』失格だ。
防御能力を特化させることを選んだ理由を聞かれる時、私はいつも
『何かを傷つける力より、何かを守る力のほうが尊いと思うから』と答えた。
きっとそれが模範解答なのだろうと、今でも思う。
しかし、『何か』という不定形な言葉が示すのは、いつも『自己』という最も確かな存在だった。
私は自分を守るために、盾を取ったのだ。
痛いのも、辛いのも、苦しいのも嫌だ。
それら全てから逃げるために、盾を取ることを選んだのだ。
やがて、なにかで埋めなくてはいけなくなったもう片方の手に、小さな剣を取った。
最初に覚えた攻撃魔術は、水の弾丸を飛ばすという至ってシンプルなものだった。
衝撃は、道端の小石に追いつくかどうか。まさしく初歩の初歩。
人形を使うことを禁じられていた実技テストで、私の攻撃魔術の成績は正直、悪かった。
修練を積み、もっと上位の攻撃魔術を習得しても、やはり中の下止まり。
人形を禁じられていた理由は、杖をかざして使う回復魔術のように
『武器媒体の魔術』ではなく、『魔術媒体の武器』だったからだ。
もちろん、最初は不満もあったが、それは次第に受け入れざるを得なかった。
だが、人形を操る力を抜きにしても、私の防御魔術と魔力の運用技術、制御力は
学年全体の中では上位のクラスと呼べるであろうB組にいるには十分なレベルだった。
もし、少しばかりの隙間を守るための小さな剣がもっと強かったなら、どうだったのだろう。
『もしも』を考えるのは無益だと兄は言っていた。それを無条件で信じる。考えるのはやめた。
自分を守るために取った盾と、取らざるをえなかった剣。
『私』のためだけに振るう腕。
小難しい思考の波が、瞼の裏を覆う。
そして、それを断ち切る。
今の私にとっては、全てどうでもいいことだから。
私は『私』のためにいる、けれど。
今私は、誰がために剣を取る。
「先輩、私の後ろに」
春原先輩が私の呼びかけに無言の笑顔で答え、炎を纏いながら歩む。
ふわりと、私の横を過ぎる。
「早く帰らないとね」
私の呟きに呼応するように、まっすぐ真上に掲げた右手に青い魔力が渦巻く。
冷涼な空気が周囲の熱気を裂き、私の腕を這う。
「家族に心配かけちゃだめだよ」
濃度を増した魔力を感じ取ったウェルダネスが、私の足元に向かって炎を走らせる。
私は何もしない。
全幅の信頼をくださいって、言われたから。
「無駄ですよ」
少し不敵に、それで居て可愛らしく、背後の春原先輩が笑った気がした。
先ほどと同様に、放たれた炎は全て春原先輩が取り込み、私に届く事はなかった。
僅かに振り返ると、目が合う。
やっぱり、先輩は笑っていた。
右腕を中心に渦巻いていた魔力が流動し、水に姿を変えてゆく。
激しく流れがぶつかりあう音を伴い、体積は次第に増大する。
水流が波に変わり、波は『水』そのものに変わる。
全てを圧倒する、絶対的な存在。
そんな錯覚さえ抱かせる、荘厳な影。
野次馬でも沸きそうだ。
そこの川が一瞬で氾濫を起こしそうな量の水が、私の上空に浮かぶ。
この公園だけが曇ったように、濃い水色の影が地面に落ちる。
ひらひらと舞っている蝶を捕まえようとするなら、箸より網の方が断然いいだろう。
この公園全てを、水で覆ってみせる。
逃げ場がなければ逃げられないという単純な思考に基づき、私は腕を振り下ろした。
私の立つ場所、横一線を境界として、焼かれた緑と土色が全て飲み込まれていく。
飛沫と反射する太陽の光に飲まれ、ウェルダネスの姿が見えなくなる。
ただ轟音が響く。何も聞こえない。
私の決めた『境界』より後ろだけが、時間軸を違えたように静まり返っている。
大量の魔力を放ったばかりの体に歯を食いしばって鞭を打ち、また魔力を集中させる。
頭を中心に全身が軋む。今更引き返せない。
「――――――――――――!」
術の名前だとか、決め台詞だとか、そんな事を叫ぼうとは思わなかった。
次第に強くなる体の軋みを押さえつけるように、喉の奥から文字化できそうにない声が上がった。
『あ』に近かったような気がした。
『ここ』を起点に、水色が蒼白に置き換わっていく。
ぎしぎしと音を立て、樹木の枝のように水が侵食されていく。
ものを考える暇もなく、地面に喰らいつくように、放った水と同質量の氷が地を覆いつくす。
そして、およそ何メートルかも測れない前方で、体を固定されたウェルダネスが唸った。
大量の水を被り、攻撃の要である足を凍らされたせいか、かなり弱っている。
少しやりすぎたか。
無事連れ帰ったらヒールをかけてあげよう・・・と思ったが、
外傷にしか効果が無い私の魔術で大丈夫かはやや不安だ。
「・・・・・・すごい」
熱い息と共に、春原先輩の口から感嘆が漏れた。
振り向いてそれに応えようとした途端、頭を揺らされたような感覚に襲われてふらつく。
「な、七坂さんっ」
柔らかく肩を支えられる。
ぐらぐらする頭をたたき起こして春原先輩を見ると、とても心配そうな顔をしていた。
「あはは・・・ちょっとはりきりすぎちゃいました・・・」
いくら相手の行動範囲が広いとはいえ、攻撃範囲を大きく取りすぎた。
上級魔術をほぼフルパワーで連発。当然ながら、体中がオーバーヒートを訴える。
「あー」
結構に間抜けな声を上げて、崩れるようにその場に座り込む。
スカートの汚れも気にならない。優先順位は今のところほぼ最下層だ。
「えっとベンチ・・・は、あぁ、無くなっちゃったんでした・・・」
「大丈夫、です・・・あ、捕獲を」
結局思いつく前に戦闘は決着してしまった。
春原先輩なら何か用意しているのではないかと期待してみる。無責任ながら。
「あ、魔導電磁柵を用意してきました」
その期待には100%応えてくれた。
魔導電磁柵。展開時の大きさに対し、圧縮時の大きさが実にコンパクトな魔法アイテムだ。
空間魔術の応用で圧縮された丈夫な板に、魔力を注ぐ事で柵が構成される。
危険な魔物を捕獲する時によく使用される、非常にメジャーな道具。
Lサイズならウェルダネスでも余裕で入るだろう。
つまり、そんなメジャーな道具を用意する事も思いつかなかった私はアホだ。そう思った。
「氷は溶かしていった方がいいですよね」
公園中を覆う氷を指差される。どこもかしこも氷なのでどこを指しているかは不明瞭だった。
「・・・お願いします」
少し笑えた。
もう水に戻す気力も残っていないんだ。さっき出し切ってしまったから。
「今日一日で終わってよかった」
隣を歩く春原先輩が、ほっとしたように言った。
ウェルダネスを魔導電磁柵ごと魔法陣に突っ込んで無事二階堂宅へ届け、
口でのお礼と物でのお礼をいただき、ついでに少し休憩させてもらった後の帰路は、橙色だった。
電磁柵を魔法陣に突っ込んだ時は、
召喚獣達に『またか』という態度で呆れられた。
テンコは強い炎属性の気配を嫌がって、魔法陣内の空間の隅っこに逃げていた。
ヴェルムは相変らず無言だったが、うっすら不満が滲んでいたのはわかる。そこそこの付き合いだ。
サダオだけがお小言を言ってきたので、とりあえず話が長くなる前に魔法陣を閉じた。ごめん。
「もしも日曜日にこんなに頑張ってたら、次の日元気に登校できないかもしれませんから」
全くだ。明日の朝が怖い。深く頷いておく。
「・・・一週間」
「?」
いっしゅうかん、と唐突に呟いた私を見て、続きを促すように春原先輩が小首をかしげた。
「迷子になった犬は、一週間経つと飼い主を探すのをやめて、生命を維持することを最優先するようになります」
どこかの本で見かけた知識が、頭の片隅から出てくる。
確か、今日でちょうどいなくなって一週間。笑いが漏れた。
「飼われている犬が、犬としての本能を思い出すんでしょうかね」
魔物でも犬は犬か、ともう一つ笑いが漏れる。
犬としての生活を続けてきたのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
ただ、本能を思い出したときに発揮される力は、そこらの野良犬なんかとは比べ物にならなかった。
犬は犬。でも、やっぱり地獄の住人だったから。
「ぼくが将来犬を飼う事があれば」
私の言葉を黙って聴いていた春原先輩が、入れ替わりに口を開く。
夕陽に目を細め、息を吸う。
「一週間以内に絶対見つけ出してみせます」
迷子になることは前提なのか。
つい噴出してしまった私を見て、春原先輩は心底不思議そうに慌てていた。
「それじゃあ、ここで」
ここを発って半日も経っていないのに、随分と久しぶりに感じる校門につく。
春原先輩はまだ校舎に用事があるらしく、分かれ道で立ち止まって私にそう言った。
ということは、申し出をするなら今だと言うことだ。
時間に背を押されるように口を動かす。
「あの、春原先輩」
「なんですか?」
「よかったら」
もしよければ。
「私に料理を教えてくださいませんか」
教えてくれるなら連絡手段を作ろう、という意を込めて携帯を先輩に見せる。
青いガラス球のストラップが、夕陽を反射して揺れた。
「料理」
反芻して、きょとんとした顔をこちらに向けてくる。
同時に僅かな逡巡を伺わせる指先の動き。それが止まる。
「ぼくでよければ」
笑みは、花が咲くようだ。
ストラップのない、シンプルな白い携帯が春原先輩の手の中で開かれた。
不味くも美味しくもない私の料理が、他人に振舞える食事と成り得ることを祈って。
飼い犬が一生逃げたくなくなるような料理を夢想する。
それは無理かもしれないな。
そう思うとまた、本日何度目かの自分を笑う声が漏れた。
【エピローグ その1】
「ああ、春原なー。そういえば料理得意だって言ってたな」
すっかり見慣れた被服室の机には、カップが二つ。
薄く湯気を立てるお茶を飲み、兄さんがそう呟いた。
「知ってるんだ?」
「春原、選択授業被服取ってるからさ」
放課後、廊下で出くわした兄さんとお茶を飲んで雑談をかれこれ20分。
数分前に、この間の依頼の話と、その後時々春原先輩に料理を教わっていることに話題が移った。
兄さんはすっかり被服室を私物化しているようで、お茶とお茶菓子が戸棚にたくさん入っているのが見える。
特にお茶菓子。
さっき、戸棚を開けた途端落ちてきたかりんとうの袋を片手でナイスキャッチしていた。
「でもよく覚えてるね。被服取ってる人全員なんて覚えられなくない?」
ただでさえ生徒数の多い学校だ。
被服は少なくも多くもない選択教科だが、全学年となると相当な人数だろう。
「春原はインパクトあったしなー、結構。あとは被服って圧倒的に女子が多いし、男子は大体覚えてるから」
「あぁ、確かに」
驚くくらい可愛いもんなぁ。
ん?
「ん?」
心と口が同時に疑問符を飛ばした。
「ん?」
まったく同じ言葉で兄さんも疑問符を飛ばしてくる。
「今なんていった?」
「ん?」
「もっと前もっと前」
「被服って圧倒的に女子が多いし、男子は大体覚えてるから、って言った」
一字一句再現される。
数度頭のなかでリピートする。
兄さんの言葉が示しているであろう答えがはじき出される。
やはりかみ合わない。私の記憶と。
「知らなかったのかよ。まー無理ないけど」
つまり、ナンデストー。
驚愕の真実を目の前に、ひたすら私の頭上に疑問符と感嘆符が浮かんでは消えてまた浮かんだ。
【エピローグ その2】
「先輩の事は普通に女の子だと思っていました」
「そういえば、言ってませんでしたね」
フランパンからじゅうじゅうと食欲をそそる香りが生まれてくる。
フライ返しを片手に、横目で春原先輩を見た。
「特に隠すつもりはなかったのですが、聞かれなかったので」
フリルのついた白いエプロンの肩紐を直し、楽しそうに春原先輩が笑う。
あ、そろそろ返していいですよ、という声に返事をして、ハンバーグを裏返した。良い焼き色だ。
「色々聞きたい事はありますけど、趣味ですか?」
「趣味です」
後ろめたさとかそういったものは何もないのだろう。実にはっきりと、笑顔で答えてくれる。
他の生徒より少し長めのスカートから覗く足は、細くしなやかだった。
「でも、七坂さんが驚いてくれたのなら言わなくてよかったです」
悪戯っぽくまた笑う。
私達はここしばらくの料理教室で随分と打ち解け、すっかり良い友人となっていた。
なっていたのに、相手の性別は間違えたままだったという驚愕の真実がここにある。
「いじわるです、春原先輩」
焼けていくハンバーグを眺めつつ、呟く。
さっきから、先輩は笑ってばかりだ。
「ぼく、って言ってたのに、女の子と思われていたんですね」
「それは・・・うーん、まぁ」
最近の風潮のせいだ!と声高に言う気は特に起きず、言葉を濁す。
「先輩が可愛いのが悪いんです」
結論はそうなった。
「嬉しいのですが、照れてしまうので困ります」
「私より可愛いです、男なのに」
そう言うと、春原先輩は顔を赤くして「七坂さんってば」と言った。
やっぱり可愛い。というか、女の子という認識が曲がらない。
「七坂さんの方がぼくよりずっと可愛らしいと思います」
「てれてしまうのでこまります」
「あ、もう、真似しないでください」
これが普通に男の子と交わす会話だったらどう見てもバカップルだ。が、無論全くそんな気はしない。
容姿の褒め合いは、不毛ながらも2、3分ほど続く。ハンバーグを見てみる。
「まだかなぁ」
「まだですよ」
あの日と同じ夕陽が、窓から差し込む。
少し早めの夕食が焼きあがるのを待ちわびながら、私たちは顔を見合わせて笑いあった。
最終更新:2012年03月02日 01:30