【孝輔編 その1】
1時間目、中等部1年の被服の授業を終え、次の授業の準備を始める。
次の時間は高等部3年だ。今日から魔法繊維の編みこみの勉強に入るから、その素材を用意しなくてはいけなかった。
「せーんせっ」
素材を取りに行こうと準備室の扉に手をかけた瞬間、背後から緩く浮遊しているような声がかかる。
何も考えずに反射で振り向くと、そこにはA組の伏見灯が笑顔で立っていた。
「伏見か。なんか用か?」
他の生徒はとっくに帰った。
被服室は教室のある棟から少し離れているので、なるべく移動は急ぐのが普通だ。
「もー、せんせーってば解ってる癖に。白々しいっすよ」
とことことこちらへ歩み寄りながら、伏見は楽しそうに唇を歪める。
白々しい、とは。
こいつとは特に約束事をした覚えは無い。
何か忘れている?その何かに心当たりはない。忘れているのなら、心当たりなんてあるわけ無いが。
「どうせ美緒せんぱいとかからしか貰えないんでしょう、・・・はいっ」
服に手を突っ込んでごそごそと懐をまさぐり、手のひらサイズの小さな箱を出してきた。
・・・何処に入れてたんだそれ。
「は・・・?・・・あぁ、なるほどな」
そういや今日は2月14日。世に言うバレンタインデー。
なんとかさん、誰がってとこは割とどうでもいい。要はそいつが処刑された日だ。笑える。
「俺にくれるの?」
「じゃなきゃこんなの突き出しませんってー」
ほらほら、とその箱を俺に押し付けてくる伏見。
くれるってんならありがたく貰っておこう。「ありがと」と礼を言って、素直に受け取った。
「・・・って美緒からしか貰えないって、何気に失礼な事言ってくれるじゃねーか」
「だってせんせー、顔の割に女子人気高くないっすよ。低いわけでもないっすけどー」
どうでもいい現実をさらっと言ってくれる。低くないならいいじゃねーか、この野郎。
「お返し、期待してるっすよー」
そう言って、伏見はさっさと被服室を出て行った。相変らずつかみ所のない奴だ。
「チョコレート、ね」
2月14日であることすら、この1時間目まで忘れていた。
甘い物は大好きだ。毎年美緒や母さんから貰っているから、楽しみにしていたはずだったのだが。
今年は恋人の代わりに生徒から貰った。
恋人なんて言っても、何処も彼処も繋がりの無い他人でしかなかったけど。
どうでもいい所でだけ繋がった気で居ただけで、未練なんて残らなかった。
「溶けてんじゃないだろうな」
懐から出したってことは授業中ずっと服の中に入れてたって事だろ。溶けてるじゃねーか常考。
箱を開ける。案の定、見るからに柔らかそうな球形のチョコレートが数個、ココアパウダーをまぶされて転がっていた。
「ん」
摘んだら指がべっとりと茶色くなった。主にココアパウダーで。
チョコレートは指に押されて、楕円に歪む。溶けたというか、これは生チョコだ。元々柔らかい。
伏見の体温で余計に柔らかくなってはいるようだが。
「・・・美味いな」
掛け値なしに美味かった。あいつも調理部なだけあって、料理は上手いのだろう。
いつまでたっても美味い飯の作れない妹に見習って欲しい。
勉強はしているらしいが、一人で作らせるとなんとか食べられる程度に不味い物が出てくる。
箱を持って、準備室へ入る。
持ち込んだ小さな冷蔵庫に箱を入れ、机の上のウェットティッシュで指を拭った。
残り5分。扉の向こう、廊下から人の声が聞こえてくる。次の授業を受ける生徒だろう。
「お返し・・・」
ギブアンドテイク、ってか。俺だって菓子には自信がある。しっかり返してやろうじゃねーの。
魔法繊維が収納された棚をがらがらと開けた。
引き出しの一つ一つに貼られたラベルを順繰りに見ながら思う。
もしも俺が明日、臨時講師をやめたら。
きっと来年のこの日に、生徒からチョコレートを貰えないことを惜しむのだろう、と。
【孝輔編 その2】
「七坂先生」
今日の授業を全て終え、帰りに屋外訓練場の高層鉄棒へ寄らんとする俺を呼び止める声。
鈴の鳴るようなこの声には、聞き覚えがあった。
「春原か」
胸の前で手をもじもじさせながら、少し離れた場所から俺を見る春原がそこに居た。
カフェオレ色のツインテールに、少し丈の長い緑色のスカート。全くそうは見えないが、これでも男子だ。
廊下に人気はなく、儚げなその声でも十分に俺に届いている。
「どうした?なんか聞きたいことでもあるのか」
今日、高等部3年は新しい勉強に入ったばかりだ。
編みこみは少しコツのいる所だし、教えて欲しいと言われれば、放課後でも俺はちゃんと教えてやるつもりでいた。
「えっと・・・その・・・」
鞄の取っ手をきゅっと握り、今度は全体的にもじもじする。
聞きづらいのだろうか。被服はただでさえ難しい科目だし、わからないことを恥じる必要もないのだが。
「ん?」
返答を促しながら、春原の前まで歩み寄る。
そして、俺が足を止めるのと同時に、春原は慌てたように鞄を開けてその中に手を突っ込んだ。
「こ、これ、・・・先生に・・・」
鞄の中から取り出された、ピンク色の物が俺に差し出される。
これみよがしに可愛らしく、赤いリボンと小さな花の飾りがくっついて、どうやらピンク色の包装紙で包まれた箱のようだ。
・・・いや、待て待て。
「・・・春原、一応聞くが」
「は、はいっ」
箱を俺に差し出したまま声を裏返す春原。落ち着け。
「これはなんだ」
「え・・・あ、あの、今日は、バレンタインデー、ですから・・・」
「・・・俺にか」
こくこくと無言で首を縦に振られる。マジかよ。
「いや、お前男だろ」
『友チョコ』とか言って女子同士で渡しあう生徒はちらほら見たが、男が男に渡すなんて聞いた事がない。
理由は当然『先生だから』だろうけど、それでもだ。
「・・・ぼくが渡しちゃ、いけませんか・・・?」
箱を少し引っ込めて、不安げな目で見つめられる。ちょっと泣きそうだ。マズい。
「あ、そうじゃなくて・・・男から貰ったことは無いからちょっと驚いたっつーか」
慌てて取り繕い、箱に手を伸ばす。それを見ると、春原はすぐに俺の方へまた箱を差し出して来た。
「ありがとな」
できるだけ優しく、と意識しながら礼を言った。
春原は安堵したように、嬉しそうに顔を上げて、少し微笑んだ。
「あの、いつも授業、ありがとうございます。・・・失礼しますっ」
ぺこりと頭を下げ、そそくさと廊下の向こうへ駆けて行ってしまった。
春原が作った時点で美味いことは確定なのだから、感想の一つでもいってやりたかったのだが。・・・仕方ない。
また次の3年の授業の時にでも言えばいいだろう。
「・・・意外と貰えるもんだな」
伏見と被服の生徒数人、それと春原。去年より多いじゃん、と少し嬉しくなる。
あとは、多分郵送されてくるであろう母さんのと、部屋に持ってくるであろう美緒の。
「いいな、臨時講師って」
本来の被服教師、吉田先生が帰ってきたら御役御免な臨時講師。
だけどそれまでは、俺はこの魔術学園の教師。甘味の数だけで教師の立場にメリットを感じる安い俺が、ご立派なことだけど。
それでもいいか、と上機嫌に、俺は屋外訓練場へと歩いていった。
【総一郎編】
「ねー、西園寺」
「はい」
植物園の一角で、いつものように僕は織部先生の手伝い。
なんだかよくわからない、小さなアロエのような植物を、まっさらな土の中へ植えていく。
その最中に突然名前を呼ばれたので、僕は一旦手を止めて、織部先生の方を向いた。
「なんですか」
これもなんだかよくわからない、業務用の冷凍庫みたいな四角い塊の上に寝そべり、先生はこっちを見ていた。
塊の端から白衣の袖がだらしなく垂れている。
「西園寺、いくつチョコ貰ったー?」
チョコ。今日は2月14日、日本では女性が男性に好意を込めてチョコレートを贈るバレンタインデー。
僕がいくつそのチョコレートを貰ったのかと、先生は聞きたいのだ。
「3つです」
美緒と、あと、名前の知らない人。剣道場で素振りしてたら、何故か僕にくれた人が居た。
知らない人だったから、誰かと間違えているんじゃないかと思ったけど、どうやら僕であっているらしい。
お疲れ様ですって言われたから、ありがとうと言って受け取った。優しい人だと思った。
「意外と貰ってるんだねぇー」
だらりと溶けるようにうつ伏せになって、ぷらぷらと白衣の袖を振っている。
会話はそこで終わりっぽいので、また植物を植える作業に戻った。
「ねぇ」
また呼ばれた。
「はい」
もう一度同じように、僕は織部先生の方を向く。
「あとでチョコレートあげるー」
「・・・えっ、いいんですか」
先生も僕にくれるのか。なんだか悪い気が少しする。
「ありがとうございます」
だけど、嬉しい。好意を込めて贈ってくれるということは、少なからず僕を好きでいてくれているのだろう。
僕も織部先生が好きだ。変な人だけど、植物の面白い話をたくさんしてくれるし、生に対する意見も合う。
「先生料理は出来ないから、溶かして固めただけだけど。ふふふ」
にやにやと、何が楽しいのかわからないが楽しそうな顔だ。
だらりとした姿勢の影響か、いつもより少しのんびりとした雰囲気を纏っているように思える。
「じゃ、頑張ってお仕事終わらせます」
額に薄く滲んだ汗を拭って、また作業を再開する。
残り僅かだ。
「嬉しいなぁ、そんなに先生のチョコレートが楽しみかぁ。くくっ」
くつくつと小さく笑って、先生は脇に置いてあったノートパソコンをかたかたと弄る。
キーボードを叩く軽快な音を背に、僕はひたすら、なんだかよくわからない植物を土に植える。
「ふー」
もう少しだ。ご褒美があるとなんだかやる気がでてくるなぁ。
「これはどういうことですかー!」
「あーっはっはっはっはっは!西園寺、ロングヘアーも似合うじゃん!」
チョコレートを食べて5分で僕は後悔した。
急に体が細くなって髪が伸びて、一言で言うと僕は女の子になっていた。
織部先生が普通にご褒美をくれるわけないだろ、馬鹿か僕は。何を考えているんだ。
「面白いように引っかかるなぁ西園寺!先生笑い止まんないよ!」
高らかに笑い転げる織部先生。立ち尽くして唇を戦慄かせる僕。酷い図だ。
「これいつ戻るんですかっ!」
「ちょっとした悪戯だし、一時間もしたら戻るけど、くひっ、見たら笑っちゃうよー!」
やや引き笑いに移行してきたので、そろそろ落ち着いて欲しい。
「・・・僕もう先生から食べ物は受け取りません」
「えーっ、普通の差し入れもしてあげるってばぁ」
「何がなんでも受け取りません!」
恩を仇で返すとはこのことか。手伝ったのに酷い。
いつかの美緒のように、何日も変化したままじゃないだけマシと思うことにした僕だった。
【桜庭編】
玄関。玄関。玄関。
毎朝入ってきて毎夕出て行く生徒玄関。
たったそれだけの場所へ向かう足取りは硬く、心臓は痛いほど拍動する。
落ち着け。落ち着くのよ桜庭綾乃。
ただ、このチョコレートを下駄箱へ入れるだけなのよ。それだけ。
すーはーと深呼吸。深呼吸と早足を同時進行。
顔の熱さで汗をかきそうなくらいに、体の何かが狂っている。二の腕や背中からも熱を感じる。
最も人気の少ない時間を狙って玄関へ。ここまで完璧。
あとは速やかにお姉様の下駄箱へこ、このチョコレートを・・・
改めて自分のチョコレートを見つめると、恥ずかしくなってきた。
ハート型の箱だなんて、どうして私はこんなのを選んでしまったのか。熱さが加速する。
ええい、儘よ、という気持ちで、高等部二年B組の下駄箱へ足を速める。
「はぁ・・・はぁ」
お姉様の下駄箱。ここで間違いない。
緊張で呼吸が乱れる。おそらく、もう下駄箱はいっぱいいっぱい。
見守る会の他の会員達はどうやって詰め込んだのだろう・・・
とりあえず、私は下駄箱の扉と自分のチョコレートに『透過性である』という概念を刻む。
無論、この2つの物質の間でしか成立しない透過。
ぐっと、チョコレートをその扉へ押し当てる。
・・・入りにくい。
「んっ・・・」
ぐぐ、と他のチョコレートの隙間を探すように押し込み、透過性を解除。
そして数分後、無事にチョコレートは下駄箱の中へ。
数分が数時間に感じた。時計を見て、まだ5分も立っていないことに驚愕してしまう。
そして弾かれたようにダッシュ。ひたすらに走る。
ああ、お姉様。お姉様の中では、数居る見守る会の中の1人としか認識されないのだ。
なのに私は、そして誰もが必死になって、お姉様に贈るチョコレートを作る。これ以上なく切ない。
教室まで走って、まだ誰も居ない教室へ、息を切らしながら飛び込んだ。
自分の席に座って、冷たい机に突っ伏す。頬の熱が凄まじい勢いで吸い込まれていく。
冷静になれ。普段の私はこんな、こんなのではないはず。
廊下で足音が聞こえて、すぐに起きて姿勢と髪を正す。
思ったとおり、私のクラスの男子だった。
普段あまり話さないし、席も離れているので特に挨拶はしない。
窓の外を見つめて、朝のHRが始まるのをじっと待つ。
恋煩い、なんて言うにはあまりに、殺伐としている。
見守る会に所属している限り、過激派の抗争や騒ぎとは縁が切れない。
私も元は過激派寄りだったが、以前西園寺先輩を襲撃してしまった時に目が覚めてからは穏便派だ。
・・・美味しいと、思ってくれたら。
少しだけでも、美味しいと思ってくれたなら。
私は幸せで、努力だとか、時間だとか、そういうもの全てに、おぼろげで、それでいて確固たる何かが見える。
クラスメートの声で徐々に教室が賑わい始めて、HRまであと5分。
ほんの少しだけ、私の想いが報われてくれる事を祈って、私は鞄の中から教科書を出した。
最終更新:2012年03月02日 01:30