(投稿者:トーリス・ガリ)
彼女が昔の話をしたがらないのは周りには有名な話である。
それだけに、彼女の過去を知っている者は、その当時からの知り合いくらいのものだ。
今の彼女しか知らない者がこの話を聞いて、信じられるだろうか。
彼女は他のメードとかなり違った特徴があるが、それよりも心に他と違うものがあった。
彼女が今のような真面目なメードであるのは、これから話す出来事のためである。
一人目の教育担当官は、背の低い若白髪の男だった。
コンコン、とノックの音がした。
エテルネの宿舎の一室があって、その前に若白髪の男が一人、ドアを叩いた。
何度かドアを叩いてみたが、反応が無かった。
待機命令を出していたので、そこにいないということはまず無かった。
ノックが駄目だったようなので、声をかけた。
――ノックの音が聞こなかったのか? 返事くらいしたらどうだ?
しかし、それでも反応が無かった。
女性の部屋に勝手に入るのはまずいとは思ったが、例外もあった。
男はドアを開けた。
部屋には誰もいなかった。
彼女はほとんど一日中宿舎にいなかった。
待機命令を無視して外出し、外の世界を見物していた。
彼女が見つかったのは、19時を回った頃だった。
近くの公園のベンチで星空に見とれていたところ、顔を真っ赤にした若白髪の男が現れて、彼女の腕を乱暴に引っ張っていった。
当時の彼女は黒い服を着ていたので、少し見つけにくかった。
宿舎に強制送還された彼女は、大勢の見守る中ロビーの真ん中に立たされて、怪物が咆えるような声で怒鳴られた。
――貴様は自分のしたことがわかっているか? どれだけの者が貴様を探したかわかっているか?
その声だけで宿舎が潰れてしまうかと思える程大きな怒鳴り声に、彼女はこう言った。
――何故私を探すのです? 私はあなた方に従いたくありません。だからあなた方の御教授など受けませんし、私を探す必要も無いのです。
そこにいる全ての人達は、その言葉に唖然とした。
若白髪の男はそれを聞いて本当に憤った。
彼女と若白髪の男・一人目の教育担当官は、その関係を続けられなかった。
二人の関係が始まってから半年を過ぎて、男は自ら彼女の担当を離れた。
彼女【不良嬢マイナ】は、まだ幼かった。
二人目の教育担当官は、一際がっしりとした顎鬚の濃い男だった。
彼女の部屋の前には若い男がいて、彼女が脱走してしまわないか見張っていた。
顎鬚の男はノックをしたが、若白髪の男の時と同じように、反応が無かった。
いるにしてもいないにしても、男はまずドアを開けた。
彼女はいた。
彼女は男が部屋に入ったことを知っていたが、それを無視して本を読んでいた。
――何を読んでいるのか?
そう男は問うた。
――教えたくありません。
男の問いに、彼女はわざとらしく男の神経を逆撫でするような答えを返した。
男はそれを気にする様子も無く、彼女に自己紹介を始めた。
それでも、彼女はそれが聞こえないのか、それとも聞こうとしないのか、本から目を話そうとしなかった。
それから彼女は男の教えることを、これまで同様無視し続けた。
男は彼女が自分の言うことを無視する度に同じことを教えた。
だがある日、男は問うた。
――どうしてお前は私の話を聞こうとしないのか?
あくまで冷静に問いかける男に、彼女も冷静に答えた。
――あなたが嫌いだからです。
冷静な彼女の答えに、男はまた冷静に問うた。
――好きな人ならば話を聞くのか?
その問いに、彼女は同じ調子で答えた。
――そうです。ですが好きな人はいません。
男はその答えを聞いて、こう問うた。
――好きな人がいないのならば、お前は自分も好きではないのか?
彼女はその質問に答えなかった。
男も、もう何も言わなくなった。
彼女と顎鬚の男・二人目の教育担当官は、その関係を続けられなかった。
二人の関係が始まってから八ヶ月を過ぎて、男は自ら彼女の担当から離れた。
彼女【不良嬢マイナ】は、まだ【不良嬢マイナ】だった。
三人目の教育担当官は、両目に白内障を患った初老の男だった。
彼女の部屋は外から鍵がかかっていて、見張りの男が二人いた。
白内障の男はノックをせずに、入るぞ、と一言言って、返事を待たずに鍵を開け、部屋に入った。
それでも彼女は男を気にせず、窓から外を見ていた。
男は暫く黙っていて、彼女も暫く窓の外を眺めていた。
男は彼女の方に歩いて、彼女の頭を掴んで自分の方に向けた。
彼女は無表情で、男の顔を見た。
男も無表情で、彼女に一言こう言った。
――おはよう。
彼女は、挨拶を返さなかった。
男は突然、彼女の後ろ髪を掴んで歩き始めた。
彼女は驚いて頭を押さえたが、頭の皮膚が千切れてしまいそうで、そのまま男の歩く方向に行くしかできなかった。
訓練場までそのまま引っ張られて、間髪入れずに基礎の基礎から教育すると言われた。
――私はあなたに従う気はありません。
彼女がそう言うと、男は彼女を力いっぱい殴った。
男の拳は彼女のお腹を抉っていたので、彼女は暫く息ができなかった。
痛くて、涙がぽろぽろと溢れたが、それでも彼女は男の言うことを聞こうとはしなかった。
そしてその度に体中を殴られ、痛くて何度も涙を流した。
その日から、男はたった一秒も彼女から離れようとしなかった。
彼女の部屋に押し入って、彼女のベッドの横の地べたに自分の布団を持ってきて、そのまま寝た。
彼女が目を覚ます時は男に叩き起こされ、朝昼晩の食事から着替えやトイレや風呂までも付いて回られた。
彼女は、そんな生活を毎日送るようになっても、男の前で弱音を吐いたり、泣いたりしなかった。
ただ、彼女はなんともなかった訳ではなく、みるみるうちに元気が無くなっているのが男にもわかった。
――君は何故にそんなに頑ななのだろうか?
ある日男は、彼女を普通ではないと感じて、そう問うた。
――前にも言いましたとおり、私はあなたに従う気はありません。あなたに従うならば、私はそれよりも死んでしまう方がずっとましなのです。
男は彼女の左脇腹を、今まで殴った中でも一番力を込めて殴った。
彼女はその場で倒れ、痛みに涙を流して悶えていた。
男は初めて、彼女から離れて行ってしまった。
彼女は肋骨を三本折られ、しばらく動けなかった。
彼女と白内障の男・三人目の教育担当官は、その関係を続けられなかった。
二人の関係が始まってから四ヶ月を過ぎて、男は自ら彼女の担当から離れた。
彼女【不良嬢マイナ】は、ひたすら【不良嬢マイナ】だった。
四人目は三ヶ月、五人目は二ヶ月、六人目は三ヶ月で彼女の教育を諦めた。
同じ時期に教育を受けたメードはもう教育課程を終えて戦っていたが、彼女は一人部屋にこもってじっとしていた。
もう二歳の誕生日を過ぎていた。
七人目の教育担当官は、背の高い整った顔立ちの、糸目のい若い男だった。
彼女の部屋は、他の部屋から隔離するように隅っこの空き部屋に移されていた。
誰からも嫌われた彼女の部屋には鍵がかかっているだけで、もう見張りもいなかった。
糸目の男は、その部屋の前に立ってノックをした。
相変わらず反応は無かった。
――色々話を聞いたわ。いるんでしょう?
男の美声が部屋の中に届いたが、口調は女性だった。
それでも返事はいつもどおりしない。
――返事が無くてもわかるわ。入ってもいい?
しばらく間を空けて、男はまた口を開いた。
――自己紹介もしたいし、入るわよ。
男は鍵を開け、彼女の部屋に入った。
彼女の部屋の中はごみが散乱していて、変な臭いがした。
彼女はベッドに腰掛けて、両手に持った綿のはみ出した枕を俯いて見つめていた。
その綺麗な黒だった服も、穴が開いていたり汚れがこびり付いて白っぽくなっていたりしていた。
童顔ながらどこか上品な顔立ちも、まるで飢えて死にそうなのに食べ物を口に入れる元気も無い子供のようだった。
男は驚く様子も見せずに、彼女に挨拶した。
――おはよう。
彼女は抜け殻かミイラのように動かなかった。
――どうしたの? 元気無いわね。
男は笑ってそう言った。
ほとんど初めてかけられた優しい言葉だったが、彼女はそれでも俯いたままだった。
――自己紹介をしようと思ったけど、まずは部屋の掃除からね。
そう言って、男は動く気配の無い彼女を尻目に一旦部屋を出て、掃除用具を持ってきて、掃除を始めた。
――ここも綺麗にするから。
そう言って男は彼女の方に手をかけた時、彼女が初めて動いた。
凄い勢いで男の手を払い除けて、男の顔を光の無い目で睨み付けた。
――わかったわ。ここはこのままにしましょう。
相変わらず笑った顔のまま、男はそう言って他の場所を掃除し始めた。
手際がよく、荒れ放題だった部屋は彼女が座っている周り以外はすぐに綺麗になった。
それからも、男は彼女に教育担当官らしいことをしなかった。
それどころか、彼女には好きなことをしていいと言って、男は逆にそれに従うように付き添った。
会話は男からの一方通行で、面白おかしいような話にも彼女は耳を貸す様子は無かった。
ただ、彼女は男を時折睨み付けたりはしたが、はっきりと反抗するようなことはしなかった。
教育担当官ではなく、世話係でもやっているのかと思えるくらい、男は彼女に彼女の嫌がるようなことをしなかった。
大声で怒鳴ったり、質問責めをしたり、一日中付き纏ったり、怪我をするまで殴ったりなんて、一度もしなかった。
時々お茶とお菓子を持ってきたり、面白い本を持ってきたり、お洒落な服を持ってきたりした。
女言葉で話すだけでなく、本当にこの男は気持ち悪かった。
彼女は、男の態度に耐えられなくなって、ある日遂に男に問うた。
――あなたは何をしに私のところまで来るのです?
いつも笑顔のその男は、少しだけ嬉しそうに笑ってこう言った。
――あなたを好きになるためよ。
その言葉に、彼女は本当に驚いた。
ほんの少しだけ、息ができなくなった気がした。
それでもあくまで冷静に、次の問いを投げかけた。
――どうして私を好きになりたいのです?
すると男は、本当に当然のことを言うようにこう言った。
――嫌いな人となんて一緒にいたくないでしょう。だから、あなたを好きになりたい。
彼女は、その答えに冷静に指摘した。
――嫌いなら、一緒にいなければいいではありませんか。
しかし男は、首を横に振ってこう言った。
――私はもう、あなたが好きよ。
彼女は声を震わせながらも冷静にこう言った。
というか、彼女が気付いていないだけで、男の最初の答えを聞いた時から声は震えていた。
――ですが私は、あなたが嫌いです。
すると男は、初めて彼女に求めた。
――じゃあ、私のことを好きになって。
彼女はもう冷静ではなくて、大声でこう言った。
――あなたを好きになんてなれません! 私はあなたとは違うのですから!
男はそれを違うと言った。
彼女が何か言おうとしたが、その前に男はこう続けた。
――あなたが私を本当に嫌いなら、ここからいくらでも追い出せたのに、あなたはそうはしなかった。それは、あなたでも私を好きになることができるということ。あなただけではなく、人は誰だって人を好きになれる。
何も言えず震える彼女を抱き寄せて、男は話を続けた。
――あなたと同じような子は、実は思ったよりたくさんいるの。メードは戦うために生まれたけど、それを嫌がる子だっている。普通の女の子みたいに、綺麗に着飾って、お茶を飲んで、楽しい本を読んで、夢を見たり恋をしたりして、好きな人と一緒に歳を取りたいって、本当はみんなそう思っている。もちろんメードでなくてもそう思っている子はたくさんいる。それでも叶わない子がたくさんいる。あなたは意志の強い子だから、余計にそう思って、他の子よりもずっとずっと辛い思いをしてきたのよね?
本当に気持ち悪い男。
どうして何もかも見透かされているのか、白内障の男に初めて裸を見られた時の何倍も恥ずかしくて、怖かった。
でも、背の高いその男にぎゅっと抱きしめられる感覚が心地よくて、今までに無い気持ちで、生まれて初めて安心できた。
彼女は、痛みからではなく、本当に涙を流して泣いた。
生まれてから今までの分を、その時だけで全部泣いた。
それから彼女は、普通の女の子と、普通の女の子になれない人達のためにメードとして戦うと決めた。
もう一度基礎から学び直し、【不良嬢マイナ】は誰にも負けない優等生になった。
教育課程を一年遅く修了する時、糸目の男・七人目の教育担当官ハイディは最後にマイナに大切なことを教えた。
あなたの教育担当官をしていた他の六人は、決してあなたを見捨ててはいなかった。
自分はその六人の教育担当官に、あなたを救って欲しいと頼まれて、アルトメリアから急遽エテルネまで飛んできたのだ。
マイナはそれを聞いて、本当は泣きそうだったが、照れ臭くて困ったように笑った。
二人の関係が始まってから十ヶ月、ハイディはマイナの巣立ちを笑顔で迎え、アルトメリアに帰っていった。
――本当にありがとうございました。機会がありましたら、またお会いしましょう。
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最終更新:2008年09月22日 19:49