「いや全く。作った私が言うのもあれにゃんだがね、エレナよ。なんでそー、戦場より縁側で猫と緑茶って風情にゃんだい?」
エレナと呼ばれたメードは作り主である
猫柳茶子の言葉にも反応しようとしていなかった。
エレナは椅子にゆったりと腰かけて虚空を見つめている。それも部屋の隅だ。何が面白いのかは不明だ。
完全に動いていないわけでもないが、彼女は時折紅茶を口に運びつつ顔をしかめながら硬いスコーンをかじるといったことぐらいしか動きがない。
仮にもメードならもう少しそれらしい動きをしろ、と茶子は言いたかったのだろうがメードになる前から抜けている彼女にとってあまり意味のあることとは言えなかった。
完全に無視された茶子は機嫌を損ねたのか悪戯をしようとしたが簡単に振り払われたので珍しく諦める。
「あのねー。君に完全に動きがねーとさぁ、困んのよ。色々と」
その言葉にもエレナは無視を決め込む。折角のオフだから羽根を伸ばしたいのだろう。
しかし茶子は構わず続ける。彼女が僅かに浮かべた迷惑そうな表情を知っていてなおかつ、だ。
「どう困るって、あれだよ。高いところの物が取れない」
「……」
エレナは部屋の奥にある脚立を指差した。自分でとれ、ということだろう。
益々面白くない茶子はあの手この手でエレナを動かそうとするがとうとう彼女は動かずじまいだった。
「はぁ。わかったよ、あきらめりゃいーんだろ? あれだね、その動きのなさ。何か入っ――」
彼女は本を投げつけて茶子を追い出した。
静寂はようやく彼女の手に。エレナは小さく息を漏らして紅茶を口に運ぶ。
目線は本棚をいったりきたりしているが腕を伸ばして本をとることはない。
彼女自身何をしようか決めていないのだ。なんとなく続く脱力感からか何もする気がおきないらしい。
「ほ、本は投げるもんじゃないぜ……くぅ」
茶子の苦悶の声をエレナはさも当然のように無視した。
紅茶を飲み干した彼女はスコーンをそのままにもう一回本で茶子の後頭部を軽く叩き部屋から出る
向かう先はさりとて決まっていなかったがもう少し静かな場所か、もう少しいい場所に行こうと
蛍光灯の人工的な灯りを見つめながらエレナは考えた。はて、ここにそんな場所があったかなぁと
一巡をめぐらせていくと、程なくして答えが出る。無口仲間である
デウスの下へ行こうと思ったのだ。
デウスがエレナのことをどう思っているかは定かでないがエレナは嫌いではなかった。とはいえ
女の子にしては大きめといえるエレナがさらに大きいデウスに見下されるのに多少萎縮してしまう
節があったようだが最近では慣れたものであくまで自然に振舞っている。
さて、行き先が決まった彼女は善は急げといわんばかりにデウスの下へと歩く。
普段はとろくさい彼女だがこのときばかりは多少の早歩きで向かっていった。
部屋の前に立ち、一回大きく呼吸して身だしなみを整える。部屋からかすかに歌声が聞こえるのを
確認して彼女はドアを叩いた。声が止み、ドアが開かれデウスが彼女を迎えだした。
「どうしたの?」
「……先生がうるさい。逃げてきた」
「そう……」
短い返事でデウスは答える。元来、無口な彼女にとってそれ以上言うことはなかった。
さらにエレナも饒舌ではなく、沈黙を愛する人である。この二人が合流したところで
話に花が咲くわけも無かった。しばらくの沈黙が、二人に訪れた。
その沈黙を最初に打ち破ったのは、意外にもエレナの方からだった。
彼女は部屋の隅においてあったレコードを見つめながらある曲の名前を口にした。
「小フーガ……ト短調」
「え……?」
「そこにあるの……違う?」
「いえ……」
「聞かせて?」
「好きなの?」
「……」
そうデウスの問いに対し、エレナは沈黙で答えた。デウスがレコードを操作すると、程なくして曲が
緩やかに流れ始める。オルガンの冷涼感のあるその曲が部屋に満ちていく。
どこか荘厳で美しい音色が二人を包む。二人は、あくまでも無言でそれに聞き入っていた。
何故エレナがこの曲が好きなのかはわからないが、デウスとて別段嫌いというわけでもないだろう。
二人はしばらくの間無言だった。沈黙を好む者同士、どこか通ずるところがあったらしい。
曲が終り、新たなレコードがセットされる。しばらくして、また終り。また違うものをかける。
そんな繰り返しが延々と、デウスの部屋で行なわれた。その間、二人は一回も口を開かなかった。
デウスは趣味の編み物を、エレナは天井の隅の方を見つめていた。数時間は同じ体制だっただろう。
二人のちょっとした休日は僅かな雑音と、様々な楽器の音により過ぎていった……。