夜々回帰

(投稿者:ニーベル)




 「珍しいな。お前が戻ってくるとは」

 「それは私の台詞だと言わせてもらおうか、童元。君とてそうそう戻ってくるような人物ではあるまい」

 永花の言葉に、何かしら理由でもつけて反論してみようと思ったが、上手く言葉が出ず、結局口を噤んだ。
永花の言うとおり、自分が故郷である楼蘭に帰ってくることなど――それも短期ではなく長期休暇ということで――という事は、夢にも思わなかった。マークスの護衛を務めている間など、それを考える事もなかったのだ。
 メードと人間の連合軍対Gとの争いは、この三年間で大きく変わった。メードの数が増え、人類の武器が発達していき、次第にGの軍勢を押し返す事が出来るようになりつつあった。
無論、押し返す事が出来るようになっただけであり、即座に一気に奪われた全ての土地を取り返すという事が出来るはずもなかったが、Gに奪われた土地を蚕が桑の葉を食べるように、ゆっくりとだが着実に取り返し始めた。過去では押されるだけであり、優勢な戦場など無かったのが嘘のような進歩である。

 だから、こうして自分もここにいる事が出来るのだ。マークスの護衛はアリッサに任せてきていたし、何も心配することは無かった。むしろ、あの二人はそちらの方が良い。彫像と言われる自分とて、男と女の事ぐらいは分かる。
マークスの世話をやけにやりたがるアリッサに、それを黙って認めているマークス。珈琲を淹れるのは自分の役目だったというのに気がつけばアリッサが、マークスが好む味の珈琲を淹れるようになっていた。
いつの間にそこまで覚えたというのかとアリッサに聞いてみれば苦笑して教えないし、マークスにでも問いただしてみようかと思ったが、無粋な事なので止めた。
 悪いことではない。あの何時までも独身を貫き通しそうな堅物の主が恋愛をしているという事実。それも、人ではなくメードを相手にしているという事に皆が驚くのは容易に想像がつく。

しかし、それだけだ。メードと人の恋愛などいくらでも聞いた覚えがあるし、ベーエルデーでは人とメードが結婚して、子供を授かったという話も聞いている。子どもが出来た時はいろいろと騒がしかったようだが、今ではそれも沈静化の一途を辿っている。
 メードと人間の恋愛など認められないという輩もいるだろう。兵器が人間相手に恋愛など認められないとでも言うそういう差別主義者もいるかもしれない。だが、今は時代自体がそういう流れになってしまっている。
元々メードと人間の区別は非常に曖昧だ。姿形を見るだけならば人間と何も変わらない。泣いたり笑ったりもするし、自分にとって不愉快な物があれば怒ったりだってする。中身だって人間とほぼ変わらない。
変わっているのは人間離れしている異常な力の強さと頑強さ、現在の科学では証明できない能力を持っているという事ぐらいだろう。

 これらの事を考えれば、殆んど人間とメードは同じ存在なのだと言えるが、どうしてもそれを認めたくない人間もいる。さすがにそこまで頑強な人間は少ないだろうが、今だにいるということも、また事実だった。
自分は昔から兵器としての扱いにも慣れていたが、人と同じように暮らしているメード達にとっては不愉快極まりない人種だろう。喜ぶべきは、そのような人間が自分の知り合いの中では、誰もいないということか。

 「……確かにな。まぁ、信頼出来る後釜が出来たからこそか」

 ふっと意識を、こちら側へと戻す。下らない事を考えたと感じたが、悪いことではない。
昔なら、こういう思いすら頭に浮かぶことは無かったのだから、そう思えば自分もメールとしては成長したのかもしれない。

 「ほう、君は護衛に関しては非常に煩かったからな。その君が信頼出来るというからには、余程の手練か」

 「手練ではないな。ただ、誰よりも主を想ってくれている事には違いない。だから任せた」

 「なんだ、男と女の関係でもあるのか」

 「あるだろうな。隠しているつもりだろうが、どちらも下手すぎる」

 「下手すぎるのか。確か、君の主は」

 「三十代だ」

 「恋愛をした事はないのか」

 「無いのではないか?」

 永花が呆れたような表情でこちらを見るが、無視しておく。それならばお前もだろうという視線でも刺されるが、目を逸らす。
しばらくこちらをじっと見ていたが、諦めたように溜息をついた。恋愛などしようとも思ってもいなかった。どこかで自分は錆びてしまっているのだ。
 錆びているというべきか、不思議とそういう感情が湧いてくることはなかった。何か自分の心に鍵でも掛けられているような気すらしてくるぐらいに、そういう浮ついた心は締め出されていた。
それで良かったのだとは思う。どう考えても自分には、合わないし無理なものだ。一夜限りの関係として娼婦を買うぐらいの方が余程合ってる。それに、それなら後腐れもない。
何かに縛られるというのが、嫌なわけではないし、親子の関係に似た愛情なら抱いたこともある。それだけで十分だ。

 「しかし、ここの宿は良いな」

 先程の色恋話から話を切り替えるように、宿を褒めてみる。これ以上色恋の話をされぬようという意味合いもあったが、実際にこの宿は素晴らしかった。
落ち着いた雰囲気といい、沁みいるような蝉の鳴き声。静かにだが、耳を潤してくれる川の流れる音。これら全てが見事に調和して、夏という季節を表現しているようにすら感じる。
 じめじめとしているはずだが、音のおかげなのか、そこまで熱くも感じない。程良い蒸し暑さというものがあるのかは分からないが、今の状況はそれに当てはまるのではないか。
それだけの風流を維持出来ているこの宿はそれだけで魅力的だが、料理も心が篭っているというべきか、しっかりと味がついていて、それでいてくどくなく、すんなりと喉を通る。

 「だろう。私が取ったのだ」

 「嘘だな」

 「即答か……つまらん男だな、君は」

 「私に面白さを求めるな。で、誰だ、取ったのは」

 ぶーぶーっと頬を膨らませ文句を垂れている永花を余所にしつつ、酒を飲む。酒も、ひやりと冷えていて実に美味かった。肴を食べるのも進むというものだ。

 「そうやってまた私を虐めるか」

 「虐めてなどおらん」

 「いや、虐めているな」

 「おらん」

 このままでは埒があかない。絡んできた永花も面倒だが、拗ねた永花もまた面倒だ。自分にとっては、泣く子と拗ねたり絡んでくる永花には勝てぬという言葉が勝手に出来るぐらいに。
嫌いではない。他の者ならば、面倒の一言か手振りで済ますが永花の場合はどうしてもそっけなく反応を終わらせる事が出来なかった。それが永花も分かってるのか、わざとこちらに対して困るような事ばかり仕掛けてくる。
 昔からそうだ。古参の連中の中でも永花はかなり自分に絡んできた。思い返せば、随分と懐かしい記憶が蘇ってくる。多分、童元というメールの生としては、一番穏やかな日々を過ごせていた時期であったことには違いない。
 弟子達もいた。馬鹿の安綱に女好きの隆光。優等生だった銀那。三者三様だったが、誰もが良い弟子達だった。あの出来事があるまでは、三人とも親友達と言える仲だった。互いに、時には馬鹿をしたり喧嘩もしていたが、見ていて微笑ましかった。
それが、あの事件の後からそれぞれがバラバラになってしまった。安綱は義を重んじ、隆光は義と公の間に挟まれ悩み、銀那はその二人の間で迷い、自分は公を優先した。
任務を終え、公を優先した自分の言葉を聞いた時の、今にも食って掛かろうとする安綱の表情は、心に焼きついている。自分に向けられた敵意も、身体にずっしりと刺さってきていた。

――祖国の為に。

 事件の際、自分の思いにあったのはその信念だった。間違っているなどとは微塵も思ってなどいない。しかし、もう少し違う方向へと出来たのではないか。その思いも脳内を走り回っていた。
もう少し、自分が気の利いた言葉を掛けてやれば、あの三人の仲は崩れなかったのではないか。ちょっとだけ、自分が情を見せれば安綱も安心してくれたのではないか。

――今更過ぎる。

 もう過ぎたことに対して、後からくどくどと考える事が増えてきた。終わってしまった事など変えることなど出来ないというのに、あの時ああしていれば、何か違うことをすればと変わっていたのではないと。

 「童元」

 声を掛けられた。永花が、鋭い目つきでこちらを見てくる。

 「考えすぎるな。君の悪い癖だ、それは。 悩まなくていいことを延々と気にする」

 「何を考えていたか、分かるのか」

 「分かるはずがあるまい、私は覚(さとり)などではない。 人の心など読めんさ。ただ君の表情が微妙に曇ってたから言ってみただけだ」

 「……そうか」

 「弟子達の事でも考えていたのか」

 「ああ」

 永花が微笑んだ。つられて、自分も微かに笑みを浮かべる。互いに若い者たちを育てた経験がある身としては、通じ合うものが多かった。後はこの場に、壱がいればさらに盛り上がっていたかもしれない。
指導者としての素質は、恐らく壱と永花の方が上だろう。自分は、お世辞にも良い指導者とは言えなかった。あの二人のように愛情を感じさせてやることも出来ないし、ただ不器用に殺す技術を教えてやっただけだ。
 逆に言えば、よく自分に着いてきてくれたと思う。不甲斐ない指導者である自分を慕っていてくれた。そんな自分は、彼らを裏切った。かつての指導者だった自分は、国外へと追放されたのだ。
それでも彼らは、自分に対して敬意を示してくれる。隆光と銀那とは時々連絡を取った。隆光とは国も離れすぎていて、滅多に会うことはなかったが、極稀に文を届けられたりした。
 銀那とは、ここ数年のうちにクロッセルの方へと派遣されてしばしば会う機会もあったし、よく話した。

 「その弟子のことだが」

 永花が気まずそうに、口を開いた。珍しい事だ。

 「どうした」

 「隆光と銀那が、来ている」

 「……どこにだ。楼蘭にか」

 「そうだ。それも、この宿に」

 耳を疑った。冗談だろうという視線を向けるが、永花は首を振らないし、いつものように笑わない。そんな偶然があってたまるものかと思ったが、どうやら神というものは、そういうのが御好みらしい。
溜息を吐く。この状態を隆光や銀那に見せたらなんと言われるだろうか。女とは無縁だった自分が女と同じ部屋で寝泊りすることになっているとすれば、あの二人になんと言われるか。
 少なくとも、隆光はしつこく纏わりついてくるのは分かりきっている。銀那は多分、妙に不機嫌になるだろう。どうして不機嫌になるのかは分からないし、本人も不機嫌ではないと言い張るがどっからどう見ても不機嫌であるのが分かる気配を出していた。
女と話しているとそうなのだ。試しに、女と話していると銀那が不機嫌になる理由が分からないと一度永花にぼやいたが、その時は永花に呆れられた顔をされた。本当に分からないのか、と言われても分からないものは分からないと言い返せば、だから君は朴念仁なのだと馬鹿にされた。
 分からないものは分からないのだ。隆光なら、分かるだろうにとしたり顔で言われたのには、少々腹が立ったが。

 「……一人でか」

 「いや、女性を二人連れてきていた」

 「ほう。いつの間に」

 「聞いてないのか。あの馬鹿光が、ザハーラで女性二人と付き合っているのというのを」

 「知らなかった。というより……二人もか。連れてきているのか」

 「さっきも言っただろう。 君は本当に任務の事以外だと意外と惚けているのだな」

 「戦場の事しか考えられんからな」

 「つまらん男だな、全く以て」

 「結構だ。しかし、女性二人か」

 「馬鹿光は、あれでいて女には真面目だ。 不義をやってしまうような男では無いはずだが」

 永花にも事情は分かっていないらしい。無論、女心や男女の機微が分からぬ自分には元より理解できるはずがない。あえて言うなら、複雑な関係には迂闊に首を突っ込まない方がいいという事ぐらいは理解は出来ているぐらいだ。
隆光についての永花の意見には、同意だった。あの馬鹿弟子は軟派のように見えて、どこか繊細というか、難しい面がある。多かれ少なかれ、自分の弟子達は何か微妙なモノを持っていた。
 自分は、そこに入ろうと思ったことはない。誰にでも、入ってほしくない領域というのはある。そこに踏み入るまでの勇気も度胸も自分には無かった。
隆光は、どうなのだろうか。あの男は人と打ち解けるのは得意だった。戦闘面に関しては普段の軽さとは裏腹に手堅く粘り強さを見せたが、これはと思わせるようなものではなかった。
だが、何故か人を惹きつけた。メードだというのに、あの男は平然と人間たちの輪の中に入り馬鹿をやり、いつの間にか慕われていた。
 人々の笑顔の中心に、あの男は常にいたような気がする。いなければ、どこか落ち着かない。そんな男だ。
信義を重んじているのは安綱も一緒だったが、隆光とは何か違う信義だった。別にどちらの信義の方が良いとか、そんな野暮な考えをするつもりは無い。二人の信義の違いは、ちょっとだけ方向が違うような気がした。それだけだ。

 「何か、事情があるのかもしれん」

 「事情か、馬鹿光に」

 「意外にな」

 「ふうむ」

 永花が考えている間に酒を飲み、軽く喉を潤す。気がつけば、永花も自分の酒が無いことに気づいたのか、徳利から自分の杯に酒を満たしていく。とくとくと、杯に酒が注がれる音と、川の流れる音、蝉の鳴く音だけが響く。
月明かりが、今は自分達を照らしてくれている。この風情ある音だけでも、酒を美味く感じる事が出来た。
 永花が、酒を一息で飲む。永花もさりげなく酒が強かった。自分と飲み比べても顔色は一切変えなかったのだから相当強い方なのだろうが、僅かに顔にほんのり朱色が差しているのが、男をそそる色気を出していた。
自分のように枯れている男には縁のない話ではあるが、女色好みの男にはたまらないかもしれない。安綱はころっとやられるのだろうか、隆光は揺らいでしまうのだろうか。

 「ところで永花」

 「なんだ」

 「私から先に言ってなんだが、笑うなよ」

 「どうした急に。笑わないから言ってみたまえ」

 永花が、肴へと箸を伸ばして口に含む。

 「私とお前が出てくる夢を見た」

 「ほう」

 永花が興味深そうに身体を乗り出してきた。悪い癖だ。話すべきではなかった気もするが、興味を持ったらしつこいのが永花だ。
話すのをやめようかと思ったが、眼が新しい悪戯を考えた悪ガキのように爛々と輝いてる永花を見たら話さざるをえない。下手にここで止めれば、意地でも聞き出そうとするに違いない。

 「どことは上手く言えんが、山道を歩いていたな。周りが桜に囲まれていて」

 「君には随分と似合わないところじゃないか」

 「茶化すな」

 「すまないすまない、では続きを述べてくれ」

 「やれやれ、それで……と思ったが、やはり止めても構わんか」

 「どうした」

 「言いにくい」

 「言ってみろ」

 顔をぐいっと寄せてくるが、その前に肩をつかみ、押し戻す。

 「……妙に仲が良さそうでな」

 「ほほう。私と君が」

 「私とお前に、よく似ていると言ったほうが良いかもしれんが……」

 「いやらしい夢だったようだな」

 「冗談はよせ」

 永花は、相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている。やはり話すべきではなかったと思ったが今更どうしようもない。
全部洗いざらい話すしかないのだ。半分諦めた気持ちで言葉を続けていく。

 「手を繋いで、歩いていた」

 「やはりいやらしい夢ではないか」

 「……お前はそれしか頭にないのか」

 「怒るな」

 「ただな。一つ気になったのは、お前が傷が一つもない状態だったことか」

 「それなら」

 「戦場に出てすらいない肌だぞ。あれは」

 永花が続けようとした言葉を遮る。自分が見た夢の中でも、異常に気になってしまったのだ。
普段ならば夢など、大したことのない出来事だからと気にも留めないのだが、最近見るようになった夢は別だった。妙に何度も同じ夢を見るのだ。場面は変わったりもするが出てくる人物は自分と永花で、常に出てくるのには変わらない。
それどころか、時々人が増えたりもする。妹のような人物と戯れている自分がいたり、軍部で任務らしきものをこなしていた自分と、指導を受けている兵士達。
 場面がおかしいぐらいに次々と変わっていくので、一つ一つをハッキリと覚える事が出来なかったが、唯一頭にこびりついてたのが永花に話した場面だった。何故か、起きた後でもその場面だけは明瞭に思い出せたのだ。
どうしてこんな夢を見るようになったのか全ては分からないが、間違いなく一つの原因は、この場所だと思った。楼蘭に帰りこの場所に来てから、このような夢を毎日見ている。 

 何か自分に関係があるのだろうか。以前来た事があるような感じ――デジャヴと向こうでは言ってたが――と似たようなものは感じる。永花には言ってないが、ここにも何度か訪れたことがあるような感覚があった。
あくまでも、ある気がしただけであり実際にはそんな事はないのだが、どこにどの様な物があったのか、向こうへ行くと何処へ出るのか分かってしまった。待っていた永花が時間通りに来た自分を見つけて驚いていたし、この宿の人々も驚いていた。
 普通なら入り組んでいた街並みで絶対に迷うので、こちらから迎えに行くのが大抵のことだとも言っていた。永花は、迷子になって狼狽えている童元が見たかったのにとぼやいていたが無視してチェックを済ませてもらった。
その間もしつこく永花に実は来たことがあるのだろうとか、事前に下見をしていたのだろうと言われたが、そんな事をするような自分ではない。そんな暇があるなら自分の身体を鍛えているし、大体分からければ素直に聞く。
 何度もそう言ってやったのだが、永花は結局納得しなかった。それ以上説明するのも面倒なので、そのままにしておいた。自分だってどうして初めて来たはずの場所なのに迷わずに来れたのか分からないのだから、説明出来るはずもない。

 「随分と、自信を持って言いきるな」

 「……やたらと頭に残ったからな」

 本当の事だ。簡単に忘れられることなら、とうに忘れているし忘れたい。自分と全く同じ姿の男が、親友を恋人のように扱っている夢を見ていると、複雑な気分になるし、そんなのを長々と見たいとも思わない。

 「そんなに私の事をいやらしい目で見ていたのか」

 「誰が見るか、馬鹿者」

 「つれないな」

 「仕方あるまい。……少し、外でも歩いてくる」

 「ああ、行くなら酒でもついでに買ってきてくれ」

 「まだ飲むのか」

 もうそろそろ、止めておいたらどうだという視線を浴びせる。

 「無論だ」

 無駄だった。








 外は、心地良い風が吹いていた。迷わずに入り組んだ街中を抜け、酒屋でお目当ての酒を購入して、後はこの川に沿って宿へと帰るだけだ。
宿への道には余り明かりがないと言っても、入り組んだ街中が一番迷子になりやすいところなので、そこさえ抜ければもう迷うような所はないのだが、人気が少なく女子供には危ない道なのか、自分以外の人を見ることはなかった。
 自分の歩く音と川の流れる音、虫たちがころころと鳴いてる声しか聞こえない。明かりは遠くに見える宿の光しか見えず、今は月明かりだけが頼りだった。
幸い、自分は夜目がきく方であり月明かりだけでも十分に見えるし、少々道が荒れていても転ぶことなどもなく帰れそうだった。余り待たせると、永花が煩いのもある。このまま真っ直ぐ帰るべきだった。

――音?

 それを止めたのは、河原の方から響く物音だった。動物にしては、音が重い。それにじゃりじゃりと連続して鳴っている。
こんな夜に河原から音がするなど、余り関わりたくない人種しかいない。関われば大抵面倒事になる。普段の自分ならば、さっさと通りすぎていっただろう。今回は場合が違ったから、残ったのだが。
 男性の声だけならば良かったのだが、女性の声もしていた。それも、微かな声だが微妙に嫌がっているようにも思える声に男が何か呟いてる声。まだ、遠くだからハッキリとは聞こえないが男女で何かしているのは確定した。
この時間帯で、こんな人気のない場所である。さすがに怪しいと思わざるを得ない。声の方向へと、気づかれぬように歩いていく。河原の方へと進む度に声は聞き取りやすくなるが、かなり小さい声で喋っているのか、大分近づいてもメールの自分でも聞き取れない。
 出来るだけ、ゆっくりと気配を殺して近づいていく。

 「……つさん……だめ……こん……」

 「……か……れん?」

 若い男と女の声がする。大体二十代後半と十代後半と言ったところか。こんな夜に、しかも人気の無い河原でなどというと余計に怪しさが増す。
二人がいると思われる距離までは若干遠いが、自分なら充分に跳んで届く距離だ。一応、身体が動くことを確かめておく。
 何か、争うような音がしてきたがそれほど煩い音ではない。女が微かに抵抗でもしているのか。そろそろ動かねば不味いのか。衣服が、下ろされるような音がした。次には、強引に口を塞ぐような音。迷ってる暇はない。地面を蹴り飛ばし跳躍する。
砂利が鳴った音に男の方が気づいたのか、咄嗟に何かしようとしたが構わなかった。地面に着地と同時に、足を蹴り上げる。綺麗に男の顎へと入る。そのまま男を跳ね飛ばしておいた。女の方はいきなりの乱入者の存在に驚いたのか、震えている。

 「大丈夫か」

 「え、あ、あ、あの……」

 女の顔を見る。流れるような髪の毛と、脱がされかけていた衣服から微かに覗く、豊満な身体をしていた。今にも泣きそうな様子で怯えてる様子であり、気弱な表情を浮かべている。
何故こんな時間にいたのかは知らないが、余りにも無用心すぎるというものだ。説教をするつもりはないが、これでは襲われても文句は言えまい。

 「どこから来た」

 「いや……その、あ、あぅ」

 まるで小動物のように身体を縮こまらせ、震えている。確かに自分が人を安心させるような顔つきかと言えば、絶対に違うのだが、ここまで怯えられると少々気持ち的にも落ち込む。
そんなに自分は怖い顔をしているのだろうか。教会内の子供たちでも、ここまで自分に怯えるような事はなかったが、アレは子供たちが慣れていただけなのだろうか。
 自分の主であるマークスも相当に怖い顔つきだった。サングラスを書ければどこかのマフィアの幹部と間違われそうな人相だったが、自分はその主よりもおっかない顔つきだと思うと余計にへこむ。
今も少女は怯えたままだ。このままでは自分の方が怪しい人物扱いである。少しばかり考えて、口を開く。

 「怯えるな」

 とは言うものの、初対面の相手であるがゆえに、どうしても言葉はきつく、それでいて鋭くなってしまう。

 「は、はいぃ……あ、の…」

 「落ち着け。さっき、襲ってた男は軽く小突いたから大人しいはずだ」

 「男……そ、そうだ!」

 いきなり自分をどんと押して、倒れた男へと駆け寄る。動く度に服がずり落ちていってるというのにそれすらも無視して、必死に男へと縋りつく。
この様子を見て、ようやく自分がしたことが間違っている事に気づいた。同時に、不味いという気分が心の内から上がってくる。謝るべきなのだろうかとも思うが、誤解を招く行為をしてたのが悪いとも言いたい。

 「だ、大丈夫ですか……?」

 「あだ、だ……ああ、大丈夫だ、翆蓮……アンタいきなり何するんだよ、そりゃあこんな場所で何かしてたら怪しむ気持ちは分かるがって……」

 男の声が止まった。自分も動きが止まる。次の声は、ほぼ同時だった。

 「……師匠?」

 「……隆光?」

 翠蓮が、またおろおろとしはじめた。






 「それで、帰りが遅くなったというわけか」

 永花が話を聞き終わるなり、必死に笑みを噛み殺していた。対する隆光は珍しく顔を赤くして俯き、翆蓮ともう一人の褐色肌の女性――イウサームと言ったか――が二人そろって慰めていた。
愛する女と野外で愛しあおうとしていた所をいきなりぶっ飛ばされた上、そのぶっ飛ばした相手が師匠でその現場を見られたとなれば、そうなる気持ちは痛いほどよく分かる。
下手したら男として二度と立ち上がれないのだろうかと思うほどの辛さだろうと思うが、謝る気は無い。あんな夜遅くに、人気のない河原で行為に走る方が悪いのだ。誰だって誤解するはずだ。

 「あれでは誤解する。そうは思わんか、永花」

 「君が恋愛において百戦錬磨の達人なら分かるが、恋もしたこともない朴念仁だからな」

 「そういうのを察するのに恋愛は関係ないだろう」

 「かもしれないが、会話や仕草で大体分かるだろう? それが何時までも分からんから、朴念仁なんだ君は」

 どうしても、永花は自分を朴念仁ということにしたいらしい。言い返すのも無駄だと思って、反論するのを諦める。隆光はずっと押し黙ったままだ。自分が永花と同じ部屋ということを、さっきの出来事が無ければ自分をからかえたかもしれないが、自分がそれよりも恥ずかしい現場を見られた以上は黙っているしかないのだろう。
黙ったままの隆光に軽く目をやり、噂の二人の女性を見る。翆蓮は自分と出会った後もずっとおろおろしているが、隆光に抱きつき、慰めている。イウサームの方もまた、同じだ。どちらかと言えば翆蓮に遠慮しているかのようにみえるが、しっかりと腕を握っている。
 この態度を見ていれば、隆光が不埒な理由で女を二人囲っているわけではないというのは分かった。弟子だった時のままだということに安心する。どちらかと言えば、昔に比べて凛々しくなったような気もするが、先程の行いの所為で、それが本当かどうかはまだ判別出来なかった。
永花は相変わらず、にやけた笑みを崩していない。弄る相手が増えて嬉しいのか、それとも女性二人の方でにやけているのかは知らないがどちらにしろ碌な事ではないだろう。

 「隆光」

 呼びかけてみると、ようやく隆光は顔を上げた。

 「なんですか、師匠」

 「変わらんな」

 「ザハーラへ行って、たった三年。 それだけで人が変わると思いますか」

 「変わるものは変わるさ。それこそ一日でだって人は変わる」

 「そんなもんですかね。そりゃあいきなり失われた記憶が戻ったりとか、死んだはずの人が目の前に蘇りでもすれば変わるかもしれませんが」

 「それらの事があれば変わるし、何にせよ、少し心構えを変えてみたりするだけでも人は変わる」

 「生憎と、俺らは人じゃなくてメールですがね」

 「それを言うな」


 隆光が楽しそうに、ようやく笑い始めた。翆蓮とイウサームの頭を撫でて二人そろって抱き寄せる。二人ともいきなりの事で照れているが、嬉しそうにしていた。
自分も笑みを零す。ずっと落ち込んでいるのはこの男らしくない。こうして仲間や恋人に囲まれて、笑って過ごしているのが一番似合っている。永花も、にやけ顔ではなく、今度は普通に笑っていた。
 その様子を横目で確認しつつ空いていた隆光と翠蓮の杯に酒を注いでやる。イウサームは、酒を断っていたが一杯だけで注いでやったら恐る恐る飲み始めた。隆光はのんびりと飲み、翆蓮は一気に飲み干しておどおどとしながら、すいませんもう一杯もらえませんかと頼んできた。
かなり強めの酒であるのに、一息で飲み干してきたのだ。思わず永花の方に目をやる。永花も唖然としていたが、隆光は苦笑していた。どうやらザハーラの方ではかなり有名らしい。そして皆の視線が一斉に翠蓮に集まると、自分でも大酒飲みということを知っていたのか急に顔を赤らめて、隆光の影に隠れてしまった。
 隆光がその頭をまた撫でる。永花が意外そうに視線をやる。隆光本人は成長したと思ってはいないようだが、自分達から見れば隆光は大きく成長しているように感じる。自分で成長していないと思ってる人間程、成長しているものだ。
非凡な人間が自分は非凡であると認識するのは容易い事だが、非凡な人間が自分は凡庸な人間であると思ったときほど怖いものはない。天才ゆえの驕りや、油断がなくなってしまうからだ。
 そういう者を相手にするのは至難だった。隆光が非凡であるかどうかはまだ分からないし、成長がどれくらい成長した事かは分からない。

 そう思うと、若さが羨ましいと思う。自分は老いていく一方でありながら、若い者達は成長していく。我々古参の者たちから経験や知識を得て、より強くなっていく。
いずれ強くなり、自分は追い抜かれるのであろうか。追い抜かれたりするのは当然の事だが、追い抜かれるときに自分が持てる全ての力を出せなくて抜かれるのは、嫌なのだ。
 超えられるにしろ、全力を出し切って若い者たちに乗り越えられたい。老いが完全に自分を追い詰める前に、乗り越えられたい。それがいつになるかは分からないが、自分が納得する形で若いものに引導を渡してもらいたいのだ。

 「若いというのは、良いな」

 「君も若いだろうに」

 「見た目だけはだ」

 「精神的に君が老いているのは熟知しているさ。なぁ隆光」

 「俺に話を振るのは止めてくれ永花。師匠にまたぶん殴られる。さすがに女の前で二度もぶん殴られるのは格好がつかないんだよ」

 「さっきのようにか、隆光」

 「……勘弁してください」

 翆蓮とイウサームが微かに微笑んでいる。二人を見ていて、隆光は良い者達を見つけたなと感心する。自分にもいつかはそういう相手が出来るのだろうかと思ったが、無理だと思った。隆光は陽であり、自分は陰である。
あの明るさは自分には持てないだろう。持てたとしても、いつになるのだろうか。自分のような暗い人間が、あの明るさを得れる事があるのか。
 見苦しい男だと思う。散々いらないと思いつつ、どこかで伴侶を求めている。それなのに、女性を拒否する所があるのだ。それは何故なのだろうと思うこともあるが、答えは出なかった。

 「童元」

 「どうした永花」

 「また、難しいことを考えたか」

 見透かされたていたのか。

 「ああ、またな」

 自分を見る永花の顔は、今度はどこか、悲しそうに見ていた。
その視線に、絶えきれなくて外を見る。自分の気分と裏腹に月は相変わらず冷たく光っていた。


関連項目











最終更新:2010年07月13日 17:58
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