Chapter 5-2 : 今日の無題

(投稿者:怨是)





「――まぁ、あいつは最後まで、エミアと俺が昔付き合っていた事を知らなかったわけよ」

 再び、1944年4月30日。
 回想の海から一気に水面へと戻り、焚き火に暖められる。
 ベッセルハイムがフュールケに、横合いから軽い肘打ちを喰らわせる。

「思えば因果なネーミングだよな。指輪隊なんてよ」

「……俺がエミアに用意した指輪、ちょうどこの辺りに捨てたんだよな」

「探したら見つかったりしてな。おッ!」

 ベッセルハイムの上げた声にその場の全員が、視線をベッセルハイムの先へと向ける。
 今度は別に騒いでいないぞと身構えると、見知った顔がこちらに微笑みかけていた。

「楽しんでいるかな?」

「噂をすれば、ベルン少将じゃないスか!」

 ダリウス・ヴァン・ベルンその人である。
 褐色の良く日焼けした肌と、後ろに束ねた白髪交じりの髪が年齢を高く見せているが、これでも三十代なのだ。
 その人柄の良さそうな笑みが、冗談めいた感嘆の表情へと変わる。

「もしかして私の陰口か!」

「いやいや、思い出話ですよ。10月28日のあの出来事を新顔君に聞かせてたんです」

 ただの冗談のやり取りは、しかし。一瞬だけ沈痛な面持ちに切り替わった。

「なるほど……アシュレイ君とシュヴェルテ君の件は、残念だったね」

「今でもどっかにいねェかなって。ついつい探しちまうんですよね。ところでディートリヒは?」

「夜食を取りに行ってるよ」

 夜食か。あの巨漢の事だから、きっと普通の人間の数倍は胃袋に放り込むに違いなかった。
 思わずフュールケの口元の微笑みが、残念がる時のそれではなく、悪戯っぽいものになる。

「あいつめっちゃ喰うでしょう」

「ああ」

 アロイス・フュールケ。ザニ・グリッツ。ハンス・ベッセルハイム。トーマス・ハッセ。
 そしてダリウス・ヴァン・ベルンにディートリヒ。
 半年という月日は一瞬にして過ぎ去り、暗雲の刃に負わされた傷は少しずつ癒されていったのである。
 フュールケはいつかに聞いた、親友の言葉を思い出す。

『時間など特効薬にならん』

 そうかな。色んなものと一緒に使えば、いつのまにか治るもんじゃないか?
 フュールケは、決して孤独ではなかった。
 それはまるで、この小さな小さな円卓を照らしながら揺らめく炎に似ているのではないだろうかと、背中を撫でる夜風に身を震わせながら考えていた。






「はァーあ……! 恋話なんてクソ喰らえだ。こちとら戦車が恋人だよまったく。歩兵連中はおめでてぇよなぁ――っとォ!」

 一方その頃。
 先ほど叱責すべく赴いていた戦車兵の二人は、夜風とオイル臭を浴びつつ、少しずつやってくる眠気に打ち勝たんとして雑談に興じていた。
 砕けた口調のほうの片割れがあくび交じりに愚痴れば、もう片方が諭すというような調子である。

「あいつらも同じようにブーツが恋人だよ。お前も静かにしろ。昨日みたいにどやされるぜ」

「へいへい、すんませんね。あ、夜食喰う?」

「要らね。胃に物を入れたら眠くなっちまう」


 俄かに、先ほどの方角から大きい笑い声と何らかの言葉が二、三ほど大気を軽く揺らした。
 しかも先ほどよりも、更に声量が大きい。諭す側の戦車兵が顔をしかめる。

「……ン。何かまた騒がしくなってきたな」

「あのだみ声はよォく知ってら。ありゃディートリヒのゴリラ野郎だぜ」

「ダリウス様ぁンのとこの?」

 “ダリウス様ぁン”のアクセントとしては、この“ぁン”を丁度グレートウォールの山のように上下させるようなイメージだとされている。
 いつの間にか戦車部隊の間で流行ってしまい、この諭す側の戦車兵も一度それを耳にしてからというものの、今では日常で使用するようになってしまっていた。
 愚痴る側の戦車兵が、夜食を頬張りながら親指を声の方角へと向ける。

「ああ。どうするよ。行く? 行っちゃう?」

「ほっとけ。何か親衛隊連中のお偉方も、今はあいつらに構うなっつってたし。下手に手出しすっとひでぇ目にあいそうだ」

「……そういやぁそんな事云ってたっけか。悪い奴じゃないんだけどなぁアイツ。どうにもねェー、ウーン」

「まぁさっきの連中と違って保護者付きだし、ゲンコツで止めるまで待とうや」

 ディートリヒの暴走は、ダリウス・ヴァン・ベルンやその部下が止めてくれる。
 彼らはディートリヒの家族のような存在であり、一体感も家族のそれに近いように見えた。
 愚痴る側の戦車兵は、諭す側の戦車兵の言葉にナンセンスな腕の動きで応じる。

「ムンムンほいほい」

「何だその“ムンムン”って」

「新しい挨拶。今思いついた」

「ぁ、そう」

 頼むから、そいつだけは流行らせないでくれ。
 諭す側の戦車兵が、心のうちで祈る。






 俺にはかつて、どうしようもなく青臭い上司がいた。
 ソイツはどうしようもなく猪突猛進で。
 ソイツはどうしようもなく甘ちゃんで。
 ソイツはどうしようもないくらい悩みまくってた。

 でも逆に云えば、ソイツはどうしようもないくらい優しい奴だったんだ。

 俺は手を差し伸べる事を拒んだ。
 恐怖と怒りに負けて、何も考えられなくなって。

 隙間の空いた盾から悪い弾が入り込んで、アイツは大切な人を失った。
 その大切な人は、俺にとってもまた、大切な人だったのに。

 俺は手を差し伸べる事を拒んだ。
 自分の悪い所を棚に上げて、甘えちまった。

 本当にどうしようもなかったのは、手を引っ込めちまった俺のほうだったんだ……
 ソイツはもうここから居なくなったし、俺も指輪を投げ捨てた。
 この広い山の中に何もかも置いてきて、長い間ほったらかしにしちまった。

 何てこった。俺が一番どうしようもない奴だったんだ。



最終更新:2009年02月03日 16:51
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