黙っていたいと願いながら黙する人を、寡黙と呼ぶ。
話したいと願いながら黙する人を、弱虫と呼ぶ。
そんないい加減な仮説に当てはめれば、彼女は間違いなく弱虫だった。
あの人と話してみたい。
この人と話してみたい。
その人と話してみたい。
そう願いながら、昨日も彼女は口を閉ざした。
吸った息を音にすることを、今日も諦めた。
拒まれることを恐れ、明日も黙するのだろう。
だからこそ、今この瞬間も前の二人に加われないのだ。
「――それでね、私もその“たぴおか”ってのを食べてみたいの」
「タピオカぁ? ありゃあなんてーか、カエルの卵みたいでキモ――」
言い切る前に、褐色の少女がほぎゃっと奇声を上げた。
それこそカエルが潰れてしまったような。
少女をどついたのは、楼蘭の衣を纏う少女。凶器は楼蘭刀。
それなりの重量があるのだ、鞘抜かずともそれなりに痛かろう。
「そーゆーこと言わないの! “すいーつ”なんだから!」
「ぶー あーしの嫁がどんどん凶暴化していくよぅ」
「嫁じゃないし」
きゃっきゃとふざけ合う二人は、本当に楽しそうだった。
MAIDは肉体的成長を忘れた物体だ。
当然、器に収まる精神もその成長は緩慢となる。
少女の外見の二人も、まさにそれを如実に示していた。
いや。
世が世であれば、彼女も少女と言える歳だ。
いや。
この戦に塗れた世であるのに、目の前の二人はありふれた少女なのだから、
彼女もまた少女であって然るべきなのだ。
それが出来ないのは、ただ彼女が弱虫だから、だ。
加わろうとして拒絶されれば、より深い傷を負う。
ならば最初から触れなければいい、それがいい。
それでいい、はず。
「あ、そうだ。一緒に食べに行きませんか?」
不意に、楼蘭少女が振り返った。
釣られて、褐色の少女も振り返る。
二対の視線に顔を触られ、彼女は言葉を失った。
「わ、私は……」
気の利いた言葉が出てこない。
探せど探せど、見つからない。
歯痒い。
しかし見つかるはずなどない。
弱虫の彼女の内に、そんな言葉など元より無いのだから。
代わりに、冷や汗だけが出た。
「もしかして、今夜は忙しいですか?」
忙しくないことは無いが、それでも時間は作れるものだ。
「あーしらと違ってさ、忙しいんじゃねぇのかい」
だから大丈夫だって。
そう言いたいと願いながら、彼女は黙するしかなかった。
だって彼女は弱虫だから。
「そう、ですよね。ごめんなさい」
二人がくるりと踵を返し、前を向く。
待って。
そう言いたいと願いながら、彼女は黙するしかなかった。
だって彼女は拒絶されるのを怖がる、弱虫だから。
あれ?
拒絶されるのを怖がる?
今は向こうから触ろうとしてくれたのに?
……拒絶しているのは、私?
「ま、待って!」
彼女が久しぶりに張り上げた声は裏返り、
驚いた二人がまた彼女の方を振り返った。
丸く見開かれた二対の視線に顔を触られ、彼女はまた言葉を失った。
言葉が見つからない。
冷や汗が出る。
まだ見つからない。
否。
言葉は探すのではなく、作るものだ。
「行く」
何と味気の無い言葉。
それでもこれが彼女の精一杯だ。
弱虫が、寄せ集めた勇気の残りカスで作った集大成だ。
「え?」
褐色の少女が意外そうに声を上げる。
その言葉に、彼女の心拍数が跳ね上がる。
やはり自分など来てほしくなかったのではないか、と揺らぐ。
「本気? あーしらが食べに行くのはカエルのたま――」
楼蘭刀の峰打ちに、ごふーっと吹っ飛ぶ声が重なった。
「大丈夫ですよ、“すいーつ”ですから!」
ひどいやひどいやとグズる褐色の物体を睨みながら、
楼蘭刀の持ち主が言葉を正す。
「でも、嬉しいです」
「……え?」
「一緒にここに来たのに、これまで全然お話できなかったじゃないですか」
今日はいっぱいお話できますね、と繋げる屈託の無い笑顔が、
弱虫の目にはあまりに眩しくて、直視できなくて。
それでも太陽に向かって飛ぶ鳥のように、
どこかその笑顔に憧れて。
「私も」
彼女は眩しさを和らげるために目を細めた。
しかし何故か、それに追従して口も上向きに歪んだ。
それは傍から見れば、
まるで彼女も――銀髪の少女も笑っているようで。
「私も……う、嬉しい」
褐色の少女も、楼蘭の少女もにっこりと微笑んだ。
黙っていたいと願いながら黙する人を、寡黙と呼ぶ。
話したいと願いながら黙する人を、弱虫と呼ぶ。
その区別は付きにくいが、しかし大きな違いがある。
寡黙な人はいつまで経っても口も心も開かない。
弱虫な人はいつか勇気を出して口を開き、やがて心も開く。
そんないい加減な仮説が成り立つのならば、
寡黙より弱虫の方がずっといい。
弱虫の方が、ずっといい。
(蜥蜴に捧ぐ)
最終更新:2010年03月31日 00:27