アガトの事情1

(投稿者:店長 一部フェイ氏添削)

―――Sanctus, Sanctus, Sanctus―――!

まるで潮が満ちるがごとく、大地を覆う黒の正体であるワモン種の大軍が迫る中、朗々と響く詞。
それは導き。大地を振るわせる人類の敵に立ち向かいし勇気あるもの達に捧げる詩。

ヘレナ、前方に対して18秒後にコイルガン並行射撃。道を切り開け!」
「──了解しました」

後ろに控える黒衣の男性の指示を受け、一人の少女の姿をしたそれは動き出す。
その体に比べて一際大きな左腕は、金属製の人の型からかけ離れた盾に三本の爪を生やした義手。
身に纏うセントレア教の女性が着るカソックの上からも鎧を身につけた彼女は左腕を前に掲げる。
その左腕の盾と爪との間の部分から筒が覗いていた。

──聖者ハルトネの祈り通じ、大河モーラネルの水別つ。

背後で響く御言葉は、セントレア教の聖書の一節の聖者ハルトネの聖なる歩みの内容である。
彼は圧制に苦しめられてきた古代の王国から、貧しき人々を連れて新天地へと導く。その通り道にあったモーラネル川で足止めを受ける。
後背からは王国の兵が、彼らを捕らえにやってきている。そのとき彼は天に祈りを込め──その願いを受け、神は僅かばかり川を絶ち割った。

響き渡る音はよく耳に通じた。風がまるで壁となって直接鼓膜を叩くような音がする。
純粋な衝撃波となって、空気を振るわせたモノが左腕の義手から放たれたからだ。
その勢いはそのまま、眼前へとリズミカルに発せられる音の根源──本来ならありえない、音速を超えたコイルガンの弾丸──が黒い津波を穿ち、打ち砕いていく。


──……
─……

 それが先日行われた、教会──大陸で侵攻されているセントレーア教の持つ戦力の俗称である──による防衛戦の冒頭である。
宗教を根幹とする中世の軍隊のようなその組織だが、宗教を根幹とする分、兵士の戦意は遍く高い。
あの後は軍より受領した──といっても耐久年数の過ぎたものや、一世代前の戦闘車両等が大半で、残りは民間の車両にどうにか重火器を乗っけたようなものまである──装備を以って火力戦をするまでである。

 犠牲が幸い軽微であり、かつ死者はいなかった。というのも第一に規模が小さいことが上げられた。
流石に軍隊と同じ火力を有するわけでない教会の戦力から言えば、普通の軍隊ではカバーできないような隙間を埋めるので精一杯である。
主に教会が請け負うのは前線を迂回してしまった小集団の撃破や、撃ちもらしを都市部に入る前に撃滅すること。
先日もそういった関連であり、慎重に戦えば犠牲を最小限にできる。

そして何より重要なのは、軍より特別に保有を許された三体のメード、俗に言う教会の三姉妹がいることだ。
世界に三桁しか存在しないメード戦力が三体も保有することは、規模から考えれば贅沢と言える。
特に七年も稼動し続ける最古参であるヘレナは、教会にとって生きる信仰の象徴。
彼女は四肢の一部を失いながらも現在まで戦い続けるその様子から、機械仕掛けの聖母という二つ名を持つ。
そしてその三姉妹の指揮を任されることになっているのは、数いる異端審問官の中で若い部類に入るアガト助祭であった。


セントレーア市国内、喫茶店。
そのカウンター席には教会の神父の格好をした男性が二人並んで座っている。
二人は殆ど同じような年齢であったが、片方は

「しっかしよぅ、お前さん前線じゃあの三姉妹の上官なんだろ? いいよなぁ」

ぐびぐびとグラスに入った飲み物を飲む。
一般的には酒を思わせるだろうが、彼はアルコール類は飲めない体質故に飲むのは乳製品である。
口元を白く汚しながら、隣にすわるアガトの同僚は隣のアガトを見る。
教会の三姉妹は教会にとってアイドルである。羨ましくないはずがないのだ。
そして同時に三姉妹は教会の最高戦力といって過言ではない。
そのため、それらを指揮する者にはそれ相応の能力を持つことが条件であることはいうまでもない。
さらにそれだけでなく、権威もまた必要となっている。
そのあたりは彼女らの教育担当であり、かつセントレア教会において無視できない重鎮──
本人はそうは思っていないが、周囲はそうは見ていないいい例──であるシスター・ベルの推薦が効力をもっている。
兎角、アガトは事実上”教会”の最高司令官に近い立場を得ていることになっているのだ。

「ふっふっふ。……じつは結構じゃじゃ馬だったりするんだぜ」 

本来は比較的安全な後方で指揮をするはずの彼が何故か生傷だらけで呟く。
その口調には苦労人のため息が混じっているかのようだった。

「そのぐらいなんだよ、特にテレサちゃんなんか……くぅ、このうらやましいやつめ」
「うるせぇ。合同演習巻き込まれてみろっ」
「……案外いいかもしれん。あの聖域を拝めるなら」

特にテレサの格好は扇情的なのである。
深いスリッドの入ったカソックから覗く白いガーターベルトとオーバーニーソックスと、大よそ聖職者とは思えぬ格好。
禁欲的な一般男性の信徒からは別種の信仰を呼んでいる節がある。
因みに厳格で真面目な教徒は教徒の鑑ともいうべきヘレナが、
年寄りや子供好きな信徒は真面目で頑張り屋なアリッサがそれぞれ人気があるそうだ。

「ちなみに、指揮ミスるとひどいぜ」
「具体的にはよ? 我らがむっつりスケベめ」

特に我らが、というところを強調する同僚にたいし、アガトはすっと片手の指を一本だけ立て、

「1、ヘレナの説教エンドレス」

アガトはうんざりといった様子で呟く。
繰り返すが彼女は教義に篤い。普段の身だしなみや振る舞いに対しても、ましてや上官に対しても容赦なく糾弾してくるのだ。
しかも自身はきっちりと守っている分、そこを利用して状況打破することができない。
メード特有の体力もあってか、彼女の説教は最低で一時間という長期に渡る。
流石にヘレナが美人とはいえ、そこまでみっちり絞られると心身共に狼狽するのは必須である。
しかも何処からか知ったのか、楼蘭仕込みの反省の姿勢である正座を導入してからというもの肉体的な被害が増大するのである。

「……次は?」
「テレサの拳&罵倒」

そしてテレサはヘレナと違ってすぐに手が出る。
手加減はしているのは分かるのだが、腹殴りや往復ビンタをしながらヘレナとは違った”口撃”を繰り出すのだ。
最近こそ手を出すことは少なくなったが、当時は凄い目にあったというのが彼の印象である。
今でもたまにミスを犯すと目線を合わせずに奇襲じみた脛蹴りが飛ぶ。

「……そして三女か」
「おう。睨みつけ&徹底無視。正直コレが一番きつい」

そして何もしてこないアリッサが一番グッサリ来るのである。
こちらがフォローするために言葉を投げかけようにも、
睨みつけるという機銃掃射と無視の鉄壁とによる城砦に立てこもる彼女が相手では効果が薄い。
何度も何度もアガトが覚えた必殺の土下座を行使しないと聞きいれもしてくれないのだ。
幸いなのは長時間その状態が続くことが無いことだが、しでかしたこと次第では数日に渡って険悪な態度を貫くのだ。

「なるほど。そいつはヘヴィだ……俺なら3回は死ねるね」
「だろう?」
「だが上手いこと成功収めたらリターンあるんだろ?」
「時と場合によりけりってとこだな」

ふふん、と得意げに笑みを浮かべるアガトに、同僚は食いつく。

「ほぅ、実に興味深いぞ我らが審問官殿?」
「はっはっは。いうとおもうか」
「いいや、言うね。いわなきゃこれ奢らせるぜ」
「…………ふっ。いいだろう。この値段より俺はあの三人のが怖い」

どうやら、奢ることによる物理的打撃よりも、秘密を暴露することによる精神的被害のほうに天秤が傾いているようだ。
こうなったらアガトは容易に意思を曲げないことは長年の付き合いから知っている彼はしゃべらせるのを諦める。

「左様け。んじゃ勘定はお前さんもちでっと…」

最も頼んでいるのが酒ではなく牛乳とかカフェオレであるから、値段も知れている。

「っく……! さらばユキチ」
「そいつぁローランのだろ? たしか」

しかし、普段から金欠であるアガトにとっては無視できない打撃力である。
しかたない、といった様子で以前知人からもらった紙幣に手を伸ばす。

「おう、知り合いからもらった」
「それってここで使えたか?」

楼蘭で使われている紙幣で、有名人を題材にしている札である。価値にしてみれば現在の一万円の価値がある。
だが、このセントレア市国で使えるかどうか二人とも知らない。

「やってみなけりゃわかるまいっ、親父、支払いこれでっ!」
「残念だが……ここはセントレーアだ」

気難しい顔の店主は一度受け取った紙幣を妙に丁寧な仕草で返す。

「………ふっ」
「ツケか? またツケか? いい加減奢ってくれていいよな審問官殿?」

ニヤニヤと悪態をつく同僚に、アガトは一度苦汁を舐めたかのような表情からどこか悟りきった表情に変えながら、

「親父。……ツケで」
「……おう いい加減次ぐらいには払ってもらうぞアガト助祭」
「わかってるさ」

この度何度目かになるツケをするのである。
いい加減払えばいいのにとこの時同僚は思う。
決して裕福というほどにないにせよ、アガトに給金が来ているはずだ。
無論、正式な軍人と違ってその金額は少ないのだが。

「しっかし払いそんなに悪かったか?……どっか柄に無く寄付とかしているのか?」
「柄に無くて悪かったなっ」
「ほぉー、なんだそういうことか。正直に話しな」
「却下だっ」
「……話したら今までのツケを俺が払ってやるぞ?ん?」
「そこまでおちぶれちゃいねぇっ」
「ふうむ。なかなか口がかてぇな……まあ大方察しはつくがな」
「ふっ。とりあえず、俺はごっそさんだ」

支払うものが無い以上、ここに居座る理由がないアガトは身支度を整える。
それをまだ居座る予定の同僚は椅子に座ったままアガトのほうに向き、

「あいよ、……おっ死ぬなよ?」
「ばーか。俺を誰だとおもってんだ」
「我らがむっつりスケベ異端審問官だろ?」
「ちげーよ!」
「はっはっは。美人三人に囲まれている奴にぁお似合いさ」
「言ってろ」
「……じゃあなアガト」
「おう」

別れの挨拶をする。それが彼らのいつもの別れ方だ。


同僚と別れたアガトはセントレアの町を歩く。
表通りの一角、真っ白な大きい家屋から灯る明かりを見上げた。

『鈴の音孤児院(ベル・オルファネイジ)』

中から聞こえてくる賑やかな子供達の笑い声を聞き、ふっ、と口元を緩めると背を向けた。
ポケットに僅かに残る硬貨を手の中で遊ばせ、腹を鳴らしながらアガトは歩く。

「……またへレナに怒られるかもな」

へレナの怒り顔と、テレサの爆笑する様と、そしてアリッサの呆れ顔が脳裏に浮かぶ。
苦笑いしながらも少しばかり幸せに思う。

「ま、慣れてるさ。…大人しく謝ってメシつくってもらおう」


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最終更新:2009年01月01日 18:49
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