(投稿者:エルス)
気付くと空ばかり見詰めていた。
青い時もあったし、灰色に淀んでいた時もあった。
それでも、考え事をする時は何時も窓際の椅子に座って空を見る。
爆音や断末魔が絶えず響く戦場とは隔離された時間がそこにあった。
「―――――」
部屋には必要最低限の小物が隅に置かていて、定期的に掃除されているためか埃等は何処にもない。
テーブルの上には読み掛けで放置した伝記小説が風を受けてパラパラとページを進める。
誰も入ってこない。隔離された、彼女だけの空間。
珍しく一日中暇だったとヘルは思い返す。
それが平和なのか、はたまた嵐の前の静けさなのかは分からないが喜ばしい事だった。
久々の休日は疲れきっていた体の疲労を癒してくれる十分な力があった。
「―――――」
そうは言ってもヘルはただ一日中空を見続けていただけである。
途中、運ばれてきた食事は取ったがそれ以外にこの椅子の上から動いた記憶は無い。
空は刻々と姿を変え、ヘルに見せ付けていたが彼女がそれを感じる事は残念ながら無かった。
ただ何時ものように考え、推測していただけである。
自分は本当は誰で、何故このような場所にいるのか。
取り留めの無い事だとはヘル自身も理解しているが、どうしても知りたいことであった。
「―――――」
空は今、その壮大さを示すように月と星で飾られていた。
不意に考えを止め、夜空を見詰める。
いや、それまでも見詰めていたから夜空を『感じる』と言う方が正しいだろう。
青白い月がヘルを照らし、風が彼女の髪を漂わさせる。
それは正に妖美の風景だったが、生憎部屋には彼女以外に誰も居ない。
「―――――」
夜空にポツンポツンと光る星は綺麗で、出来るならこの手で掴みたいとヘルは思った。
それでも空は遠く、伸ばした手は何も掴む事無く膝の上に戻る。
空の見せる圧倒的な広大さに彼女は自分がどれ程小さき存在であるかを知る。
しかし、どれ程小さくとも彼女の背負う肩書きは大きすぎる物である。
ネメシス――破壊女神――東部国境戦線のトップエース―――
重すぎる十字架は彼女の双肩に容赦無く圧し掛かる。
それでも彼女はそれをものともせず、戦場へ赴くのだ。
「―――――」
食事を除いて十八時間振りに椅子から腰を上げた彼女はシャワーを浴び、ベットへダイブした。
碌に乾かしていない髪がシーツを濡らし、開けっ放しの窓から入り込む風がほんの少しずつそれを乾かす。
一度だけ部屋のドアを見詰め、誰かが来るのを待った。
それが何かを伝えに来た無表情の兵士でも微笑んでいるジンでも良かった。
出来れば何時の日かあったあの笑顔が来てくれれば頭の殆どを掌握しはじめた眠気を吹き飛ばして飛び起きただろうが、ドアは何も音も立てず、開かれる事も無かった。
「おやすみなさい」
誰もいない部屋に告げ、瞼を閉じる。
心地よい眠気が彼女を夢の世界へと追いやり、何分としない内に部屋に心地良さそうな寝息が静かに響いた。
それは戦場なんか忘れさせてくれるような少女の平和で日常的な音だった。
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最終更新:2009年11月02日 23:32