Chapter 6-2 : 彼方の闇

(投稿者:怨是)


 1945年8月12日、夕刻。帝都ニーベルンゲのとあるホテルのテラスにて。
 キルシーは他のルフトヴァッフェのメンバーと共に慰安旅行でこの地に赴いた事を思い返していた。今回、同行する事となったのは赤の部隊、ルフトヴァッフェの主力とも云える面子だ。
 司令官のカラヤ・U・ペーシュがこの旅行を考案した時、議会は騒然となったか。やれ「この忙しい時期に何を酔狂な真似を」だの、やれ「現状の戦力でさえ不足気味というのに予算を割いてまで休息させる必要があるか」だのといった野次がそこかしこから飛んだのが、数日を経た今でも鼓膜の奥底に張り付いている。
 彼らの云い分はキルシーにとって、決して理解に苦しむものではなかった。コア・エネルギーを消耗し続けると、MAIDはいずれ活動不能になる。特に空戦MAIDは大部分を飛行に費やすため、標準的な地上用MAIDよりも遥かに消費が激しい。カラヤが今回の旅行を企画したのは、ここ数ヶ月間の激務による疲れを癒してほしいという意図によるものだと思われるが、残ったメンバーはその分、穴を埋めるべく負担も増大する。
 それに、前線で戦う兵士達はMAIDだけではない。今やMAID国家と呼ばれても差し支えない程にMAID技術の発展したベーエルデーに於いても、軍事力の大部分は人間の兵士によって賄われている。対G戦争開始以来、彼らは恐らく一度たりとも長期の休暇はとっていない。その上、頼みの綱の自国のMAID戦力が一時的とはいえ少なくなってしまうとあらば、異論を唱えたくなるのも無理からぬ話だ。

「……さて」

 飲みかけのビールを眺めながら、自分が先程まで何をしていたかを思い出そうとする。確か、浴室が空いたから使おうとしていたのだったか。

「それにしても、不味いわ」

 この国の酒は、ベーエルデーのものに比べると味気ない。本国ではカクテルやワインが主流であり、キルシーはどうにもビールという飲み物が口に馴染まなかった。麦と炭酸の味しかしない、品格の欠片も感じさせないこれを、やっとの思いでジョッキ半分まで減らせただけでも、自分を褒めてやりたい。

「だが、キルシー。帝都の夕陽も悪くはないな」

 横合いから、シーアに声を掛けられる。いつもの悪癖だろうと一笑に付し、キルシーは敢えて眼差しと頷きだけで応じた。キルシーが好むのは太陽そのものよりも、それに照らされた花園だ。

「私は夕陽より向日葵が好きなのよ。だって、夕陽って事はお日様と暫しの別れがやってくるって事じゃない。寂しいわ」

「そうか」

 シーアはこれ以上その話題には触れず、夜空を見上げて暫く黙り込んでから、再び口を開く。

「ベーエルデーには、もう慣れたか?」

「お陰様でね。慣れないと付いていけないでしょ。他のクロッセル連合のどの国とも、あの国は風習が違う。まるで、時代がずれているみたいだもの」

 国毎の習慣の違いは往々にしてよく目にするが、ベーエルデー連邦はそれを差し引いても、何もかもが一線を画しているとキルシーは感じた。タイフーン計画の失敗作としてクロッセル連合中をたらい回しにされた経験のあるキルシーは、その感覚に確信めいたものを持っている。

「確かに、異端なのかもしれないな」

「異端もいいところよ。亜人が議員をやってるなんて今まで聞いた事も無かったもの。最初見た時は腰が抜けたわ」

 キルシーが生まれた頃には既に、亜人は悪魔の手先やらの類として、国際的に忌み嫌われていた。曰く、Gがこの世に現れたのは亜人の仕業だとされ、彼らはまともな職どころか、そもそも人という扱いすら受けられず、寧ろ彼らを殺す度に報奨金が出る程だ。故に彼らはあらゆる方法で“人間”になりすまさねばならなかった。キルシーの生まれたキルトランド王国に於いても、それは全く同じだった。親友だったMAIDが、よく「帽子を脱げるのは自分の部屋に居る時だけだなんて、不便な世の中だ」とぼやいていた。
 ところが、ベーエルデーでは全く違う。亜人の生活環境は人間のそれと同じ様に保障され、帽子で耳を隠したり、顔の毛を剃ったりせずとも、周囲の国民はごく当たり前に接している。このベーエルデーにさえ居れば、亜人は議員にも、銀行員にも、警察にも、歌手にもなれる。日陰者の職業を押し付けられるという事は無い。実にベーエルデーの人口の25%が亜人という、他国から見れば驚くべき数値を叩き出していた。ベーエルデー連邦議会の亜人受け入れ政策が成した結果である。

「キルシー。皆が皆、同じ方角を見ていては、一人も気付けないものだってある。私はその点に於いて、ベーエルデーは誇るべき美点を持っていると思っている」

「国ごとに考えたらね。ベーエルデーは他の国とは別の方角を見ているわ。でもね、ベーエルデーという国の中で考えると、多くの人が同じ方角を見ているんじゃない?」

 確かにベーエルデーは他国のこの時代に於ける汚点を拭い去るかの様に、クリーンなイメージを全面に押し出している。が、そこに至るまでの汚濁と鮮血に塗れた歴史はしばしば無視され、人々は空戦MAIDの伝説を盲信し続けている。
 途中までは微笑んで頷いていたシーアが、気難しい顔で俯き、黙り込んだ。触れてはいけない部分なのだろうか。キルシーはそれに構わず続けた。

「私には、そう見えて仕方が無いわ。むしろ、同じ方向に行こうとしなきゃいけないって、急かされてるような気がする。だって、ベーエルデーには、空戦MAIDに異議を唱える人は一人も居ないでしょ?」

「どうかな……少なくとも私は、皆が思っている程には情熱的ではないかもしれないな」

「あら、そう」

 シーアの意外な返答に、キルシーは次の言葉を探し損ねた。酒には酔えない身体ゆえに、軽口でその場を濁すという手段に出る事も何だか気が引ける。結局、視線を逸らして思案するふりをする他、方法が見当たらない。このルフトヴァッフェに配属されてから二年半の月日を経ても尚、シーアの思考は読めない。或る時は情熱的で、また或る時は冷徹さを感じさせる。
 似通った部分を多く持っているが、唯一、感情を包み隠すか否かという点で両者は決定的に違う。キルシーは生まれて此の方、己の感情だけは絶対に押し隠さずに生きてきただけに、感情の仮面を被るシーアとは何度も衝突寸前になった。それでいて、いつもシーアがのらりくらりとこちらの追求を避けていつの間にかキルシーは怒る気力も失われ、直前の感情を忘れてしまう。だからこそ、キルシーはシーアのそういう飄々とした態度を、看過しかねる時がしばしばあった。その場面に遭遇する度に、敗北の記憶が脳裏をよぎるのだ。

「……時々、貴女の事、よく解んなくなる時があるわ」

「なるべく分け隔てなく接する事に努めているつもりだが、まだまだ私も修行が足りないかな」

「私がお馬鹿さんなだけなのかもね」

「……どうかな」

 シーアもまた、言葉を選んでいる。こちらの逆鱗に触れる事を恐れているのだろうか。それとも、いつもの熟考する癖だろうか。彼女はこちらから言葉を掛ける度に、何かしら気の利いた返答で応じようとする。今日ばかりはその持ち合わせも尽きてしまったか、やたらに話題を変えたがる。

「それにしても、此処は帝都でもかなり北の方だった筈だが、あの辺りはやけに暗いな。農村だったか?」

 今、この瞬間とてそうだ。また別の話に移してしまった。しかも決まって、キルシーにとって無視しづらい内容だ。丁度、キルシーも遠くの景色に違和感を感じていた所だった。

「ルフトヴァッフェに入る前にここへ来た事があるけど、あそこは街があった筈よ。云われてみれば確かに、妙ね」

「停電でもしたのだろうか」

「Gが発電所に紛れ込んだという線もあるわ。でも、それなら帝国のMAID達が何とかしてくれるでしょう」

 キルシーが半ば投げ遣り気味に返すと、シーアはやけに素直に――と云うよりも寧ろ素っ気ない態度で――その言語を受け取った。

「彼女達ならば任せても良さそうだ。では私は、帝都の夕陽はどのようなものか、もう少し近くで堪能してくる」

「そう……本来ならこの世の全ては全人類が有頂天たる私のものと云いたい所だけど、夕陽は好きじゃないから貴女に譲るわ。行ってらっしゃい」

「全く、君は素直じゃないな。花は開いてこそ美しいというのに」

 シーアは苦笑しつつ踵を返し、いつもよりは控えめに翼を展開して、テラスから飛び去った。暗くなると、彼女の翼はよく目立つ。ただでさえベーエルデーとエントリヒはあまり仲良くしているとは云い難い状況だ。余計な騒ぎを増やして新たな軋轢を作りたくないという、彼女なりの配慮なのだろう。数秒を経た頃には、彼女は沈み行く夕日に紛れて殆ど見えなくなってしまっていた。

「……素直じゃないのも、回りくどいのも、きっと、お互い様よ。レッドバロン」

 キルシーは、もはや声の届かない距離へと飛んで行ってしまったシーアに、そっと呟いた。直接云ってやろうとも一度は思ったが、何故か途中で気が変わったのだ。その原因は判然としない。キルシーはすっかり微温くなって炭酸の抜けたビールを、顔を顰めて呑み干しながら、直接伝える気が失せたのは毎度の如く話が拗れて面倒な事になりそうだったからだろうと考える事にした。


最終更新:2011年02月05日 11:52
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