「ようやくお出ましか、
シーア」
黒髪の女性は、その席次において玉座と呼ばれて相違ないであろう椅子に、腰掛けている。女性は薄暗く、そしてある程度の広さのある部屋で彼女を待ち受けていた。
部屋には黒髪の女性の他に、幾人もの人間――中には、明らかに獣の容貌の交じり合った獣人の姿も見られる――がいた。彼らは意匠の程度に差こそあれ、それぞれが豪奢な椅子に腰掛けている。
彼女が歩く度に、長く伸びた髪の先が地面を擦った。
さら、さら、と微細な音が部屋に響く度に、黒髪の女性が表情を引き攣らせた。余程に不快なものとしてその音は彼女に響くらしい。
「シーア」
咎めるような声に応えて、少女は笑みを浮かべる。
そして、丁度円卓となっているその並んだ椅子の、黒髪の女性に対となる位置に少女は腰掛ける。女性が咳払いを一つする。
「エントリヒが動いている」
開口一番に、彼女はそう言った。
少女は無表情に、その発言の様子を眺めている。
「クロッセルにおける諸国に次々と特使を送り、便宜を立てているとの情報が入っている。その内容は諸君らも知っての通り、諸国におけるこの
ベーエルデー連邦への態度を改めよというものだ。
エントリヒの国力には一目も二目も置かねばならぬ点がある。
したがって、状況は芳しくない」
女性がそこまで言ったところで、暗がりの部屋に沈黙が降りた。
重い、重い沈黙だった。
その部屋の円卓で腰掛ける全ての人間・獣人は、揃って顔を俯け、そして何かに耐えかねているように苦痛な表情を浮かべている。重く深い沈黙だった。
しかし、玉座に腰掛けていた女性の表情に、何やら怪訝そうな色が浮かんだ。
その表情に気付いたその他の人物も、すぐにこの空間を取り巻いている何者かの気配に勘付いていた。笑いだった。
くつくつ、と、静かに何者かが笑っていた。そしてその笑いは、確かにこの円卓に付く十余名の人間の内の誰かから、生じていた。言うまでもなく長い長い黒髪の少女の口から漏れ出ているものだった。それはそれは楽しそうに、あたかも愉悦の前に笑みを堪え切れないかのように、少女は喉から笑いを絞り出していた。
対となる席に座る、黒髪の女性が腰を浮かしていた。
「何がおかしい」
それに対して、少女は目尻に涙をすら浮かべている。少女は口を開いた。
「我々は今、何を語ろうとしているのかな」
女性の動きがぴくりと止まる。
それを見届けるように、一つ間を置いて、少女が言葉を継いだ。
「我々は今、きっと、これから一体どうするべきか? ということに関して話し合いをしようとしていたのだろう。それは私にも分かる。
しかしね、同時に分かり切っていることでもあるんだ。そんなことは、話し合いの余地なく、どうしようもないってことがね。
エントリヒは戦争を望んでいる。そして、我々にそれを止めることはできない」
少女はそう言った。至極穏やかにも取れる笑みを浮かべながらに、言い切った。
女性は真顔だった。その活き活きとした笑みを、活動的で積極的で、ある種の意志に満ちた笑みを見て、曰く言い難い表情を浮かべている。彼女は円卓の上に載せた掌を、一度ぎゅっと強く握りしめた。
しかし、すぐに目を伏せて溜息を吐く。
「確かにその通りだ。エントリヒは戦争を望んでいる、何故なら、それは我々の国の持っている可能性があまりに危険に過ぎるからだ」
「MAIDを主体とした軍拡……現存する戦闘機よりも遥かに優越した移動距離・兵站能力・攻撃能力。スパイとしての潜入能力。
それらの能力を考えれば、戦術的――否、戦略的な側面においても、いかにMAIDが優れた戦力であるかは明らかなことだね。
言うまでもないことだけど」
黒い髪の少女はくすくすと、邪気の無い笑みを覗かせていた。女性は依然厳しげな表情のまま、少女の顔を見つめている。やがて女性はもう一度息を吐いた。
「我々が取れる手段は何だ?」
少女は笑い声を漏らすのを止め、目元を依然細めたままに女性へと視線を返した。そしてじっくりと女性の表情を観察するかのように視線を留め、それから口を開く。
「無論、それに受けて立つことだ。それまでに準備を整えることだ。国家間の緊密さを増すことだ。エントリヒの影響力を削ぐということをクロッセル諸国に持ちかけ、それに同意を貰う」
「……カラヤ老が健体であった頃ならともかく、我々にそれができるだろうか」
女性は顔を歪める。それは、この場に少女が現れてから、初めて見せた感情の疲弊であった。
少女は、その疲弊の色を難なく見て取る。しかし、目元に残されていた微かな笑みを、そっとどこかへと仕舞ったという以外に、女性の所作に関する反応を見せることはない。
「やるしかない。決まりきったことだからね」
そうやって、不敵な。しかしどこか人を全幅の信頼へと誘うような、落ち着いた笑みを浮かべたのであった。