カトレア

(投稿者:Cet)



『力が有るということは、力を使っているということである』  ――発言者不詳





「カトレア、どこにいっちゃったんだよ」
 俺は洗っていた。
「どこにいるんだよ」
 煤けた亡骸を洗っていた。
「どこ?」
 その瞳を洗っていた。
 洗っても、洗っても、その瞳は、元の色を取り戻すことはなかった。
 微かに青色の混じった綺麗な瞳は、真っ黒だった。
「どこにいるの?」
 俺は、紛うことなき彼女を見たかった。彼女の心を見たかった。
 俺は、彼女の心を探した。だけど、探しても探しても、洗っても洗っても、彼女の心は見当たらない。
 どこを探しても、彼女はいなかった。
 だけど。
「カトレア?」
 それを見つけた。
「カトレアなの?」
 それは、固形物だった。
 赤い光を放っていて、熱い。
 でも俺は、それに僅かにでも、カトレアの何かがあるようには思えなかった。
 だって、それはただの石だったのだから。
「これは、何」
 誰に問うでもなく問うた。もちろん応えが返るわけもない。
「これは何だっていうんだ」
 それは、確かに温かかった。
 カトレアの唇の感触を思い出した。
 その温かさは、現に手の平で触れている温かさと繋がった。
 しかし、それはただの石だった。
「何だこれは」
 違う、これはただの石などではなかった。
 俺はそれが何なのか、考えた。
 何故皆がこの女をカトレアと呼ぶのか、何故この石の微かな温かさが、カトレアの記憶を呼び起こさせたのか。
 つまり、つまりそれは、この石こそがカトレア自身を秘めているということに他ならない。だからこそ、この石からカトレア自身を受け取ったこの女を、皆はカトレアと呼んだのだ。
「違う」
 この石は、少なくともカトレアではなかった。
 石は石であって、その中に潜んでいるものも、カトレアではない。
 今この石は、少なくとも彼女ではない。
 ではコレは一体なんだ?
「なんだよこれ」
 俺は一層の不気味さを抱いた。
 その石が、カトレアをカトレアと呼ばしめるのか。
 だからこの女も、カトレアと呼ばれているのか。
「違う」
 この女もカトレアではない。
 ならば、カトレアはどこにいるのか。
 彼女は、彼女の生姿はどこにある?
 この石の中にあるとでもいうのだろうか。否、そんなわけがない。この石がカトレアたらしめるのではない。彼女は、彼女だったはずだ。
 なのに、何故この石からはカトレアの熱さを感じられるのだろう。
「だれだよ」
 カトレアって誰だ?
 そう考えた瞬間、俺の頭の中で、何かが弾けて、熱いものをぶち撒けた。
 目の前が真っ赤に染まる。何も見えなくなる。その中で、何者かの嗚咽だけが、遠くから響いていた。
 誰だ、誰が泣いている?
 それは俺だ。
 うぅぅぅゥと唸っているのは、俺だ。
 温かさを感じる、瞼の裏から、抑えられない程の熱さを感じていた。
 それは迸って、俺の頬を濡らした。
 俺は泣いているのか。
 俺は呻いているのか。
 これは何だと呻いているのは、俺か。
 そうか、これは、カトレアじゃなかった。でも、人をしてカトレアと呼ばしめるこれは、何だ?
 これは一体、何だ?

 俺は石を壊した。

 それだけがはっきりと分かって、それから、俺は全てを失った。
 墜ちていく。
 暗闇の中へと墜ちていく。
 俺は俺であったはずだし、カトレアはカトレアであったはずだった。
 だけど、この石を持つものを、カトレアと呼んでいただけなのかもしれない。
 それは人間ではない。ではそれは何だ?
 それはメードだった。
 俺もメードだった。
 俺は誰だ?
 俺の名前はエフェメラ
 宵闇の中を彷徨う、一匹の虫けらだったのだが――








「作戦の説明は以上、要員は直ちに出撃準備」
『はッ』
 ブリーフィングルームにて、ザカカ、と軍靴を鳴らし立ちあがった戦闘員たちの中で一人、動かない者がいた。
 そして、その者は挙手していた。
「何だ、エフェメラ」
「俺を使ってくれ、指揮官殿。俺に任せられる削除を寄越してくれ」
「そんなものはない、お前に任せられる削除任務など、今はな」
「だから、今この任務を任せてくれと言っているんだ」
「いい加減にしろよお前」
 指揮官の男はそう言った。
「どういう」
「お前が参加する意味はない、と言っている」
 男は遮って言った。
「お前は参加できないのだ、俺は惰弱な雑種に削除任務を与えようとは思わん」
 男はそう言い切ると、恐怖的な目付きでエフェメラを睨んだ。エフェメラの瞳の中の、奇妙な色を探るように睨め付けて、そして叫んだ。
「急げ!」
 エフェメラは、立ちあがった。もう何も言わなかった。同じく退出していく戦闘要員と歩調を合わせた。
 一人残った指揮官の男は、呟いた。
「下らん」


最終更新:2009年12月26日 02:41
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