「……昔の話だな」
我ながら、らしくない話をしたと思った。
このような話を、懐かしみ、他人に話しをするまで自分は老いたのか。
童元は、喉までこみ上げてる苦い自嘲を押し込めるように、酒を呷った。そして、もう一つ反省しなければならないのは。
「う゛う゛ぅぅどうげぇえええん……おまえもぐろぅしているのかぁ……」
いくら昔の仲間と飲みたかったとはいえ、このメード――壱を選んだのは失敗だったろうか。
童元の話を聞いて、さっきから涙を流しながら身に合わぬ酒を飲みまくっている。
「壱、飲み過ぎだ。 ……明日には私も帰るのだからな」
「ぎにするなぁああああ……ううっ…ヒッ…」
駄目だ、これは。完全に酔っぱらっている。
どうやら今日は一晩付き合うハメになる。帰りは勿論、自分が運んでいくことになるのだろう。
「……失敗したな」
ふと、離れている自分の主の事を考える。
楼蘭での用事もあり、長期に渡り主の護衛がいなくなることを、童元は心配していた。だから、自分がいない間の護衛を三姉妹のうちの誰か、ということを頼んだ。
そして、選ばれて――正しくは自ら望んでだが――
アリッサが受けてくれる言ったのだ。
童元は些か、そのことに関して、驚いていた。頼まれて、仕方なくというわけではない。アリッサが自ら望んでマークスの護衛に立候補したことだ。
誰もが驚いていただろう。傍にいたティウルケ、カリッツァも目を見開いていたのだから。
――奇妙な縁もあったものだ。
強く、童元はそう思っていた。
あの時、マークスが、最期を看取った女性も『アリッサ』だったはずだ。そして、今、マークスの護衛についたのも『アリッサ』だ。
何かの縁があるとしか、思えないような巡り合わせではある。運命とでも言えばいいのだろうか。
「分からぬな、男と女というものは」
ふっと口から出てくる。戦場において、少なくとも自分は、恋などとは無縁の所にいた。それは、今も変わらないはずだ。
マークスとともに、生きて、そして死ぬ。それだけでも難しいというのに、女を待たせて死ぬということになれば、自分の背には、重たすぎる。
「彫像、か」
自分とて、言われているように彫像ではない。戦場や職務の最中は、出来るだけ感情を抑えるようにしているだけのこと。
木の股から生まれたわけでもなく、感情もある。無論、恋とて、だ。
「おおう、童元が男と女について悩むのかぁ?」
いつの間にか、壱が先程の酔っぱらい具合とは大きく代わり、妙に偉そうな具合に話しかけてくる。
その仕草にはどことなく、姿には見合わぬ妖艶さが、漂い始めていた。童元は避けるように身を逸らす。
「酔いすぎたか、壱」
「はぁて、なんのことやらぁ……のぅ」
いきなり飛びかかられ、さらに、身を逸らすことも出来ずに、壱が身体を絡みつかせてくる。息が、近い。熱い。
どかせようにも、腕はしっかりと押えられている。はじき飛ばそうにも、相手もメード。そんなことは出来はしない。
とにかく、身体を離すにはどうしたらいいか。そう考えている間に、身体が密着した。自分の胸板に、何かが当たる。
「お、おい、壱」
「童元がうろたえるなぞ、らしくぞぉ?」
ある意味、自分の今までの生涯の中で、一位か二位を争うほどの修羅場にいるのではないか。
このままでは、と思う。自分に、嫌な肩書きがつく。それも、表沙汰には出来ないような、嫌な肩書きだ。
それだけは避けねばならない。何より、自分の男としての誇りが、許さない。
「落ちつけ、まずは落ち着け。 好きでもない男と――」
「――良き男ではあるだろうに、のう。 私は嫌いではないぞぅ?」
顔が近くなる。はっきりと、壱の幼い姿からは見合わぬ、妖しさを持ち合わせた唇が、自分の唇に近づく。
――まずい。
もうこうなってまえばどうしようもない。これ以上の被害を避けるしかない。
意を決して、少々手荒い事をするのを、覚悟しておく。このまま進めば、最悪の結末になりかねない。
そう考え、身体に力を張り巡らせる――
――までもなかった。
ふっと、壱の顔が自分の前から消えた。煙に包まれた気分になりがらも、落ち着いて、下を見る。
壱は、いた。自分に倒れ込んでくるような格好でしがみついていた。微かに、寝息のような音も聞こえる。
全身から、力が抜ける。
「……やれやれ」
自分から壱を引き離すと、抱きかかえ、ゆっくりと用意していた布団に寝かせてやる。
幸い、この部屋は三つほど布団がある。自分が寝る場所に困ることもなかった。
寝かせた壱の顔が、こちらへと向く。こうして、ゆっくりと壱の顔を見ると、愛しさがこみ上げてくる。
恋人や、男としての欲望ではない。自分の娘に対する、父親の感情というべきものだ。
このような感情を持ったのは、初めてではなかった。自分の心にだけに秘めておくべき事だが、信濃内親王にも、この気持ちは抱いていた。
遠い、過去の話だ。
「無様だな」
呟く。遠い過去に思いを馳せるなど、なんと女々しい男か。
祖国を捨て、今は、自分の主の為だけに命を使い切る。そう決めたのではなかったのか。信義を貫くと、決めたのではないのか。
それが、祖国に帰って来るなり、これだ。
ふと、信義について考えると、あの男が頭に浮かんだ。
あの男は、最期まで、自分の信義というものを貫けたのだろうか。最期まで、女に寄り添っていたのだろうか。
あの時の勝負は、いまだに覚えていた。
勝てるかどうかは、分からなかった。勝てなければ、相打ちに持ち込む。そう決めて、挑んだ。そして、勝った。
捨て身とも言うべき一撃を、あの男に叩き込み、勝った。
だが、童元は勝ったとは思ってはいない。
あの男は、防げたはずなのだ。最後の一撃を。防いで、自分を一刀両断することは出来たはずだ。
それを、しなかった。
それどころか、笑っていたような気がする。
あの男は、何故、自分の死を笑って受け入れたのだろうか。
「……無粋だな」
自分が、そう考えることがだ。
あの男は、見事に死んだ。誇りを持ち続けた死を迎えられたのだ。
それだけを覚えておくべき事なのだ。自分のような半端者が、あの男の死をとやかく言えるような立場ではない。
誇りを捨てずに、雄々しく死んだ男がいた。
それで、十分だ。
「それで、十分ではないか」
自分に言い聞かせるように、再度、呟いた。
最終更新:2009年05月05日 20:45