RED GARDEN-5

(投稿者:めぎつね)

「少し、よろしいですか?」

 呼びかけられたのが自分だと気付くには、少しばかりの時間を必要とした。
 昼も過ぎて昼食に訪れていた兵員達が各々の作業に帰っていけば、その喧騒はゆっくりとなりを潜め出す。だが、まだそれほどの域にはない。漸く遅めの昼食をとり始めた者がちらほらと見え隠れし、午後の作業が始まるまでの残り僅かな休息時間をこんな場所でくだを巻いて過ごす連中というのも、意外に多い。
 対面する相手に気付かなかった理由は他にもある。それが理由と言えるものかは酷く曖昧だが、意識が眼下のコーヒーカップに全て注がれていたからだ。ミルクと砂糖と少々の粉薬も混ぜて、それをぼうっとした心地でスプーンで掻き混ぜていたのだ。薬をコーヒーに、というのは色々と問題があるのだろうが、その粉が持つ独特の苦味はほぼ完全に打ち消せる。効果の程はどうあれ、アルハは大抵この飲み方だった。
 手を止めて、視線だけを相手に向ける。見覚えは無い。女であり、つまりはメードだろう。肩にかかる程度まで伸びた髪は銀色だが、くすんでしまっていて寧ろ灰色に近い。年頃は20前後、アルハと同程度か、少し若いか。だが背がこちらより少し低く見えるからか顔立ちが幼いからなのか、その素体自体の年齢は目測よりももう少し年下にも思える。

「まず、先の件ではお世話になりました。ありがとうございます」
「先の?」

 心当たりが全く頭に存在せず、アルハは鸚鵡返しに問い返した。その返答が余程意外だったのか、相手は暫く目をぱちくりとさせて呆けた顔を見せていたが、一分近く時間を置いてから、恐る恐るといった様子で聞いてくる。

「……ひょっとして、お忘れですか?」
「ヒントがあれば思い出す、かも」
「いきなり光の爆発と一緒に飛び込んできて、後は任せろって」
「それは、よくやる」

 自分が乱入する場合、大凡そういった形になる。鮮烈な印象はそこに残された者の最後の意気を挫くにはうってつけのものだ。こちらの言葉に素直に従わせる為の予備動作としての意味もある。
 何にせよ、それだけでは錆付いた記憶の鎖を紐解くには程遠い。眼前の相手は唸りつつ人差し指で額を押さえ、眉根を寄せながら目を閉じて虚空を見上げている。

「全部吹っ飛ばすから、一人のほうがいいって」
「それもよく言う――あー、いや、待った」

 最近は他の喧しい連中と一纏めに行動していた時間が多かったからか、そういった気取った物言いをした憶えはない。一番新しいものなら思い出せる――筈だ。恐らく。

「ああ。多分思い出した。死にそうな連れが二人居た」
「あ、はい。その時のです」
「他の二人は無事?」
「御蔭様で」
「そう、よかった」

 そうやって、自分のしたことの結果を耳にできる機会というのはそう多くない。行為が無駄にならなかったことについては、まぁ満足すべきなのだろう。
 スプーンでコーヒーを掻き混ぜながら、アルハは相手を促した。

「……それで?」
「へ?」
「いや、何か用があったんでしょう? 私に。そんな言い出しだったけど」
「あ、はい。そうでした」

 ぽん、と両の掌を胸の前で合わせ、相手は本当に忘れていたとでも言いたげな反応で声をあげた。
 とりあえず促して席に座らせてから、アルハは手元のコーヒーに少しだけ口をつけた。口中に広がる苦味を頼みの綱に、うろ覚えの記憶の薄靄を剥いでいく。そも、自分は割と他人の顔を憶えるのは苦手なほうだ。自分が命を賭けて助けた相手の顔すら、もう殆どは記憶に残っていない。ある意味当然か。自分は結局、特定の個人を助けたいわけではないのだから。

「どうしたら、先輩みたいに強くなれるんですか?」
「まずその先輩ってのをやめて。むず痒い」
「では、どうお呼びしましょうか」
「好きに呼べばいい。別に、私は礼儀は気にしない」
「では、先輩でもよろしいんでしょう?」
「……まぁ、そうなるけど」

 まるでそう呼ぶのが当然であるかのように……

(まぁ、当然なのか)

 思い直し、アルハは小さく頭を垂れた。公国内に限定すれば同輩も先達もほぼ全て戦死しているのだから、他のメードはほぼ全てが後輩に当たる。

「まぁそう呼びたいならそれでもいいけど。でも私が強いなんて前提は、それ自体がそもそもの大きな間違いよ」
「嘘だぁ」
「こんな嘘をついてどうするのよ。ぱっと思いつくだけでも帝国の軍神に、王国の黒騎士だの空気さんだのといった最精鋭。ベーエルデーの空戦メードだって相当なものよね。うちの国にだって破壊女神なんて大層なのがいる。さて、私はあんな連中と張り合えると思えるほど驕っちゃいないわ」
「でも、私なんかとは比べ物にならないじゃないですか」
「人に強そうに見せかけるのが上手いだけよ」

 これは嘘でも誇張でもなく、純粋に自身の特技の一つだとアルハは認識していた。救出される側というのは基本的に、それなりに危機的な状況に立たされ、消耗し、精神的に参っている。援軍に対しても最初は気丈だが、相手に尊大且つ不遜な態度と圧倒的な殲滅力を見せ付けられれば、そこで心が折れて残されていた気力が尽きる。そうなればもう、こちらの促すがままだ。現状の自分にとって、閃光の使い道というのもそれぐらいしかない。
 そして、それ以降が実に無惨なものでもある。去年の半ば頃はことが済んでから立ち上がるまでに半日を要し、その後一昼夜かけて軍施設まで戻るなどという苦行を繰り返していた。教官殿が監視に付けられてからはかなり楽になったが。
 嘆息と共に、アルハは吐き捨てた。

「私が一匹二匹と斬り合っている間に、あちらさんは十匹単位で処理していく。面白くない話ではあるけど、私がそれをやろうとすれば十分と保たない。殲滅力と継戦力で決定的な違いがあるわけだ。これは純粋に才能と素質、生まれた時点で手にしていた素養によるものがほぼ全てだ」

 それに気付かされるまでに二年ばかりの時を要したことが、今現在に致命傷となってこの身体を蝕んでいる。

「生まれ持った力に決定的な差異がある以上、それは努力で覆るものじゃあない。これが五年、十年と積み重ねていけるものであるならまた別の話になるのだろうけど、貴方は造られてから何年?」
「えと……一年経たない、ぐらいです」
「そうね。私が大体三年弱。その期間でできる努力なんて限られたものだ。才能をひっくり返せるものじゃあない。そして長い目で見ていられるほど、余裕のある立場に私達はいない。まぁ一言でいうなら、詰んでるのよ。初めからね」
「はぁ」
「資質が八割、努力が一割、残りが運。それが私の出した結論といったところかしら」

 そう締め括り、アルハは相手の顔を確認した。一応、リーズは理解してくれたようには見えた。納得はできないようだったが。憮然とした表情で聞いてくる。

「じゃあ、私達みたいな凡人はどうするべきなんでしょう」
「それはまぁ、兎に角死なないように立ち回ることでしょうね。メードの寿命の平均値は現状でおよそ一年半。これは基本的に、教育もままならないままに戦場に放り出されるが故の結果だけど、それ以前の話として何処の軍もメードの運用方法を未だに掴みかねている、というのが実情だから」
「はぁ」
「加えて連合軍内で言えば、自国のメードに対する誇張評価がどの国も酷い、というのも原因かしら。嘘に塗れた戦力情報から適切な采配を振るうのは、どれだけ有能な指揮官でも不可能に近い。似たような理由で、メードを個人単位で見た際の戦闘力の波が大きすぎるっていう面もある。これは今さっきもした話ね」
「…………はい」
「主戦力の位置にいる奴らってのはある程度の不利であれば容易に覆すし、その局面を超えた経験が活きて更に実力を増す。ただそういった連中が圧倒的な活躍で本来有り得ない結果を弾き出してしまうから、上層部はなかなかメード戦力の適切な配分を把握できない。エースとノーマルの能力差を細分化できないわけだ。それで割を食うのが、私らのような下っ端のメードね。無理無謀な任務をさも出来て当然といった具合で与えられ、そのまま帰ってこないなんて話も案外とざらにある。聞こえてこないだけで、ね」

 それでも今年……1940年を振り返ってみれば、それも大分減ってはいるようだ。寧ろその前二年が異常だったというべきか。自分は再初期に製造されたメードだが、公国だけで見てもメードの製造が始まった一昨年から去年までの間に、同時期に製造された連中は八割が逝った。そこから更に失われ、今残っているのは自分を除けば一人だけだ。その頃の損耗率に比べれば、現状は大分マシだと言えなくもない。メードが消耗品である状況に変わりは無いが。

「ついてきてる?」
「え? あ! はい大丈夫です!」
「声大きいわよ」

 指摘に、リーズはばつが悪そうな顔で頭を掻いた。別に怒る気も無く、アルハも軽く肩を竦めるだけでそれは済ませた。
 それに、最後は彼女の問いに答えるには余計だったかもしれない。

「さっきも言ったけど、死なないこと。自分を凡人と認められるなら、それを逸脱しない範囲を把握して、それを超える手に負えない危険に聡くなること。それで五年も生き残れば、十分に知恵もつくでしょ。資質の面で勝てないのなら、頭を使わないとね。狡くて結構、邪道で上等、失望されて結構。それぐらいの意気と図太さはあるべきだ」
「それはそれで、難易度が高い気もしますけど。それに、自分達が求められているものに相反するのではないでしょうか」
「そうね。でも生きるって話は、本来それぐらい難しいものなんじゃないかしら」

 私らメードが、それを口にするのも烏滸がましい話だろうけどね、という胸中の呟きは、形にはしなかったが。後ろの相手には気付かれていたかもしれない。

「自信を持つなとは言わないけれど。でも生き残りたいなら、臆病なぐらいが丁度いいのよ。名声も欲しいというなら、またそうもいかないのだけれど」

 尤も、名声は得れば得るほどそれに振り回される事態を招く。友人の一人はそうやって自滅したし、アルハが権威を嫌うのもそれが理由だ。

「とまぁ、私はそう考えているわけなのですが。先人として、何かアドバイスは頂けますかね?」
 椅子の背凭れに寄り掛かりながら振り返り、アルハはそこにいた教官殿へと匙を投げた。彼の存在に漸く気付いたのか、リーズが驚嘆の声をあげる。
「いつの間に」
「まぁ、半分ほど聞かせて貰っていた」
「そんな前から居たのですか。人の悪い」
「実にメードらしからぬ発言の数々、恐れ入ったよ」
「申し訳ありませんね。これが性分でして」

 投げやりにそう答え、アルハは自嘲と侮蔑の入り混じった笑みを返した。教官殿がどういう顔をするかと少し期待したが、彼の表情は相変わらずの仏頂面のままだった。何を考えているか判らないどころか、彼の見せる無駄に鋭い眼光はこちらの腹の内を自分で意識していない部分まで覗き込まれているようで気味が悪い。実際今に至るまで、彼の本心を探り当てたことなどついぞ無かったことを思い出す。

「あ、あのあの」

 そんな中でのリーズの呼びかけは、ある意味では助け舟だった。教官殿から出来る限り自然な形で顔を逸らし、リーズの次の句を促す。

「じゃあ、あっちにも気付いてたんですか?」
「うん?」

 声の調子だけ傾げさせて、アルハは目線だけをリーズの指差したほうに向けた。探すほどでもない。扉の向こうから頭半分だけ覗かせて、サーシェがこちらの様子を覗き見ている。距離はそれほど遠くない。ひょっとすれば、こちらの話も聞こえていたかもしれないだろう。
 サーシェは気付かれたと見るや、すぐに扉の奥に引っ込んでしまった。多少待ってみたが出てくる様子はない。どうやらもう居ないようだ。

「まぁ、気付かない理由も無いわよね」
「ですかねぇ。やっぱり」

 リーズはそれで納得したらしいが、実情はといえばアルハはサーシェに関して全く気付いていなかった。彼女が覗いているなど考えもしなかったのだ。それを隠したのは見栄以外の何者でもない。

「あれは知り合いなの?」
「同輩ってやつです。友達ですよ」
「へぇ」

 軽い感嘆と少々の狼狽と。アルハの相槌は、そんな感情を交えたものだった。リーズとサーシェが同期とするならば、あれの戦闘能力は疑う余地もなく群を抜いている。性格の問題さえクリアすれば、すぐにでも主戦力として担ぎ出されるだろう。実に羨ましい話である。
 一番驚かされたのは、あれに友人がいるという点だったりもしたが、それは口にしないでおいた。或いはそれだからこそ、彼女は強いのかもしれないのだ。
最終更新:2012年01月04日 02:52
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