教会の礼拝堂。そこに、神へと祈りを捧げる女がいた。
白く、艶やかな髪が光によって銀色のように輝き、完成された美しさというものがそこにはあった。
教会には、彼女を除いて、誰一人としていない。それがまた、彼女の美しさを際立たせている。今の彼女を人々が見たなら、なんというだろうか。現世へ降りてきた聖女とでも言うだろうか。
それほどの美しさが、彼女からは、花が香りを出して蟲を誘うかのように溢れ出ていた。
彼女と、教会の静けさが一致して、一種の絵画を連想させるような空間。
そんな空間は、一つの、静かな物音によって壊される。ドアが、少し呻くような音を上げ、異物を受け入れた。
白を基調とした空間に入ってきた男は、白とは反対の、黒。黒いスーツで身を包んだ男が彼女に歩み寄ってきた。その腕には、銀色に輝く、銃。
男と女が対峙した。
「貴方が、ここに来たということは、彼は斃れたのですね」
「そうだ。 何が、あの男をああまでも突き動かしたのかは、分からなかったがな」
「そうですか。 彼は最期まで、誇りは失わずにいられましたか?」
「見事な最期だった。 彼を討ち取った私の護衛……童元も、そう言っていた」
女が、その言葉を聞いて、安堵と、同時に悲しみを表情に浮かべる。
男は、その言葉を吐いて、尊敬と、同時に困惑を表情に浮かべた。
「何故、ここから逃げなかった」
「逃げられるとは思えません。抵抗したとて、無駄でしょう」
「嘘を、つくな」
「嘘ではありません」
女の言葉は優しい。それでいて強さも失わずにいる。
男が、溜息をつく。自分を落ち着かせようとしているのか、女の意志に惑わされたのかは、はっきりとしない。
「何故だ。お前は、『G』だろう。その力を持ってさえすれば、私の部下達と童元……メール一人くらいならば突破出来たはずだ」
何故だ。男はもう一度そう問い掛ける。確かに、今回の作戦を指揮した彼からすれば、今回のことは納得いかないのだろう。
彼の部下は千人。そのうち連れてきた五十人とメール一人。それで、今回の作戦を実行した。目標は、たった二人。
だというのに、ここまで兵を動員したのには一つの理由がある。
二人とも表面上は人間に化けられるG。つまり、コアを喰らったモノ。プロトファスマ。
コアを喰らっているということは、曲がりなりにも、天敵であるメードを倒して、捕食しているということになる。
そのことを頭に入れて、男は、考え得る限りで、最も良いと思える作戦を選んだ。少数精鋭による、奇襲。
幸い、彼らの潜伏している場所は市街地からは遠い、離れと言っても過言ではない草原にある教会だ。市街地が近ければいろいろと面倒になったかもしれないが、今回はその懸念は外してもいい。
男が、おかしいと思ったのは、任務を始めた時からだった。説明からすれば、教会付近で度々殺戮がある。そう聞いていた。それにしては、血の臭いが、しなさすぎる。
この辺りで、人が行方不明になっただの、無惨な屍体として発見されたなどということも、一切無い。
何より彼に疑問を抱かせたのは、遠くから部下に監視させて判明したこと。子ども達が、プロトファスマと言われているであろう女と戯れているのが、確認できたことだ。
自分が聞いた限りの情報では、プロトファスマの連中は大概、人類に対して憎悪を抱いていると聞いていた。人類の根絶やしという目標すら掲げている連中がいるという話すらある。それが、人間の子どもと戯れている。
男は、迷った。本当にあの女が、プロトファスマなのか。あの護衛もプロトファスマなのか。
本当ならば、即刻作戦を実行するべきだった。今は、被害が出てないだけで、後々に禍根が残る事は明白。
――しかし与えられた命令が嘘だったとしたら?
まるで体中を蟲が走り回るような、嫌な予感がよぎる。その嫌な予感を振り払うように、男は、命令を決行した。
結果的に作戦は成功した。作戦はだ。男の心には深く、剣が、突き刺さっていた。
相手の護衛は、メールだった。紛れもなく、女と誇りを護る為だけに生きたメール。
一人の漢として。
誇りを。
女を。
その二つを護る為だけに、鎧を身に纏い、巨大な盾として、死してなお、立ち続けた漢だった。
彼は、プロトファスマではなかった。そして、今、男と向き合っている女も、プロトファスマという悪魔とは程遠い、聖女だった。
「私には、もうそんな力はありません」
何を馬鹿なことを。そう動こうとした男の口が、異物を放り込まれるのを防ぐように、瞬間的に閉じる。
女の身体の、心臓――エターナル・コア――から遠い腕の先など、所々が変色し、腐っている。
「それは」
「……この身体の代償でしょうか。既に死んでいたメードのコアを喰らってでも生き延びた私に対する罰でしょうか。どちらにしろ、神の導きでしょう」
女が微笑む。その笑みは酷く悲しそうで、男の心を揺さぶった。
「何故だ」
その言葉しか、男には出せなかった。
銃を構えていた腕は、もはや引き金を引こうという意志も、力もなく、うなだれている。
「私がGであること。彼はそれを知っていました」
女は問い掛けに答えない。
「それを知りながら、彼は、私を護ってくれた」
「いつ何時も離れず、私の、愚かしい我儘も聞いてくれた」
女の声は、透き通っていて、綺麗だ。そんなことを男は、漠然と考えている自分を確認し、うろたえる。
「そして、私が決めた最期まで付き添ってくれた」
「――もう、いい」
男が、はっきりと、力強く言い放つ。
「辛かったのか。苦しかったのか。貴方は」
「ええ。これで、ようやく、眠れます」
女はどこまでも、優しい微笑みを浮かべていた。
男が、悲しみと自身への怒りがない交ぜになった心を顔面に露わにする。
ゆっくりと、銃が握られた腕に、力が渡っていく。限りなく遅く、それでいて、強く。
「望みは」
「出来れば、彼と一緒に、埋めて欲しいのです。来世では、一緒になろうって、私が誓ってるんですよ」
「その約束、護ろう。そして、私の我儘も聞いて欲しい」
「今更死ににいく者にですか」
女が、困ったような顔をするが、その表情は慈愛に満ちていた。
「ああ。名前を、教えて欲しい」
「名前?」
「そうだ」
ふふっと、女が笑う。
「良い名前だ」
「ありがとうこざいます。褒められるとは、思いませんでした」
女が、無邪気な笑顔を作り、そしてゆっくりと眼を閉じた。
パン、小さな音がした。次には人形が、倒れるような音。
その音の後には、酷く背が小さく見える男が、泣いている姿しか、見えなかった。
最終更新:2009年04月27日 23:17