戯言

※諸々好き勝手に書いてしまっているのでマズかったらコメントでお知らせ下さい。
 あと特に意味は無いです。



 文明圏の天敵に対する“G”という記号的呼称は、判然とした命名だに忌々しいとする人類の総意を暗示しているとされるが、そもそもこの一文字のアルファベットの選択について、その由来は漠然としており明確な一説を示せる資料は見当たらない。
 彼の敵対者の正体はおろか、我々は己が所業だに満足に理解できていないのだ。



 “G”が生命の一種に定義される論拠について、最も的確なるそれは遺伝子の存在であった。
 その構造が我々同様に二重螺旋のDNAを示しているという当初の発見は、大陸全土を確かめても広くは知られていないらしい。



 一般的に生命の肉体的進化とは、険しい環境へ適応する性質とされる。
 我々は自ずから環境を改造する術――知恵――を育てたことでそれを失った。
 或いは、人類のあまねく汚染と暴力に順応し続ける“G”こそ、天然自然の生態系にあるべき抗体ではないのか。



 膨大な種に分類される“G”の、唯一普遍的な殺傷手段は“メード”による直接攻撃である。
 一方、その手段の根拠たる内実は単純な物理破壊力の都合に他ならず、“G”という種の根絶を目指した本質的な打開策には及んでいない。
 我々は彼の敵対者の蹂躙に怯え、抗うことのない未来に期待しながら“メード”を作った――シマウマという種が、ライオンやハイエナの狩りから完全に開放された時代は無かったのに。



 “G”を自然界の突然変異体として認識する庶民的仮説を、研究者達が肯定することは決してない。
 多くの仮説における“G”の異質性が、人類種の特徴と概ね一致してきたためである。
 我々が数多の栄光を創造しても、文化の外側にしてみれば無節操な破壊と浪費の誇張であることを忘れてはならない。
 “G”が文化圏の破壊者と定義されることに等しく、我々は非文化圏の侵略者なのだ。
 解体し、蝕み、居座る。我々と彼等は双子の様だ。
 文化圏を蝕みながら際限無い繁殖と進化を続けるこの膨大な敵対者は、資源を暴食する我々の繁栄と開発の歴史をなぞっているのである。



 終わらない悪夢。
 絶えることの有り得ない抗争。
 それは呪いの様に、続くだろう。
 人類の営み、我々の家族が生き残る限り。

 “G”とは、人……。

             ―――以上『アシマカの記録』より部分抜粋





  • カダ=アシマカ
 生態論者。遭遇初期から“G”の観察・分析に尽力し続けた探求者であった。
 世暦1940年、母国の集落に滞在中“G”の群が来襲。瘴気の森と化した現地で単身地下室に閉じ篭り、没するまでの数日間に記し続けた日誌が、後に『アシマカの記録』というタイトルで書籍化された。同書は「“G”の根絶」「人類の安泰」という一般的な命題を捨て、“G”を地球上に自然発生した正当な生命の一種として確認しているアシマカの見識が忠実に残っている。むしろ、それに抗うべく“メード”という奇怪な存在に価値を見出している人類こそが異質な生命であると定義している節すらある。
 なお、アシマカの遺体と日誌を発見した同国のメードによれば、彼は日誌を記しながら絶命していたという。このことから最後の一文、「“G”とは、人」は未完の文章であると推理される。
最終更新:2008年11月09日 02:27
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