M.A.I.D.ORIGIN's 一話

彼女は、MAIDである。

彼女は、人の形をした何かである。

彼女は、矛盾した存在《パラドックス》である。



『M.A.I.D.ORIGIN's』



「上空警戒中の、帝都防空隊第三小隊、ウィングマンより入電ですわ。ガーデン地区で発生した殺傷事件の包囲網は完成しつつあり。現在、公安SSと武装SSが共同で立ち入り禁止区域周辺を警備中。繰り返します。ガーデン地区で発生した―――」
 神々しい月が夜空に照らされる中、通信用バックパックを背中に背負った一機の空戦MAIDが空を泳いでいた。
 そのMAID……帝都防空飛行隊に所属するジョーヌは、自分の背中に生えている黄色に光った回転式の翼を形成していた。ジョーヌのような放出系の翼は珍しく、帝都防空飛行隊では一際、浮いた存在となっている。無論、彼女自身の性格も含めて。
 ジョーヌは、黒で統一された軍服の上に、同色のフライトジャケットを着込んでいる。背中には、無線が収納されたランドセルを背負い、頭には背中の無線機に直列しているヘッドセットを装着していた。
「こちら、司令部。現状を把握した。ウィングマンは引き続き、上空を警戒してくれ」
「了解ですわ」
 3キロメートル離れた司令部の通信員に、ジョーヌは返事を返した。彼女はたまたま帝都で待機中だったことと、空戦MAIDがジョーヌしか居なかったことから、偵察任務を課せられた。そんなジョーヌの右手には、空挺用のMG42が握られている・
「……ん?」
 ジョーヌはガーデン地区へ向かう車のを察知したのか、その方向に向けて目を細める。一般市民かどうかを確認するため、彼女の背中に生えた回転翼は轟音を轟かせた。
「何か裏がありそうですわ……」
 冷ややかな瞳で帝国を見下ろしながら、高度を一気に下げていくジョーヌの言葉は突風の音で掻き消され、聞く者は居なかった。



第一話『暴走と証明』



 周囲は騒然としており、地域一帯の治安維持を命じられた公安SSの隊員たちが、あちらこちらへと疾走している。そんな中を、我が物顔のように二人の人間が歩いていた。先頭を切って歩いている一人は、赤と黒のロングコートを羽織った、金髪の女性。その後ろを、一定の距離を保ったまま歩く、長髪の女性。どちらも軍人と思わしき風貌を持っており、特に長髪の女性はこの場の人間の服装とは思えない格好をしていた。黒と基調としたMAID服を着ており、その上に甲冑を重ね着していた。一目見ただけでエントリヒ人だと分かる彼女が歩くたびに、腰にまで届く黒の長髪が揺れ動き、風によって靡いた。
 一方、金髪の女性は肩に届く金髪を揺らせながら、じっと前へ向いていた。彼女の髪色は金髪でありながら、れっきとした楼蘭皇国生まれの人間だった。だが、凛とした瞳と顔立ちが彼女のアンバランスな風貌を払拭している。
「状況は?」
 ランドセル型の無線機を背負った通信員と、彼に向かって指示を送る隊員を見つけた金髪の楼蘭人は声を掛けた。甲冑を着た黒髪の女性は、腰にまで届く黒の長髪の毛先を揺らしながら、直立不動で事の成り行きを見守っている。
「アサガワ教官ですね。話は聞いています」
 通信員に指示を送っていた隊員……階級章が『中尉』である男性は金髪の女性に一礼し、口を開いた。
「こちらへどうぞ」
 金髪の女性をアサガワ教官、と呼んだ男性は、立ち入り禁止区域に指定された商店街の内側へ案内する。アサガワは無言のまま男性へ着いて行くと、MAID服を着た女性が後をつけた。。
「2時間前です。ガーデン地区の高級ホテルからでした。部屋番号566にて、退役した空戦MAIDが上級貴族、モライ氏に暴行した。騒ぎを聞きつけたルームサービスと数名の従業員が止めに入ったが、案の定、巻き添えを。2人軽症の1人が軽い脳震盪を起こしました。一方、モライ氏は眼球が一つ抉り取られ、両腕は複雑骨折、内臓のいくつかは破壊、更には―――」
「もういい、レイス・ヴォルグ。貴官は『重症』、と言いたい訳だな」
 アサガワは冷ややかな声で、付き添いの男性……公安SS所属のレイス・ヴォルグ中尉の名前を呼んだ。レイスは片手で後頭部を擦りながら、頭をぺこぺこ下げ始めた。
 そして、レイスの話で出てきたMAIDという単語に、アサガワは目を細めた。超人的な能力を持った女性たちの名称、MAID。アサガワの役職も、そんなMAIDを教導する教官だった。今日におけるG戦線が膠着しているのは、彼女たちの功績にままならない。一方でGという脅威に立ち向かえるほどの力を持ったMAIDを、よしとしない者あるいは恐怖を抱いている者も少なくはなかった。
「すまみせん。アサガワ教官」
 公安SSの軍服に身を包んだレイスは謝罪をするが、アサガワは少し眉をひそませた。
「もういい、喋るな」
 と一蹴すると、無言のまま早歩きでホテルに繋がる一本道を歩いていた。この日は『皆勤記念日』と呼ばれ、帝国全体の4割の市民が職を休み、楽しい休日を過ごす日となっていた。
 特に【ガーデン】と呼ばれる帝国の商業区は、この日一番の賑やかさを持っている。
 だが、アサガワたちとレイスが歩いているガーデンは、軍服を着た公安SSと物騒な銃器を持った武装SSしか映らなかった。楽しそうな喧騒は一切合切聞こえない。
「現在、ガーデン地区一帯は封鎖処分しています。後、帝国中心部内で活動している第一世代から第二世代のMAIDを一時的に隔離及び帝国技術開発部に再検査してもらっています」
「空は帝都防空飛行隊が警戒警備中か」
 アサガワはメガネ越しの夜空を見上げると、星が燦々と煌く空の中を『何か』が一定のルートを行ったり来たりしている。彼女は、その『何か』を空戦MAIDと断定し、再び視線を地面へと向けた。
「しかし、アサガワ教官。あのMAIDを制圧に向かわせるのは……」
 レイスは相変わらずの敬語口調でアサガワに話しかけた。アサガワは、レイスの方へ顔を向ける。あるいは、この騒然とした場を作り上げた人物がMAIDであったことを、レイスは恐怖として捉えているのか。後ろで歩くMAIDに対して、あまり良い感情を持っているとは思えないほどの口調だった。
「彼女はこの事態を鎮圧する為に、派遣された。私の推薦によってな。話せるのは、これぐらいだ」
「ははぁ……了解しました。にしても、教官はこの事件をどう思います?今まで、MAIDが殺害ないし暴行を引き起こした事件など……」
 いかにも腑に落ちない、といった感じでレイスは返事を返すと、またアサガワに質問を投げかける。アサガワが知る限りでは、MAIDが暴走を引き起こして周囲に損害を与えたことは、いくらでも知っている。しかし、今回のケースは異質だった。自らの使命を全うし、退役したMAIDの暴走。今までの事例は、戦場における極限的なストレスから暴走が通例だった。
「さぁな、私にも分からん。ともかく、被害現場を見ない限りはな」
 アサガワの視線の先は、犯行現場となったホテルに向けられていた。その手前で、武装SSの隊員が小隊規模で展開していた。
「MAIDは丸腰です。しかし、我々では歯が立ちません」
 頭に包帯を巻きつけた武装SSの1人が、狩猟用散弾銃を見せ付けながら、状況を説明していた。被害現場であるホテル前の噴水上で、アサガワは突入した隊員たちの話を聞いている。野外ミーティングということで、石で作られた階段や広場のベンチなどに各々好きなように座っていた。
 ベンチに座っているアサガワのすぐ傍に、黒髪のMAIDが彼女を護衛するかのように立っていた。
「MAIDは現在、ホテルに立て篭もっている。何度か突入をしてみたが、結果は惨敗です」
 この場の指揮官である武装SS中尉が、考えている素振りを見せているアサガワに話しかける。他の隊員は皆、意気消沈とした面で視線を地面に落とし、ため息をついていた。
 そんな彼らを見て、アサガワは気分を害していた。たった一人のMAID相手に、完膚なきまで叩きつけられた『教え子』の姿が不愉快だったからだ。
「中尉、制圧対象のMAIDの名前は?」
 アサガワは対象の名前を中尉に尋ねた。中尉は、少し嫌な表情でアサガワを見た。中尉にとってみれば、人間を殺したMAIDに、名前は無いのも当然だったからだ。
「ルナ、という名前です」
「……私の部下が、目標の制圧を行なう。中尉、貴官の部隊で援護してもらいたい」
 アサガワは、時分が座っているベンチの前で隊員の点呼を取っていた中尉に話しかけた。中尉は駆け足で彼女の目の前に来ると、一礼する。
「了解です。部隊の配置はどうしますか?」
 中尉の問いに、アサガワは返答するかのようにゆっくりと立ち上がった。
「簡単だ。腕の立つ隊員を選抜し、彼女の援護に向かわせて欲しい」
 アサガワは、自分の傍で直立不動のMAIDを指差した。中尉は少し怪訝な顔でMAIDを一瞥する。
「だが、貴官の部隊は目標との交戦は絶対に避けろ。奴は度重なる嫌がらせで、いきり立っている。目標を発見次第、発煙筒を投下し後方射撃に徹しろ。いいな?」
 中尉は命令を聞くと、すぐに隊員の点呼に取り掛かった。
「うまくやれそうか、パラドックス」
 隣で立っているMAIDに向かって、アサガワはそう言った。パラドックス、そう呼ばれたMAIDは無表情のまま、こくりと頷くだけだった。黒髪の、腰まで届く長い髪の毛は、冷たい風が吹くのと同時に舞い上がった。
「はい。何も問題はございません」
 パラドックスの生気の無い瞳の先は、何処に向けられているか分からない。綺麗に整った顔に不釣合いな瞳と表情は、無機質を連想させる。
「そうか。ならそれでいい」
 アサガワは素っ気無くそう言うと、羽織っていたロングコートのポケットから煙草を取り出した。



 武装SSから選抜された隊員三名とパラドックスは、今まさにホテルへ突入しようとしていた。ホテルの電源は落とされており、内部は漆黒の闇に染まっている。
 武装SS隊員は得物を構えながら、ドアの前に立っていた。一方、パラドックスは武装SS隊員の後方で、ドラムマガジン式のMG42を持っていた。もちろん、武装SSの面々から借りたものだった。
「あんたは自分の仲間であるMAIDを殺して、何とも思わないのか?」
 パラドックスの前で立っている隊員が、声を潜めながら呟いた。明らかに敵意のある言葉に、彼女はため息をつく。
「帝国が名誉ある戦争を行っていたころ、貴方たちは争いを繰り広げていた。銃剣で敵兵の喉仏を突き刺し、砲弾で敵兵の身体を四散し、命乞いする敵兵の頭部を、銃で吹き飛ばした。それが、私たちにチェンジしただけのことです。Gの胎に手で突き刺して臓物を引きずり出し、対戦車ライフルで吹き飛ばし、刃を突き刺し、殺す。たったそれだけのことです。例え同属でも、この帝国に歯向かう者であれば、容赦はしない」
 パラドックスはそこまで言うと、一息ついた。隊員は眉をひそめ、パラドックスをMAIDではなく、一種の怪物のような目で見ていた。
 奇異な目で見られたパラドックスは、胸の奥底から込み上げる感情を抑えるために、MG42のグリップを強く握った。。
「各員、作戦を開始する。準備はいいか?」
 二人のやり取りに堪りかけた武装SSの隊員が、少し怒った口調で作戦の開始を報告した。パラドックスに突っかかった隊員は舌打ちと同時に、コッキングを済ませたMP40を前へ突き出すように構える。
 一方、パラドックスはMG42のコッキングレバーをスライドさせ、初弾を装填させた。乾いた金属が重なり合う音が、真夜中に響く。
「ボルスは一階のメインホールを。俺は二階に続く階段。ヴァイスは一階の客室通路だ。……あんたは、好きにしてくれ」
 一列に並んだ三人の隊員の内、二段目の班長が隊員に指示を送る。しかしパラドックスの扱いはぞんざいだった。だが、パラドックスは黙って頷くしかできない。
 MAIDは、人間の言うことを素直に聞けなければならないのだから。
「よし、いくぞ!」
 先頭に立っている、ショットガンを握った隊員……ボルトは目の前のドアを思いっきり蹴り上げた。勢いよくドアは開くと、武装SSの隊員たちは一斉にホテルへ突入する。
 後から遅れるようにして、パラドックスはホテルに入った。
「ボルド、メインホールは無事だ」
「フォルド、二階の階段に異常なしだ」
 二人の隊員は状況を報告するが、一階の客室に向かったヴァイスからの報告が聞こえなかった。小型無線機の量産化に成功していない今、お互いの報告は肉声のみに限られている。
 さらにホテル全体の電気が落とされおり、肉眼では薄っすらと人の姿が認識できるほどの暗さだった。
「ヴァイス、応答しろ。一階、客室通路の安全は確保できたか?」
 先ほど、パラドックスに突っかかってきた男の名前を、班長であるフォルドは少し大きめの音量で呼んだ。
 しかし、深淵の入り口のように暗闇だけが支配する一階の客室通路には、ヴァイスの返事は聞こえない。
 残された二人の隊員は、客室通路へショットガンやSTG44の銃口を向けた。
 が、パラドックスはそれよりも早く、二人の前に立った。しかし、身体の向きは客室通路に向けられている。
「おい、射線に入るな――」
 ボルドはいきなり前へ出てきたパラドックスを注意した瞬間、彼女はMG42の銃身に装着されたグリップを握り締めると、トリガーを引いた。
 リノリウムを裂くようなMG42の銃声が鳴り響き、マズルフラッシュと火線によって、暗闇をオレンジ色に照らした。
 毎分1900発という馬鹿げた発射速度を誇るMG42は、ドラムマシンガンに内蔵されていた弾丸を一瞬のうちに撃ち尽くす。
 後ろで銃を構えていたボルスとフォルドは、完全に腰が引けていた。パラドックスは無言のまま、空になったドラムマシンガンを取り外し、弾薬がたんまりと入ったそれに取り替えた。
 コッキングレバーを力強く引き、初弾を装填した瞬間、客室通路から何かが飛来した。その速度は、人間であるフォルドからしてみれば、銃弾の様に早かった。
 パラドックスは飛来した、ソレに向かってMG42の銃身を突き出した。直後、飛来してきたソレは銃身に深く突き刺さった。
 周囲に血が飛び散るのと同時に、フォルドはMG42に突き刺さったソレが、ヴァイスの死体ということに気がついた。武装SSの象徴たる黒色の軍服には血がべっとりと付着しており、ヴァイスの顔には無数の切り傷が生々しく刻まれていた。
「くそったれ、お前……よくもヴァイスを!!」
「落ち着け、ボルド!」
 無残なヴァイスの死体を見たボルドは怒り狂った表情で、ショットガンの銃口をパラドックスの背中に向けた。しかし、フォルドはこのMAIDのおかげで、自分がヴァイスの二の舞にならなかったことを理解していた。
 先ほどの銃撃は仕方ないとはいえ、MG42に突き刺さったヴァイスの死体にボルドは頭が錯乱している。
 フォルドはこの状況を打破できるのは、眼前で仁王立ちするMAIDにしかできなかった。
「落ち着いていられるか!あのMAIDのせいで、ヴァイスは死にやがった!」
ボルドがそこまで言った途端、ヴァイスの死体が飛来した客室通路から、不気味な笑い声が聞こえた。それは女性の笑い声で、段々とこちらへ近づいているのか、徐々に大きくなっていく。
 ボルドは、場違いな笑い声に恐怖したのか、黙ってしまう。一方、フォルドは腰に携帯していた発煙筒を取り出し、安全ピンを引っこ抜いた。
「俺たちは後方射撃に徹する!後は任せたぞ!!」
 フォルドはそう言うと、野戦教範で習った、正しい発煙筒の投擲を行なう。パラドックスの頭上を飛び越え、客室通路の手前で発煙筒は灰色の煙を排出した。
「ボルド、状況を考えろ!」
 MP40の射線がパラドックスと被らないように、横へとずれたフォルドはボルドを叱咤する。 先ほどの笑い声とで頭の血の気が引いたボルドは、すぐさま移動しショットガンを構えた。視線の先は、パラドックスが射撃を加えた通路に向けられている。
「気をつけてください。来ます」
 パラドックスがそう言った瞬間、発煙筒から排出される煙を切り裂くようにして、人影が突進してきた。暗闇の中、突進してきたソレの姿形フォルドとボルドは臆することなく、トリガーを引く。
 MP40から弾丸が連続発射され、ショットガンからは貫通能力を高めたスラグ弾が発射される。
 人影……否、血で汚れたエプロンを着込んだMAIDは煙幕を身に纏いながら、突進した。彼女の全身に銃弾が貫通した後が残っており、その穴からは血が水のように溢れ出ていた。
 パラドックスは、そのMAIDが殺害対象である『ルナ』だと確信した。ルナは臆することなく、ショットガンやMP40の銃弾を全身で受け止める。
 彼女の顔には血が付着しており、表情は薄ら笑いを浮かべていた。
「タスケテヨ」
 抑制のない声で、ルナが言った瞬間、パラドックスは死体が刺さったMG42を盾代わりにした。直後、血まみれのMAIDの体当たりがパラドックスに襲い掛かる。
「タスケテ、タスケテ」
 目と鼻と先、とはこういう事か、とパラドックスは思った。自分と、死体とMG42を隔てた先にルナが笑いながら助けを求めていた。青い髪の毛がさらさらと動き、目と鼻からは絶え間なく血が流れる。
 MG42を押さえつけるようにして、ルナはパラドックスに体重を加えていた。どうするべきか、とパラドックスが考えた瞬間だった。
 パラドックスの左側で、ショットガンによる援護射撃を行なっていたボルドが、ルナに接近する。
「やめなさい!」
 パラドックスが叫ぶ前に、ボルドはルナの傍に向かうとショットガンの銃口を、彼女の頭に向けた。
「狂った兵器め!」
 血走った両目を大きく開きながら、ボルドはそう叫んだ。撃たれる瞬間、ルナは一瞬、パラドックスに加えていた力を緩めた。パラドックスはソレを阻止しようとしたとき、ルナはボルドの顔に向かって回し蹴りをした。
 空を切り裂く軍刀のような軌跡が、ボルドの首を横切った。一瞬の沈黙の後、ボルドの頭が勢いよく宙へ舞った。
 頭が無くなった首の切断面から血が噴水のように飛び出し、パラドックスとルナを朱に染めた。
「ボルド!!」
 フォルドは叫ぶ。あっけなく死んでしまった、隊員の名前を。パラドックスは舌打ちと同時に、がら空きとなったルナの腹部に膝蹴りを繰り出した。
 手加減なしの、本気の膝蹴りの威力にルナはその場で倒れこむ。チェックメイト。パラドックスは確信した。
「武装SSの隊員二名を殺害、ですか。帝国に反逆した罪は重いですよ」
 MG42の銃身に突き刺さったヴァイスの死体を、パラドックスは丁寧に引き剥がした。そして、銃身部分が朱に染まったMG42の銃口をルナへ突き出す。
 一方、ルナはその場でもがき苦しんでいた。
 やがてルナは呻き声を上げるのをやめると顔を上げて、パラドックスを見た。
「ワタシは、狂った兵器じゃない。ワタシは、MAIDという人間よ」
 血の涙を流すルナの懇願に似た狂言にパラドックスはMG42を手から落としそうになった。ルナの一言が、パラドックスの心にナイフのごとく突き刺さる。
 兵器?
 人間?
 MAID?
 私?
 それら全てがパラドックスの頭の中で回転する。そして、言葉の重圧に耐え切れずにパラドックスはMG42を床に落とした。木と金属がぶつかり合う音が、耳に届いた。
「パラドックス!!」
玄関から、アサガワの怒号が耳に入った。パラドックスは声の主が居るところへ顔を向けると、ショットガンを手に持ったアサガワが走っていた。
 彼女の背後には、武装SSの隊員が銃器をルナに構えていた。パラドックスはルナの方へ顔を向けると、彼女は右手に鋭利なナイフを握っていた。
 MAID専用の護身用バトルナイフ。
 それは、パラドックスを十分に切り刻めるぐらいの殺傷力を持っている。気を取り戻したパラドックスが、右手のMG42のトリガーを引こうとした。
 しかし、MG42はすぐ手前の床に落ちていた。
「人間は、ワタシたちを道具としか見ていない」
 ルナがそう言うと、バトルナイフの切っ先がパラドックスの腹部へ達しようとした。だが、ショットガンの銃声が鳴り響くと、ルナの顔面にスラグ弾が命中した。
 アサガワからの、的確な一撃だった。バトルナイフの切っ先どころか、ルナ自身がスラグ弾の衝撃で吹っ飛んだ。メインホールの、花壇に置かれた机にルナは倒れこむように体当たりをした。
 完全に床へ倒れたルナに、アサガワは間髪入れずにショットガンを連射した。
 レバーアクション式のショットガンのため、アサガワはレバー部分を支点にし、器用にショットガンを一回転させた。
 一連の動作によって、ショットガンの薬室から薬莢を排除させ、次弾を装填させる。
「パラドックス!MG42を持て!!」
 パラドックスの目の前まで来たアサガワは、怒号を浴びせた。しかし、パラドックスは呆然と立ち尽くしたままだった。
「命令だ、パラドックス!!」
 しかし、パラドックスはアサガワの命令に対して、棒立ちという仕草しかできなかった。
「私の命令が聞けないのか!!」
アサガワはパラドックスに怒鳴ると床に置かれたMG42を左足に引っ掛け、蹴り上げた。
 宙に浮かび上がった鉄の鈍器をアサガワは片手で捕まえる。コッキングレバーが引かれていることを確認すると、片手で持ったままMG42のトリガーを引いた。
 約10キロ以上するMG42を片手で、しかも射撃するアサガワは顔色一つ変えなかった。しかし、表情は険しく、猛獣のように見えた。
 10メートルも離れていないルナに、アサガワのMG42は容赦なく銃弾を叩き込む。ルナは銃弾が命中するたびに、痙攣のように身体を震わせた。
 パラドックスはそれを、ただ見ることしかできなかった。



「で、事件の方はどうなった?」
 恰幅のいい、顎鬚を生やした中年の男性は話を切り出した。ソファに座った中年の男性は、公安SSの上級階級を象徴する灰色の軍服を着ている。胸元には様々な勲章がぶら下がっていた。
 男性の前にはテーブルが置かれており、その間を挟んで、特務SSの軍服を着た若い男がソファに腰を下ろしている。
「主犯である、元空戦MAIDのルナは死亡。武装SS二名が殉職しました」
 武装SS少佐であるクリスチーノはそう言うと、公安SS所属のモレイス中佐は不機嫌そうに鼻を鳴らした。MAID暴走事件が一週間がたった今、帝都中枢は不穏な空気で一杯だった。
 元空戦MAIDであるルナによる、殺傷事件。ルナ自身は帝都防空隊が設立する前に空戦MAIDとして活動していたが、戦闘疲弊症と翼の消失により名誉除隊。その後、主人と一緒に平和な余生を過ごしていたはずだった。
 しかし、今回の事件が発生した。主人の男性は死なずに済んだものの、今後の生活が困難になるぐらいの障害を患ってしまう。
 帝都中枢のみならず、エントリヒ帝国に属する全てのMAIDに点検の義務が発せられていた。それほどまでに、帝都中枢で起こった事件の中で最悪の部類に入っていた。
 顎鬚が立派な割には、頭髪が薄くなっているモレイスを見ているアサガワは、会議室の窓際で立っている。外を見てみると、茶色のグラウンドには誰も居なかった。
「事件の詳細を知りたい。あと、君たちは今回の件について、何か言いたいことでもあるんじゃないか?」
モレイスの問いに、クリスチーノはソファに寝込んでいた封筒を手に持った。それを開けると、中から数枚の書類を取り出し、テーブルの上に置いた。
 アサガワは、坊主頭のクリスチーノを横目で見た。若くして武装SSの少佐に上り詰めた実力主義者であり、モレイス中佐のお気に入り。
 元は公安SS所属だったが、モレイス中佐の推薦によって武装SSへ。今ではエリート仕官であり、公安SSと武装SSの橋渡し的な存在だった。
 一方、モレイス中佐は公安SSの国内犯罪を取り締まるポストで手腕を発揮し、『青鬼のモレイス』という異名で恐れられていた。
 現在は公安SS中佐として、今もなお国内で燻る犯罪活動を摘発している。
 そんな二人が、戦技教導学校《マイスターシャーレ》の会議室で話し合いをしていた。アサガワがこの場にいる理由は、ライサ、ヴォルゲンの両名が不在ことで、アサガワが二人の代理だった。
「事件については『コア喰い』の可能性もありえます。現在、事件現場周辺を立ち入り封鎖処分。帝都のMAIDにも、臨時の点検を行なっている最中です」
 テーブルに置かれた書類の一枚を手に取ったモレイスは、それをざっと目で通すと鼻を鳴らす。
「我々については、隊員の指導力不足、という姿勢を取っています。ただ、一部の隊員は不平不満を上層部に申し出ていますが」
 クリスチーノはそう言うと、会議室の隅っこで突っ立っているアサガワを横目でちらりと見た。
 アサガワは視線を感じたが、気にせずに窓際の方へ歩いて行く。
「うむ。で、だ。アサガワくん、制圧に向かったMAIDについて教えてくれんか」
 モレイスは顔を後ろへ振り向けると、窓際で立っていたアサガワに話しかけた。アサガワは軽い咳払いと同時に両手を後ろへ下げ、姿勢を正した。
「パラドックス、です。同年1月に第三研究所で生誕。7月にマイスターシャーレを卒業後、特務SSに配属されました」
 アサガワはそこまで言うと、モレイスは癖なのか鼻を鳴らした。クリスチーノは怪訝な表情で、アサガワを見ていた。
「担当教官については?」
 クリスチーノの質問に、アサガワは怪訝な表情で彼を見た。
「パラドックスは瘴炉を搭載したMAIDのため、担当教官は付けていません。しかし、私が担当教官代行として、彼女の指導を行なっています」
 一通り言い終えたアサガワはクリスチーノの顔色を伺うと、彼は少し眉間に皺を寄せていた。アサガワの予想が正しければ、クリスチーノは武装SSの面子としてパラドックスの担当教官に今回の不祥事の責任を問おうとしていた。
 しかし相手がマイスターシャーレの教官で、数々の皇室親衛隊員を送り出したアサガワだ。担当教官代行という身分の彼女にパラドックスの責任を負わすのは、各方面からのひなんを浴びることになる。
 だから、クリスチーノはこの怒りを我慢していた、とアサガワは思った。
「しかし、なぜそのパラドックスを現場に向かわせたのだ」
 一連のやり取りの真意を知ったモレイスは、少し不機嫌な口調でアサガワに質問した。
「それにつきましては、この書類をお読みください」
 アサガワは少しだけ声を潜めると、マイスターシャーレの教官服の胸ポケットから小さく折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
 それを手に持ったまま、モレイスとクリスチーノの間を挟んでいるテーブルへ足を運び、散乱した書類の上に置いた。
 モレイスはアサガワが取り出した書類に目を通すと、少しだけ目を大きく開かせ、驚いたことを素直に表現している。
「クリスチーノくん、見たまえ」
 モレイスはそう言うと、先程まで自分が見えていた書類をテーブルの上に置き直し、クリスチーノの方へ差し出す。彼は恐縮ながら、といった仕草で書類を手に取り、読んだ。
「事件発生現場に『瘴気』の確認、か。アサガワ教官、詳しく説明していただきたいのだが」
「了解です。先ほど、モレイス中佐が私目に質問をしました様に、パラドックスを今回の事件に向かわせたのに理由があります」
 一呼吸入れて、アサガワはクリスチーノが納得する答えを口に出した。。
「今回の事件、帝都中枢におけるMAID暴走事件は極めて異例です。そのため、瘴気の可能性を危惧した私は協議の結果、パラドックスを同伴させました。彼女なら、瘴気に対して耐性があります」
「なるほどな。しかし、MAIDの暴走事件が瘴気と関係あるのは、些か早急すぎないか?」
「それにつきましては、事件発生現場周辺で警備にあたっていた、帝都防空隊第三小隊、ウィングマン ジョーヌが報告しています。彼女は高度を下げる際に、Gが発散させる瘴気の匂いを感じ取り、司令部に報告しました」
 モレイスはアサガワの考えに難色を示した。しかし、アサガワは凛とした態度と口調で、答える。モレイスは静かに首を縦に何回も動かした。
「以上の結果、今回のMAID暴走事件は瘴気を利用した、意図的な犯行によるものだと考えております。瘴気による暴走は、コア喰いのように大規模な破壊衝動を引き起こしません」
 モレイスは、「確かにそのとおりだ」と言いながら頷く。
「また、これは私の独断ではないのですが」
 一言断ったアサガワはそう言うと、モレイスとクリスチーノは彼女の方へ視線を送る。
「ヴォルゲン中将、ライサ少将の命によって、第三研究所が事件発生現場における瘴気の調査を行なう予定です」
 ライサやヴォルゲンの命、というのはアサガワの嘘だった。二人は多忙の故、忙しく、この件に関して首を突っ込みたいのは山々だったが、手が放せない。そのため、ライサのお気に入りであるアサガワに事件の担当責任者として、常識の範囲内での命令権限を持っていた。第三研究所の調査も、アサガワが命令したものだ。
「なるほど、了解した。だが、第三研究所が率先してやるべき調査ではないことは確かだ。情報の正確性を明白にする為に、私の公安SSの方から調査機関を差し出そう。合同調査にすれば、一刻も早く原因究明に繋がろうに」
 なるほどな、とアサガワは心の中で思った。第三研究所の名前を出せば、そうなるだろうと彼女は納得する。
 パラドックスの生みの親である第三研究所は、帝都中枢から離れた山奥にあった。元は帝都中枢に研究所を置いていたが、違法実験の数々によって公安SSのお咎めを食らった苦い経験がある。
 無論、パラドックスも違法実験の賜物だった。
 そのため、公安SSを筆頭にした第三研究所の風当たりは強い。違法実験のことに関しては、アサガワも承知している。しかし、仕方が無いといえば、それで終わってしまう。
「瘴気については後日、連絡するとヴォルゲン中将とライサ少将に伝えてくれ。それと、担当教官代行の命に背いたパラドックスについてだが」
 モレイスはそこまで言うと、重い腰を上げた。それに釣られてクリスチーノも立ち上がる。
「パラドックスにつきましては、マイスターシャーレの方で査問委員会を。それでよろしいですか」
「うむ。クリスチーノくんを含む武装SSの面子のためにも、よろしく頼む。さて、今日はこの辺でお暇させてもらうよ。ああ、出迎えはいい」
 前へ一歩出たアサガワに、モレイスは静止させる。クリスチーノは先にドアの方に出向き、モレイスが来るのを待って行った。
 やがて会議室に取り残されたアサガワは、窓の外側に映る風景を見ていた。季節は秋に入っており、肌寒い雰囲気を象徴するかのように、空は灰色の雲で覆われている。
「パラドックス、か」
 アサガワは少しため息をつくと、久しぶりに疲れというものを感じた。





*関連人物
-[[アサガワ・シュトロハイヒ]]
--[[パラドックス]]
-[[ホラーツ・フォン・ヴォルケン]]
-[[ライサ・バルバラ・ベルンハルト]]
-[[ジョーヌ]]
-ルナ
-武装SSチーム
--モレイス中佐
--クリスチーノ少佐
--中尉
--ボルド
--ヴァイス
--フォルド
-レイス・ヴォルグ中尉
最終更新:2009年11月21日 16:40
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