RED GARDEN-9

(投稿者:めぎつね)

「よっ」

 呼び声に唆されて、アルハは気だるげに顔を上げた。
 その声が自分の耳元でさえ聞こえなければ、目を覚ますこともなかったろう。直前まで惰眠を貪っていた頭では目と鼻の先に合った顔すらもまともに判別できず、多少痺れの残る手を持ち上げて目を擦る。
 相手はメードだった。いや違うかもしれないが、軍施設で女を見れば、まずメードであろうと判断するようにしている。白人、髪の色はアルハと同じ赤、だが自分のものよりはかなり濁った印象を受ける。制服も似たような赤と薄い灰色。年齢的には二十歳にも満たない程度か。線が細く、余り活動的な印象は受けない。但しメードの能力はその殆どがコアの出力に由来する。外見から来る情報は、余り信憑性を持ち得ない。その証明か目つきは比較的悪く髪も短い。顔立ちだけは割と好戦的なものとして目に映る。
 とりあえず友人知人の類ではないことを確認して、アルハはまた自分の腕に顔を埋めた。

「おぉい!?」
「……うるさいわねぇ」

 一際低いトーンで呻き、アルハは僅かに頭を逸らした。尤もそれで気を引いたのは、先程よりも大分近い位置で目尻を吊り上げているメードらしき人物ではなく、その奥に見えた憶えのある顔のほうだったが。
 リーズと、もう一つ。

「……ウルか。成る程、色々と合点がいった」
「なんだ、まるで悪人呼ばわりだな。傷つくじゃないか」

 不満げに口を尖らせたその少女が、言うほどに堪えていないのは知っていた。
 ウートガルザ。恐らく自分にとって、現状では最も付き合いの長い相手になる。アルハとほぼ同時期に造られたメードで、灰色の髪に黒のメッシュが幾本も入った幾らか特徴的な髪質の為に遠目からでもすぐ判る。それなりに長身ではあるが外見の年頃は十五、六といったところで、あくまでもその年齢としては長身だ、という話でしかない。二十歳近い外見のリーズと並べば、その小柄さが実に際立つ。

「なにが悪人だ、その通りだろうに。あんたが絡んでるなら、どんな巡り会わせだって納得できる。リーズを私に宛がったのも、どうせあんたの差し金でしょう」
「や、僕は礼が言いたかったというこの子の気持ちに応えただけさね。ちと勘繰りすぎじゃあないかい?」
「どうかしらね。私にはリーズがうまく懐いたから、もう一人ぐらいけしかけようってあんたの魂胆が透けて見えるのだけど」

 そこで言葉を区切り、アルハは目線だけをウルザの奥に立つリーズへ移した。彼女は急に自分の話が出るなど考えもしなかったといった表情で、軽く思考停止などしているようだった。まぁそれはとりあえずどうでもいい。横目に、ウルザがやれやれと肩を竦めるのが目に入った。

「酷い言い草だ。折角の同輩を、もう少しぐらい信じてみてはどうかな」
「同輩だからこそ、ってのもあるとは思わない?」

 ウルザはその見掛けに違わず態度こそ軽いが、その影で案外と抜け目が無く、器用な立ち回りを心得ている。自分達の中で最後まで生き残るとすれば彼女だろうというのはアルハとガルは見ていたが、実際ほぼその通りとなった。ニル、ストレ、サクサと他の同輩が失われ、ガルムも数ヶ月前に先立った。残った同輩はウルザと自分だけだが、アルハの足元も既に相当覚束ない。彼女だけが唯一上手く、この最悪の環境を渡り歩いている。
 その現状を思えば、嫌味の一つ二つ口をつくのは当然の話ではあった。尤もそれを口にする度に、己の卑しさと矮小さが顕になるのが悲しいところだが。

(全く。名前ばかりが壮大ね、私らは)

 彼女の名は神話の王から拝している。だが彼女に限らず、自分らの時期のメードは多くが神話などを寄代とした名を付けられた。公国がそういった命名を僅か一年程度で取り止めたのは、結局のところ自分達が、或いはメードという存在そのものが、それほど偉大ではなかったということなのだろう。実際に彼らが期待していた英雄像を体言してみせたのは件の破壊女神程度のもので、その域に達する前に大半が膝を折った。
 名は体を現すなどと誰がのたまったかは知らないが、そういったあれこれを経て自分らの名というものは、重石以外の何物でもなくなった。同時に忌憚の対象として、その名を使うことすら避けるようになったのだ。実際ウートガルザも周囲には自分をウルザと呼ばせているし、アルハも本来の名はとうに忘れてしまっていた。他の連中のことも、今では愛称でしか記憶に残っていない有様だ。
 尤も……これも呆れた話ではあるが、偉い方は偶像崇拝の矛先を今度はメードそのものではなく、メードの持つ武器へと向けただけのようだが。夢を見るのがお好きなようで、と、皮肉の一つでも叩きつけてやりたいが、残念ながらそういった名士はまず前線には顔を出さない。

「……仲悪いのかな」
「いや、あれは仲いいだろ。絶対に」
「……そうかな」

 黙想ばかりが一人歩きして、話の大元を忘れていた。傍からの控え目な会話でそれを思い出し、次に意識したのは腰にぶら下がった鉄と鋼の塊だった。剣と銃はほぼ常に携帯している。戦闘時以外は常に非武装であることを命じられた時期もあったが、結局のところメードはその身体そのものが極めて強力な兵器なのだ。規制は意味がなく、その話も気付いてみれば有耶無耶になってしまっていた。

「で、私にどうしろっていうの」

 誰に聞くのが一番手っ取り早いか。最初は吹っかけてきた当人に問い質そうとしたが、実際に質問を向けたのは眼前に居たウルザに対してだった。事の成り行きが彼女に起因するのであれば、直接その目的を聞いたほうが早いだろう。
 ウルザは軽く笑って、親指で後ろに立つ赤髪のメードを示してみせた。

「ちょっと相手してやっておくれよ。それだけで十分だからさ」
「……どうして、そういう話になったの」
「それが一番判りやすいから、かな。多分、誰にとってもね」
「ふぅん」

 滑稽な話だとは感じたが否定する要素もなく、アルハはとりあえず相槌だけを口にした。その姿勢のまま瞳だけを横に向け、示された相手の身なりに目を向ける。

「素手か」
「ああ、素手さね」

 その確認の意味を、ウルザは瞬時に読み取ったようだった。「酷い女だねぇ」と小さく呟いて肩を竦めてみせる。「どっちが」と一言だけ毒づいて、アルハは溜息を一つ零した。あまり余計に動きたくはないが、放っておけば大人しく引き下がる連中でもあるまい。
 鼻息荒い少女のその意気をへし折ってやるのも悪くないという悪意じみた感情が、腹の内に渦巻いていたというのもあるが。

「……ま、いいでしょ」
「だ、そうだ。頑張んなよアドーア」
「お、やるの? おっしゃ」
「んじゃ、外行こうか外。アルハも起きろよな。これから喧嘩するってのに、流石にそれは弛み過ぎじゃないかい?」
「さて、どうかしらね」

 軽く首を回してから椅子を蹴り、一人だけ矢鱈と乗り気なアドーアと呼ばれたメードの後を、少し離れてついていく。道中、すぐ後ろを付いて来ていたウルザとリーズの会話に軽く耳を傾けながら。

「……知り合いだったの?」
「同期ってやつだ。お前さんとアドーア、サーシェの関係みたいなものだね」
「そ、か。じゃあ、他にも何人も?」
「いんや。全員死んで、残りは僕とアルだけだ」
「……なんか、ごめん」
「その程度で傷つくほど繊細じゃないさ。アルもね」
「あら。私はそこまで図太くないわよ?」
「嘘だぁ」

 あっさりとウルザは否定して、こちらの背中を叩いてきた。そのままもう一言続けようとしていたようだが、思う所でもあったのかそれは口を開いただけで止まってしまった。
 その代わりとでもいうように、アルハの肩を掴んでその見掛け通りに軽い体重を預けてくる。視線は既にこちらにではなく、先行するアドーアに向けられていた。

「いや、しかし若いねぇ。こんなことで張り切っちゃってさ」
「……わたし達、ウルザ達とは二年弱ぐらいしか年は違わない筈なのだけれど」
「色々あったんだよ。その時間でね」

 にべもないウルザの返答は反論を許さないような語気を含んだものだった。リーズに対してでは少々言いすぎな気もしないでもないが、色々あったのは事実だ。口を挟めばそれを否定するような気がして、アルハもその件に関しては何も言わなかった。振り向かなかったのでリーズがどんな顔をしていたかは判らなかったが。

「……あんたが死に掛けたとはね」

 代わりの問い掛けに、ウルザは最初は不可解な顔を見せた。だがすぐに何時の話かを察したのか、ばつの悪そうな笑みを返す。

「や、僕だって下手を打つ時はあるさ」
「私のことは、後でリーズにでも聞いた?」
「いや、来たのはすぐ判った。お前さんの戦いぶりってのは遠くからでも、直接見ていなくたってよく見えるからさ」
「悪かったわね。馬鹿みたいに派手で」
「や、あれぐらいが丁度いいだろ。命削って地味な力吐いてたんじゃ、救いようがないさ」

 派手であることが救いになるとも思えないが、確かに多少の慰みはあるかもしれない。少なくとも、決戦兵器などと物騒な二つ名が与えられた程度には。

「……そうだったな。疲れてるんだろうけど、悪いね。ああいう奴でさ」
「似たようなのは、もういる。構わないわよ。でもどうしてこう、力で話をつけたがるかしらね」
「なまじ、力があるからなんじゃないかね。生まれつき話すよりも殴るほうが得意だから、それを第一に頭が回るんだろう」
「そうかもね。ちなみに、あんたはどうなの?」
「生憎と、僕は争いごとは嫌いなもんで」
「そう」

 それを嘘だと判じたのは短くない付き合いからの経験則からだったが、単純に自身と同じ臭いを嗅いだからかもしれない。だが偽りであったからどうしたというものでもなく、それはただそれだけの話でしかない。

「ま、やり方は任せるよ。一度シメてやってくれ。そうしてくれると、僕も助かる」
「余りいい手段は取れないのだけど。彼女がそれで、納得してくれるものかしら」
「さて、どうかな」

 開け放しの扉が見えてきた辺りで、アルハは会話を切って歩を早めた。そのまま外界に一歩踏み出た直後、全く無警戒の相手の首に手を滑らせて、そのまま握り潰してしまえば茶番も終わるが、それが目的ではない。後ろから引き摺り倒すだけに留めて、アルハは腰の拳銃を抜いた。茫然自失といった眼差しでこちらに眼球を向けているアドーアの顔に、銃口を向ける。

「……それは流石に、酷くない?」
「悪いね。相手がメードとなると、私はこういう戦いしかできない」

 用心金に指を入れたまま拳銃を回転させて銃把を前に、銃身を握る。銃はそのまま隣で目を丸くしていたリーズに押し付けて、アルハは相手から十歩分ほど距離を取った。軽く腕を組み、相手の反応を窺う。
 アドーアは一息ついてから起き上がり、服についた土を払ってから構えを取った。落ち着いている。今の不意打ちは逆上を誘う目的もあったが、こう冷静に対処されてはさしたる効果は無かったか。
 相手に合わせこちらも胸元で軽く拳を打ち合わせ、腰を落とし前傾に構える。
 地を蹴ったのはほぼ同時。躊躇なく抜剣し、アルハは相手を脳天から叩き割る一刀を放った。拳の射程は剣のそれよりも遥かに短い。むこうが素手での殴り合いを想定していたのなら、これを避けるにはどうしたところで踏み止まらざるを得ない。
 そうなってしまえば、彼女が体勢を立て直しもう一度動き出すよりも、こちらが首筋に剣先を突きつけるほうが早い。

「これは酷い」
「うわぁ……」

 ウルザは苦笑を、リーズは顔を覆って悲哀の混じった嘆息を。それぞれの性格が良く出ているとでも言えばいいか。ウルザのそれは表層的なものだけで、実際には爆笑といっても差し支えない。逆にリーズは本心からの『酷いものを見た』といった態度である。

「……ひょっとして、俺っちは馬鹿にされてんのかね」
「別に、そういうつもりではないのだけどね」

 剣を引き肩を竦め、アルハは納刀して剣帯を外した。鞘ごと放り投げて、軽く両手を広げ徒手空拳を強調してみせる。

「まぁ、もう武器では攻めないわよ」
「そう願いたいね」

 アドーアの声は平静を装っていたが、僅かに苛立ちが首を擡げているのは簡単に看破できた。その表れでもあるのだろう、こちらが構えを取るよりも早く踏み込んでくる。
 初手の正拳。その先の裏拳、蹴り、踵と順に避け、更に数度拳を交えてから、アルハは徐に一度距離を取った。格闘の技術的にはほぼ互角、但し身体能力はアドーアに若干の利があり、それが打撃の速度として形に出ていた。余り長く受けてはいられそうにない。一発でも貰えば、後は畳み掛けられて終わるだろう。
 だがその攻撃には冴えが無く、攻めの気が薄い。常に警戒を孕んだ攻撃は意気が弱く、手としても温い。
 尤も、既に二度も不意を突かれて敗北を――それを黒星と相手が認めるかどうかは別として――喫しているのだ。その対応は当然であるし、そうなって貰わなければ困る。
 距離を詰めようと相手が地を蹴ったのに合わせ、アルハは腰に残していたホルスターからナイフを抜いた。刃は薄く刃渡りも10センチとない、手の中に覆い隠してしまえるような小さなものだ。一本だけ、常にそこに忍ばせてある。
 これの登場は、アドーアも常に意識していた筈だ。拳と刃物でぶつかり合えば、当然ながら拳が負ける。永核の恩恵はこれを覆すものではあるが、相手が同じ永核持ちであるならば出力の差異はあれど基本的な原理は人間同士が対峙した際のそれと変わりない。多少常人の目では追い辛いという程度のものだ。
 相手の目を奪い、足を止める。ナイフの役割はそれで十分だった。抜いた勢いそのままに小さな刃を手放して、陽光を弾きながら何処ぞへと投げ出された短剣をアドーアが目で追っているその隙に、がら空きの懐へ身を滑らせる。
 そのまま肋骨を破壊する勢いで相手の胸を打つ――のは流石に踏み止まった。その躊躇の間にこちらの動作を気付かれる可能性もあったが、そうならなかったのは幸いか。上手く息が詰まる程度の一撃をくれてやって、よろめいたところで足を払う。それでお仕舞いだった。蹴倒してしまえば、後は踏みつけるだけでいい。勝負という名目があるのなら。
 ただ少し強く蹴りすぎたか、アドーアは勢いよく頭から転倒して目を回していた。踏むのは止まって、行き場を失った力みを開放するように肩を竦める。

「……これでは説教もできないわね」

 余程強く打ち付けたのか、アドーアは暫く目覚めそうもない。少し経って状況に気付いたのか、リーズが慌てた様子で駆け寄ってくる。
 口を挟んできたのはウルザだった。目一杯に皮肉と嫌味、それと賞賛が入り混じったなんとも言えないふざけた声音で。

「まぁ、武器で攻めてはいないけど。最初のアレから全部仕込みか。ホント卑怯者だよ、お前さんは」
「あら。身をもって悪役を公言している辺り、誰かさんよりは断然真っ当ではなくて?」
「おや、僕はいつだって公明正大、品行方正を心がけているつもりだけど」
「慇懃無礼とか、そういったのも混ぜておけ。そういった言葉のほうが似合うわよ、あんた」
「アドーア、わたしより強いんだけどなぁ……」

 まるで自分が負けたみたいな顔をしてアドーアを介抱しているリーズに、アルハは嘆息を交えてその言葉を否定した。

「方向性が違う。私のこれは所詮奇策、同じ相手には一度きりしか使えない。だからその一度で、確実に仕留められるよう動かないといけない。常用するのであれば、誰にも見せないことも大事ね。手管なんてものは割れてしまえば、どんな特殊なものであっても幾らだって対策が立てられる。だから私は、もうそいつには敵わない。まぁ、二度と戦うつもりもないけど」

 勝てない、と明言されたのが余程意外だったのか。殆ど驚いてばかりだったリーズの目が、今日一番の驚愕に見開かれていた。こちらからすれば、そこまで仰天されるほうが心外である。所詮既に自分はロートルで、相手の経験不足と慢心を突いているに過ぎない。

「どの道、害虫連中を相手にする上では必要の無い話よ」

 そう、今は必要ない。あと十年もすれば、その限りでは無いかもしれないが。
 その頃には自分はもうここに居ない。疑う余地も無く確実に。ならばやはり、必要の無い話なのだ。
最終更新:2012年01月04日 02:54
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