Prologue 10 : Youngman's teardrop

(投稿者:怨是)





 今日は何日だっただろうか。
 ここはどこだっただろうか。
 自分は今、何をしているのだろうか。
 そもそも、自分は何者だったか。
 夏だ街道だ散歩だエディだ。
 ここはどこかの通り道だ俺はエディだ。街道だ散歩だ散歩だ散歩だ散歩だ散歩だ散歩だ散歩散歩エディ。

 長々と伸ばしたまま、無造作に束ねた銀髪を風に揺らしながら、通りの露店を覗く。
 空は青い。雲が白いいや黒い雨降らない止んだ休む晴れている。
 武器商人らしき男が豪華絢爛な敷物の上に、商品らしきものを並べていた。
 そう。商品。人は貨幣価値を恣意的にサダメ、より多くの利益を得るのだ。人は。
 思い出しつつ、見つかり、しかし散歩だった。または人。エディ。人。

「おっさん。見せてもらっていいかい」

「いいよ。みんな目もくれねぇもんだから暇してたんだ」

 どれも、刀剣ばかりだった。MAIDでもなければ、こんな骨董品が何の役に立つのか。
 銃器に耐性をつけてきたGが生まれつつあるというこのご時勢で。
 それでもエディの目を引いたのは、懐かしき。嗚呼、懐かしき。
 この選択が、視線がお前を選択する。すなわち視線の特権は全ての人類に平等に与えられていたハズでそれが何らかの原因によりゆがめられた。

「どれも美術的価値のある、工芸品ばかりさ。落っことしたら駄目だぜ。価値が落ちる」

「はいはい、いいから黙って見せろよ。んー、懐かしいなァこの形」

 この刀剣はどう見ても見覚えがあり、しかしてエディの脳裏の眠りを呼び覚ます。
 エディの記憶の地底湖から、一滴二滴一滴一滴。一滴。一滴、一滴。
 記憶が漏れ出。その先に何かが仕舞いこんだが何があったかをエディには思い出せない。
 否、拾い上げた。たった今拾い上げた。そうだあいつだ。なんで今まで忘れていたと逡巡。後悔するとあああ。
 航海、改竄とかけまして閉山公開。開けたら閉めて閉めたら開けるあける閉めるしめるあけるしめる。
 ここだ。開ける。開けるが俺を俺する。

「……エミア……」

「どうしたんだよ、そんな辛気臭いツラしちまって。誰かの形見だったのかい?」

「うん。死んだ恋人なんだ形見なんだ。代金おいくら」

 エミアは死んだ。死んだ恋人をいくら捜した所で見つかったか。その筈が無い。
 消滅。また蜃気楼。埋葬を決めるのは誰だったか。

「そうサなァ。ざっと七万マクスくらいか」

 高い。他界。
 そうだった。肌身離さず持ち歩いてきたバッグの中に、金塊があったじゃないか。
 それを使おうよし使おう、使わないと手を伸ばせない。お前を掴めない。
 返してくれ。本当はそう叫びたかったが、今のエディにそれは叶わない。
 何もかもが度を越していて、扉が空を飛び始めていた。

「じゃあ、この金塊一個でどうだ」

「小せぇ小せぇ。そんなんじゃ刃のとこ半分くらいしかくれてやれねェや」

 マクス……そうか今居る国は通貨がマクスだったのか。
 そうかそれなら話が早い。もう一個、金塊を追加すればくれるのか。くれないか。くれるくれないくれくれない。

「じゃあもう一個。もう全部だこれだ」

「現実っていうのは厳しいもんさ。もう少しくれるんだったら……」

「おっさんはホントしょうがないな。コレでどう?」

 まだ欲張るのなら、仕方ないまだ欲張るならこれをあげよう。強欲、に対峙、かくの如き。
 気がつけば地底の巨大な湖から。そこまでに至り、蝗の塊のような怪物と対峙していた。
 そうだった。つい先ほどまで武器を並べていた、であり。このアバドンだった。
 エディはアバドンの口の中に足を踏み入れ、傍らの相棒に目配せする。それを。
 ありがとう。ありがとう。ここでお別れだ。達者でやれよ。

「おぉ! へェぇ……いい銃だ。よく磨き上げてある!」

「カッコイイだろ。俺の相棒。カール・ヴァトラーちゃん。いつも俺の悩みを聞いてくれる、いい奴なんだ」

 貪欲なアバドンも、カール・ヴァトラーの神々しくまばゆい輝きまばゆい。
 かがやきに、何も無い両目を大きく見開いて涎を天から降らせて驚いてみせる。
 ああ、これはいけるなとエディは判断。可能。行動開始。

「これと交換しろってか」

「ああ」

「刀剣いっちょでこの辺りをうろつくってのも中々度胸がいるもんだけど、そこはどう考えてるんだ?」

 ――まだるっこしいじゃないか。
 両腕に灼熱が宿る。両腕に宿った炎で蝗を掴み、投擲。投擲されし蝗たちは哀れなるかな、のた打ち回って消えた。
 まだだまだ足りない。まだ足りないまだまだまだ足りない足りない。

「いいんじゃないか。だってこうしてぶらり旅をやってるが、ヴァトラーちゃんが火を噴く事なんて一度も無かったぜ。
 まぁ聞いてくれよおっさん。こいつすごい奴なんだ。俺がビビって震いッ()ていても、グリップを握れば心が落ち着く。
 “トリガーさえ引いちまえばいつでも楽にしてやる”って俺を励ましてくれてさ。
 寒い日も、懐に手を突っ込んでグリップを握れば不思議とあったかくなるんだ。俺は幸せな相棒と知り合ったよ。
 毎日相談に乗ってくれるし。おっさんも悩みがあったらこいつに相談しなよ。すごく癒されるんだ。
 でもそんなか弱い俺が手放すんだぜ。こいつをさ。それだけ恋焦がれていたんだよ。死んだ恋人に。
 いいだろ? ちょっとは容赦してくれよな。俺の恋人は天使なんだ。俺は今になって悟ったんだ。
 守ってやるって毎日のように彼女に云っていたけど、守られてたのは俺のほうだったんだ……
 おっさん、余所見すんなよ。俺悲しいよ……だからさ、俺、全財産をなげうってでもこれだけは手元に置きたいんだよ。
 あ、全財産にはそのヴァトラーちゃんも入るよ。だから、いいだろ? 売ってくれよ。いいだろ? なぁ、いいだろ?」


「……あー、わかった。よく解った。あんまり顔を近づけないでくれ。俺の頭までおかしくなっちまう」


「何だよそれ。っははは、俺の頭がおかしいって云いたいのか! そういう事なんだろ! 俺はどうせおかしいさおかしいおかしいよ!
 だいたいなんだよみんなして俺の事、気違いか何かみたいに怖がってさ。俺どうみても人間だよ? 普通だろ。
 普通の人間なんだよ俺は。恋人の命ひとつ救えなかった、ただの無力な人間様だ。いやふたつだったっけ? まぁそんな事はどうでもいいんだよ!
 俺は駄目な奴なんだ。見ろよ、両手ガタガタ震えてんぜ? こんな弱い奴が騎士道とかほざいてるの。駄目なのソレ。
 とんだ喜劇だ。ドン・ライホーテもびっくりさ。本にしたらきっと売れるんだけどなぁ。あぁ思い浮かぶなぁ俺を指差してゲへぇラゲラゲラゲラ下品な笑いを浮かべて両手を猿人形みたいに叩いて!
 さぁさぁ笑え笑え! ホラ笑ってみろよおっさん。何ビビってんだか知らないけど、笑えよ俺をさ……笑えっつってんだろ、ヴォルフ!
 うわぁ俺が殴ったからって! そうだよなそうだよお前はいつだってそいッ()だ。別に何でもないくせにいっつも」


「俺はそのヴォルフって男じゃないし、そいつの事を知らないから何とも云えねェが、やっぱりアンタ、まともじゃないよ!
 まぁ商売だから、代金も貰ったし、その軍刀はくれてやるよ。だからもう、どっか行ってくれ。アンタのそのツラが夢に出てきちまうよ」


「夢に出てきてもいいんじゃないかな。俺そういうの好きだよ。それでおっさんが幸せになるんだったら、俺は化けて出たいなぁ。
 だってさ、考えてもみなよ。俺このままじゃいるだけで人を不幸に導くんだ。俺ってやっぱ死神なのかなぁ。ここが地獄かどうかも解らない。
 ほらそこにまたドクロの塊みたいなのがウジャウジャ浮き出てきてるだろ、あんた、つまり、地獄。出てるって事だよ、死相だよ。
 あーあぁ、いい人だったのに、あ、そこのあんたもだ! そうだよあんただよ、うんうん、かわいそうに。そんな泣かれても俺は慰めることすらできないんだ。
 おお! 見つけた。うるせぇこのやろう! 俺はなぁ、俺は……レジェンドなんだよ……エディ・ジ・レジェンド。カッコイイだろ。今。ここに。
 かっこいいなら化けて出てきても幸せに出来()んだよ。俺が! レジェンドだァっはっはっは! あッはっはっはァッ!」


「まぁ、まぁ。いいから……多分調子が悪いだけなんだろうよ。どっか散歩して直してきなって……」


「散歩。そう、散歩。お気遣いありがとさん、それに見つけて、あぁ! エミア……やっぱ君が居ないと俺もう駄目だ……狂っちまうとこだった!
 俺はやっとめぐり合えたんだ、君の魂に、忘れ形見に……俺は長旅の果てにとうとう見つける事ができたんだ。
 長い道のりだったけど、決別に対する決別! オー! やっと一つになれる。もうずっと一緒だよ。ああ、綺麗だ……でも悲しい輝き、鍍金!
 こんなにも、心のほうは錆び付いてしまっているんだね。戻れないかもしれないでもいいんだよこれから幸せになれるんだよ。
 そうだ幸せだ、幸せだよぉ……結婚できないし、子供も生まれないィィィイイッ! でもいいんだ。そんなの幸せの副産物じゃないか、俺は……!
 あれ? オイ! おーい! ヴァトラーちゃん、やったよ! 俺はついにやったんだ! やりました! 最高だ!」



「ヴァトラーと名乗るような人は、あなたの隣には居ません……アシュレイ、目を覚ましてください! アシュレイ……!」







 目の前で哄笑する男を、シュヴェルテは両腕で抱き止める。
 何故、彼がここまで笑っているのかが理解出来ずに居た。一体、どこでこうなってしまったのか。
 何が彼をここまで笑わせてしまったのか。何が、彼をここまで狂わせてしまったのか。

 ――1944年7月27日。ユーリカ市内の精神病院にて。
 コア出力抑制装置の影響でぼんやりとしていたシュヴェルテの意識も、一昨日に外されたお陰である程度はクリアーなものになっていた。
 それと同時に、目の前の出来事を見、霞の掛かっていた頃の自分を思い出し、愕然とする。


 かつて愛した教育担当官が、今は格子付きの二重扉の中に押し込められている。風評や伝聞ではなく、本物の狂人として。
 注意深く扉を開閉して房の中に入れば、銀髪の男がうつろな表情で床に座り込んで独り言を呟いていた。
 灰色のコンクリートの壁に四方を囲まれ、窓も鉄格子付き。換気扇が緩やかに回ってはいるものの、陰鬱な空気は依然として充満していた。

 話に寄れば、露店広場にて商売をしていた男性に掴みかかり、暴行を加えたとの事だった。
 取り押さえられて車に押し込められているところを見た時に嫌な予感はしていたが、まさか本当にアシュレイ・ゼクスフォルトだったとは。

「あぁ、エディでいいよ。俺は大事な恋人を“二度も死なせちまった”から、もうあの名前を使うのはやめにしたんだ」

「アシュレイ、私はここに居ます……シュヴェルテは、ここに居ます……!」

「慰めなら、要らないよ。今の俺にはちゃんとある。仕事がちゃんとある。
 ポスターを……描いてるんだ。コイツを見てくれよ。いい出来だろ?」

 腕の皮膚をかじって出血させ、その血液を絵の具代わりに、コンクリートに文字を書いていた。
 これがポスター……シュヴェルテの思考が足元から凍り付いて行く。再会が遅すぎたのだろうか。別れの痛みが強すぎたのだろうか。
 彼の心からこぼれ出てしまったものは、もう二度と元通りにはならないのだろうか。

 それでも、じっと目を凝らして数分ほど待っていれば、ガタガタに震えた字体で書かれた“こんな国など滅びてしまえ!”という一節が見えてきた。
 何行にも渡って、同じ言葉が幾つも刻み込まれ、掠れていても読み取れる。ずっと書き続けていたのだ。壁に。

 ゼクスフォルトは昨年のあの日から、これだけの憎悪を胸に秘めて歩いていたというのか。
 一仕事終えて座り込んだゼクスフォルトを、シュヴェルテはもう一度抱きしめ、彼の頬を撫でる。
 僅かに残っているであろう正気を、もうこれ以上どこかに霧散させたくない。
 面会の時間は限られている。このまま時が止まれば良いと、何度心の中で叫んだ事か。

「おいおい泣くなよ……俺まで泣きたくなるだろ」

「お気づきでないのですか……先に泣いたのは、貴方ですよ。アシュレイ……」

 シュヴェルテは煤に汚れた彼の頬を、もう一度撫でる。
 指の腹に湿り気が伝わり、煤が双方の皮膚を汚す。

「いや、だからエディでいいって――」

 口を塞いでしまおう。もう二度と、エディとは名乗らせない。
 今、自分の目の前に居る男は間違いなくアシュレイ・ゼクスフォルトだ。
 このキスで、きっと彼は目覚めてくれる。今は毒林檎で眠りに落ちているだけなのだ。
 もう名前を棄てなくて良いのだ。

「ん……む……」

 血の味がしたところで、どうしたというのか。
 もうどこへも行かないでと、何度心の中で叫んだ事か。
 舌を何度も絡ませ、ゼクスフォルトの口内に満たされた血液を舐め取る。
 抵抗力を失った彼はそのまま後ろのベッドへと倒れ、首にかけた指輪が音を鳴らした。
 両肩をがっしりと掴みながら、緩やかに口を離す。
 参ったか。絵の具は飲み干してやった。

「思い出してくれませんか」

「……あんたのキスの味、昔の恋人に似てるよ。もうそいつは死んじまったけど」

 死んでなどいない。
 目の前で涙を流しているではないか。恋人(シュヴェルテ)は。
 もう一度、強く、強く抱き止める。何処へも行きたくない。
 ずっと一緒に居たい。煤に汚れた両手の指が痛い。

「私は生きているのに……! 今、目の前に居るのに……!」

「そうだったのか。じゃあ俺だ。エディだ。カッコイイだろ、今、ここで」

 涙がまだ、止まらない。
 どうしてこうなってしまったのだろう。
 私達が何をしたのだろう。ただ、普通の生活をし、ありふれた幸せが欲しかった。
 それだけなのに。何が私達をこうまで変えてしまったのだろう。

「シュヴェルテさん、お時間です」

 感傷に浸る間も空しく、無慈悲にも鉄の扉はノックされ、従業員の声が響く。
 最後にもう一度、今度はゼクスフォルトの額にキスをすると、シュヴェルテは立ち上がって従業員の声に応じた。

「はい……」

 シュヴェルテが部屋を後にする時も、ゼクスフォルトは壁に書かれた“こんな国など滅びてしまえ!”という言葉を、眺めていた。
 口をぽっかりと開けたまま、くまの出来た両目を虚ろに見開いていた。
 いつか気づいてくれるかな。早く、目を覚まして。もっと私を見て。
 涙に濡れた両目で視線を送ったが、届く様子は無い。


 薬品の刺激臭が鼻を突く精神病院のエントランスを後にし、駐車場へと足を踏み入れれば、車のエンジン音が出迎えていた。
 車のライトを包む夕闇がこの世界を象徴しているかのようで、彼女にはそれがひどく心細く感じられた。




最終更新:2009年04月02日 16:03
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