(投稿者:めぎつね)
「何してるんですか?」
「書類作成」
ペン先でインク瓶の口を叩きながら、アルハはうんざりした口調でリーズに返した。テーブルの上は雑然としている。アルハの正面には原稿用紙二枚目に入った書きかけの書類。右にはインク瓶と一応文章の体裁を成していると思いたい書き上げた書類(但し予定十枚前後の内、書き上がっているのは一枚)。左側にはクリップで留められた走り書き、というより殴り書きの束が数冊。自分が書いたものだった筈だが、これを読み解くだけでも一苦労だった。
正午もとうに過ぎ、いつもの食堂には殆ど人もいない。厨房の奥で、数人の調理師が晩の仕込をしている程度だ。夕刻辺りになれば、再びここも活気を取り戻すだろう。余り騒がしいのは好きではない。どうにか、それまでには終わらせたいものだが。
アルハの座っている席は、食堂の端で、厨房からは一番遠い。代わりに入口の一つからは極めて近いが、廊下からでは壁が邪魔になってアルハの姿は見えない。中に入って漸く気付く、そんな場所だ。無警戒な相手であれば見過ごすかもしれない。
隣では教官殿が椅子には座らず、その背凭れに手をかけてこちらの手元を覗いている。正直気が散って仕方ないのだが、提出書類の形式などをアルハが知る筈もなく、実際今アルハの手元にあるのは書類のような体裁を模した走り書きでしかない。清書は教官殿に任せる形になる為、文句も言えない。相談する部分以外は、殆ど声はかけてこないのが幸いか。
少し感慨深げに、リーズが唸った。
「……そんなこともするんですか」
「いやね。別に私だって、剣と銃で暴れるしかできない脳筋ってわけじゃないのよ」
「や、誰もそう言っているわけでは」
抗弁しかけたリーズを手で制し、アルハは軽くかぶりを振った。手にしたペンの先を軽く振り回しながら――先端に付いたインクは既に乾いてしまっている――続ける。
「いや、脳筋であるほうが正しいのだとは思うけどね。メードにはメードにしか出来ないことがあって、その為に造られる訳だ。だというのに人間でも出来る作業をやらせるというのは、勿体無い話でしょう?」
むぅ、と小さく喉を鳴らして口を噤んでしまったリーズの顔は、何か否定を訴えたがっているようだった。が、上手い言葉が見つからないのだろう。彼女が収まりの良い語呂を見つける前に、アルハは話題を流す言葉を吐いた。
「私達はあくまで戦闘要員であって、給仕ではないのよ。女の形をしたものが最前線に立つのを快く思わない輩は、案外と腐るほど居たりするのだけれど」
争い事は男の為すべき事象だという思想は、メードが戦線の維持に絶対的な貢献をしている現状を以ってしても一切の変化することなく蔓延っている。男性型のメードが今なお不定期に投入され続けているのがその際たる証拠だ。男性の素体は永核との適合率が女性のそれよりも遥かに低いと聞く。女素体に対する施術が九割方成功しているのに対し、男のそれは二割未満といったところか。男性型のメードを一人二人投入する為に、その裏では十数人が失敗という形で無為に命を散らしている計算になる。元から死んでいる場合も多いだろうが。
そしてそれだけの手間と労力を割いて造られた男性型が、女性型と比較して特別有能だという話もない。つまりはプライド、尊厳だけが無為に一人歩きしているというわけだ。
「ふぅん……」
リーズが何処までを理解して納得したのかは判らなかったが――そも、彼女にメードの素体云々の実情に関する知識があるとも思えないが――淡白な反応だけを残し、その興味は最初の話題からも剥離して既に別のところに向かっているようだった。その視線は、アルハの手元の書類へと落ちている。
「……クロッセル連合内におけるメード新兵の錬度調査及び各国の育成方針に関する目測報告」
題字を口にして読み上げると、彼女はそれ以降を無言で読み進めていった。アルハとは対面している彼女が見る書類の文字は全て逆さになっている筈だが、文章を追う眼球の動きは予想以上に速い。次にリーズが発した問いに、アルハは舌を巻いた。
「……専用装備って、よくないんですか?」
「どうしてそんなに早いの」
その話題に触れているのは現時点で手をつけている書類の末尾、アルハが筆を止めている部分だ。二枚しかないとはいえ、逆さになった文字の塊を一分足らずで読み上げるというのは相当なものだろう。
「まぁ、それは置いておきまして」
「いや、いいけど……」
実際、どう文章に起こすかで詰まっていた部分である。自分の頭を整理する心地で、アルハはリーズに訊いた。
「あんたは、支給品の剣と銃よね」
「はい。特別なものを貰えるほど、戦績も好くありませんし」
「少し前は、戦績なんか関係なく貰えたのよ」
「そうなんですか?」
まぁねと頷いて、アルハが次の言葉を口にしようとした直後。教官殿が割って入ってきた為にそれは遮られた。テーブルに片手をつき、軽く身を乗り出して、
「逆だよ。メードに合わせて専用の装備が設えられたのではなく、最初から特異な武器があって、そこにメードが宛がわれていったんだ」
「え? でも、それって」
「そうだな。自分の癖に合わない武器を持たされるメードも出る。寧ろ、そういった連中のほうが多かっただろう」
自分の台詞を取られ、アルハは暫く据わった眼差しを教官殿へと向けていたが、不意に気付く。こうまで饒舌な彼は見た記憶が無かった。
「専用装備とは本来、使い手の為に吟味され、特化したものであるべきだ。だが現実には、他国へのパフォーマンスとして大層な武器を持たされていたのが実情だ。メードの専用装備は、技術屋にとっては単純に腕の見せ所であるし、国にとっても自国の技術力を喧伝するいい媒体だったからな」
素直に聞き入っているリーズとは別の形で、アルハも教官殿の熱弁に――口調には一切熱は感じなかったが――暫く耳を傾けていた。何が彼を駆り立てたのか。その片鱗でも覘かないかと、そちらに僅かな興味を抱きながら。
「戦闘のいろはも知らない初心者に自分だけの武器を与えたところで、その有用な扱い肩を教育できる人間がいないのでは余り意味が無い。実際、今で見てきた中でも八割ほどの新米は使いこなせていなかった。実践の中でその有効な使用法を模索している有様だ。メードの基本スペックの高さを背景に何とか形にはなっているものの、あれなら銃と剣の基本を徹底的に叩き込んでやったほうが三倍は働く」
「そんなに酷いんですか?」
「疲弊して、追い詰められた連中を見ればよく分かるわ」
漸く口を挟む間隙を見つけ、アルハは一つ小さめの溜息を吐いた。話したかった内容の殆どは教官殿に代弁されてしまっている。意見の違いがあるとすれば、アルハの見立てでは専用武器に振り回されているのは六割程度だったという点ぐらいだ。まぁ教官という立場を鑑みれば評価が辛くなるのは当然かなどと頭の片隅で思いながら、続ける。
「確かに専用装備を使いこなすメードが強力なスタンドアローンとして成立しているのは否定できない。けれども、そんな天性の才を発掘する為の犠牲が少し多すぎる。絶対数の未だ少ないメードという戦力に対し、一を見出すのに十や二十を捨て駒に費やしていけるのは各国の国力のなせる業だけど、そのやり方では何れ立ち行かなくなるのは火を見るよりも明らかよね」
「でも今、最初から専用武器なんて人は殆どいません」
「けど、何処かで否応なく持たされる奴は多い。つまりはそういうことよ。メードが人間でないからといって、人間の手に余るものを持たせなければならないという決まりもないでしょうに。華美な武器に手を出すのは別に、戦況が安定して消耗率が減ってからでも遅くはない。私は、そう思いますがね」
最後は、教官殿に向けてのものだった。彼は厳つい――中佐殿のそれと比べれば赤子のようなものだが。せめて髭だけでも奇麗に片付ければ、寧ろ顔立ちは端整と呼べるかもしれない。想像の範疇でしかないが――顔を歪め、くつくつと喉を鳴らした。口周り一杯に生えた無精髭を撫でながら、何か感じ入るように、だが自嘲も交えた、そんな声音で応えてくる。
「そうは言うがな。英雄たる者にはそれ相応のものを手にしていて欲しいという思いもあるんだろうよ、連中には」
「汎用に身を窶すのは、公国人のプライドが許さない?」
「御上は貴族階級が大半だからな。どうしても様式に拘るのさ。ルイスも以前似たような話を上申したが、軽く一周されてしまった」
「成る程。そんなけちなプライドの礎として殺されては、こちらとしてもたまったものではありませんね」
「言うなよ」
「失礼」
アルハもまた、皮肉めいた笑みで肩を竦めた。きっとこれはメードに限った話ではない。自分らが存在するそれよりも昔からそういった思想はあって、それに操られ、振り回され、喰い殺されてきた人間もいたのだろう。英雄たる者とは、何もメードだけを指す言葉ではない。現状がそうである、というだけの話だ。それ以前は、優れた人間がこの言葉を纏っていた。
或いは、眼前のこの男も。そういった類だったのだろうか。明確に意思を見せることの少ない彼のご高説を一頻り聞き終えた感想としては、そんなものだったが。
と。リーズが小さく吹き出したのが視界の端に入って、アルハはそちらを向いた。何が可笑しかったのか、こちらと教官殿とを交互に見回して、
「……お二人、仲良さそうですよね」
「冗談」
「馬鹿を言え」
「…………あれ? え、だって……え?」
即座に一蹴され、傍目にも判る狼狽ぶりで表情をころころと変える彼女は中々に面白かったが。
アルハはペン先で軽く、インク瓶の口を叩いた。甲高い音が一つ響くと、リーズがびくりと背筋を竦ませてこちらを見る。音は人の思索を狂わせると言ったのは中佐殿のほうだったか。聞こえる範囲で、高ければ高いほどいいとも。成る程、確かにそうかもしれない。
「人の腹の内なんて、そう分かるもんじゃないわよ」
「……でも、それは寂しくありませんか?」
「さぁて、どうかしらね」
話はそこで切り上げ、アルハは改めて書類に目を落とした。大分時間は経ったが一行も進んでいない。教官殿もリーズもそのまま居座る心積もりのようだったが、それは気にするほどのものでもなかった。
書きかけの項目は専用武器に関してだ。中佐殿が以前上申したならば、この先は省いてもいいだろう。とは言え、纏めるべきことはまだ山とある。横手に積んだ自分の殴り書きを目端で捉え、アルハはげんなりと頭を抱えた。
最終更新:2012年01月04日 02:53