(投稿者:KOGOTO様)
第1章01
これは、前の大戦が折り返しに入った頃の話だ。
そもそもその戦争は、大陸の中ではほんの小さな国同士のゴタゴタが、周囲に飛び火して始まった。最初は誰も、戦いがこんなにも大きくなるとも、こんなに長くなるとも思わなかっただろう。本当に、些細なことが原因だったのだから。
初めは帝國も、見に覚えのない戦渦に巻き込まれた国のひとつでしかなかった。彼らの不幸は、よりにもよって最初に勝ってしまったということに尽きる。あちらもこちらも情勢が緊迫していく中、隣国が国境地帯に駐留させた大部隊。戦争をやるつもりはなかっただろう。抑止力として、軍隊同士が国境を境ににらみ合うのはよくあることだ。
けれど往々にして、歴史の悲劇は予期しえない事故によって招かれる。どちらの兵士が撃ったともわからぬ、一発の銃弾。今になっても、それがどちら側の過失であったかはわからない。ただ、その時は互いが互いの悪意を信じた。
緒戦は帝國の勝利におわり、余勢を駆った彼らは、いまや敵となった隣人の領土に殴りこむ。主要な戦力を失っていた隣国は、時を待たず帝國の版図に組み込まれていった。そんなことが二度三度繰り返し、戦争から7年ばかりたった頃。大陸の地図がずいぶんと様変わりして、ようやく人々は平静を取り戻す。厭戦ムードが蔓延し、落としどころが模索された。そうして、ここから帝國にとって本当の悲劇が始まる。
誰もが納得のいく妥協点を。そもそもこの戦争で悪いのは誰なのか。そうして周囲を見渡したとき、一つだけやたらと見晴らしのよくなった地域があった。言わずもがな、周辺諸国を平らげた帝國である。彼らにとっても望まぬ戦いだったはずのそれは、いつの間にか侵略戦争の様相を呈していたのだ。
世界は帝國を弾劾した。あの卑劣な侵略者どもを、悲劇を餌に肥え太った下種どもを許すな。そも、世界的に共和革命の機運がくすぶっていた時代でもある。封建国家であったことも災いした。かくて、生き残った諸国による連合が発足され、帝國は世界の敵となった。
最初は、誰が始めたかもわからない戦いだったのに。
何はともあれ、勢力が二分されたことによって戦争は新しい局面を迎える。それまで負け知らずだった帝國軍は、連合軍の圧倒的な物量の前に各地で敗走を重ね、ついには手に入れた領土どころか、父祖伝来の土地までも脅かされることになった。
失意と絶望のうちに先帝は崩御。まだ青臭さの残る若者が新皇帝に即位する。この頃になると国土は荒れきっており、正規の方法では戦闘員の補充もおぼつかなくなっていた。若き皇帝は事態を憂慮し国民皆兵を布告。これにより、戦場では老若男女が銃火に散る地獄が現出する。
しかし、このことが戦争に新たな転機をもたらした。
国民皆兵制度を支えるために、帝國が開発を急いでいた後方支援装備「M.A.I.D.」の完成である。最初の一人が目覚めたとき、前線はすでに帝都を望むほどまで迫りつつあった。こうなってはもはや後方も何もない。彼女たちが戦火に巻き込まれるのは、至極当然のことだったといえるだろう。そして、誰も思っても見なかった事態が起こる。
帝都の東100km地点まで侵攻していた連合軍機甲部隊の壊滅と、それに続く帝國軍の大反撃。突然のことに連合首脳部は混乱し、指揮系統の混乱が収まる頃には、失った時間は致命的なものとなっていた。戦力の再編を迫られた連合には帝都まで押し込めるだけの勢いはなく、やがて冬将軍の到来によって、帝國に猶予を与えてしまう。
雪に閉ざされた戦地の向こう、帝都では本格的なM.A.I.D.の開発がはじまり、春になる頃には優に50を越えるM.A.I.D.たちが稼動しているという悪夢的な状況。戦争はまだ、当分終わりそうもない。
「帝國陸軍機甲科、ゼップ・ノイマン少尉以下7名。ただいま着任いたします!」
「ご苦労。第6軍団隷下第23機甲連隊隊長ブリアー・ランサメント中佐だ。中尉の着任を歓迎するよ」
季節は晩春、帝都では最終防衛線に集結していた部隊の再編が行われ、各所で独特の賑わいを見せている。ここ、バルトロイ通りの第23連隊詰所も例外ではない。
学徒徴兵に引っかかったと思しき新米士官たちが、いまいち様にならない敬礼姿を見せていた。
「初々しいね、まったく。まぁ、そう硬くなるこたぁないよ。小うるさい先任もほとんどいやしないしねぇ」
クツクツと笑いをこぼしているのは、いかにも歴戦の勇士といった風情で軍服を着崩した中年女性だ。ブリアー・ランサメント陸軍中佐。紹介によれば彼女こそが最先任となるわけだが、たしかに、士官用の詰所に見える姿はせいぜい10人程度である。
第1章02
「は、失礼ですが、他の士官の方々はどちらに?」
「あぁ……いないよ」
「――え?」
「だから、他の士官なんていやしないのさ。ここにいるだけが、正真正銘23連隊士官の総員だ」
驚き、疑惑、呆れ、絶句した若者の脳裏をよぎったのは、そのうちのどれだったのか。なんにせよ新入りたちが顔色を変えても、ブリアー中佐は同情交じりの苦笑いを浮かべるだけだった。
「そもそも23連隊なんて、春になってでっち上げられた寄せ集めだからねぇ。定員割れも止むなしと、そこは目をつぶっておくれよぅ。
それに致命的に足りてないのは士官の頭数だけだ。下士官やら兵卒やらまでいないわけじゃないから心配は、まぁ、今はしまっとくことさね」
昨年までの戦いで、帝國の戦闘部隊はどこもかしこも似たような状態だった。定員割れなど当然どころかむしろ幸福とでも言うべき状態で、多くは解体統合されて、はじめて体裁が整うのである。23連隊も、もともとは3つの機甲連隊と2つの歩兵大隊を統合し、さらに他の師団から抽出されてきた戦力と兵員補充でようやくここまでこぎつけたのだ。
「失礼ながら、連隊長殿。こんな戦力で、司令部は自分たちに何をしろと……」
一際生真面目そうな容貌をしたノイマン少尉。まさしく見た目どおりに生真面目な青年らしい。
しかしそれも的外れな指摘とは言えないだろう。おそらく彼は知らないだろうが、確かに23連隊の戦力は「こんな」とはき捨てられて仕方のないものだったのだ。機甲連隊と銘打たれているが、現状彼らの装備は数台のトラックとジープ、あとは型遅れの重機があるだけなのだから。はっきり言って工兵の装備である。もはや戦闘部隊ですらない。
既にこの春、彼らの親部隊である第6軍団は、再編の間に合わなかった部隊を残して国境に向けて進発している。そのため、23連隊の戦車や自走砲はすでに他の部隊へ接収されていたのだ。
「一兵卒が考えても仕方がないことさ。まぁ、ちょいと不安も残るが司令部からは保証も――」
「それについては心配していただかなくても結構。諸君には、最高の戦力と装備が供与されることになっております」
前線の道理を説かんとしていたブリアーをさえぎったのは、詰所の別室から現れた男の口上だった。
一見して、軍人とは思えない男である。撫で付けた髪形には一櫛も乱れがなく、色の悪い総身や切れ長の瞳が、見る者に針金のような印象を抱かせずに入られない。肩章や襟章をつけてはいるものの、まとう衣服はむしろ白衣を思わせる。
加えて、不敵な笑いを絶やさなかった練達の野戦指揮官が、男が現れた瞬間だけは嫌悪の色を覗かせずにはいられなかった。これはいったいどういうことなのか。
「……コーデル技術大佐殿。今は新兵の着任式、言ってみればアタシたちの領分です。貧乏長屋のネズミじゃあるまいし、空気読まずにしゃしゃり出ないでもらえませんかねぇ」
「これは失礼。しかし、彼らもこれからの帝國の躍進を担う若者たちだ。我々に与えられた栄光ある役目について、知悉しておく権利は充分にあるでしょう」
戸惑いを隠せないでいるノイマンを尻目に、コーデルと呼ばれた男は彼の肩に手を置き、握手を求めてきた。ずいぶんと馴れ馴れしい男だ。
「ただいま紹介に預かった、陸軍中央技術開発局のダグラス・コーデル大佐です。これからしばらくの間、よろしく頼みますね、ノイマン少尉」
おまけに厚顔というか、空気を読むということを知らない人種らしい。意識してやっているならたいしたものだが、あんな毒を浴びせられて薄ら笑いを浮かべていられる人間というのは、ノイマンにとって生理的に許容し得ない範疇にある。
「こちらこそ、ご指導願います大佐殿。
ところで、不躾ですがなぜ技術部の方がこちらに……?」
「ふむ、ノイマン少尉。私がその質問に答える前に、一つ聞いてもかまいませんか。君がこの戦争の現状について、どのように分析し、解釈しているのか」
「戦争の……現状で、ありますか?」
質問の意味が、いやむしろ意図がわからない。第一この男、先ほどから笑みばかり浮かべているくせに、問いを投げるときの目はまったく笑っていなかった。
第1章03
「そう、現状について。すぐには思いつかないというのなら、もう少し質問の範囲を限定することにしましょう。
君は、帝國が先の冬を越せたのはなぜだと思っています?」
「そ、それは複数の要因が考えられますが――」
「最も直接的な、もっとも大きな要因です」
「それは、M.A.I.D.の投入という点に尽きるかと……」
異様な迫力に気圧されながらも、なんとか応えきれたのは訓練課程を担当した教官のしごきがあったからこそだろう。逆に言えば、生半可な気力ではコーデルの視線に射すくめられていたに違いない。退役を間近に控えて頭頂部を気にしていた鬼教官に、ノイマンは始めて感謝する気持ちになっていた。
一方、ノイマンの返答を受けたコーデルは我が意を得たりとばかりに天を仰いでいる。
「そう、M.A.I.D.、M.A.I.D.です! 半死半生であった帝國が、今や昔日の隆盛を取り戻さんとしているのは、すべてはM.A.I.D.あればこそ!!
しかし、それではまだ足りない。戦争の現状、過去の方向についてはそれで事足りるとしても、これからの展開についての分析は、それだけではまだ足りないのです!」
次の瞬間、ノイマンの両肩に激痛が走った。コーデルの両腕が、その細腕からは想像も出来ないような、それこそ万力じみた力で彼の骨格をきしませているのだ。あまりにも異常な状況に、並んでいた同輩たちがたじろぐ。情とは儚いものである。
「それではノイマン少尉。私のわがままで寄り道をしてしまいましたが、貴方の質問にお答えしましょう。私がなぜここにいるのか、何をしているのか、そして帝國の未来について。
ちょうど、待っていた荷も届いたようだ――」
詰所の表が騒がしい。車両が立てる独特の、間断ない振動や、石畳をハンマーで叩き割るような騒音が、それこそ数ダース単位でまとまったように響いている。
生半可な重量と数で出るような音ではない。それこそ、局所的に戦争が起きたかのような大音響なのだ。いったい表では何が起きているのか。いまだ拘束を逃れられないノイマンは、必死に首をめぐらせて様子を伺おうと試みている。
「よぉし、野郎共、馬が届いた! 戦支度だ。直ちに装備を受領して腹の底に火ぃつけなぁ! ヴァルハラの乙女は気が多いんだ、アンタらブ男が時を逃したら、もう待っちゃくれないよ!!」
「ヤボール!!」
一糸乱れぬ敬礼。それまで周囲になんの興味もないように、思い思いの格好で無聊を慰めていた戦争経験者たちは、一匹の動物のように遅滞なく詰所を後にした。
「さて、新入り共もさっさと表へ出な。馬も女も慣らすにゃ最初が肝心だ。愚図でも上に乗せてくれるような安いのをつかまされたくなかったら、騎士たるものがエスコートのお相手を待たせるんじゃないよ。
コーデル大佐殿、アンタもねぇ」
「いやはや、妙齢の女性がずいぶんと過激な言葉を口になさるものだ。わかりました、逆鱗に触れぬうちに私は退散いたしましょう。
あぁ、恐ろしい恐ろしい」
妖怪が、と、去っていくコーデルの背に、はき捨てた言葉は届いただろうか。やはりあの正気を逸した技術士官と、この野戦士官の関係は良好とは言い難いようだ。少なくとも、彼女はコーデルに対して悪感情以外は抱いていないらしい。
「着任早々災難だったねぇ。だけど、あの技術士官殿は始終あんな調子だ。アタシたちも嫌気がさしてるんだが、序列があるんで文句も言えないのさ。カエルかなにか踏んじまったと思って水に流しとくれ」
「はぁ……」
少しばかりの驚きをもって、ノイマンはその言葉を受け止めた。最初の印象では、この女性はこういう陰口をたたくことを嫌う性質だと思ったのだが、どうやら、嫌悪の根は相当に深いようだ。
なにか暗雲のようなものが、部隊の未来に立ち込めているような気がする。そんなぞっとしない想像を振り払うように、ノイマンはふと思いついた疑問をかえした。
「些細なことなのですが、中佐殿。こういう場合、普通は犬に噛まれたというのでは?」
「ん、あぁ……技術士官殿は、なんだか両生類じみてるじゃないか。だからさ」
なるほど。たしかに興奮して目をむいたコーデルは、まるでカエルのようだった。
得心がいったとばかりに頷く姿が、ブリアーにはなかなか好ましく感じられる。軍隊、それも混成部隊などという魔女釜に投げ込まれて早々、あんな目にあった割には平静だ。彼女は肝の太い餓鬼が嫌いではない。
第1章04
「なにはともあれ、あらためてよろしくお願いしますといこうかね、少尉殿」
「は、恐縮です!」
今度は、差し出された右手を取ることにためらいはなかった。
それはノイマンにしても同じだったのだ。妙な異物が混じっていることに戸惑いはしたが、なにもあの狂気がこの部隊のすべてではない。この指揮官が全体を締めてくれるなら、なんとかやっていけそうな気がしている。
しかし、そんな期待はすぐさま打ち砕かれた。連隊長に伴われて通りに出た瞬間、目に飛び込んできた光景によって。
朽ち果てた元歓楽街通りに所狭しと整列していたのは、屈強の軍人でも、洗練された装甲車両でもなかったのだ。そこにあったのは――
「どうですか中佐殿にノイマン少尉。ご覧ください、この威容。この貫禄。これこそが、帝國の繁栄を約束する正しき解釈!
すなわち、M.A.I.D.は強力な歩兵にあらず! 彼女たちを脆弱な人の延長のごとく語る言説こそ蒙昧! 帝國千年の栄光を蝕む罪悪に他ならない! ならば、M.A.I.D.とは何者か!? その解答!! 究極まで省スペース化された戦車、それこそがM.A.I.D.なのです!!」
あどけなさを残す肢体を包む、醜悪な金属の構造物。どういう冗談か、細い肩には到底保持できないような装甲板が生えている。その腕の異形さはどうしたことか。重機のアームを据え付けてあるとしか思えない。ましてや、彼女たちが携えるのが箒でもなければ茶盆でもなく、重機関砲や迫撃砲であるなどと。
彼女たちこそは、帝國陸軍が開発した初めての、完全に戦闘だけを目的とした、いわば戦車としてのM.A.I.D.たち。そして23連隊にとって、唯一の機動戦力である。
第1章 -終-
最終更新:2008年08月25日 23:38