慣れぬ環境というものはそれだけで人の神経を削ぐものだ。
そういう意味では、和の国から洋の国へと派遣された彼女もそれなりに精神的疲労を抱えていた。
しかし嬉しいことに、今日の彼女は故郷である和の国に居た。
戦線が一応の落ち着きを見せたので、僅かばかりの休暇が与えられたのだ。
ふぅ、と息をつく彼女が真っ先に向かったのは湯が湧き出る外風呂を擁する宿場。
平たく言えば、天然露天風呂が自慢の隠れ家的旅館、である。
無論、洋の国とはいえ風呂が無いわけではない。
だが和の国の人ならば最も気が安らぐ瞬間であろう贅沢、
つまり緑豊かな自然を眺めつつゆったりと湯に浸かるという至上の贅沢は、和の国以外ではお見かけしない。
もっと洋の人々もその喜びを知るべきだと呟いてから、
女性数人が談笑する脱衣場で彼女はもう一度、
否、二度ふぅと息をついた。
これから入る湯への期待を込めた安堵の息が一つ。
そして、胸に巻いたさらしから解放された安堵の息が一つ。
戦地に身を置く立場ゆえ、彼女は常にそれを巻いていた。
女性らしく豊満な肉体など、銃や剣が物を言う場では大した意味も無い。
むしろ邪魔なものだ。
こんな二つの脂肪の塊など削がれてしまえばいいのにと願い毎朝さらしを巻くのだが、
その願いが叶ったことはなく。
むしろ。
「また大きくなってる……?」
今度はふぅではなく、はぁと息が漏れる。
「こんなもの、無意味なのに」
「ンだと、コラ」
不意に横からかけられた言葉に、
いやそれよりも同時に浴びせられた殺気に、彼女は身を固めた。
平和な楼蘭の旅館の脱衣場で、これほどに死を近く感じるとは。
咄嗟に腰を低く屈めて戦闘態勢を取ろ――
瞬間、
彼女の体はくの字に折れ曲がり、
湯と館を分ける薄壁を粉砕しながら吹き飛び、
水飛沫と共に楽しみにしていたはずの露天風呂に墜落した。
油断した、とすぐに湯の中に立ち上がる。
まさに油断。
久方ぶりの安寧に気を許していた。
まさかこんな所に敵が居るとは。
まさか横に居た華奢な女がその敵であるとは。
まさかその敵である女にこれほどの力があるとは。
まさかこれほどの力を持った一撃を一般人も集う場でぶち放つとは。
一糸纏わぬ自らの裸体など構わず、彼女は脱衣場に空いた大穴に目をやった。
そこにはこちらも全裸の女が一人立っていた。
と言っても、それがただの女ではないということも知っていた。
数瞬前に彼女を十数メートルも吹き飛ばした一撃。
それがその女が放ったそれはそれは見事なドロップキックであることに、
彼女は気付いていたからだ。
ただの女が放つ蹴りにしては、少々威力が強すぎる。
何より、仁王立ちする女の頭上に光る二本の触覚は何だ、一体。
自分と同じMAIDか、
それとも人に化けた妖怪か。
「もう一回言ってみろ、コノヤロウ」
女が鼻息も荒く吼えた。
が、どうにも意味が分からないので、とりあえず首を傾げてみる。
「だ~か~ら~、さっきあんたが言ったことをもう一度言えっての!」
「何も申しておりませんが」
「なっ 嘘ばっかり! こんな無意味なおっぱいすら付いてねぇ女は死ねばいいのにとか言ったじゃん!」
「いえ、それは本当に申しておりませんが」
実際マジで言ってないのだから、どうしようもない。
しかし女はその答えに全く納得がいかないようだった。
一昔の漫画のように、きぃ~と歯を鳴らして地団太を踏む。
「ふんっ あ、そう。そう~なんだ。あくまで謝る気は無いんだ?」
「非礼を働いた覚えが無い以上、詫びる義理はないかと」
「ムッカー! もういい、お兄ちゃんには止められてるけど、もうそんなん知らねー!」
女の頭部の触覚が突如爆発的な光を放つ。
稲光に匹敵するその光源は、人の意識を奪うことすら容易い。
咄嗟に目を覆った彼女以外の人間は、皆一様に崩れ落ちた。
「ありゃ、何だ気絶しなかったの?」
それは残念、と付け加えた女が脱衣場から飛び出そうとした
瞬間、
女の背後にゆらりと影が現れ、影は女の頭に特大の拳骨を喰らわせた。
その一撃は凄まじく。
叩き潰された女は、まだぼんやりと光を放つ頭を床にめり込ませて機能を停止する。
「何やってんだい。私だって我慢してるってのに」
影が豪快に笑いながら女を床から引っこ抜いた。
いや、影もよく見れば一人の女。
だがその体躯は尋常ではない。
女ではない、大女だ。
しかも触角ではなく、角の生えた大女。
ぬう、何か終わりが見えない!
必殺“適当に終わらせる作戦”を発動するときか!
最終更新:2010年04月11日 19:59