RED GARDEN-10

(投稿者:めぎつね)

「ここはそんなに寝心地がいいかい?」

 夢現でありながらその声が誰のものかを容易に判別できたのは、彼女が今となっては唯一の旧友であったからなのだろう。顔を上げてみると、見覚えのある黒と白のコントラストは意外なほど近くにあった。

「さぁて、どうかしら」

 コーヒーの隣には、錠剤の入ったケースがまだ転がっている。アルハはテーブルの上に臥せったままそれを掴もうと手を伸ばしたが、先にウルザに掻っ攫われてしまう。彼女は何度か、その中身を確かめるようにケースを振ってから、呆れたような調子でこちらに聞いてきた。

「効くのかい? そんなものが、メードの身体に」
「まぁ、気休めぐらいにはなるんじゃないかしら」
「ふぅん」

 相槌一つで、ウルザはもう薬には興味を失くしたようだった。身を起こしたこちらにケースを投げて寄越すと、椅子を引いてアルハの正面に腰を下ろす。
 すぐに何か話してくるだるという勘考は容易に裏切られ、ウルザは暫くの間口を閉ざしこちらの顔色を窺うだけだった。そのまま待っているのもらちがあかなず、結局こちらが口火を切った。

「それで、何か用?」
「別に、用がなけりゃ声をかけちゃいけないってわけでも無いだろうさ」
「アドーアかしら」

 こちらの指摘に、ウルザがほんの少しだけ息を止めた。

「……お前さんってさ。ホント、どうしてそう的確に突いてこれるワケ?」
「単に、他の心当たりが無かっただけよ」

 嘆息交じりに、そう答える。ウルザの用件はどうやら別のものらしい。相手の指摘に対し息を止めるのは彼女の癖だが、それは指摘が『見当違いであった』場合に限られる。ウルザからしてみればこちらの的外れな意見に乗っかった形だが、それが見えているならば世話もない。
 だが本心を話す気が無いのであれば、こちらとしては別にそれでも構わなかった。別段気に掛けるものでもない。茶番に付き合う心積もりで、アルハは自分の言葉を継いだ。

「私から教えることなんて、もう無いわよ」
「うん?」
「今更言うまでもないけど、私は卑怯者だ。だからどう教えた所で、その色が出る。彼女はああいった手口を好まないだろうし、それ以前に出来ないでしょうね。あの性格なら、尚更に」
「まぁ、確かにそうだな」
「なら私のような相手は、あくまで仮想敵として頭の隅っこ辺りにあるほうがいいのよ。そういったろくでもない不意打ちをかけてくる相手に対しどう対応するかは……ま、軍の教育マニュアルでも漁れば出てくるんじゃないの。アドーアがそこを漁るかは別として」

 見方によっては、サーシェも似たようなものか。尤もあちらは、実際に対決すれば十中八九こちらが惨敗するという点で致命的な違いがあるが。

「なら、お前の教えを素直に聞いてるリーズの奴は、卑怯な手段も平気で使える奴ということになるのか?」
「どう、かな。あの子は卑怯というよりは器用だ。知りさえすれば、その手段を私なんかよりもずっと応用を利かせて使えるでしょうよ。だから私は、自分の経験を話すだけ。どう使うかは彼女次第」
「丸投げじゃないか」
「そうね。けれどそもそも、私は人に教えられるようなことなんて何もしてないのよ」
「ンなことは、僕だって同じだ。ただ他の連中よりは少し、メードとしての生が長いってだけに過ぎない。何人も後輩の命守りつつ教えていけなんてのは無理な話さ」
「その対価として偉い連中に担ぎ上げられる運命を蹴り飛ばせたのであれば、見返りは十分ではなくて?」
「それは、言うな」

 皮肉を言ったつもりはなかったが、ウルザは弱弱しく首を振るだけだった。心当たりはある。彼女がその見返りを得る為に何をしたか――噂程度であれば、アルハの耳にも入っていた。だが詳しい事情は知らないし、尋ねるつもりもない。方向は逸れるが近しい手段で、アルハも似たような立場を得ている。上役にとっての忌み人であることに変わりはない。

「悪い」
「や、お前が謝ることじゃない。ないんだけどさ……まぁ、ね」

 お互いに手段は違えど上部に反目し、現状に落ち着いた。戦場へ出る回数はさして変わらないものの、主戦場の最前線に連日駆り出されるほどの主力という位置付けにはない。長期的に見れば、かなりの安全圏にあるといえる。
 目元口元に滲む沈んだ意気を払うようにウルザはかぶりを振ったが、大して変わったようには見えなかった。だが恐らくは自分も、似たような顔をしていたのだろう。
 力などではなく。
 あの悪夢を抜けて生き残る為の最良の術が、好かれるべき偉い方に忌み嫌われることだったというのは、何とも間抜けで馬鹿らしい話である。それでも嘗ての自分らはそんな手段など考えもつかなかったし、気付いた頃にはもうそれを伝える同僚など殆ど残っていなかった。
 そして今、擦れた顔をした女が二人、こうして乾いた顔を突き合わせている。

「……悪くないわよね。下っ端でいるのも、さ」
「報われもしないがね。ま、上も報われないから、確かに悪くない」

 くつくつと苦虫を噛み潰したような笑みをウルザは見せたが、それに倣う気にはなれず、アルハは小さく息を吐いた。
 そして、そのまま椅子から転げ落ちた。

「――――あ?」

 ウルザが発した間の抜けた声を笑うべきだったのか。それとも、こちらの台詞を取られたことに憤慨するべきだったのか。見上げた天井は所詮ただの板張りで、そんな疑問の答えなど都合よく出してはくれない。
 思考がまともに機能するまで、たっぷり数十秒はかかったか。天井で揺れる照明の光に何度か目を瞬かせてから、アルハはどうにか状況を呑み込んだ。理解すればなんてことはない。そのものズバリ、椅子から落ちたのだ。僅かに身体を傾けた際、身体がその体勢を維持できなかったのだろう。椅子に座らせた死体が少しバランスを崩せばそのまま崩れ落ちるのと同じだ。閃光の反動と全く同一のもので、大した不思議はない。
 かなり派手な音がしたのだろう……自分では全く聞こえなかったが。起き上がってみると、かなり多くの視線がこちらに注がれていた。問題ないと軽く手を振ってやって椅子に座り直すと、皆興味を失って中断していた作業を再開していく。
 ウルザだけが、痛々しいほどに神妙な面持ちでこちらを凝視していた。そんな顔をされては、こちらが弱音を吐き辛い。……尤も、吐く気など更々無いのだが。

「――お前、そこまで弱ってるのか」
「さて、どうかしら」
「勘弁してくれ」

 頭を抱え大仰にかぶりを振った彼女にかけてやれる言葉もなく、アルハは無言で肩を竦めた。どうしようもない――こればかりは、本当にどうしようもない話である。日常生活においてここまで露骨に反動と同じ現象が起きたのは初めてだが、何れそういう日が来ると予想はしていた。
 それが自分の本質すら知らぬまま、一時でも英雄などという虚像を夢見たツケというものだ。国の期待などという背負い切れる筈がないものを抱え込もうとしたばちだ。払わざるを得ない。
 だからこそ、お前がそんな顔をするべきではないのだ。悪いのは私であってお前ではない。
 だがその思いを言葉にするよりも先に、ウルザの不平が形になった。

「一人にするなよ」
「いい後輩がいるじゃないの」
「後輩と同輩は別だろ」
「そうね」

 肯定すれどそれに続く励ましなどは思いつかず、アルハはそれ以上続けなかった。ウルザは次の句を幾らか期待していたようだったが、暫くして溜息一つ残し席を離れた。

「……全く。誰も彼も、どうして人を気に掛ける余裕なんてあるのかしら」

 私など、自分のことしか考えていないというのにね。
 後半は胸中だけに留め、アルハはすっかり冷め切ったコーヒーに口をつけた。
最終更新:2012年01月04日 02:54
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