瞬時に最高速度まで達したカ・ガノが、並んで立つローゼとレーゼとの間を詰めた。
Gと融合し、後にプロトファスマと定義される存在に成り下がったことで、並のMAIDを遙かに凌駕するスピードと運動能力を獲得したカ・ガノの動きは、文字通り目にも留まらない。
まさに電光石火と呼ぶに相応しい早業だった。
カ・ガノが双子を両断するべく黒刀を一閃させる。しかし、その瞬間に二人の少女の姿は掻き消えていた。
周囲を探るカ・ガノの鼓膜が、不穏な空気振動を捉える。
「ぬぅ」
カ・ガノは反射的に振り返ると同時に、黒刀の腹を左前腕部に重ねた。
十字に交差したカ・ガノのガード上に、横凪ぎに振り回されたグングニルが叩き付けられる。
思いのほかしたたかな衝撃に、
カ・ガノ・ヴィヂは顔をしかめた。
ランスとしての用法を無視した、重量頼みの質量攻撃。
その強烈な一撃を受けながらも、かろうじて踏み止まった健脚は、それでも靴底が地面に沈み込んでいた。
少女の細身からは想像だにし得ない膂力にカ・ガノは舌打ちする。
先刻まで遠巻きに眺めていた、Gの群れと双子たちの戦闘を思い出す。
「チッ、そうだったな」
それはもはや戦いとはいえない、一方的な狩りの光景だった。
こいつらはなりこそ巫山戯たガキ共だが、馬鹿げた殲滅力で、散々っぱら手勢を蹴散らしやがった、正真正銘の強者じゃないか。
だからこそ、俺自身が出張らざるを得なくなったというのに!
さっきの馬鹿げた馴れ合いのせいで、その事実がすっぽりと頭から抜け落ちてしまっていた。
馬鹿か俺は。
「まさかな……」
カ・ガノ・ヴィヂは黙考する。
もしや、あれは俺の油断を誘うための演技だったのでは?
いや、流石にそれはないか。
ないよな、うん。
「えぇい、しゃらくせぇッ!」
カ・ガノは迷いを打ち払うように、腕を力任せに振るってグングニルを弾き返した。
「うわわっ!?」
力勝負では、やはりカ・ガノの方にこそ分がある。
そして戦闘経験も双子に比して、遙かに豊富なものを持っているカ・ガノは、グングニルを弾き返した拍子に、レーゼが体勢を崩したのを見逃さなかった。
「足腰がおぼつかねぇなあ!」
この機を捉えて、レーゼに突進を仕掛けていく。
しかし猛速で間合いを詰めるカ・ガノの脚が、一際強く地面を蹴り付けたかと思うと、
「ふんぬッ!」
次の瞬間、彼は急激に進行のベクトルを変えていた。
それから間髪入れずに、カ・ガノが蹴り付けていた地面は、グングニルの刺突によって深く抉り取られる。
「邪魔しやがって」
カ・ガノが吐き捨てる。
横合いからフォローに入ったローゼの攻撃だった。
所々千切れた雲の隙間から僅かに射し入る太陽の光。プラチナブロンドがそれを照り返し、瞳は藍色に輝いている。
ローゼとレーゼが湛えた表情は、驚くほど静かなものであった。命を賭した闘いの真っ直中だというのに。
それまでの挑戦的な笑みも消えていて、まるで人形を思わせるような無表情が二人を覆う。
先ほどまで饒舌にカ・ガノを罵倒していた少女たちと同一人物とは思えない変わりようだった。
「チッ、気味が悪ぃな……」
スイッチをオンからオフに切り替えたような、あまりに機械的な感情の落差に不気味さすら覚える。
飛び退きながら思わず心中を吐露したカ・ガノに、今度はレーゼが追いすがる。
空中から繰り出される連撃。
グングニルと黒刀が交わる度、周囲の空間に火花が飛び散る。
しかしそれも、二度、三度。それ以上は剣戟が続くことはなかった。
「はんッ」
黒刀の刃が砕けてボロボロと崩れ落ちる。
カ・ガノはその度に砕けた黒刀を手放して、甲殻から新たな刃を再生成する。
耐久力の限界だった。
「厄介だな……」
尋常ならざる切断力を誇るカ・ガノの黒刀―――彼自身の甲殻から生成される超硬質単分子構造刀―――は、その凄まじい切れ味の代価として、靱性に欠け、耐久度が極端に低かった。刃が薄すぎるためだ。
カ・ガノ自身もMAIDと同じくエターナル・コアを身体の中に有しているため、当然ながら黒刀にも物質強化作用は働いている。通常なら生半可な衝撃で壊れたりはしない。
しかし同じくエターナル・コアを有する、MAIDを相手取るとなれば話は別だ。
対象物に対して正しく垂直方向から斬り付ければ、恐らくカ・ガノの黒刀に断てないものは無い。
しかし斬撃に際して、入刀角度が僅かでも狂えば抵抗が生じ、刀身にかかるストレスでたちまち黒刀は劣化してしまう。つまりは、砕け散るのだ。
斬り結ぶ相手の武器にも物質強化作用が働いているならば、尚のこと繊細な扱いを要求されてしまう。
そのピーキーな性能故に、奇襲からの初撃で勝負を決めてしまいたかったカ・ガノにとって、この斬り合いは神経戦を強いられるに等しいものとなった。
なにせ、自分の動きに追従しうるMAIDを、同時に二人も相手にしつつ、最適の入刀角度による斬撃を見舞わなければいけないのだから。
「―――ッ!」
またも黒刀が砕ける。
「だがな、何本でも出せるんだぜ!」
カ・ガノの袖口から新たな黒刀が滑り出した。
カ・ガノは黒刀の柄を握りしめながら不敵な笑みを浮かべる。
その裏側で、
こいつらはなにかが違う……いや、おかしい?
脳裏に広がっていく漠然とした違和感。
その答えを導き出す暇も無いままに、剣戟は加速していく。
「ハッハァーーーッ! ちょこまか動くのは得意でも、スピードは俺が上みたいだな? 」
カ・ガノの煽りに若干だが、ローゼとレーゼの眉根が釣り上がったような気がした。
事実、僅差ではあったが、カ・ガノの方がスピードで上回っている。
いや、スピードだけではない。
パワーも耐久力も何もかも、およそ基本的なスペックで比較するなら―――双子のエターナル・コアに由来すると思われる馬鹿げた殲滅力は別として―――カ・ガノが引けを取る点はなにもなかった。
過去の実戦経験と照らし合わせても、その認識に間違いは無いと、カ・ガノ自身、確信している。
それなのに、だ。
それなのになぜ、これほどまでに苦戦を強いられているのか。
2対1だからとか、コンビネーションがどうだとか、そんなちゃちな理屈じゃない。
もっと根本的な部分で何かが―――クソ、考えても分からん。まるで意味が分からん。
嫌な汗が頬を伝う。
「大口叩いてたクセにっ!」
「逃げるだけしか!」
口数少なかった双子から久しぶりに言葉が飛び出した。
逃げの一手に転じたカ・ガノに、彼女たちの攻撃は届かなくなりつつある。その苛立ちの表れなのだろう。
その言葉を聞いて、カ・ガノの渋面が僅かに綻んだ。
「なんだ、感情が消えたわけじゃないんだな」
それは心からの安堵であると同時に、付け入る隙をずっと窺い続けていた狩人の笑みだった。
カ・ガノと双子は今、二重、三重に折り重なったGの体躯が作り出した、壁の中で戦っている。
そして、この限定空間を敢えて作り出したのは、カ・ガノ自身の意志なのだ。
その第一義に、暴れん坊な双子を壁の中に押し止めておくことで、手駒であるGの、これ以上の喪失を防ぐという意味合いが有るのだが……
―――そろそろ、仕込みを利用させてもらうぜ。
カ・ガノの口元が邪悪な弧を描く。
後退を繰り返しながらカ・ガノは加速。Gで囲われた壁際に最接近したところで、急にその進路を鋭角的に変化させた。
これは追ってくるローゼとレーゼが壁と衝突することを狙ったものではなかったし、当然のように彼女たちはカ・ガノの動きに追随して、進路を変更してきている。
またしても、壁際ギリギリを沿うようにして疾駆するカ・ガノを、ローゼとレーゼが追走するという構図が続く。
両者は人間の身体能力を遙かに超えた速度で、付かず離れずの距離を保持したまま移動し続けている。
あと一歩踏み込むことができれば詰まるであろう彼我の距離。その距離が永遠に等しいものにさえ感じられる。
目に映る景色が高速で後方に流れていくさなか、追撃するローゼとレーゼを遮るようにして、鋭利な突起物が飛び出してきた。
鈍く黒光りする、醜悪な突起物。
「わっ!」
ローゼは身を屈めて、
「ほ!」
レーゼは飛び越えて、眼前に迫った突起物を避けたものの、それを皮切りにして進路上の壁から次々と異物が飛び出し、カ・ガノを追う少女たちの柔肌を引き裂こうと迫ってきた。
それはGの手脚であり、鋭い触角であり、鎌首をもたげたワモンの頭であり……壁としての体裁をかろうじて保ったまま、身体の一部分を突き出すことで攻撃を仕掛けてくるGたち。
さながら地獄の門の内側から、生者を引きずり込もうと手ぐすね引いてる亡者のように。
カ・ガノを追い込むつもりだった双子は、逆に自分たちがGの待ち受ける壁際へと誘い込まれていたというわけだ。
はなからこれは2対1の勝負ではない。
無数のG対二人のMAIDという、圧倒的な戦力差から始まった戦いだったのだ。
不意に飛び出てきた無数のGたちが双子を捉えようと迫る。
「こんな小細工で!」
「わたしらを止められるとでも!?」
しかし、それらが少女たちの柔肌を引き裂くことは適わない。少女たちは壁際から飛び退くこともしないし、走る速度も緩めない。
振るわれる銀色の巨槍。グングニルの重撃。
Gの手脚が付け根から引き千切られ、甲殻ごと砕け散る。
大口を開いて、生え並ぶ鋭牙を覗かせていた怪蟲は、少女を丸齧りにすること適わず、頭蓋をグングニルに刺し貫かれて、黒ずんだ脳漿を飛び散らせた。
蠢く壁の醜悪な不意打ちは、ローゼとレーゼを仕留めるどころか、カ・ガノへの追撃を遮る足止めとしても、まともに機能しなかった。
結果的に飛び出してきたGの殆どが、瞬時に殲滅されるという憂き目にあう。
「オラよぉッ!!」
しかしカ・ガノとて、この程度の小細工でローゼとレーゼを仕留められるとは考えていなかったようだ。
後退から一転、Gを相手取っている双子との間合いを一気に詰めて、反転攻勢に打って出る。
気合いを込めて振るわれた大振りの一撃。
形振り構わないが故に、凝集された力を存分に発露した一閃。
交差は一瞬。
「くッぅ!?」
ワインレッドのスカート生地が、僅かに斬り取られて宙を舞った。
しかし斬撃はローゼの肌にまでは到達していない。
それでも思いの外の驚愕と、苛立たしさとが、ない交ぜになった少女の視線が、カ・ガノに向けられる。
だが当のカ・ガノ自身も不満げだった。
またしても見せ付けられた、超域の反応速度に舌打ちしている。
まただ!
何故このタイミングで避けることができた!?
その思考を深める間も無いうちに、カ・ガノの体は横合いからの強い衝撃に打ち据えられて、地面を転がりながらGの壁に勢いよく激突していた。
「ぐ、ごはぁッ!!」
グングニルをフルスイングしきっていたレーゼの身体像を、カ・ガノの聴覚センサーは遅まきながら捉えていた。
そのレーゼは、先ほどカ・ガノの斬撃に衣服の端を切り取られたローゼへと目配せしている。
擦っただけだったとはいえ一撃を受けることは、双子の予測の範疇に無かった出来事なのだ。
「大丈夫?」
この状態では本来不必要な、言葉でのコミュニケーションが飛び出した。
そんなレーゼの心配を余所にして、ローゼは肩に掛けたスリングベルトを手繰り寄せて、ルイス軽機関銃の銃把を握ると、空っぽだった円盤形弾倉の交換を始めた。
その動作からレーゼは、精神を繋いだ姉妹の僅かばかりな苛立ちを感じ取った。
彼女は無言でローゼに倣うと、同じく空になっていた弾倉を交換。
素早く初弾を薬室に装填し終えた二人は、壁に埋もれたカ・ガノにルイス軽機関銃の銃口を向けると、躊躇うことなく引き金を引いた。
フラットパンと呼ばれる円盤形弾倉が激しく回転し、銃身への給弾が始まる。
「!!」
壁に半身埋もれていたカ・ガノは、光の無い両眼を見開く。
太い筒型のバレルジャケットから銃弾と、緋色の火花が続けざまに吐き出され、弾薬の破裂音が連続して空気を震わせる。
着弾地点にいた壁役のGが弾雨に嬲られて、薄気味悪い奇声をあげながら崩れ落ちていくなか、ローゼとレーゼはルイス軽機関銃のトリガーを引き絞ったまま銃口を横に滑らせていった。
もうもうと立ち込めた弾薬の白煙によって遮られている視界の先に目を凝らす。
すると最初にカ・ガノが“壁”と激突した地点に、既に彼の姿は無かった。
カ・ガノは早々に銃撃から逃れて、ローゼとレーゼの前から姿を隠していたのだった。実に鮮やかな身の翻しようである。
カ・ガノはわざと自分たちの攻撃を受けて、その衝撃を利用しすることでGの壁の中に潜伏したのではないか―――ローゼとレーゼはそんな疑念さえ抱きはじめていた。
2丁のルイス軽機関銃による掃射が続く。
銃口は壁の裏側に移動したカ・ガノを追おうとするが、それらは射撃線上に立ちはだかるGの甲殻に、次々と風穴を穿つだけに終わる。
「カカカッ」
ローゼとレーゼが抱いた疑念。それは事実、カ・ガノが用意していた仕込みの一つであった。
実に単純な目眩ましだが、それ故に効果的。
Gの壁がカ・ガノの姿を覆い隠して、双子の攻撃を遮っていることからも、この策は有効に機能しているといえるだろう。
知らずカ・ガノはほくそ笑む。
これで目は塞いだ。
音で気配を探るにしたってG共に紛れたこの状況では、俺と同等の“異常聴覚”を持ってでもしない限り、聴き分けることは不可能だろう。
これで、あのガキ共は俺を補足することはできない。
今度こそ詰みだ。
「逝っちまいなぁッ!!」
機銃掃射の射線が自身の現在位置から、見当違いな方向に逸れ始めたのを尻目にして、カ・ガノは壁の中から飛び出した。
双子にとって完全な死角から繰り出された斬撃。黒刀が首筋に目掛けて振り下ろされる。
煌めく黒刀に乗せられた必殺の確信。
しかし刃が描いた軌跡の先に、双子の姿は無かった。
「なにッ!?」
驚愕するカ・ガノ。
「どこだッ!!」
文字通り掻き消えた双子の姿を探して、上下左右にと首を巡らせる。
ザッザッザッザ―――
僅かに響く移動音を鼓膜が捉えている。
カ・ガノは背後の気配に反応して、振り返りざまに黒刀を振るったが、そこに双子の姿は無い。
さらに背中に刺すような敵意を感じ取り、刃を一閃させるも空振りに終わる。
確実にその位置を通過されたと分かっているのだが、聴覚センサーが捉えるのはローゼとレーゼの気配の残滓ばかり。
「なんだよ、この動きはぁ!」
視えているのに捉えきれない。
スピードでは勝っているはずなのに、こちらが常に一歩出遅れる。
……なぜだ?
拭いきれない違和感。
それらが焦燥感と相まってカ・ガノの神経を逆撫でていく。
「―――! そこかッ!!」
横合いから飛び出してきた双子の片割れ、ローゼの姿を認めるや否や、瞬時に駆け出して間合いを詰めるカ・ガノ・ヴィヂ。
このままやられっぱなしは性に合わない。
積極的な斬り合いに打って出たカ・ガノは、おそらく時間差でレーゼが対角線上から攻めてくるであろうと予測して、左手にも黒刀を生成し逆手に握る。
半歩速く黒刀を振り上げていたカ・ガノが、袈裟斬りに刃を振り下ろす。
対するローゼは半身を捻って剣閃を避けた。眼前を掠めていった黒刃が、プラチナブロンドの毛髪を幾つか宙に舞い散らせる。
ローゼは首筋を狙った追撃の横一閃を、スウェイバックして回避した。
ローゼの反撃を封殺すると同時に、どうにかして一撃を食らわせたいカ・ガノは躍起になって黒刀を振り回す。
「当たらねぇッ!?」
それでも、どんなに速く黒刀を振るっても、どれほど間合いに踏み込もうとも、がむしゃらに繰り返されるカ・ガノの斬撃はローゼを捉えられない。
焦燥に駆られたカ・ガノは、逆手に握り締めた左手の黒刀も加えてその場で旋回。
斬撃の密度をさらに増そうと試みるが、背後から現れたレーゼによって蹴り飛ばされた。
大したダメージはないものの、背面から全身に広がった衝撃でバランスを崩し、思わずたたらを踏む。
そんなカ・ガノの横っ面に、今度はローゼのグングニルがめり込んだ。
「ぶげゃ!」
カ・ガノが足の先から回転して、頭部を激しく地面に打ち付けた。
レーゼが背後を狙っていたことは、元々予見していたことであり、隙を見せようものなら攻撃されることも分かっていた。
しかし不可解なまでに攻撃が通用しないこの状況が、カ・ガノから普段の冷静さを奪ってしまったのだ。
ファイヤウォール作戦が発動して、渓谷が巨大な炎に遮断されるタイムリミットが迫っているとはいえ、焦りの代償は大きかった。
鼻骨は歪み、顎骨は外れ、傷口から出た赤黒い体液が両目を覆う包帯を濡らしている。
「ぅが……ぁ! かはッ!!」
カ・ガノは両手で顔面を覆い、芋虫のように身を捩りながら苦しんだ。
地面に身体を投げ打って、のたうち回る。
まるで激しく全身運動することで、体の中から痛みを追い出そうとしているかのようだった。
「うーん」
その様子を眺めながら、ぽりぽりと頬をかくレーゼ。
「ほんと、ゴキブリ並の生命力だね」
心底うんざりしながら吐き捨てたローゼは、地面を這いずるカ・ガノに冷たい視線を向けた。
まるで虫でも見下ろしているかのような無感動な目だ。
「いい加減、大人しく退治されちゃった方が楽だと思うんだけどな~?」
「ぶっちゃけると、私らもそろそろ疲れてきたし」
隔絶した強者の弁に、カ・ガノは歯噛みする他なかった。
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最終更新:2011年11月09日 00:11