(投稿者:マーク)
抱き合っていた体が離れていく感覚に目を開くと、体を起こしたアベルがこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
「うん、ヘーき…」
微笑んでみせると、彼はほっとしたように頷いて、ごろりと隣に寝転んだ。
疲れた体が不平を訴えるのに構わず、温もりを求めて寝返りを打ち、再び抱き合う。逞しい腕を指先で辿ってゆき、掌を重ねあう。
しなやかに筋肉の張った胸に耳を押し当てて、愛しい人の鼓動を聞いた。
とくん、とくん、とひどく穏やかに繰り返す心音に、つい先刻の激しい情交は夢だったのだろうか、とさえ思う。
けれど、漸く汗の引き始めた皮膚と、全身を包む気怠さ。
そして体の奥深くに微かに残る、愛しい人の埋み火。
これが自分達が体を繋いでいたという証でないなら、一体なんなのだろう。
「…どうした、ティア?」
そう尋ねた彼の声は、胸の音と同じようにどこまでも静かだった。
情事に乱れた自分の髪を、長い指が丹念に梳いてくれるのが嬉しい。うっとりと目を閉じて、規則正しく奏でられるリズムに耳を傾けた。
その体の隅々にまで血液を送るため、彼の心臓は力強く収縮している。
母親の胎内で動き始めたその瞬間から、この器官が数え切れない鼓動を繰り返してきたからこそ、今、彼はこうして自分の側に居てくれるのだ。
「最近お気に入りだな、それ」
「…うん」
「何で?」
答えぬまま少し体を起こして、無駄な肉など一切付いていない腹を眺める。
その丁度真ん中辺りを、横一文字に薄い傷痕が走っている。
それは半年前、遭遇したプロトファスマの最期の一撃から自分を庇って倒れた時のもの―――
とにかく酷い怪我だった。内臓が飛び出し、血が溢れ出す傷口、半狂乱で内臓を中に戻し、傷口をエネルギーフェザーを押し付けて止血しようとしたのを覚えている。
それなのにこの男ときたら逆に、荒い息の下から『怪我は無いか』などと自分に尋ねたのだった。
“喋っちゃ、ダメだったら!!”
“こ、たえ……ろ、。……怪我、は、し、てな……い……な……?”
“してない、してないから!お願いだから喋らないでっ!”
悲鳴のように叫ぶと、彼は緩く唇の端を上げ、『なら、いい』と呟いた。
『何が良いものか』と喚く余裕さえ無くて、アベルの手を両手で強く握り締め、ただ必死に、フェザーの出力を上げて傷口を塞ごうと躍起になった。
後方に配備していた三人の医療メードがようやく駆け付け、交替した時には、既にエネルギーが枯渇し、フェザーも消えかけていた。
それでも何かに祈りながら、固唾を呑んで彼女達の手元を見詰めていた。暫くして顔を上げた1人が『もう心配ないであります』と頷いた。
その瞬間、安堵と疲労でその場に昏倒してしまい、恋人と共に病院に担ぎ込まれる羽目になってしまった。
「よくがんばったね、あんた」
ベッドで目覚めるなり、傍にいたゴリラのようなメードにかけられた言葉がそれだった。
「あの子達の治癒、アンタの応急処置、コアの回復力。……どれが欠けても、あんたの彼氏はこの世に居なかったろうね」
最愛の人を、目の前で喪っていたかも知れない。想像だけで、体が震えてくる。絶対に、嫌だ、そんなの。
目の前で、アベルが死んでしまうなんて。しかもそれが、自分を庇ったせいでなんて。もし、もしそんなことになったら、いったい自分は今頃どうしていただろう。
「なんて顔してんだい? ほら、あんたの彼氏に元気な顔見せてやっておやり」
少し青ざめた表情をしていたティアの頭を乱暴になでながら、その人物はウホウホと笑っていた。
慌てて病室に赴くと当の本人は元気そうに、そんなに慌ててどうした、等と言うものだから思わず泣きながらひっぱたいてしまった。
何せ、確かに棺桶に足を突っ込んでいた筈の者が、わずか二日ほどで元気に立ち上がって歩き回れるまでになっていたのだから。
本来なら一生残る筈の傷跡も、注意して見なければ分からない程になってしまった。
“オレは特別だからな、お前らとは身体の出来が違う”
戦線に復帰し、身体の調子を聞かれたアベルの第一声がそれだった。
その直後調子にのるなとばかりに藍羅に灸を据えられてしまっていたが。
―――その僅かに盛り上がったラインを、そっと人差し指の先でなぞる。流石に不意を突かれたらしく、一瞬アベルの背が浮いた。
「…もう一回するか?」
「ばーか」
即答して、そっと頬を擦り寄せた。寄せては返す波が灼けた砂浜を潤すように、規則正しく繰り返すリズムがこの体に満ちていく。
生きている。
常に死と隣り合わせの自分達だけれど、確かに今はここで生きている。願わくは明日もまた、こうして彼の生命を聞くことができますように。
「…ティア?寝たのか?」
鼓動の向こうに、優しい声が聞こえる。寝てないよ、と答えようとした呟きは、眠りの波に浚われていった。
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裸のままではさすがにまだ寒かったか、ふと目が覚めた。もう夏とはいえ早朝の部屋はまだ薄暗く、肌寒い。
毛布に包まり、目を閉じようとして、身動ぎする気配に気付いた。隣を見ると、アベルがこちらへ寝返りを打ったところ。ゆっくりと瞼が上がって、その銀の瞳がティアを映す。
ぼんやりしたまま二度三度と瞬きを繰り返した彼は、ふっと笑みを浮かべた。
「……アベル?」
訝しむ声が聞こえたのか聞こえなかったのか、黙ったまま、もぞもぞと寄って来る。どうするのか、と観察していると、毛布の上から胸に顔を埋めて、そのままおとなしくなった。
どうしたの、と問うても、答えは無い。
「……甘えたいの? 」
ふと思いついて尋ねると、こくこくと首を縦に振る。“傲慢”の名を冠した、普段の彼からは想像できないその仕草に、笑みが零れる。
「よしよし」
少し荒れた銀の髪を、指で梳いてやる。胸元からはすぐに規則正しい寝息が聞こえ始め、その温かさに、ティアもそっと目を閉じた。
……もう少し、一緒に眠ろう。
最終更新:2009年07月17日 19:52