ノスタルジーについて・2

(投稿者:Cet)



 世界の中心を求めて旅に出た










 世界は移ろう。
 しかし消えることはない。
 そして法則もまた消えはしない。

 巨大な蜘蛛が青年の心の中を歩いていた。
 糸を張りめぐらせながら。
 青年もまた歩いていた。
 心を疲弊させながら。

 暗闇の底で、青年は男に出会った。
 青年にとって彼は、初めて出会う男だった。

「よお」
 青年は声を掛けた。
 男は胡乱さを感じ取ったかのように視線を上げる。

「……誰だ」
「なあ、誰でもいいじゃないか」

「そうだ、何だっていい」

 どこに居たって意味は変わらない。
 誰もが何かを崇める限りで意味を見出すことを可能とする。
 そして、誰もがそのことを辞めれやしないのだ。

「俺は蛇が好きなんだがね」
「……どうして」
「蛇は永遠の命のメタファーだろ? だからさ」
「我々は常に永遠な存在だ。
 無いものになれないとすれば、我々は消えることができない」
「シンプルな哲学だ」
「……哲学ではない、信仰だ」
「何だっていいさ」

 青年は心の中に蜘蛛を飼っていた。

「『ああ! 俺の心の中を、たくさんの蜘蛛が這いずりまわる』」
 いかにも演技をするようにして、青年が言った。
 青年に対して男が投げかける視線のほとんどが、胡乱さを糾弾する為のものだった。
「稀代の詩人を容易く模倣するな」
「模倣じゃないさ、実情だよ」

 青年は常に飄々と喋った。

「……お前の信仰は何に向けられている?」
 ある時男が投げかけた問いに、青年は答えた。
「夏さ」
「夏?」
「そう、それは停滞と旅立ち!」
 青年の返答に、男は暫く考える素振りを見せる。
「珍しい信仰だ」
「そうでもない、皆似たようなものだからね」
「そうだな」
 相槌の後、間があった。
 思考を経て、青年が口を開く。
「故郷を持たない人間は、常にそれを探し求めずにはいられないのさ」
「そうか」






「戦って戦って戦って……無限の奉仕をすることが君の生きる意味というやつかい、いやそれならそれで良いんだが、それじゃまるで奴隷階級、まさにサーバントの状態だぜ。
 奴隷も熟練すれば生きる意味を見いだせるとかなんとかそういう話もあるけれど、否定と止揚の果てに一つの道具のようなものになることに、意味があると思うのか?」

 青年は夢を見る。

「きみにとって本当に大切なものは何だ?
 今君は何をやらなければならない?
 君を動かすものは何だ?
 何が君を本当の意味で生かしているのか、それを考えるんだ」

 青年の言葉は、暗闇の中に浮かび上がって見える少女に向かって投げつけられる。
 少女は無表情で立っている。

 少女は青年に向かって歩み寄る。

「きみは……」

 青年の頬に手を当てる。
 暫し青年と、名前の無い少女は見つめ合う。
 少女とは対照的に、青年の顔は悲哀に染まっていた。

 そして、どろどろと少女は溶けていく。
 青色の何かへと変化する。
 したたり落ちる。

 暗闇だった全てが溶け落ちて、青緑色に染まっていく。

 青年は沈黙する。
 故郷などなく、空などない。
 青緑のそこは、まるで海の色だ。








「それで、例の」
 肩のラインと星の数が目に付く場所だった。
「マザーウィル……正式にはバードイーターでしたか」
「そう、それだ。
 酷い状況になっている」
 水差しからガラスの器に水を酌みながら、男は言った。
 幕営には長机が正方形に組まれており、十人程の男たちが中心を向いて椅子に座っていた。
 幕営に灯りの類は無かったが、布から染み込んでくる自然光がそれの代わりをしている。
「何でも、出現に前兆がなく、追跡することも不可能であるらしいですな」
「そうだ、現実的な手立てがない」
 ふむ、と男たちは俯いた。
「何でも、兵士たちは色々とあだ名を付けて呼んでいるそうです」
「余計なことを言わなくていい」
 茶化した男も、咎めた男も、どこかしら憔悴した表情をしていた。
 沈黙が降りる。
「つまり、どうしようもないということかな」
 三十代くらいの男が気だるげに言った。








 時は変わって、夜半の前線宿舎である。
 悲鳴が聞こえて、そして、騒がしい雰囲気が生まれ、暫し漂い、消えた。
 灯りは点かなかった。

 ぜいぜいと息を吐く少女を、抱きすくめるようにして、更に小柄な少女が寝台に抑えつけていた。
 小柄な少女は、喘ぐ少女を落ち着かせるべく背中を撫でる。
 双方の少女は寝巻を着ていた。
「……落ち着いて下さい、私です、――――です、私です」
「あ、ああ、ああ……」
 抑えつけられた少女は、口をぱくぱくと動かして、涙をぽろぽろと落としていた。
「夢を見たんですね……大丈夫ですよ。
 落ち着くまでこうしていましょう」
 小柄な少女が掛ける言葉に、反応らしい反応は――ぶるぶると震える体と、うわ言のような繰り返しを別にすれば――返ってこない。
 繰り返し、繰り返しうわごとは口にされた。
 小柄な少女は、背中を撫でてやりながらも、その反復の中から特徴を見出そうとする。
「一体、どんな夢を見たんです?」
 突然、ベッドに押し倒され、抱きすくめられていた少女が起き上った。
 小柄な少女は体制を崩すも、何とか対面している姿勢だけは確保する。
「……蛇、いや、いやだ」
 小柄な少女の肩を、強い力で掴みつつ、囁くような叫び声が上がる。
 他の兵士に聞かせる訳にはいかないという意識が、モラルとして染みついていたのだ。
 小柄な少女は少しばかり面喰っていたものの、すぐに微笑を浮かべる。
「分かりました、話したいことがあれば、何でも話して」
 その言葉に、少女はただただ頷いてみせた。








 夜明け前に、小柄な少女は自室で目を覚ます。
 些かの鈍りすら伴わない所作で、身支度を整えて、水差しの中の水を少しと、少しの塩を舐めてから、宿舎を後にした。
 T字型のプレハブの外は、グレートウォール戦線の乾いた土壌である。
 稜線からの僅かな灯りに照らされて、小柄な少女以外に、もう一つの影がそこにいた。
 走って、影の持ち主のもとに近づく。
 その人は、宿舎に背を向けて、稜線の方へと視線を向けていた。
 間もなく、宿舎の方が騒がしくなり始める。
 まろぶように、少女らがこぞって宿舎から飛び出し、そして二人の元へと駆けてくる。すぐに影は七つになった。
 宿舎に背を向けていた影が、ぽつりと言う。

「点呼を」


最終更新:2011年05月17日 19:47
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