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【マーガレットの場合】

真夜中過ぎ、俗に言う丑三つ時の頃。
マーガレットはあまりの寝苦しさに目を覚ました。
どうやら、シーツをかぶったままで寝入ってしまったらしく、全身を濡らす汗が気持ち悪い。
静かに辺りを見回すと、細く光を絞ったランプがわずかなオレンジ色の光でキッチンを照らしている。
ビーストは最初にしつらえた寝床で、お腹にだけシーツをかけて規則的な寝息を立てていた。
オーバーコートは椅子の背にかけているが、お仕着せの野戦服とジャングルブーツは身に着けたままのようだ。

「びーすとさん?」

小さな声で呼びかけてみる。

「びーすとさーん?」

もう少し大きな声で。
それでも彼の寝息は乱れない。

「良く寝てるみたいですね…」

そっと寝床を抜け出して、寝顔を眺める。
随分と若く見えるが、一体何歳なのだろうか?
日系の人種であることを差し引いても、二十代と言うことはなさそうに見える。
しかし、子供ではない。
巨大な銃を自在に振り回し、敵をやすやすと屠って行くさまは、彼がそれなりの戦闘者であることを物語っている。
寝乱れたシーツを整えてやると、パタパタと尻尾が動いた。
そして、ふわりと甘い柑橘系の香り。
先ほどの醜態を思い出して、どきりと胸がはねる。
つい聞きそびれていたが、この尻尾も謎だ。
アクセサリーかと思い、そっと触れてみる。やたらと手触りのいい長毛に包まれたそれは、どうも生きているように感じる。
だが、尻尾だけ仕舞えない獣人など聞いた事もない。もしかすると、何らかの魔法生物かマジックアイテムかもしれない。

「本当に不思議なひと… っと、そうだ。今のうちに」

マーガレットは着替えとタオルを手に、こっそりとキッチンを離れる。
勝手口から少し離れたところが山から引いた水を溜める水場になっており、そこで汗を流してしまおうと思いついたのだ。

LEDのマグライトで足元を照らしながら、こっそりと建物からでる。
夜空には無数の星と、真円にわずかに届かぬ月が明るく輝いている。
吹き抜けていく夜風が、ほてった肌に心地よかった。

「コレだけ明るければ、ライトはいらないかな」

薄闇の中、流れる水音に混じって衣擦れの音だけが小さく聞こえた。




【土方の場合】

「さて、どうしたものかな…」

マーガレットがキッチンを離れてすぐに、土方はぱちりと眼を開いて一人ごちた。
起きていたわけではなく、マーガレットが目覚めた気配で眼が覚めたのだ。
獣化の進んだせいか、わずかな匂いの揺らぎや、風の動きを敏感に感じ取れるようになっている。
たとえ睡眠中であっても、かすかな外界の変化に体が自動的に反応して覚醒するようになっていた。
まるで、野生の獣のように。

土方はこの村に来てから一つの疑念を抱いていた。
そもそも、この事件の調査にパートナーが居るなどという話はまったく聞いていなかった。
村の近くの草原にヘリで降下し、そこから徒歩で丸二日の行程、あと半日程で村に着くという所で、キャンプ中のマーガレットと出会い、パートナーだと告げられた。
パートナーとして同行した人物が実は事件の黒幕だったという落ちは枚挙に暇がない。
ましてや、マーガレットというコードネームは、ちょいとひねればマゴット(蛆)ではないか。
最初は慎重に、やがて少しづつ大雑把に隙を作って見せてみた。
しかし、マーガレットはことごとくその隙をスルーしてみせる。
塹壕に放り込んで背中を見せれば、自力で上がれない。
時間稼ぎとも取れる発言に、付き合って村中を回ってみれば真っ先に息切れする。
料理を任せてみれば、何か仕込むどころか普通に美味い。
寝る前に真剣な顔で何を言うかと思えば、貞操の心配だ。
試しに密着して匂いを確かめてみたが、まったくもって普通の、いや、魅力的な人間の女性だった。

しかし、そこが怪しいとも思う。
こんな場所まではるばる派遣されて来たにしては、警戒心が足りない。
死霊魔術に詳しいのならば、敵のえげつなさも知っていなければならない。
アンデッド相手の調査で、こんな真夜中に、ましてや、パートナーが寝入ってるのを確かめた上での単独行動など自殺行為だ。
ホラー映画なら確実にホッケーマスクをかぶった怪人にチェーンソーで襲われるに違いない。

マーガレット。
果たして、凄腕の敵なのか?
あるいは…
無能な味方なのだろうか?w

土方は物音一つ立てずに立ち上がると、オーバーコートを手にマーガレットを追う。
それが誘いであるというのなら、なりふり構わずに逃走してしまえば良い。
こんな夜中に凄腕の死霊魔術師の相手など御免こうむる。
もしも襲われたのならば、助けてやらねばならないだろう。

そして、心配が杞憂で何事も無く行水が終わったのであれば…
それはそれで、損はないだろう。みなまでは言わないがw



【みえてしまったもの】

土方が気配を消して屋外に出た瞬間だった。

「ひゃああああああ!」

マーガレットの悲鳴と、ばしゃりと水の上に転倒したらしい音が聞こえる。

「しまった!」

即座に魔力を開放し、大地を蹴って走りだす。
汚染された大地は多少反応が鈍いものの、足から叩き付けた魔力を水に広がる波紋のように伝達、範囲内の地面に接触しているものを教えてくれる。
さらに、土方の緊張に瞳が勝手に反応して猫の目のように瞳孔の形を変え、まるで昼間のように周囲の景色を鮮やかにとらえた。

そう、まるで昼間のように鮮やかに、捉えてしまった。

「あいたたた…」

「マーガレット、無事… か?」

ちょろちょろと流れる水音だけが二人の間を流れる。
どちらも硬直して無言。
キッチンから拝借したと思しき固形石鹸がマーガレットの足元に転がっている。
ようするに、マーガレットは、石鹸で足を滑らせて尻餅をついただけなのだ。

問題なのは、尻餅をついたまま硬直したマーガレットの真正面に土方が立っていて。
獣の目になっている土方には昼間のように鮮やかに辺りの物が見えていて。
マーガレットは転んだ拍子に投げ出してしまったのか、タオル一枚さえ手元になくて。
あまりの事に腕で体を隠すことさえ忘れてしまったこと。
だから、二人とも、しばらく動けなかった。


「あ、うぅ~…」

先に反応出来たのは、マーガレットの方だった。
ぬけるような白い肌を羞恥で真っ赤に染めて、ぱたん、と膝を横に倒して閉じ、両腕でその豊満な胸を抱きしめるようにして俯く。
せっかく寝静まった頃を見計らって出てきたというのに、うかつにも石鹸を踏みつけて転び、思わず大声を出してしまった。
挙句の果てには、予想外の速度で駆けつけてきたビーストに、なんというか、その… ご開帳と言う奴だ。
死んでしまいたいほどの恥ずかしさに、顔がものすごく熱くなる。

彼は、私をどう見ているのだろう?

恥ずかしさで埋まっていた頭に、ふと疑問が浮かぶ。
同時に、性質の悪い先輩の教えてくれたアレやコレやもよみがえる。
何かアクションを起こすには、少し時間が掛かりすぎではないだろうか?
それとも、まだ硬直して私をじっと見つめているのだろうか?
大人というにはわずかに若く、少年というには成長しすぎている。
怖いもの見たさのような、不思議な感覚につき動かされ、恐る恐る顔を少しだけ上げる。

「あ…」

予想は、どちらも外れていた。
彼はもう自分のすぐそばにいた。
そっと腕を伸ばして、自分を抱き寄せようとしてる。
月明かりの下で、獣のように変わったエメラルド色の瞳がきらきらと輝いていた。
だからビースト、か。

「心配するな。オレに任せろ…」

わずかな緊張を見抜かれたのか、吐息も触れるような距離で彼が囁いた。
その声に、トクン、と心臓が脈打つ。
年下の癖に何でこんなに落ち着いてるのかとか、80%とか、顔のラインが男っぽいんだ、とか。
ドキドキと早鐘のように脈打ち始めた鼓動にあわせるように滅茶苦茶に思考が疾走し始めて。
しかたないよね? と、言い訳が浮かんで。
力強いその腕に抱き上げられて。

まあ、いいかな? と、思ってしまった瞬間に…

彼はものすごい勢いで後方に飛んだ。



【死霊魔術師】

「ひゃあああああああああっ」

はっきり言って、ジェットコースター並みの加速だ。
同時に、直前まで二人が居た空間に、ズドン! と、何か大きな物体が叩きつけられた。
一気に十メートルもの跳躍をした土方は、左手だけでマーガレットを支え直す。

「しっかり捕まってろよー」

「は、はいぃ~」

わけも分からずに、マーガレットは土方の首に両腕を回して、ぎゅっとしがみついた。
間髪おかず、闇から巨人が踏み出してきて、再度その巨大な獲物、ただの丸太だ、を振り下ろした瞬間、今度は左へジャンプ。
同時に、右手でウェポンラックから引き抜いた銃を連射。
しかし、わずか五発でスライドが後退位置で停止。巨人には深刻なダメージがない。

「予想外に良く動く。あのままじっとしていれば、二人そろって幸せな気分のままでイケたのにねぇ。今からでもどうだい?」

巨人の肩の上で黒いローブの人影が、男か女かも分からない陰気な声で告げる。

「そいつはご親切に、どーも!」

土方は右手でマーガレットを支え、左の銃で抜き打ちにローブの人影を狙う。
人間を打ち倒すには強力すぎる銃弾は、しかし、巨人の構えた丸太を噛み砕くにとどまった。

「いい銃だ。しかし、弾が無ければ銃士(ガンナー)は何も出来ないし、このゾンビを倒すには威力が足りないねぇ」

左銃も弾切れ。弾薬は昼間の村人のゾンビに殆ど使ってしまっていた。
巨人ゾンビは手近な木をへし折って、再び棍棒を手にする。
月明かりに照らし出されたそれは、パッチワークだった。
巨人種族のゾンビではなく、ただの人間を縫い繋げたもの。
その頭部は、やはり継ぎ接ぎにされた、おそらく、村から居なくなっていた三人の…

「あなたは…」

怒りに震えるマーガレットが、死霊魔術師に叫ぶ。
キッと睨み付けるその目に、うっすらと涙が浮かんでいる。

「あなたは何故こんな真似をするんですか! そんな小さな子供たちまで!」

深くかぶったフードの下、わずかに覗く口元を、死霊魔術師は三日月のように歪めてケタケタと笑った。

「何故? 愚問だねぇ。知的好奇心さ。キミも学問の徒なら分かるだろうに?」

マーガレットはぐっと歯を食いしばり、さらに糾弾しようとした。
しかし、狂気がそれをさえぎる。

「いやぁ、しかし。キミはいいねぇ。皮だけじゃなく、心も綺麗なんだ? ああ、キミの事も欲しくなってきたよ。そうだ! 君の死体を、この子の胸に貼り付けよう! そこのガンナーをすりつぶして、キミだけは綺麗に殺して、それでー」

ゲラゲラと笑いながら続ける死霊魔術師に、マーガレットは顔色を失う。
そのあまりの狂気に圧倒されてしまったのだ。
だが、我知らず震えだした体を、力強い腕がぎゅっと抱きしめた。

「あー…」

「下がってな…」

エメラルドの瞳に、柔らかい笑みを浮かべた土方は、マーガレットを腕から下ろし、オーバーコートを羽織らせて後ろに押しやった。

「おお、良い判断だ、ガンナー! 抱えたままじゃ、その女まですりつぶしてしまう。私の大事な宝もー ん? お前、カラの銃を構えて何を?」

狂気の声を引き裂いたのは、咆哮にも似た轟音だった。
夜の闇を焼き尽くすかのような、長大なマズルファイア。
付け根から引きちぎられた巨人ゾンビの腕が、丸太と一緒に両方大地に落ちる。

「こいつはテメェなんかにゃやらねぇよ。そんな真似するぐらいだったら、オレが喰う」

月明かりに、銃身に刻まれた文字が輝く。
「Hammer of Mad over Lord.」
狂王の鉄槌が、本来の弾薬を得て、その牙を剥いた。





【Hammer of Mad OverLord.】

撃ち切った.50AEのマガジンをパージする。
リリースレバーの操作にあわせてウェポンラックが展開、支持アームが伸びる。
銃身下部を失った両手の銃をセットしてやると、アームはウェポンラック内部に銃を収納。
自動的に本来の弾薬の装填されたマガジンを装着し、再度アームを展開。
広げたままの両手に、振り出すようにして両銃を返却する。

その銃の名は、狂王の鉄槌。

土方によって魔術学園の購買部の売れ残り品の棚から見出された”対物”自動拳銃。
メタリックシルバーの銃身に、象牙の銃握をしつらえた右銃がポーラベア。
光沢のあるブラックの銃身に、黒檀の銃握をしつらえた左銃がダークタイガー。

その凶悪な威力と比例し、それの生み出す反動は、常人であれば腕が肩から千切れ飛ぶと言う。
通常の魔術師ならば、わざわざ身体強化魔術を使ってこの銃を使用するよりも、魔術で攻撃した方が手っ取り早い上に、危険も少ない。
物好きの生徒たちにより何度も試射を繰り返され、時に怪我人を生み、その扱いにくさからやがて誰も見向きもしなくなった粗悪品。
敵味方の区別なく振るわれる危険な鉄槌だ。

だがしかし。

もしも使い手が、無意識下で身体を強化してしまうような高レベルの魔力の持ち主であったのなら。

あるいは。

人間を超えるような膂力と、鋭敏な感覚の持ち主であったのなら。

狂王の鉄槌は、その真価を余すところ無く発揮する。

狂気を蹴散らす一対の咆哮。
1ミクロンの歪みさえないその銃身は、ライフリングで弾頭を噛み締め、薬室内で発生した爆発力を余すことなく伝達する。
銃口から撃ち出された瞬間に弾頭は音速を超え、大気との摩擦により赤熱化。
衝撃波をまといながら飛翔する火の玉は、巨人ゾンビの両腕に喰らいつき、噛み千切った。

「こんなイイ女、テメェなんかにやらねぇよ。そんな真似するぐらいだったら、オレが喰う!」

高らかな宣言とともに、連射される銃弾は、巨人ゾンビの両膝を砕き、胴体に風穴を穿ち、頭部を消し飛ばした。

「ば、バカな。ずるいぞぅ! 弾切れじゃなかったのか!? いや、そんなことより、その狂った銃は何だ? そんなモノが、拳銃であるはずがない! そもそも、そんなものを人間が使えるはずがー」

巨人ゾンビと一緒に地に叩きつけられた死霊魔術師は、エメラルドの瞳と、白銀に輝く右銃が冷徹に自身をポイントしているのに気づく。

「ライカンスロピー?… いや、違う。このオーラ、まさかしんー」

「黙れ」

正しく振るわれた狂王の鉄槌は、死霊魔術師の胴体を両断する。
千切れ飛んだ上半身と下半身は、それぞれ別の方向へ吹き飛ばされ、転がっていった。



「ふぅ~」

土方は大きく息をつき、銃を収納。くるりと振り返る。

「大丈夫か、マーガレット?」

その瞳は元のブラウンに、人間の瞳に戻っている。
狂王の鉄槌のあまりの轟音に、両手で耳をふさぎ、目を閉じていたマーガレットは、ほんの少しだけ反応が遅れた。

「…え?」

高周波のようなキーンと響く耳鳴りで、声が聞き取りにくくなっている。
近寄ってきた土方もそれに気づき、少し困ったような笑みを浮かべて謝った。

「スマン。いい銃なんだが、ちょっと、はんど、う、とか…」

しかし、ぎくしゃくとその歩みと、言葉を止め、慌てて顔をそむける。

「え? なんですか? 少し耳がー」

言いかけて、マーガレットの動きも停止した。自分が、どんな格好をしているのかを思い出したのだ。
一糸纏わぬ全裸の上に、オーバーコートを軽く羽織っただけ。
直前まで耳を塞いでいたものだから、合わせは完全に開いていて、白い肌も、豊かな胸のふくらみも、その先端の突起も、下腹部の金色の淡い茂みも全てさらけ出してしまっていた。

「あぅ~」

二回も全部見られてしまった…
慌ててコートの胸元を掴んで掻き合わせる。

「ごめんなさい、お見苦しいものを…」

顔を背けたままの土方に、なんとなく悲しいものを感じ、俯いてつぶやく。しかし、

「いえいえ! 大変結構なお手前でした…」

即座に返ってきた言葉に、顔を上げる。
困ったような、照れたような表情の土方。その頬が、わずかに赤く染まっている。

なんだ、そういう顔もするんだ。
マーガレットの心に、温かなものが満ちる。ちょっとした悪戯心も。

「…本当、ですか?」

一歩、距離を詰めて、上目遣いに見上げてみる。
でも、びくり、と肩を震わせた土方は、目をそらせたままで。

「やっぱり。魅力、ないですよね、私…」

声に悲しみを乗せてみると、土方は慌てて顔を戻し、

「いや。その、綺麗、だったぞ、うん…」

こちらの目がじっと見つめていることに気づいて、また目をそらす。
この人、可愛いんだ。
むくむくと湧いてくる悪戯心が抑えられずについ続けてしまう。

「…さっきの、オレが喰うって。本当、ですか?」

そんなことをやっていたから、二人ともそれに気づくのが遅れてしまった。
致命的に。

「イチャラブはおうちに帰ってからって先生が言ってなかったか、お前らぁ!」

死霊魔術師の放った吹雪<ブリザード>の呪文が、二人を直撃する。
土方はその冷気に超反応。マーガレットを体でかばいながら、超獣装を発動する。
光が集い、漆黒の戦闘装備が顕現。
吹雪の一切を遮断し、マーガレットを守った。

「ああ、やっぱり。まだ奥の手があったな、ガンナー! 楽しい、楽しいなぁ。でも、今日の日はさようなら、だ!」

高らかに狂った笑いを上げながら、上半身だけになった死霊魔術師ははみ出した腸を触手のように使って、木々の合間へと消えた。

「ビースト、さん?」

マーガレットの声に答えるように、超獣装は六角形の砕片になって消失する。
その中から現れた土方の姿は、半ば白く凍り付いてしまっていた。

「ビーストさん! しっかりしてください、ビーストさん!」

彼女が無事でよかった。
土方は薄れ行く意識の中で、そう思った。



【アロマネックレスのこと】

土方の身に着けているアロマネックレスは、意外と繊細な機能を持っている。
体質というか、本能というか、発情期というか。
異性の匂いに反応してしまうことを抑制するために調合された、柑橘系の甘い香りのアンチフェロモンを封入している。
その真銀<ミスリル>製の円筒部分は感熱機能を持ち、土方の体温や外気温に反応して開口部を開閉し、香りの放出量を調節する。
これは、フェロモン物質が主に汗に含まれることによる処置である。
今回の場合、低温のせいで極小まで口が閉じ、さらには凍結してしまったため、機能停止状態なわけである。

勿論マーガレットはそんなことは知らない。

白く凍り、凍死寸前だった土方に、生命力を賦活する治癒魔術を使用して、宿にしていた家に運び込む。
大柄な土方を運ぶのは難作業で”全身汗まみれ”になってしまっていた。
氷が溶けて湿ってしまった野戦服を引き剥がし、凍り付いたままの胸元のネックレスは外して文机の上においておく。
Tシャツも、下着も、全部脱がせる。
その体は、いまだ氷のように冷たいままだった。
マーガレットは、オーバーコートを脱ぎ捨て、ベッドに上がると、引っ張り出した何枚かのブランケットで自分たちの体を包んだ。
真正面から抱き合うようにして冷え切った体を抱きしめて、少しでも体の触れる面積が増えるように脚も絡めて、掌であちこちを摩擦する。

お願いだから、帰って来て…


どれほどの時間が過ぎたのだろうか?
土方が大きく息をついた。血色も戻り、体温も上がってきている。
すでに夜は去り、明け方の淡い光が寝室に差し込んでいた。
マーガレットは、心の底から安堵し、動かし続けていた手を休める。

「よかっ、たぁ~」

ほぅ、っと吐息がこぼれる。
同時に、今までまるで気にしていなかった感覚が一気に押し寄せてきた。

「あ…」

カァっと顔に血が上る。
腕の中にある、がっしりとした体。
押し付けた胸がぴったりと張り付いてしまっている熱い胸板。
くっついている場所は、お互いの汗にしっとりと濡れてしまっている。
ふと、視線を動かせば、わずかな距離で届いてしまいそうな唇、

「もう、大丈夫だよね」

目を覚ます前に、ベッドから逃げようと思った。
けれど、それはほんの少しだけ遅くて。
動き出した腕に絡め取られてしまった。
引き寄せられ、抱きしめられた瞬間に、全身にあまやかな幸福感が広がる。
ゆっくりと開いたその目は、エメラルド色の獣の瞳だった。

彼は何処かぼやけたような、ピントの合ってない目で、くん、と鼻を鳴らす。
汗臭いのかな、と、少しだけ不安になる。
いや、そんな心配をしている場合ではないような気がする。
くんくんと鼻を鳴らし続ける彼は、どんどん顔を近づけてきた。
最初に、髪。
鼻をうずめるようにして、たっぷりと匂いを嗅がれてしまう。
バクバクと心臓が息苦しいほどに脈打つ。
けれど、不快な感じはしなかった。
あれほど冷たかった彼の体は、いまは十分な熱をマーガレットに感じさせている。
やがて、顔が下に下がって来た。
首筋や、耳元を、左右余すところ無く、まるで口づけるように、くんくんと。
いい匂いがする。
いつの間にか、自分もくんくんと鼻を鳴らしていた。
香水にたとえるなら、柑橘系ではなく、濃密な動物系の香り。
ふと、記憶が蘇る。

「「…そいつは、アンチフェロモン。ケダモノなオレが妙齢の女性にハァハァしないように調合されたモノなんだけどー」」

彼が女の匂いに反応してしまうというのならば、彼の匂いを嗅いだ女はどうなってしまうのだろう。
もしかして、あの香水は、彼自身のフェロモンを抑えるためのものではないのだろうか?
そのことに気づいたときには、もう手遅れだった。
肌に触れる彼自身は、変化していて。
彼の肌に触れる自分自身も、変化していた。

こんなになってるんだから、しかたないよね?

と、言い訳が浮んで。

嫌じゃないし、まあ、いいかな?

と、思ってしまった。
だから、今度は、自分で彼の背中に腕を回して。

「いいよ」

と、囁いてしまった。

………

……




【そのあとで】

初夏の早朝、太陽のまばゆい光が寝室を照らしていた。
土方はゆっくりと記憶を辿る。
村人ゾンビを全滅させ、一泊することになった。
夜中に行水に出たマーガレットが襲撃されたが、敵を撃退した。
しかし、敵を倒しきれてなかったため、逆襲を受けて意識を失った。
その後の現時点までの記憶は、完全にない。

「それがどうしてこうなった…」

ベッドの中には、土方の腕枕で、幸せそうな寝顔を浮かべるマーガレットの姿があった。
ぴったりと抱きついているため、その柔らかな身体の感触とか、豊かなバストがふにゃりと形を変えてわき腹に張り付いていることとか、胸にのせられたしなやかな指先が時折さわさわと動くとかで、朝っぱらからレッドゾーンぎりぎりである。
はっきり言って、やらかしちまった感全開、言い訳のしようもない状況だ。
炎術士のあの子やら、両手で余る聖約者達やら、可愛い後輩たちやら、意外なことに年増の独身教師やらの顔が次々浮かんでくる。
途方にくれているうちに、彼女が目を覚ました。

「あー、おはよう、ございます…」

何度か目をしばたかせた後、頬を鮮やかに染めて、照れくさそうに挨拶した。

「大丈夫ですか? ブリザードで、凍死しかけてたんですよ?」

不安そうな彼女に、こくりと頷くと、まるで花がほころぶかのような、柔らかい笑みを浮かべた。

「よかった。じゃあ、私、汗を流してから朝ごはん作りますね。ビーストさんはもう少し休んでいてください」

マーガレットがそそくさとベッドから抜け出すと、濃密な女の香りが土方の鼻を刺激した。

「もう。恥ずかしいから、見てちゃダメですよ。それとも、お腹がすいたから私を食べちゃおうって魂胆ですか?」

「お、おう、スマン」

ぺしっと尻尾をはたかれて、あわてて背中を向る。
マーガレットは、よろしい、と頷くと、くすくすと笑いながら寝室を後にした。

「まあ、済んだことはしょうがない、か…」

しばらく悩んでみたものの、さっくりと思考を切り替える。
何一つ記憶に残ってない以上、アレコレ悩んでも無駄だ。
直接確認するしかないだろう。
別にマーガレットのことが嫌いなわけではない。
少しばかり説明が面倒ではあるが、自分の状況を洗いざらいぶちまけて、答えを聞けばいい。

土方は自分の身体にダメージが残ってないことを確認し、ウェポンラックから新しい着替えを引っ張り出した。
下着を身に着け、普段着のジーンズを履き、Tシャツをかぶる。
唯一”身に着けていた”アロマネックレスをシャツの表に引っ張りだして準備完了、寝室を後にする。
今日も暑そうだから、上着は無しだ。
そういえば、この家の食材は夕食で使い切っていたはず。
マーガレットが居るらしい物音のする部屋を見つけ、扉を開ける。

「マーガレット、朝飯の材料はどうするんだー?」

しばしの硬直と沈黙の後。

「ビーストさんの、えっち…」

脱衣所でした。



【それから】

「おう、そっかそっか。無事終わったか。おー、そりゃまたやばかったなぁ。うんうん、まあ、無事で何よりだな。うん。で? どうだった? 何って、言っただろ? 80%だぞ? ええ!? マジか! それって、あ、ちょっとまて… あー…」

速水が微妙な表情で携帯を切った。

「どうしたんだい、サツキちゃん。そんな鳩が88ミリ砲喰らったような顔をして」

何処から見ても少女にしか見えない理事は、デッキチェアに寝そべったまま、ちゅーっとトロピカルドリンクを吸い上げた。
ここは湖。通称炒飯湖の遊泳区域だ。
数日前に土方達から理事にもたらされた報告によって、かの国は俗に「ゾンビ注意報」と言う警戒宣言を発令したが、死霊魔術師は未だ見つかっては居ない。
今日の連絡は、ただの帰国報告のはずだ。

「いやなんか、マリアなんだけど…」

「うん、面白そうだから真吾くんにつけたんだけど、どうだって?」

「「そんなことがあったとしても、いちいち報告するわけないじゃないですか。ふふふっ」って、笑われちゃったんだけど、これって…」

理事も速水と同じような、微妙な表情を浮かべる。

「しまったね。こんなことになるなら、真吾くんを出発前に無理矢理にでも押し倒して置けばよかった…」

「うう、まさか奥手をからかっていた後輩に掻っ攫われるとは… いやだが、そんなに簡単に流せるようになるのか?」

「正直、ボクにも分からないよ。真吾くんって行くときは行くし…」

後輩に完全に一本取られた二人は、どんよりとしたオーラを漂わせて岸辺にただずんだ。



【とある空港にて】

「やりました! 初めて先輩たちから一本取りましたよ、ビーストさん!」

マーガレットは小さくガッツポーズをして無邪気に喜んだ。
マーガレットの台詞の大半は、土方の入れ知恵である。
任務前にさんざんからかってくれた先輩にお返しをしたいというので、アレコレとシナリオを練ってみたのだ。

正直に言えば、その先輩とやらの気持ちも良く分かる。
からかって、可愛がってやりたい気分にさせる雰囲気があるのだ。

「…あ、そろそろ時間ですね」

ロビーにアナウンスが流れた。
ここから、二人の帰り道が分かれる。
寂しげな笑顔で、マーガレットがうつむく。

「ねぇ、ビーストさん…」

「おう」

短い間ではあったものの、二人の間には分かちがたい何かが生まれていた。

「また、逢えますか、ね?」

「…ほれ」

土方はマーガレットの手をとって、その掌にぽんっと紙片を押し付けた。

「オレの本名と現住所とメアドと携帯番号。後は、何が欲しい?」

「じゃあ、もうひとつだけ…」

マーガレットは土方の前に立って、首に両腕をまわして軽く背伸びした。
土方の方も、マーガレットの腰に腕を回し、その身体を支える。

「…ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

一歩下がり、ぺろりと舌を出して笑うマーガレット。
彼女は、土方のあの日の質問に何も答えてはくれなかった。

「なあ、教えてくれないのか?」

「それは、ひ・み・つ・ですv また逢いましょうね、ビーストさん」

マーガレットは大きく手を振って搭乗口に向かって歩き始める。
手すりにもたれて、何度も振り向いては手を振る彼女に、小さく手を振り返しながら、その姿が見えなくなるまで見送った。
そして、小さくつぶやいてから、いつもの軍用ポートに向かって歩きはじめた。

「やれやれだ。分かっていたつもりだけど、女って奴はおっかないなw」


【おしまい】
最終更新:2012年03月02日 01:36