夢の中の犯罪者

(投稿者:Cet)



 彼が街角を通りかかった時、全ての人がその紙面を手にしていたのは些か異様に映った。彼は驚きながらも、歩道で新聞屋らしき男が次々と紙面を配布しているのを見て、納得と胸をなでおろした。
 やがて、彼が歩いてくるのを見咎めた新聞屋の男が、にこりと笑みを一つ浮かべて、「号外!」と一つ声をあげると、彼もまたその紙面を手に取る運びとなる。彼は紙面へと目を遣った。
 その「号外」の内容へと目を遣ると、次のような記事が印刷されていた。

 狂気の連続殺人犯、逮捕さる!
 二十四日昨日、この数ヶ月というものこの小さな街角から町全体を脅かしてきた殺人犯が逮捕された! 男の名前は、――――、御周知の通り風体の似通った女性のみを狙った犯行は残忍を極め、警察関係においても逮捕が急がれていた矢先のことであった。
 今回逮捕された――――、彼の特徴といえば年端もいかぬ青年であったということであろうか! 全く近頃となってはこのような犯罪に拍車がかかっていると言うべきであろう。教育の問題、各家庭における生活水準の問題など、様々な問題が密接にかかわり合った結果として、このような状況が生まれているのである。市民らはこのことに注意を配らなければ――

「ねえ、君はこの事件についてどう思う?」
 不意に投げかけられた声に、彼はそれほど驚くことをしなかった。足を止めると、悠然とした調子で声の方へと振り返った。
 そこにいたのは一人の青年であった。
 青年はハンチングを目深に被っており、その表情は断片的にしか推し測ることができない。
 そのような青年のことを、何故か彼は訝しもうとしなかった。ただ、目をぱちくりとさせて、何故自分が話しかけられたのかということを少々気にしているに留まった。
「どう、というと……」
「つまり、犯人の彼はどうして、こんな風に殺人をやってのけたんだろうね。何でも、この下らん文体の記事によれば、犯人は別にものを取るでもなし、ただ殺す為に殺していたようなものだって話だ」
 ハンチングの青年はそう言って、彼へと話を振った。
 彼は、暫くその返答に迷っていた。やがて、何かを決定するに至ったのか、顔を上げて青年の方を見遣る。
「似たような風体の、ってありますよね、彼は、きっとこのような風体の女性に、かつて恨みを抱くようなことをされたのでは?」
「さて、どうだろう。筋は通っていると思うが」
 青年はとぼけたように言ってみせた。木綿のシャツに、スーツを羽織った青年は、どこか軽薄な調子のように見える。先程の新聞屋もかくや、と言える。
「あなたはどう思われますか?」
 そこで反撃を試みるかのごとく、彼は青年に対して述べたてた。
 すると、青年は肩をすくめて笑った。何がおかしいのか、と彼はそれに対して怪訝そうな表情を浮かべる。
「いやはや、こういうものの理由はただ一つ、彼が絶望しているからだよ」
「絶望? 何に対して?」
「自分に対して」
 淀みなく青年は答える。
「自分に対する絶望こそが、あらゆる混沌の原因だからね。
 打開し難い暗闇、罪悪感と後ろめたさ、生きていけばいくほど損なわれていく原風景。
 そういう絶望が積み重なった結果として、人は殺人を犯したりするものさ。だろう?」
 ハンチングの青年は、彼に対してそう語った。
 彼は、その青年に対して目を見開いて、その考察に聞き入るばかりであった。その全体の雰囲気として漂わせる軽薄さと、正に無縁であるかのような考察であった。
「ね、ねえ、その罪悪感とか後ろめたさって……一体、どういうものなの?」
「それはね、貴方自身が知ることだよ」
「一体誰に対する――!?」
 青年の姿は、綺麗さっぱり消えている。
 それどころか、もはや街角には誰一人として人間は存在していない。彼を除いて。否、ただ一つだけハンチングが地面に落ちている。それを拾い上げる。
 彼は辺りを見回しながら、思考する。一体これはどういうことだろう。
 そして、思考しながらにそのハンチングを、何の気なしにかぶってみた。
 通りに面する建物の中から、ガラスを覗かせている建物を一つ見つけ、その前へと歩いていく。
 ガラスが光の加減で彼の姿を映しだすと、そこには先程の青年が立っていた。
 青年は、ガラスの中で帽子を取ってみせる。やがて、膝を軽く折ると、まるで最敬礼のそれのように、帽子を振り、恭しく彼に礼をしてみせた。
 ガラスの中から青年の姿はじんわりとぼやけていき、やがて、そこには青年と瓜二つのシルエットが取り残された。ハンチングの下の顔は、些か呆然としているようにも見える。
 ままならない思考の中、そういえば、と彼は思う。
 俺の名前は、一体なんだっけ?








「――――! ……ヘルム、ヴィルヘルム!」
 はっ、と気付いた時にはもう放課後だった。
 夕焼けが窓から差し込んでいる。そして、傍らには呆れ顔の青年が突っ立っていて、彼の方を見下ろしていた。
 そして彼は自分の意識を回復する。
 夢を見ていた気がしたけれど、どんな夢なのかは思い出せなかった。
「……おはよう、アンリ」
「それって本気でボケてるのかわざとやってんのか」
「いや……本気だよ」
 パコン、と筆箱で頭を叩かれて、彼は首を竦めた。


最終更新:2011年10月21日 21:34
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