薄暗い会議室の真ん中に、特務部隊の制服を着たパラドックスが立っていた。数メートル離れたところに、マイスターシャーレの教官たちが椅子に腰を下ろしている。
彼らの目の前には、テーブルが置かれており、その上には書類が散乱していた。重々しい空気が流れる中、パラドックスは無表情で前を見ている。
「以上の問答の結果、パラドックスの処罰について、報告します」
席を立ったアサガワはそう言うと、手に持った一枚の紙に目を通した。他の教官たちは、アサガワを見るものも居れば、パラドックスの方に凝視する者も居る。
昼時の、マイスターシャーレ会議室でパラドックスの査問委員会が行なわれていた。
「担当教官代行の命に反し、戦闘行動を怠ったパラドックスは特務部隊の招集が無い限り、マイスターシャーレへ異動し再教育を命じる」
アサガワはパラドックスに向けて、そう言うと彼女は席に座った。他の教官からは、これといった反論や意見はない。
程となくして、査問委員会は終わりを告げた。
続々と教官たちが部屋から出て行くのを、パラドックスは突っ立ったまま、見ていた。彼女は、自分に突きつけられた現実を思うがままに受け入れる反面、自分の行為の愚かさに気づくこともない。
そんな彼女を、椅子に座ったアサガワは見ていた。
『第二話 信念と発端』
百メートル離れた人型の的に向かって、薄緑色の軍服を着た女性たちが横一列になってSTG45のトリガーを引いている。
乾いた銃声と同時に、的の頭部と胸部付近に銃弾が命中した。
彼女たちは紛れもなくMAIDであり、無表情にアイアンサイトに収まった標的を正確に射抜いている。
そんな光景を、アサガワは見ている。銃を撃ち続ける彼女たちの背中を見ながら、少し離れた小屋の壁にもたれかかっていた。
アサガワの担当は銃器と近接戦闘だったが、今日は非番だった。本来なら、自宅でゆっくりと休んでいるはずだったが。
「こんにちは、アサガワ教官」
そのとき、彼女の横に一人の女性が寄ってきた。マイスターシャーレの下級教育官の制服を着た、レーニの姿だった。
腰まで届く長い後ろ髪を括り、眼鏡をかけた知的な女性であるレーニに、アサガワは軽い会釈をする。
「君か。臨時で来たのか?」
失礼します、と一言断ったレーニはアサガワの横へ立つと、軽く頷いた。
「いや、そうではございません。ただ、私が育てた生徒がマイスターシャーレに来たということで」
レーニはそう言うと、銃を撃ち続けるMAIDたちの中に混じっている、パラドックスに視線を送った。
彼女は指きり射撃をしながら、他のMAIDたちも正確かつ機敏に的を撃っている。アサガワは、そんな彼女をレーニが来る前からずっと見ていた。
「ライサ様は、今回の処遇については、どうおっしゃっていましたか?」
マイスターシャーレの設立者兼講師でもあり、レーニが秘書を勤めるライサ・バルバラ・ベルンハルトの名を言った。
アサガワにとって、ライサは尊敬できる人物である。今回のパラドックスの件についても、ライサの意見が取り組まれていた。
「武装SSとの衝突を避けるためにも、パラドックスの処罰は必要な要素だ。と、彼女は言っていたよ」
「しかし、瘴気についてはどう思いますか。公安SSおろか武装SSでさえ、瘴気については消極的じゃないですか」
レーニの言うとおりだ。公安SS課長、モレイスと武装SS少佐、クリスチーノとの会議が終わって数日が経ったことだった。
帝都中枢での瘴気発生について、公安SSの調査機関と第三研究所が合同を調査を行なったが、これといった進展もないことにされていた。
さらにいえば、調査発表の際に公安SSの調査機関の発言が重視されていたらしい。
「連中が何か隠しがっているのは確かだ。ライサや私は、そのことについて重々に承知している」
アサガワはそう言うと、軍服の胸ポケットから紙煙草の入った小さな箱を取り出す。その中から煙草を一本取り出すと、口に咥えた。
するとレーニはライターをポケットから取り出し、アサガワは咥えている煙草の先端に火をつけた。
「モレイスはともかく、クリスチーノは元を辿れば『黒旗』の構成員という噂もある」
黒旗、という言葉にレーニは怪訝な顔をした。軍事正常委員会、通称『黒旗』という最右翼団体のことだった。
特別な能力を持つMAIDの排泄運動をする傍ら、対G戦線に独力で参入するほどの戦力を持っている。彼らにとって、MAIDとは人智の域を超えた能力を持たず、人間の言いなりになるべき存在と認識していた。
おおよそ、MAIDにとってみれば薄気味悪いカルト教団であり、レーニが嫌な顔をするもの無理はなかった。
「確かに、帝都中枢は防衛能力を向上させるために特殊MAIDが多く配属されています。しかし、彼にしてみれば帝都は聖地そのものじゃないですが」
黒旗は空戦MAIDを初め、人ならざる能力を持ったMAIDを排泄的に見ていた。防衛能力を向上させるために帝都周辺で護衛している特殊MAIDに関しても、否定的な目をしていた。
「奴らは目的の為なら、どんなことでもやるだろうな」
黒旗が水面下で活動していれば、現場に発生していた瘴気についての関連性が結びつく。今すぐにでもクリスチーノを拘束し、背後関係を調べたい。
しかし彼は武装SSの少佐であり、彼が黒旗だと分かれば武装SSの存在意義が問われる。
「まったく、たやすいことではないよ。もしクリスチーノが『黒』であれば、公安SSと皇室親衛隊は信頼できない。
特務部隊もな。いざとなれば、マイスターシャーレで対処しなければならない」
咥えていた煙草を右手で摘み、それをレーニに渡した。彼女はそれを受け取ると、ズボンのポケットから携帯用の灰皿を取り出す。
そしてそれの中に、アサガワが吸っていた煙草を放り込んだ。
「しかし、我々が政治的介入してもいいのでしょうか?」
「そうなるまえに、事が沈静化してくれれば助かるのだがな」
レーニの言葉に、アサガワは返答をすると、自分の前髪を掻き上げる。それと同時に、突風が吹き荒れた。アサガワの綺麗な金髪が、風によって巻き上がった。
それに乗って、MAIDたちが撃ち続けるSTG45の乾いた銃声がマイスターシャーレに響いている。
今日一日の教育課程が終わったパラドックスは、寮の一室で休息をとっていた。マイスターシャーレはMAIDのみ、寮生活が義務付けられている。
エントリヒ帝國においては、MAIDは全て皇室親衛隊直属となっている。その為、彼女らの生活の場は軍事関連の施設となっていた。
パラドックスは本来、特務部隊の施設に居たが、査問委員会によってマイスターシャーレへの移住及び再教育を命じられた。
その為、マイスターシャーレーでの寮生活に戻っていた。
二年も暮らしてきた、懐かしい木造建築の寮。今、パラドックスが居る部屋は、マイスターシャーレ在籍時の部屋と同じだった。そんな中、パラドックスは窓際に椅子を置き、そこへ座っている。
寮から見える訓練場。手前のグラウンドには、基礎体力をつける為にマラソンをする実習生たち。奥の射撃場には、機関銃を伏せ撃ちで行なっている武装SS候補生たちの姿が見えた。
窓から視線を外し、室内へ戻した。木製のテーブルと椅子が隅っこに置かれ、ベッドが置かれているぐらいの殺風景な空間だった。
その時、ドアをノックする音が響いた。パラドックスは椅子から立ち上がろうとしない。
「どうぞ、お入りください」
静かに、そしてドア越しの相手に聞こえるように言った。直後、軋む音と同時にドアが開いた。
パラドックスの部屋に入ってきたのは、特務部隊の制服を着た、男性だった。少し長く切った茶髪に、整った鼻と顔つきが育ちのよさを表している。
右手には、少し年季の入った鞄を持っていた。さらに体格はしっかりとしており、中肉中背という言葉がよく似合う。
「やぁ。久しぶりだな、パラドックス」
男 は軍人にしては、くだけた口調で椅子に座ったパラドックスに挨拶をした。
「お久しぶりでございます。カリオス中尉」
相変わらず、抑制のない声と無表情を併せたパラドックスにカリオス中尉は苦笑いをする。特務部隊の一員でもあるカリオスは、パラドックスのよき理解者でもあった。
それに、第三研究所上がりのカリオスは、瘴炉やMAIDについての知識を持っており、パラドックスの専門メンテナンスを行なっていた。
「それにしても、再教育だけで助かった。もし不名誉除隊になっていたら、特務部隊は正式に抗議していたのかもしれない」
カリオスは、ティーカップに入った紅茶を立ったまま飲んでいた。彼は窓際に立っており、訓練場の風景を見ていた。
そんなカリオスの近くに、パラドックスはじっと椅子に座っている。
パラドックスにしてみれば、今回の不祥事は不名誉除隊になっても、仕方が無いことだった。市民に重傷を負わせたおろか、武装SSの隊員二名を殺したMAIDの制圧を躊躇い、挙句の果てに担当教官代行の命に背いたのだから。
「公安SSや武装SSは自分のシマを守れなかったくせに、文句だけは一品前だ。マイスターシャーレに君の緊急招集を要請したんだが、教育課程が終わるまで返さないつもりらしい」
怒りを堪えきれない口調で、カリオスは静かに言った。パラドックスは彼の慰めじみた言葉の応酬に、何も感じなかった。
「それで、お約束していた薬ですが」
「ああ、すまない。ちゃんと持ってきたぞ」
カリオスが落ち着いたころを見計らって、パラドックスは彼に頼んでいた薬の存在を促した。カリオスは思い出したかのように、持っていたティーカップを手身近にあった机の上に置いた。そして、部屋の隅に置かれていた鞄を手に取る。
カリオスは鞄の中から、小型の瓶を取り出し、それをパラドックスに手渡した。
白いカプセルが入った瓶。それは、パラドックスの安定剤でもあった。瘴炉という、極めて危険な機関を搭載したパラドックスに、もしものことが有った場合の保険だった。
この薬はパラドックス専用のものとして、第三研究所が製薬している。だから、マイスターシャーレに隔離されたパラドックスのために、カリオスが渡しに行っていた。
彼女はそれを受け取ると一礼し、椅子から立ち上がる。
「気休めかもしれんが、君の行動は正しい。どのMAIDも、同じ志と身体を持った『姉妹』を手にかけたくない」
パラドックスはカリオスが口につけていたティーカップと、数冊の本が置かれた机の引き出しに手渡された薬を入れた。
「殺せたはずでした。でも、私は彼女を撃つことができなかった」
ルナの、言葉がずっとパラドックスの心に残っていた。
『ワタシは、狂った兵器じゃない。ワタシは、MAIDという人間よ』
その言葉が、パラドックスの中で何かを生み出した。今まで、気にも留めなかった考えが彼女の中で渦巻いている。MAIDという存在を、疑ってしまうほどに。
カリオスから貰った薬でさえ、私が瘴炉を搭載したMAIDだから、という理由で服用していた。
「いいんだ、パラドックス。君は悪くない」
机の前で立っているパラドックスの背後に、カリオスは近づいた。そして彼女の両肩に優しく手を乗せた。服の上から感じる、カリオスの体温。
パラドックスは、その人肌の温もりさえも、自分とは違う異質なものだと感じてしまった。
マイスターシャーレの教官宿舎の一室。先日に行なわれた、モレイス中佐とクリスチーノ少佐が話し合いを行なった会議室。
その部屋に、アサガワとライサ・バルバラ・ベルンハルトがテーブルを挟んでソファに座っていた。アサガワは黒と白の皇室親衛軍服を着ている。一方、ライサは紺色の、将官服を着ていた。
「正式な結果によると、現場に発生した瘴気については、ルナが死亡した際に放出された残留瘴気によるものだったらしい。Gから放出される瘴気が、ルナの体内で貯蓄されていたと」
無論、信じられないがな、とライサは不機嫌な表情で付け加えた。アサガワは腕を組むと、息を吐く。状況は芳しくない、そう彼女は思った。
「何にせよ、公安SSと武装SSの内部事情については、私やヴォルケンの方で探っておく。皇室や上層階級の人らに気づかれると、大騒ぎになるからな」
透き通った美しさを持つ、茶髪の髪を軽く手入れしたライサは、そう言うとテーブルに置かれたティーカップに手を伸ばす。
ライサはそれに口を付けると、紅茶の味が口中に広がった。ちらりとアサガワを見たライサは、彼女の凛とした姿勢と顔立ち。
肩まで伸びた、繊細で華麗な金髪。凛した、目つきと人形の様な真っ白とした肌に、楼蘭皇国特有の黒瞳。
やっぱり、彼女を私の部下にして正解だった、とライサは心の中で思う。
「ライサ、私の顔に何かついているのか?」
仏頂面で、現役少将を呼び捨てにするアサガワ。彼女は生真面目な軍人である故に、ライサは「呼び捨てや階級の上下は無しにしよう。我が親友よ!!」と言った瞬間から、このような姿勢を取っている。
「いやいや。相変わらず、君の美しさに胸を打たれていたんだよ。ところで、今日の下着は何色かい?」
口に付けたティーカップを離し、テーブルに置いたライサは、趣味であり日課でもある下着質問をした。
「失礼する」
ソファから立ち上がったアサガワを、ライサは慌てて静止する。アサガワは物凄く殺気立った表情でアサガワを見下ろし、またソファへ腰を下ろした。
「今度同じことを言ったら、私は転属届けを出しますよ」
彼女はソファに着いた瞬間、そう呟いた。
「まぁまぁ。ところで、一つ君に頼まれたいことがある」
それまでの態度とは一転して、ライサは話を切り出した。アサガワも姿勢を正し、ライサの頼み事を聞こうとした。
「水と緑の都、フロレンツにて不穏な空気が漂っている。自治権を主張する一部の過激派だろうが、そのバックに黒旗の存在があるらしい」
フロレンツ。クロッセル連合との国境沿いに位置する、エントリヒ帝国領の交易都市だった。エントリヒ帝国の経済を担う大都市。Gとの戦争で軍事力が必要となった今、帝国の権力によってフロレンツは多少なりとも束縛されていた。
そのため、都市は自治権を要求。しかし、帝国は聞く耳を持たない。それによって、一部の過激派による領事館襲撃やデモが起こっている。
都市自体は水と緑の都、と言われるだけに綺麗であって、市民も活発に日々を暮らしている。その裏で、このような事件があった。
「君は、数人のMAIDと共にフロレンツを『視察』しにきて欲しい。これは皇室や軍部からの命令ではなく、マイスターシャーレによる非公式作戦だ。秘密は厳守してくれよ」
分かりました、とアサガワは了承した。
「明朝にフロレンツへ向かってくれ。ちょうど、そこに帝国からの輸送機が出発する。積荷と一緒に同伴してくれ」
「分かりました。それでは、何も無ければ、私は準備をしますよ」
と、アサガワは言った途端、ライサは用がある、といった表情をしていた。
「黒旗の動向についてだが、最悪の場合、フロレンツはちょっとした戦場になるだろう」
アサガワ自身、硝煙と血の匂いはあまり好きにはなれなかった。自分が過去、Gによって妹や家族を滅茶苦茶にされたときの光景が思い出すから。
しかし、自分にとって第二の故郷といえるエントリヒ帝国に牙を向く輩には躊躇は無い。
そのとき、ライサは急に立ち上がった。彼女は軍人らしいきっちりとした姿勢で、部屋の窓際へ向かう。
ライサが窓際に立つと、外にはランニングに励むMAIDたちの姿が見られた。
「我々は、黒旗という卑劣な集団からMAIDを守る。それが例え帝国の基盤を揺るがすともだ。彼女たちは人類の守り手であり、この世界に平和を与える存在だ」
アサガワはライサの言葉の後に、立ち上がった。ライサは後ろへ振り返ると、アサガワは姿勢を正して敬礼していた。
「Jawohl, Herr Raisa Barbara Bernhard」
「で、この私がフロレンツに向かうことになったのですわね」
少し不機嫌な口調で、ジョーヌは積み荷である物資が詰まれたコンテナに腰を下ろしていた。コンテナの高さは1メートルそこらで、同じようなものが綺麗に整列されて置かれている。
アサガワはその光景を、柔道を習う生徒たちの姿に例えた。
午前9時、アサガワ、ジョーヌ、そしてパラドックスは大型輸送機Ju56の格納庫に居た。彼女らが此処に居るのは、満足な客室も無いという理由と非公式で搭乗しているからであった。
「一番暇そうな奴を捕まえたまでさ。本来なら、イェリコかツィダが欲しかったんだがな」
愚痴を垂れたジョーヌに対して、彼女の後ろで煙草を吸っていたアサガワはカウンターとも言える皮肉を呟いた。
帝都防空飛行隊の軍服を着たジョーヌは後ろへ振り返り、コンテナの上に立ち上がった。彼女の顔は少し真っ赤になっており、両肩を震わせている。
「私は暇じゃございませんわ。それに……」
図星だったのか、言葉を詰まらせたジョーヌ。少しだけ真っ赤になっていた顔色は、完全に赤く染まっている。アサガワは、彼女の自尊心を傷つけてしまった、と心の中で思った。
「いずれにせよ、今回の視察は空戦MAIDによる迅速な機動力が必要だ。よろしく頼むよ、ジョーヌ」
アサガワの一言にジョーヌは機嫌を直したのか、ほくそ笑むような表情で腕組みをしていた。
「やっぱりそうですわね。イェリコさんやツィダさんのような、パワーだけが取り柄の人たちじゃフロレンツを火の海にしちゃいますわ」
おほほほほ、と高飛車笑いをするジョーヌにアサガワは怪訝な表情をした。
「それにしても、今回の作戦にパラドックスさんが居るのはどういった名目ですか、教官?」
少し離れたコンテナを背もたれにして、三角座りをするパラドックスを指差したジョーヌはアサガワに質問をする。
パラドックスは、特務SSの服ではなく、エントリヒ帝国陸軍の軍服を着ていた。ジョーヌにとってみれば、パラドックスは『命に背いた変なMAID』という立場になっており、彼女が難色を示すのは無理も無いことだった。
「黒旗が瘴気を媒体とするMAIDや兵器を保有している可能性があるため、彼女は此処に居るんだ。お前とて、瘴気の真っ只中を突撃したくないだろ?」
確かに、そうですわね、と呟いたジョーヌはゆっくりとした動作で腰を下ろした。パラドックスはずっと無言のまま、床を見ている。
いずれにせよ、アサガワはパラドックスの能力を高く評価していた。機械の様に冷徹で、非凡に優れた彼女の素質を。
「ところで、教官殿。また珍しいものを腰に下げてますわね」
よく喋るMAIDだな、とアサガワはジョーヌを評価した。そんな評価を貰ったジョーヌはアサワガの腰にぶら下がった日本刀を指差し、奇異な目で見ている。
「ああ。これは私の実家から伝わる名刀、オロチだ」
「名刀、ですか。あら教官、実家との仲はどうなりましたか?」
イェリコやツィダは、ジョーヌの会話に堪えているものだなとアサガワは感心した。しょうがない、とアサガワは思うと腰に下げられたオロチを鞘から抜いた。
天井に設置された電球の光によって、オロチの刀身が美しく輝く。
端から見れば何の変哲も無い日本刀だが、内側から発せられる何かが、ジョーヌに訴えていた。
「実家は絶縁したからな。実質、盗んでしまったに近い」
実家での苦い経験を思い出しながら、アサガワはオロチを鞘に納めた。絶縁と言っても、オロチはまだ自分が朝川家と離れていない証拠であり、失踪した妹の契りでもある。
そんなことを思い出しながら、輸送機がフロレンツに到達間際になったのをベルが知らせる。誰よりも早く、パラドックスは脇に置いてあった荷物に手を伸ばし、立ち上がった。
アサガワも荷物を手に取ろうと、ジョーヌから目を離した途端、羽音のような雑音が耳に入った。
荷物を取るのをやめて、アサガワは後ろへ振り返る。すると、ジョーヌが翼を形成させ、パラドックスの方へ向かっていた。
アサガワは余計なトラブルにならないうちに、ジョーヌを制止させようとしたが、やめておいた。ジョーヌしろ、パラドックスにしろ、戦友のことを知らなければならない。
それが喧嘩の発端になろうとも、後々自分たちの良い方向へ向かうだろう。ライサから受け売りを思い出したアサガワは、自分の荷物を手に取り、格納庫から出た。
「ごきげんよう、パラドックスさん。貴女の噂は聞いてますわよ」
放出型の翼を背中に生やし、それによって宙に浮いているジョーヌは、パラドックスの目の前に来た。目の前といっても、彼女より少し視線が高い。
まるで、見下ろしているかのようだった。突っ立ったままのパラドックスは無言のまま、ショルダー式のバックから甲冑を取り出す。そして、それらを肘や肩に装着していく。
無視をされたジョーヌは、苛立ったのか顔を膨らませた。
「あら、無視でございますか。さすが、アサガワ教官のご命令も無視するパラドックスさんマジパネェっすわね」
最後に、おほほほほ、とジョーヌは嫌味な笑いをパラドックスに浴びせた。その瞬間、殺気じみた視線を感じたジョーヌはローター型の翼を使って、一気に急上昇した。
甲高い発射音と同時に人間の指より太く、そして長い『鉄釘』が三本、ジョーヌが居た空間を貫いたのだった。
ジョーヌの方へ放たれた鉄釘は斜め直線へと飛来し、金属が重なり合う音と共に天井へ突き刺さる。
一部始終を見ていたジョーヌは、少し冷や汗をかいた。そして彼女は、視線を下へ下ろす。
その先には、STG45を直角にデザインしたかのような銃器を持ったパラドックスが居た。彼女は無表情だが、その瞳には怒りが交じっている。
「第三研究所製、ネイルガンですか。あそこもあそこで、貴女と同じような兵器を作りますわね」
次は外さない、といった表情でパラドックスは顔を見上げて、ジョーヌを見る。
一方、ジョーヌは不敵な笑みを浮かべながら、翼を使って後ろへ後退。点在するコンテナの山から、ある物体を見つけ出し、そこへ足を下ろす。
ジョーヌが足を下ろした鈍器は、彼女の武器でもあるNbW41 15cm連装ロケット砲、通称ネーベルヴェルファーだった。
赤ん坊なら、すんなりと入れそうな筒が六つ束ねられており、中心部分に取っ手が装着されていた。
ジョーヌはそれを軽々と右手で持ち、持ち上げた。それと同時に翼が羽音を立てて、ネーベルヴェルファーを持ったジョーヌを天井すれすれの高さに上昇させる。
「一つだけ、言ってもよろしいですか?」
ようやく口を開いたパラドックスは、ジョーヌの方へ振り返る。氷のように冷たい口調と同時に、ネイルガンを突き出した。
「ええ、よろしいわよ」
ジョーヌは左手で口元を押さえる仕草をしながら、くすくすと笑っていた。
「鬱陶しい」
パラドックスはネイルガンのトリガーを引き、鉄釘が発射されたのを体感した瞬間
「です」
と付け加えた。
ジョーヌは高速で飛来する鉄釘を、ネーベルヴェルファーを使って防御した。しかし、鉄釘はネーベルヴェルファーの外装に突き刺さる。
あまりの威力に、ジョーヌは困惑した。
「さぁて、次は私の手番でございましてよ。ああ、別に15cmロケット弾なんて撃つつもりはございませんわ」
ネイルガンの恐怖を払拭するかのように、ジョーヌは右手で持っていたネーベルヴェルファーを、今度は両手で持った。
まるで、鈍器を振り回すかのような姿勢をとっている。
「ルナを殺せなかった貴女に使う弾がもったいないですわ」
ジョーヌの背中で回転している翼の速度が上昇し、羽音が大きな音を立てる。今まで、へらへらと笑っていたジョーヌの表情が険しくなる。
パラドックスは、ルナという単語に反応したのか、ネイルガンのグリップを、握り潰さんばかりに力を込めた。
自分がルナを罵倒したからに違いないと、ジョーヌは思った。ジョーヌとパラドックスの間に、殺意という感情が生じる。
「あーあー。私、そろそろ荷物の準備をしないといけないので、余興はこれまですわ」
緊張じみた空気の流れを、ジョーヌは自ら壊した。先程までの表情を一転させ、ジョーヌはゆっくりと下降していく。その表情はいつものように、人を小ばかにするような雰囲気が戻っていた。
両手で持っていたネーベルヴェルファーを右手に持ち直し、床へ足をつく。そして、適当な場所へネーベルヴェルファーを置くと両肩を竦めて、自分の荷物がある場所へ向かった。
彼女に交戦意欲がないことを確認したパラドックスは、ネイルガンの銃口を下げた。それを気配で確認したジョーヌは、手っ取り早く荷物を持った
そして、パラドックスの方へ歩いていく。そして、荷物を持ったパラドックスの目の前に立った。
「別に悪気があって、ルナのことを言ったわけじゃないですわ。ただ、貴女のことが心配で言っただけよ」
パラドックスは、ジョーヌの言葉を無視して、荷造りの作業を開始した。先ほどの言葉は、パラドックスにとってみれば冗談で済まされることではなかった。
「貴女は、あまりにも無感情を装いすぎよ。ジークフリート様みたいに、恥ずかしがっている様子もないようですし」
「装っているわけじゃないです」
ジョーヌが言い終わった瞬間、パラドックスは冷たい口調で返事を返した。ジョーヌは不可解な彼女に言動に、苛立ちを隠しきれないのか、唇を噛み締めた。
「だったら、なぜ――」
「貴方には、関係の無いことです」
ジョーヌの言いたいことを、パラドックスは遮る。彼女は、無表情でありながら侮蔑するような目つきでジョーヌを見た。
彼女はそんなパラドックスの表情に、恐怖を感じた。ガラス玉のように透き通った、パラドックスの両目には恐怖で引きつった表情を浮かべている、ジョーヌが映っていたのだから。
「一つ聞きます。貴方は、何のためにMAIDになったのですか?」
その言葉に、ジョーヌは何も答えられなかった。MAIDがMAIDになる理由など、ジョーヌが知っているはずが無いのだから。
何も答えられないジョーヌに、パラドックスは鼻で笑った。荷物を手に取り、呆然と立ち尽くす彼女の横を通ると、格納庫の出口へと向かった。
早歩きで格納庫から立ち去ろうとするパラドックスの視線の先に、アサガワの姿が映った。彼女の行き先は格納庫であり、ジョーヌや自分を呼び出そうとしているのに違いないと、パラドックスは思った。
パラドックスの姿を確認したアサガワは、彼女に何か呼びかけようとする。
「失礼ですが、教官。一人にさせてください」
一蹴するかのように、パラドックスはそう言うと、アサガワの横を通り過ぎた。彼女の長い黒髪が、名残惜しそうにアサガワの顔を横切った。
なるようになったか、とアサガワは通路の奥へと去ってしまうパラドックスの後姿を見た。
そして、恐らく格納庫にいるはずであるジョーヌの姿を確認しようと歩き出す。
整理されたコンテナの隙間から、顔をうつ伏せにして佇んでいるジョーヌの姿が見たアサガワはゆっくりと、彼女の方へ向かう。
そして、ジョーヌの背後まで来ると、歩くのを止めた。
「私は、パラドックスのことを思って……」
そういうところが、ジョーヌを憎めない要因だとアサガワは思った。
「パラドックスについてはそのうち、私の方で話をさせてくれないか。彼女は、過去に色々とあったMAIDなんだ」
今のアサガワの口には、それだけしか言えなかった。三年前の、パラドックスが第三研究所に運び込まれたときの出来事を思い出す。
それだけでも、アサガワにしてみれば苦痛でしかなかった。
輸送機が、降下準備に入ることを知らせるブザーが鳴った。ジョーヌは顔をうつ伏せにしたまま、ただ握り拳を作ることしかできなかった。
一機の輸送機が、飛行場で着陸する。それを、双眼鏡で見ている男が居た。黒色のバンダナを頭に巻き、目先だけを露出したバラクラバを身に着けている。
そのバラクラバにはドクロマークの刺繍が施されている。遠目から見てみれば、まるで骸骨が双眼鏡を持って、偵察している風に見えた。
フロレンツの飛行場より10キロ離れた、フロレンツ北部の針葉樹の森林地帯で男は立ちながら、双眼鏡から目を離さなかった。さらに服装は近年、エントリヒ帝国によって試作された迷彩服を着ていた。
緑色や茶色といった色が混ぜられており、さながら森林を擬態化したような服だった。その上に、スリングベルトで固定した、STG45がぶら下がっている。
「大型輸送機、Ju56着陸。現地時間○九三○時。間違いありません、隊長」
双眼鏡を使って、着陸した輸送機を凝視する『骸骨男』の横で、無線機を背負いながら片膝をついている男が報告した。
目深に帽子を被っているが、痩せこげた頬と顎に生やした無精ひげが見え隠れていた。服装も、骸骨男と同じ迷彩服。不要心にも、足元にMP40を置いている。
「そうか」
隊長、と呼ばれた骸骨男は呟くと双眼鏡から目を離し、無線機を背負っている男にそれを手渡す。双眼鏡を外した隊長の目は鋭く、まるで蛇のようだった。
「ここまでは連絡通りだな。チャップマン、部隊に連絡しろ。演習は終了し、ミーティングを始める」
「了解。こちら、チャップマン。威力偵察隊および近接戦闘部隊は、これよりミーティングを実行するため、ポイント11190に集合せよ。以上」
隊長は、無線機を背負った男をチャップマンと呼ぶと、彼は無線機を使って部隊に連絡した。
もうすぐ嵐が来る。それも、とてつもない暴力を持った嵐が。隊長はそう思うと、少し身震いをする。
戦場の空気が、フロレンツを覆いつくすのだから。
続く。
*関連人物
-[[アサガワ・シュトロハイヒ]]
--[[パラドックス]]
-[[ホラーツ・フォン・ヴォルケン]]
-[[ライサ・バルバラ・ベルンハルト]]
--[[レーニ]]
-[[ジョーヌ]]
-カリオス中尉
-ゴーストバスターズ隊員
--ブレイン・"骸骨男"・アムセル
--チャップマン
最終更新:2009年11月26日 00:39