Can you see all?

(投稿者:Cet)
※キャラの内面描写は個人的な解釈であることをここに明記



 We've trusted that I can see all.



 うらぶれた町の外れを一人の少女が歩いていた。
 少女は手に木製のバケツを持っている。それは水で満たされていた。
 彼女の顔は朱が差していて、その息遣いは荒い。
 彼女の目指していたのは一軒の小屋だ、木もなく草もない、もはや周囲には何もない、湿った土だけが敷き詰められた霧の中に建つその木の小屋まで辿り着くと、彼女は震える手で扉を開けた。
「お待たせ、調子はどうだった?」
 少女が声をかける。
 小屋にある部屋は一つっきりで、大きなベッドがその中央を占領していた。
 少年が一人、くたびれたシーツにくるまって半身を起こしている。無言である。少女の動きをただ目で追っていた。
「ちょっと待っててね」
 少女もまた、酷くくたびれた仕草で水桶をベッドの脇にまで持ってくる。地面におろすと、自分も座り込んだ。
 長い息を吐いて、片方の手に持っていた布を水に浸す。そしてそれを絞るのだが、力が入らない。
 おかしいな、と言いながらしばらく格闘を続け、ようやく立ち上がる。
「これでどうだ」
 それを彼の目の前へと持っていく。
「はい、横になって」
 少年は言う通りにする。それを見て少女は少しだけ満足そうにすると、少年の額に絞ったばかりの布を丁寧に載せた。
 そして更に満足そうにする。
「気持ちいい?」
 少年は答えない。少女は少しだけ困ったように笑った。

 彼女は毎日彼のいる小屋へとやってきては、彼の世話に励んだ。
 それは例えば身体を拭いてやることであり、例えば彼に食事を運ぶことであった。彼は終始無言だったが、僅かな粥などの食事をゆっくりと食べた。
 そんなある日の夜、少女は彼の傍らで食事をしていて、食器を取り落とした。
 それを拾おうとうずくまったまま、動かなくなった。ゆっくりと体から力が抜け、床にへたりこんだ。浅い息を何度も繰り返していた。
 少年はそれをじっと見つめていて、少女がいつになっても起き上がれないのを見て、寝台から身を起こした。
 彼は長い時間をかけて彼女を寝台の上に寝かせた。
 そして、その隣で横になって寝た。

 翌日になった。
 彼女は依然同じ状況だった、苦しそうに熱に喘ぐ頬は火照っており、呼吸は昨日に増して荒い。
 少年は目覚めると、まず少女が持ってきてくれた水桶を手に取り、その中に浸してあった布をきつく絞って、少女の額に載せた。二十分毎にそれを取り上げ、もう一度水に浸して絞り、彼女の額へと載せる作業を繰り返す。
 その内水は生ぬるくなってしまった。少年はそれに気付くと、今度は少女の麻のブラウスを脱がせた。彼女の白い胸が上下しているのを、玉のような汗が滑り落ちる。それを先ほどまで使っていた布で拭ってやる。
 そして粗方汗を拭くと、再び彼女のブラウスの前を戻してやった。

 そう経たない内に、少女が薄らと目を開けた。
 唇が上下する、何事かを伝える為に。
 少年はそれに気付く、ベッドの傍らに座り込んでいた体を起こし、立ち上がると、彼女の顔を見やった。
 少女はいつもの笑顔ではなく、少しだけ切実そうな表情で、彼の瞳を見つめていた。
「ねぇ」
 そして囁いた。果たしてその響きは、少年の耳に届いた。
「貴方は何だって見えてるのよね」
 暫くの沈黙のあと、いや、と少年は答えた。
「貴女を信じていることだけです、私にできるのは」
 そう少年はかすれ声で言った。
「壊れちゃえ、ばーか」
「はい、よろこんで」
 少女は満足したように笑うと、瞳を閉じた。
 一つだけ、長い息をした後に、もう二度と息をしなかった。
 少年は立ち尽くしていた。

 その翌日少年は寝台の隣で息絶えていた。



 私は怖かったのだ。
 いずれ壊れてしまう者を抱きしめるのが怖かった。
 だから距離を置くことにした。

 そして、私は壊れてしまった。
 今も壊れっぱなしだ。

 恐らくはこれからも。



 草原に一人きりで、少女が佇んでいる。
シーア
 背後から叫ぶ声に、少女は顔だけで振り向いた。
「ララスン」
「訓練をサボるとはいい度胸だな、さっさと来い、それともまた教育されたいか?」
「いや」
 少女はそれでも立ち尽くしていた。
「行きたくない」
「何をダダ捏ねてるんだ、さっさと行くぞ」
「嫌だね、私は私の意志でここにいる、だからどんなにララスンが命令しても、私はここを動く気はない」
「じゃあ無理矢理にでも連れて行くからな」
 ざ、とコート姿のララスンは彼女に一歩踏み出した。
 少女は不敵に笑ってみせる。
「私はメードだぞ、そこらの人間の、しかも女性の腕力で敵うとでも?」
「ああ、まだるっこしいっ」
 ララスンが痺れを切らして突っ込んでくる、それでも少女はその場から動こうとしない。
「このバカ者!」
 フライング・クロス・アタックである。
 それはシーアの背中へと見事にヒットした。盛大に、折り重なるように倒れる。
「教育してやる!」
 そしてそのままスリーパーホールドへのコンボに移行する。呆気なく首元へと二本の腕が滑り込み、これまた見事な形が完成する。
「どうだ、参ったか」
 鬼気迫る、というのはこのことだろうか。迫真の表情でギブアップを迫った。
「全然効かない」
「これでもかぁーっ」
 更にボルテージアップした彼女のチョークスリーパーに、流石のシーアも息を詰まらせる。
「分かった、分かったよララスン」
 そして軽くタップする、ようやくそこで締め付ける力が弱まった。
「ぜぇ、ぜぇ……、降参か」
「ああ、恐れ入った。言葉通りの意味でね」
 しれっと言ってのける。
「お前のよく回る舌にダメージを与えられてないじゃないか……」
「流石のララスンにもそれは難しいだろうな」
 ゆるく巻かれた腕の中で、シーアは言った。
「私には母がいない」
 そうして切り出した。
「……唐突だな」
「というよりも母と呼べる存在が、だな。私がこうも壊れているのはきっとその所為だ。違うか?」
 短い沈黙があった。
「はぁ」
 ララスンは沈痛を湛えた顔つきで、溜息を吐いた。
 それで返答らしい返答が無いのを、シーアが咎めるように言う。
「どうした、違うのならば違うと言ってくれればいい」
「お前、バカだ。今確信した、お前は筋金入りのバカ野郎だ」
 シーアにすら予想だにしない返答であった。
「まあ、衒学的と言われるよりはましだが。……それはまたどうして」
「うるさいな、ただの生徒にここまでしてやらんぞ、例えサービスでもだ」
 確かに、生徒に向かってフライング・ボディ・アタックを仕掛ける教師というのは中々いないだろう。
 シーアは一応そのことについてだけは納得する。
「それでそこまで悪し様に言うのは」
「うるさい、お前何も分かってないな、ガキんちょと変わらん」
 まったく、と気色ばむララスン。
 シーアはよく分からない、という様子で次の言葉を待った。
「私がここまでしてやっているのに、母がいないなどと言うな」
 今度はシーアが、張り詰めた顔をして黙りこむ。
「ああ」
「今じゃ私がお前のような困った奴を『しつけ』てやってるんだ、それを棚に上げて母がいないなどと。
 どのツラ引っ提げて言ってるんだ?」
「……ああ、そうだな。
 私はバカ野郎だ」
 分かればよろしい、と。ララスンはシーアを背中から抱きしめる。
 暫くの間そのままでいて、不意にシーアが口を開いた。
「なあララスン」
「何だシーア」
 彼女は何かを躊躇うかのように、一度俯いて、それから再び顔をあげた。
 区切るように、言う。
「恋がしたいな。もう一度、恋がしたいよ」
 それから暫くして、ララスンが答えた。
「幾らだってできるさ、これからもずっと」

 ただ頷いて応える。ああ、と一言。
 その表情は、ゆっくりと、しわがれるように緩む。

 張り詰めた雫が一滴溢れた。


最終更新:2009年04月09日 23:20
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。