(投稿者:Cet)
ガン、とキャノピーを叩く音がした。
「え?」
瞬間視界が広がった。鉄の檻に閉じ込められていた体が風の中に吸い込まれていく。
「------」
叫んだ声は聞こえなかった。
ただ意識だけが拡大なのか縮小なのか指向性を帯びているのかいないのかどこかへと飛んでいく。
空の中に。夕焼けだった。それはそれは綺麗だった。
例えばこういうことである。
「偵察飛行なんかかったりぃよ」
「ははは、そう言うなって、祖国の為さ」
くっそくらえ、戦闘機の無線で話し合う男二人は笑う。
「ばぁーか、明日の飯も食えるかどうか分からねえのに、国も何もあるものかい」
「ちげえねぇや」
並んで飛行する二つのキャノピーにそれぞれ哄笑が響き渡る。しばらくそれは鳴り止まないで、夕焼けだけが彼らの空虚な時間を埋めていた。今それが黒く霞んでいく。雲霞が群れを成すように。
彼らは笑っている。夕焼けが微かに翳ったところで気付くほど注意を払っておらず、時の流れは静かに蝕まれていった。
「--ああ、笑った笑った。ところでお前今日の晩飯」
何にする? という言葉は、果たして双方のキャノピーに反響し得なかった。
「どぉするかな、つーか選ぶにしても大差ない」
そして彼は気付く。夕焼けの中心から左右に広がる霞みに。それに目を凝らそうとした瞬間、隣を飛んでいた戦闘機の高度が下がり始める、キャノピーの上半分がなくなっており、パイロットは動転して身動きを取れずにいたが、まもなく座席も切り離され浮き上がった。
脱出機構というものがまだ発達していなかった時代の話だ。
片方の男は必死に目を凝らす。無線を通して「なあアレ一体何だ」と隣の男に呼びかけ視線を遣ったところで、既に隣に浮かんでいたものが無くなっていることに気付いた。
「え?」
ガン、とキャノピーを叩く音がして、キャノピーが分解する。
それに男は巻き込まれて千切りになった。縦横無尽に走った傷口からは、夥しい量の血が噴出して、鉄くずの間に紛ればらばらに海へと堕ちていく。夕焼けが真っ黒に染まる頃、一つの羽音が聞こえていた。
「あぁ」
男に生えた羽は昆虫のそれだ。縦に並んだ二対の四翼の内、下方にある一対はほとんど退化してしまった、まるで蝿のような男が空に浮かんでいた。
「超遅え」
「そう言わなくてもいいじゃんゴーガさん、仕方ないよ、人間だもの」
「うるせえ触角娘、俺のセンチメンタリスムに水注してくれんな」
そんなぁ、と新たに現れた羽音がむくれる。
「うるせえな、悪かったよ。俺が悪い」
「何でそんなにおこってるんですかぁ」
「あんな鉄の翼でトベる人間の所為。なんていうか不憫だがムカツクんだよ。所詮は鉄屑だろうが、粋がりやがって」
まるで侮蔑を隠そうとしない。男は反吐が出そうな、真っ黒になってしまった夕焼けを見つめている。
「まあ、これからは。さっき死んでいったあいつらより速い奴がたっくさんいますって」
「俺より速いのも許せないんだわコレが」
「どっちかにすればいいんじゃ?」
少女の言葉に、男は肩を震わせる。その先は言葉で表すまでもない。
夕焼けはもう見えない。
真っ黒な幾千もの羽音にかき消され、赤い赤い幾々千もの瞳が、全てを覆い尽くしていく。もうどこにも、その残滓すら見受けられなくなっていた。
残響音が響いた
今
滴下する
最終更新:2009年03月26日 04:01