(投稿者:怨是)
「安綱。どうしたんだその服は」
長屋のふすまを開けて入ってきた兼定は、安綱のほうを見たまま口を閉じようともせずに立ち尽くしていた。
安綱のほうと云えば、ふてぶてしい態度で姿見と睨めっこしたままで、彼に見向きもしないようにした。兼定の訊ね方が、まるで名状し難き何某かを目にしたかのようだったからだ。開口一番に褒めてくれたなら良かった。
「どうしたも何も、虎柄袴だよ」
「気でも違ったのか」
「ンだとこの野郎。俺は至って正気だぞ。京の街よりちょっと南に行った所の、えーっと、何だっけな。まぁでっけぇ街があるんだけど、そこじゃあみんな虎柄だぜ」
「2010年は寅年だが、だからといってここでそのような格好をするのはどうなんだ」
「2010? 今は1945年だろうが。俺達が生きてるかどうか解らんくらいの未来の話をされても困るよ、きみ。うーん、色鮮やかな黄色と黒。いいねぇ……」
兼定は思わずメタ話を振るほどに混乱しているのだが、そんな兼定の事情を汲み取る事なく、安綱はヤボな突っ込みを入れて姿見に映った鮮やかな虎柄の袴に見とれている。安綱の視線を阻むようにして、兼定が姿見の前に割って入ってくる。
「いや、ちょっとした例え話だ。それにしても派手だな。お前それでいいのか?」
「いいんだよ流行なんだから。ふんどしも虎柄だぜ。見ろよほら」
着物まで脱いでふんどし一丁になる安綱。粋な男なら、下着もこだわってしかるべきだ。
兼定が白ブリーフなどという野暮なものを穿いている事を、安綱は知っている。白は駄目だ。男の白は。
「脱ぐな馬鹿、気色悪い」
ぺち、と帯で頬をはたかれた。安綱も負けじとその帯を引っ手繰り、わざと手足が兼定にぶつかるようにして、そそくさと服を着なおす。
再び、ふすまの開く音がする。
「安綱、兼定。お前らそんな所に居たのか」
「おい、久国。お前もか!」
派手な虎柄のステテコ姿で現れた髭面の中年――久国に、兼定は恐怖心と驚嘆を露わにした。安綱はと云えば、黙々と帯を締めなおしている。
「ん? あぁ、この虎柄ステテコな。素敵だろ。素敵なステテコ、略してステキコだ」
部屋の温度がにわかに下がってきた。
安綱がくしゃみをすると、それに釣られて兼定もくしゃみをする。
「やめろ、意味が解らん上に何だか寒くなってきた」
「もしかして俺、またやっっちゃった系?」
「その服装も含めて、やっちゃった系だ。座布団没収」
「何でだし! オッサン悲しいよ泣いちゃうよ? 流行の虎柄で、カブキファッションを取り入れてこれで女の子にもモテモテだって意気込んでたのに」
「どうなってるんだ、この国のファッション事情は……」
お前が疎いだけだ、この白ブリーフめ。と、久国と安綱の視線が兼定を射抜く。
暫くして、安綱は腕組みをして座り込んだまま、口を開いた。
「今なら女の子も虎柄びきにで外を歩き回ってるぞ」
「えッ、嘘?!」
「ホントだっちゃ。そこの窓から覗いてみろよ」
そこはムッツリスケベの兼定。電光石火の如き素早さで窓を覗き込む。眼鏡と程よい長さの黒髪のせいでスケベルックス度に拍車が掛かっているのは気のせいではないな、などと安綱は評定した。おお、兼定の鼻の下が伸びておる伸びておる。
「おおおぉぉぉ、けしからんな……全くもって、けしからん」
「エロエロだな」
「あぁ、エロエロだっちゃ」
久国も便乗している。お前は座ってろ。ともかく。
「そうだろぅ? 流行は楽しむものだよ、兼定くん。そんな訳でだ」
「――でも俺は着ないぞ」
唐突に兼定が我に返ると、安綱は粗末な篭からもう一着の虎柄袴を取り出してきた。
「いいじゃん着ようぜ、ほら。俺とお揃いの買ってきたんだからよ」
「おぉぉぉい、よりにもよってコレか! 俺はゴメンこうむる、断固拒否するゥ!」
「おい久国、ソイツを取り押さえろ!」
「合点承知のホイホイチャーハン」
準備は既に完了していたらしい久国によって、兼定は取り押さえられてしまった。いくらもがこうにも、男二人がかりで体重を掛けられてしまっては動きようがない。
「お嫁に行けなくなっちゃうぅううう!!」
数分後。そこには見事な虎柄を纏った、線の細い青年が居た。巧みの技で劇的な変化を遂げた彼を見て、安綱は満足げな笑みを浮かべる。かたやその青年、兼定は元々着ていた服のように青い顔をしている。
「くはは!!」
「トホホ……」
「何だよ、俺より似合ってるじゃん。うぜぇー」
「兼定が着ると、それこそ傾き者の風情だな」
久国が心にも無さそうな事を云う。流石に安綱もこれは無いわと思いつつも、今ここで余計な事を云って面倒を起こすよりは大人しく乗せて置いた方が良いと判断し、
「ちょっと居合いの構えやってみてよ」
などと云って、意外とお調子者な兼定をさらに調子付かせてみた。
「こうか?」
「おお、こわいこわい」
「ほ、本当か? 格好いいか?」
「はいはい、かっこいいよ。すんごいかっこいい」
「俺、そっちの才能あるのかな……イメチェンしてみようかな、うん、何か、行けそうな気がするぞ! うん!」
彼のお調子が有頂天へと達したところで、安綱の作戦は次のステップへと移る。実は外を闊歩する虎柄ビキニ娘達は近所の旅館のコンパニオン、いわゆる芸者達に仕掛け人となってもらっただけである。この付近を抜けると他は普通の格好である。にも関わらず、そこのムッツリ青年はいとも簡単に騙されてくれた。この付近の村おこしの為に村長らと事前に打ち合わせしておいた甲斐があったというものだ。入念な準備には色々と協力者を募ったが、彼らには安綱の名誉の為に名を伏せてもらうとしよう。
「まぁあのムッツリは放っておくとして。この調子で、あっちこっちの奴らを虎柄に着せ替えまくろうぜ」
「いいねぇ、オジサン燃えて来た。作戦名はどうする?」
「楼蘭虎柄大作戦だ。チンドン屋も呼んで来い。あっちこっちで囃し立てさせるぞ!」
今、伝説が始まろうとしていた……
「「チェケラ!」」
その後の彼らはまさに快進撃とも呼べる勢いで、都の至る所を虎柄へと染め上げて行った。僅かここ一週間で人々は見事に騙され、口コミ効果によってその危害範囲を加速度的に広めたのである。
今や招き猫は虎柄の招き寅へと取って代わり、達磨は虎柄の寅達磨へと変えられ、そこかしこに掛けられた橋は虎柄へと塗られ、挙句の果てには寅船なるものまで生まれた。腕のすこぶる悪い散髪屋の人たちが敢えてそのままにし、下手さを合法化する“虎刈り”なるものまで生み出されたのもこの頃だという。軍服も、この近辺は虎柄である。豪奢にして奇妙、としか云いようが無い。
もはや虎はこの都とは切っても切れぬ関係となり、安綱と久国は勝利を確信した。ちなみに兼定は相変わらず鏡の前でウットリしており、女の子とちゅっちゅするなどというアクティヴな行動には移れていない。
……その最中だった。
WARNING!! WARNING!! WARNING!! WARNING!!
「オォォーっほっほっほっほっほっほ!(笑)」
彫りの深い顔立ち、むしろ完全に西洋人そのものといった風の男が二人の前に突如として現れる。黒いスーツに黒ハット、そして怪しげなトランクがどう見てもうさんくさい。安綱の悪知恵など吹き飛ばしてしまいそうなくらいの怪奇的オーラを放っていた。
「誰だ、お前」
「笑ウまぁくすまん……です(笑)」
「じゃあ、アレだ。潜る福相って呼んでいいか?」
「やめろ安綱。微妙にボカしてるけどアウトだ」
流石にフジオさんに怒られると思った久国が安綱を制止する。
その様子を見ていた笑ウまぁくすまんは、天に右手の人差し指を掲げた。
「そんなものは関係ない。(笑) 貴様らの墓場をここに建ててやる。(笑) ドーン!(笑)」
「何か知らんけどちょっとウザくね?」
「いいからいいから。応戦しようか」
安綱がまぁくすまんに視線を戻すと、何と彼は虎柄の奇妙な巨大アーマーを身に纏っているではないか。
しかも両腕に漢の浪漫とも云えるドリルが。それまでもが虎柄ではないか。
「お前も好きなんだな、虎柄……だがな、まぁく、えーっと何だっけ。枕上げ?」
「名前も覚えられぬ奴と解り合うつもりは無い。(笑) すまん(笑)」
「おう、それはすまんすまん。えっと、アレだ! ミスターゴメンナサイって名前はどうよ?」
「死ぬが良い(笑)」
「とにかくアレだよ。虎を平和の象徴にしたい俺の努力を解れ!」
流石の久国もこれには驚いた。
どこにそのような因果があったのかと。
ファッションと平和を関連付けるその発想は悪くはないが、果たしてそれをお前は理論的に語れるのかと。
果たして、二人は敗れた。
「ドリルは斬れない」という教訓を胸に刻みながら、きりもみ回転をして付近の畑へと頭から刺さった状態で。
その後、ようやく気分が落ち着いた兼定がその畑の持ち主から通報を受けて駆けつけ「この二人、君んとこの?」と訊かれて「いいえ違います」と答えたところ、「違わねぇーよ!」と起き上がる事で二人は事なきを得たという。
「ういー、反省会やるぞー。お前ら集まれコラ」
「え? 何? 反省会?」
「そうだよ」
酒に酔った安綱が、いつものやけくそ踊りを披露しながら招集を掛ける。同じく深酒で良い具合に出来上がった久国が、上手い具合に合いの手を入れるべく立ち上がる。安綱が扇子を開き、「さようなら真っ当な人生。こんにちは黄色い救急車!」と近所迷惑な声量で歌う。
そうすると久国が
「お世話になります鉄格子!」
と返す。安綱はいたく感服し、その場でどかりと座り込んで扇子で自らの膝を叩いた。
「うまい。座布団円周率枚」
「座布団パイはガキの食い物だって、オラはガキの頃にお袋から教わっただ。3.14のほうだったら喜んで頂戴しますぜ親方様うへへのへ」
「小数点以下はほんの気持ちという事で……」
この二人のやりとりに、兼定はわけもわからず反論する。
「お前らは一体、何の話をしてるんだ」
二人は、哀れみの篭った視線を彼へと向けた。一人と二人の、憐憫の応酬である。
「兼定。お前……」
「可哀相に。健全な奴はこれだから」
「健全? いやいや。心身ともに健全なのは我らの務めだろうが」
意味不明な同情心を見せた二人に対し、兼定は至極真っ当な理論を展開した。が、いかんせん相手が悪い。彼の眼前に鎮座する二人は云わば、虎。つまり、たちの悪い酔っ払いであるのだ。
「お前何云ってんの? 俺がいつからR指定解除されたんだよ。俺のビッグマグナムはモザイク要らずだずぇー!!」
「お前こそ何を云ってるんだ」
「ええい黙れムッツリ。後でお前が寝てる間に久国の使用済みふんどしを丸めて口に放り込んでやるぞ!」
「……ここに病院を建てよう」
「“建てよう”で済んだら医者は要らねぇんだ馬鹿たれ」
安綱と兼定のやりとりを見た久国が、カッと両目を見開いて立ち上がり、どこか遠くを見ながら雄たけびにも似た声を挙げた。
「つまりあなたはこう云いたいのでしょう、イシャはどこだ!」
「わっつ? ドクトール? 医者じゃなくて? いや、えぇ、わかります。わかりますとも! あなたの心の中だ!」
横文字が苦手なはずの安綱が、回転しながら久国の心臓を指差す。対する久国は両腕を勢いよく挙げながら両手の指で鋏を形作って応戦した。軽快な舞踏が、どこか能を思い起こさせる。ただし二人のテンションは完全に能のそれを逸脱した下品さに溢れていた。
「プロフェッサーでも何ら問題はござらぬ。シャキーンシャキーン」
「ははぁ、宇宙人に誘拐されたってのは、ありゃ嘘だったんだな。あんたがやったのか。ようやくわかったぞ! 覚悟しやがれ、ドクター・インベーダー! バッラバラにしてやんよ、ヒャッハァー!」
「我らスプコタラマ・キテンプクス星雲民族の七千億光年の文明が! ぎゃー消ー滅しーたー!」
そろそろ耐えかねた兼定は急ぎ足で玄関先へと飛び出し、この乱痴気騒ぎに惹かれて集まった野次馬達に助けを求める。
「おい、誰か祈祷師を呼んできてくれ。変なのに憑かれた奴が二人も居るんだ!」
「失礼な奴だな。俺はお惣菜のシーチキンじゃねぇぞ!」
「そうだよ。俺達のユーモアをもっと解ってくれよ!」
戸口を見つめる二人はげらげらと笑いながら次の酒へと手を付ける。ひとまずそこに突っ込みを入れるべきだったが、あろう事か兼定はまったく見当違いな部分に突っ込んだ。
「横文字を使うな。ナニ人だ貴様ら」
「「地球人」」
「いつからお前達は多国籍になった」
「一万年と二千年前からだ」
「うわー、つなちゃん、長生きー! オジサンより長い!」
「安綱・F・清栄だからな。ちなみに下も長いぜ」
「やめろぉおおおお!」
兼定は思わず、土間に置いてあった釜を持ち上げて投げつけそうになった。久国はあんぐりと口をあけて黙ったが、安綱はそうは行かんザラキ。安綱は屁をこきながら余裕の表情を浮かべている。
「足が長いと云ってるんだよ俺は」
「あ、そう?」
「これだからムッツリは」
この後、村人から通報を受けた三人組は、村長から一ヶ月の禁酒勧告を受けたとさ。
虎柄もついでに禁止になったけれど、遠くはなれた国々が虎柄下着を流行らせたそうな。めでたしめでたしめでたしめでたしめで
ジョニーさん勘弁してくださいホント勘弁してください、これ以上書くと頭おかしくなりそうです。
ごめん元からおかしかったでした。めでたしめでめでめでめでぃたしめでぃしすた
最終更新:2010年03月06日 05:41