(投稿者:Cet)
靴音は絨毯に吸いこまれ、俺が部屋を横切っていく最中でも静寂が降りていた。
俺はその部屋の扉へと向かって歩く。そいつが今何をしているのかを確認するために。
扉の前で立ち止まり、そして、その両開きの扉のノブに手を掛ける。
がちゃり、とノブの回る音が響いた。
扉を手前へと開ける。
シンプルな部屋だった。
まず目に付くのは寝台だった。部屋の右手に鎮座しており、部屋に置かれているものの中で最も大きな存在感を放っている。そしてその寝台の左手には木の意匠の、背もたれがある椅子がベッドに向けて置かれている。そこにその少年は座っていた。
部屋の左側の壁には、人の身長ほどもある嵌め殺しの格子窓が二つ並んでいた。そこから入ってくる光が少年を照らしている。
少年が顔を上げて、こちらを見ている。
ベーエルデー系の血筋にありがちなことに、金髪と碧眼の少年だ。
「
ブラウさん、ノックくらいして下さいよ」
「わりい」
俺はそう言いながら、後ろ手に扉を閉めた。
扉を閉めて、それから俺は少年の方を見た。少年は首を少しだけ回して、こちらへと視線を送り続けていた。俺はその視線を受け取るままにしばらく突っ立っていたが、しかし一歩を踏み出すと、少年の正面にあるところのベッドにまで歩いていき、半回転きびすを返して、腰掛けた。
ぎし、ときしみが響く。
「どうしたんですか?」
「いや、たいしたことじゃないんだが」
と俺は言って、そして視線を天井へとさまよわせた。きっと右を向けば、怪訝そうな視線をこちらへと送る青年の表情を見ることができるだろう。でも俺は曖昧な態度を保持し続ける。
「お前は何してるの」
「俺は、考え事です」
「妹の」
直球。
視線を彼の方に向ける。表情らしい表情はなかった。
ただ、それは冷たい表情というのではない。動揺を全く湛えていないだけだ。
「俺はお前の考えていることが分かる」
そして俺は言った。
彼は一つ頷いた。重々しくもないが、軽々しくもないような印象の首肯。
「そして、俺が何を言ったところでお前はそれをやめないということも知っている」
彼は俺の言葉に、初めて感情の動きを見せる。
言うなれば、それは意外さの発露のようなものだ。俺の発言が存外に当を得たものであったことに対して驚いているのだろう。要は俺のことをみくびっているというだけのことなのだが。
「どうしてそれを……?」
「経験上分かるだけだ、俺はお前の思っている通り、さして勘が良いわけでもないし、演繹的思考能力に秀でているわけでもない。
つまり、過去に似たようなやつを見てきたからそう言うってだけのことだ」
「つまり、ブラウさんも過去に一度——」
「違う、違う、あくまで他人だよ」
珍しく好奇心豊かに突っ込んできた問いを俺は辟易した表情で一蹴する。
しかし、その後でふと考える。俺とこいつは結局のところ同類に過ぎないわけで、こいつの指摘も存外当たっているのかもしれない、と。
「……とにかくだ」
俺は喋り続けることに決める。
「俺は一時は、お前を殺すべきじゃないかと考えた。でも俺は結局のところそうはしないことにした。というか、多分そうしても無駄なんだ」
「……?」
立板に水というやつを地でいく俺を不思議そうに眺めているのを感じながら、喋り続けた。
「まあそんなところだ、俺はお前に対して決して賛同しているわけじゃないし、推奨しているわけでもない、ただ、何かを促すことを諦めているだけなんだ。経験上、そうしても無駄だということが分かっているだけなんだ。俺が言いたいのはそういうことさ」
俺がそうやって話し終えても、しばらくの間、あいつは俺の方をぼんやりとした視線で眺めるばかりだった。誰も何も口をきこうとはしなかった。やがて、俺はベッドから腰を上げた。それでもあいつは俺を眺めていた。俺は一歩を踏み出す。部屋に足を踏み入れた時と同じように。
「ブラウさん」
そして、俺が部屋のノブに再度手を掛けた時に、声は響いた。
「ありがとうございます」
俺はその声を聞いて、指を鳴らした。
ぱちん。
その音と共に、あいつの首から上が吹っ飛んだ。
びじゃびじゃびじゃ、と水音を響かせて、あいつが椅子から崩れ落ちて、それを聞き終えて、俺はもう一度指を鳴らす。
ぱちん、全ては元通りになる。
全ての液体は回収され、あいつの頭へと吸い込まれる。俺にはそれが見なくても分かる。何故なら何度となくそれを確認したからだ。同じことを繰り返したからだ。
くずおれていた身体が背もたれに吸い付くように、再び自律状態を取り戻すと、そこには少年の精悍な瞳が戻っていた。
「ありがとうございます」
「お前に賛同してはいない、俺が何をしても無駄なんだ、それだけ」
「いや、僕は貴方に会った時から、何か親近感に近いものを感じ続けていたんです、それだけは知っておいてください」
そして俺はもう一度指を鳴らそうとして、やめた。
黙ってノブに手をかけ、そして部屋を出て行くことにした。
ことが起こるのは、二日後の日を跨いだ直後だ。
彼女は最初の内は賛同すらしてるんだよなあ。と俺はぼやぼや考えながら、ぱちんと指を鳴らした。その時には、俺はこの世界にはもういないし、そして、俺と会ったことを、彼も、彼女も忘れているのだ。というか、その事実はなくなっているのだ。
ここで俺が繰り返しているのは、ある種の夢のようなものに過ぎない、否、それは夢ですらなかった。それは願望のシミュレーションと呼ぶべき事柄であった。夢と願望をシミュレーションするということには決定的な差がある。
無論、今の俺の状態を夢想家と呼ぶことに何の差し障りもないのは、承知済みのことではあるが。
最終更新:2012年01月04日 20:26