(投稿者:めぎつね)
「また派手にやったものだな」
車の運転席から上半身を乗り出して、開口一番彼はそう口にして肩を竦めた。地面に座り込んで、突き刺した剣に凭れ掛かっているアルハの姿勢からでは、その姿を見るには大分上を見上げなければならなかったが。
三十……いや、もう少し若いだろうか。伸ばし放題で後ろに纏めた髪と無精髭、加え煙草の所為で外見からでは四十路前後という判断が妥当に思える。中佐殿の友人というだけあって(という判断が適切かどうかは怪しいが)顔つきそのものは中々に厳しいが、やる気無くとろんと落ちた瞼がそれを覆い隠していた。尤もそんな目元は殆どが前髪に隠れ、サングラスをかけているのも相俟って殆ど見えない。結局顔つきは少々恐ろしげな迫力を持ったものに落ち着いている。
加えてその顔は表情という意味合いで色が薄い。一見して鉄面皮だと知れる、そんな顔だ。公国標準の軍服の上に毛皮のトレンチコートを羽織っており、その風体は軍人よりはどこぞのはぐれ刑事のそれに映る。
せめて髭だけでも剃ればまだ見れた風体になるだろうと進言したことがあったが、断られた。本人曰く、わざとそうしているのだとか。なんでも、昔の荒事を引き摺っているらしい……そんな歳でもない筈だが。
蠍座――スコーピオ。彼は自らをそう呼んだ。正直名前としては――アリウスなども大概ではあるし、それは自分にも言えた話だが、メードの場合は少々事情が異なる――飾りすぎている気がしないでもない。当然偽名や通称といったものなのだが、彼は本名を教えてはくれなかった。かといって『スコーピオさん』などでは語呂も悪く、呼び捨てるのも立場上危うい。結局『中佐殿』に倣って『教官殿』という呼称に落ち着いた。相手も納得してくれている。
(しかし……派手にやった、か)
そう形容された周囲の状況を、アルハは眼球の動きだけで見回した。まぁ、確かに指摘されればその通りだと答えざるを得ない。そんな程度には破壊されていた。元が大して何も無い荒野であることや戦場跡には欠かせない各種死体と散乱した銃器、車両に、複数の火薬による破壊の痕跡。そういった有り触れたものが、そこら中に散らばっている。
強いて他の戦場跡との違いがあるとすれば、あちらこちらに計十数個ほど、爆弾でも落としたように地形が抉れていることぐらいか。円形ではなく全てが線状で、一メートル以上地表を裂いて小さな崖を作っている場所もある。前述した無数の残骸も、多くがこの亀裂に呑み込まれてしまっていた。
「以前は、まだまだ派手にやっていたのですがね。最近は、身体のほうが言うことを聞かないもので」
一通り眺めたところで息をつき、アルハは漸くそれだけの返答を搾り出した。
返事に相当の時間を要した理由は至極単純で、口を動かす余裕が無かったからだった。疲労と反動に体を蝕まれて、指一本動かせないでいる。顔を少しあげるだけで、残った絞り粕の体力をほぼ全て持っていかれたほどだ。
(全く、使い辛いメードだよ。私は)
声に出さず……いや出せぬまま、胸中で独りごちる。自分の能力は無差別だ。敵味方の区別などきかず、方向すら定まっていない。一度解き放てばその出力に見合った範囲内で、何処かを吹き飛ばす。仲間などというものを近場に置いておけば、それすらをも粉砕する可能性を孕んだ切札だ。部隊行動には全く向かず、単機で扱うには破壊力はあれど機動力は無い。足を持たせても、一度動き出せばそれすらも破壊する。使い捨てで考えたほうがまだ利用価値もあろう。
乱戦においては自分に近づかないで欲しい、というのが教官殿と交わした唯一の約束だ。他の有象無象であれば兎も角、彼は中佐殿の旧友――にしては少々歳が離れ過ぎているように見受けられるが――まかり間違ってそんな男を殺すような事態になっては、中佐殿に合わせる顔がない。
しかしその結果として、乱戦の中に最後まで居残って最終的に歩いて基地まで帰るといったことは少なくなった。これに関してはかなり感謝している。
「疲労を溜め込みすぎているか。少し戦場から離れる気はないか? 兵にとっては、休息も仕事の内とよく言うだろう」
「別に年中此処をうろついている訳ではありませんよ。ただ、多少休んだ程度ではもう、以前のようにはいかないだけです。年ですかね」
「貴様でそれなら、俺は耄碌もいいところだな」
「貴方でそれなら、中佐殿は仙人ですか」
「仙人とは、傑作だな。だが、あながち間違ってはいないかもしれん」
何か余程面白かったのか、彼は顔を伏せて笑ってみせた……が、反応が乏しいせいか傍目からは僅かに肩を震わせて怒り狂っているようにも映る。表情が視界に入ってこないから尚更だ。
それでも、そんな間は数秒と続かなかった。彼が顔をあげると、そこにはお馴染みの鉄面皮がある。眼鏡の奥から覗く鋭い眼光は、寸前までの多少は和やかだった空気を叩き潰すには十分だった。
その眼差しに射竦められて動じなかったのは、それに反応する体力も残っていなかったからでしかない。ある意味では幸いか。
「ふと、思ったのだが」
「はい」
「お前は他人を助けたくて此処にいるのではなく、此処に居たいが為に誰かを助けようとしているのか?」
「おや、まるで私が戦闘狂のような言い草ですね」
教官殿の問い掛けに、アルハは薄い笑みを浮かべた。心外だとでも言いたげな口調を形作ってはいる――尤も、中佐殿ほどに上手くはいかない――が、彼の言葉は十分に的を射ている。自分にとっては、此処が最も居心地がいい。それは紛れもない事実だ。
だとしても、それを平然と表に出していては狂人でしかなく、それは余り好ましくない。実際にそういう立ち振る舞いをしているメードも少なくはないが、大抵は鼻つまみ者だ。幸いにして自分には、周囲を省みる冷静さが残されている。尤も、以前一つ下手を打ったが為に、御上からの評価に関しては既に手遅れといった感が否めないが。
格別の使命感、抗いようのない衝動に苛まれるでもなければ、俗人よりも頭ひとつだけ上という立ち位置は何を為すにも丁度いい。とはいえそれに気付くには二年近く必要とし、その結果が少し全力を出せば途端に身動きすら取れなくなるこのザマだが。
勿論、そんな立場で出来ることなど限られている。だがこちら、世界の礎になる意思など元より無く、果たすべき約束はほんのささやかなものでしかない。それを叶えるには十全であるし、空っぽの自分を捧げる程度の価値も備えている。他に何が必要だというのか。
漸く少しだけ動けるようになって、アルハは顔を上げて教官の目を見返した。彼がどんな答えを期待しているのか。その思惑の片鱗でも覗かないかと期待したが、その願望が全くの無意味と気付くまでに秒とかからなかった。
結局、口をついたのは最初から用意していた言葉だった。
「まぁ仮にそうだとしても、何か問題がありますかね?」
「いや、無いな」
「では、それでいいではありませんか」
「そうだな」
意外にあっさりと引き下がられたことに軽い驚きを覚え、アルハは目を瞬かせた。それはほんの僅かな時間でしかなかった筈だが、その刹那の間に彼は車を降りてこちらのすぐ側まで近づいていたらしい。気がつけば身体を預けていた剣を奪われていた。支えを失って、そのまま仰向けに倒れこむ。
「だが、簡単には死ぬなよ。お前を任された俺の面子というものもある」
彼の言葉以上に意識を引いたのは、金属が叩きつけられて響かせる甲高い騒音だった。奪った剣を車の後部座席辺りにでも放り投げたのだろう。どうしようもなく無様に倒れ伏しながら、アルハはどうにか相手の顔色だけでも目に出来ないかともがいた。無様な姿に、この男が何を思うのか興味を引かれたのだ。誰もが抱くような失望や侮蔑か、或いはそれ以外の何かなのか。
結局それを為す前に、アルハは腕を引っ張られ教官殿の背に担がれた。そのほんの短い時間、僅かに相手の顔は視界に入ったが、表情までは判別できない。完全に背負われてしまえば視界を占めるのは中途半端な横顔だけで、そこから読み取れるものは何もなかった。
そこまで経って漸く思いついた彼への返答は、きっと負け惜しみ以外の何物でもなかったのだろう。
「……そこまでは責任持てませんね。教官殿も言ったでしょう? 運が尽きれば、どんな人間でも容易に死ぬ、と。それはメードも同じ筈」
「最終的な話だ。そんな天運を頼る窮地を避ける術など、腐るほどあるんだ」
「努力はしますよ。それなりにね」
嘘はついていない。
だが本気でもない。
それはきっと、彼も気付いていたのだろう。肩を竦めたその動きはとても小さなもので、その背に担がれていなければきっと気付かなかった。
(手間をかけますね)
そう口にしたようで、実際にはどうだったか。頭に浮かべただけだったかもしれない。
それを声として理解できる頃には、既にアルハの意識は手の中から零れ落ちていた。
最終更新:2012年01月04日 02:59