(投稿者:エルス)
A.D.1944年 6月13日 アルトメリア西部戦線 後方補給基地
早朝の5時に目を覚ましたにしては私の頭は非常に良く覚めていたと思う。
ただし、カタログスペック上時速12.87km(実際にはもっと遅いかもしれない)で進むE-トランクの車内で、操縦手の意見を事細かに記録するという重労働が無ければの話だ。
この補給基地に辿り着くまでおよそ4時間、それに耐え続けた私は今、水道で頭から水を被っていた。
隣には私と同じくらいの身長のアレックス一等兵が、水筒に水を入れ、次に飲んでいた。
年齢は37歳と聞いているが、階級は一等兵。この不可思議に興味をそそられ本人に聞いて返ってきた言葉が『上官を殴って降格』だった。
私には曹長から一等兵にまで降格させられる程、上官をボロボロに叩きのめすような人間には到底見えない。
タオルでスキンヘッドの頭を拭きながら彼が言う。
「正直言って、あれには操縦手なんか要らんと思う。複列式のサスペンションは良いかも知れんが、何せ遅すぎるからな」
操縦手が不要と言って苦笑した彼に私は少し慌て口調で返す。
さぁ、これからという時にやる気が無いような発言をされれば、誰だってこうなるだろう。
「いえ、操縦手は必要ですよ」
そう言うと彼は鼻で笑った後、少し黙り込み、また水を一口飲んで言った。
「例えだよ、例え。戦車乗りの命を預かる操縦手はどんな時でも必要だ。ただし、あの大鞄はその役割がちぃと薄まってるのさ」
「は、はぁ・・・」
私には何が何やらである。操縦手の役割と言えば戦車を車長の指示通りに動かすくらいしか、私には思いついていなかった。
そして彼は、そのうち分かるようになるさと言って今や愛車となったE-トランクへ歩いていった。
補給は順調だ。此方の注文は私から主砲の弾薬を30発(昨夜の時点で32発搭載されていた)と12.7mm重機関銃とその弾薬660発。
搭乗員からの注文はM1920軽機関銃とその弾薬一箱、そして全員に冷たいビールを、だった。
その他には新たに新型地雷の評価試験を行えと無理矢理持たされた馬鹿でかいフリスビーのような地雷が7個ほど。
私は正直、この時半ば自棄になっていた。新型が何だ、どんと来い、と言う具合に。
「んぅ・・・」
こん畜生、訳の分からないもんばっか作りやがってと普段は思わないような感情を拳に込めて握り締めていると、不意にエイミーがツンツンと私を突いた。
見下ろしてみると、やや不安そうな表情で目をキョロキョロさせている。
私が対応に困っていると、エイミーの方から口を開いてくれた。これ自体はありがたい事である。
「おいちゃんはどこぉ?」
「おいちゃん?」
私はそこで昨夜の少尉の言葉を思い出し、おいちゃんと言う人物が少尉なのだと分かった。
せめて、少尉だとかブルーノーだとか言ってもらえば簡単なのだ。
そこで私は白いタオルで髪を拭きながら、知らないなと無愛想に言った。
もう一度エイミーを見てみると、今にも泣き出しそうな顔をしている。
一部の、そういった幼い少女に欲情する人種がいると聞いたことがあるが、私はやや年上の女性が好みなので無視すると、本当に泣き出した。
私は子供と言うものが、全くと言って良いほど理解できない。学生時代は機械ばかり弄っていたので(それでも落ち零れだったが)、こんな子供をどう慰めるかなど全く知らない。
私が一人勝手に右往左往していると、片手にクラッカーを持った少尉が司令所から小走りで駆けつけ、エイミーをヒョイと肩車すると持っていたクラッカーをエイミーに渡した。
見ている側としては、本当に親子と思うほど似合っていた。
すると少尉が、私を睨みながら言った。相当に怖いものである。
「エイミーを泣かせるなよ、いくら技術屋でも容赦なく叩きのめすぞ」
ゾクリと悪寒が背筋を上った。簡潔に言ってしまえば少尉はエイミーの事を我が子のように溺愛していたのだ。
それを――まぁ、私の人生の薄さを改めて実感した訳だが――泣かせてただ見ていたなど、少尉からすれば絞首刑ものなのだろう。
私は教訓を学んだ。泣いている子供を放っておくと怖い思いをする。
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この補給基地で評価する点は複列式サスペンションの外側を取り外し作業に要する時間の計測とその効率についてだ。
機関室上面の左右に脱着式クレーンを取り付けられるようになっているE-トランクは、その点では合理的だった。
少尉とその部下3名は野戦の条件下(後で本人に窺った所、全く野戦の条件になっていないと言われたが)で4時間を費やした。
その後、繰り返し行った結果、なんと2時間半まで縮める事が出来た。慣れれば作業のコツが掴めると言うが、本当らしいと私は知った。
再取り付け作業についても、ほぼ同じ時間でできた。
気付けば辺りはもう暗くなり始めている。私はこの場での評価試験をこれで終了として、今日の残りを自由に使って良いと少尉たちに伝えた。
実を言うと、私はもうヘトヘトで評価どころではなかったので勝手に終了させたと言う方が、しっくり来ている。
私が礼儀正しく、任務に忠実だと思ったのなら私に対する評価を見直してもらいたい。実際は適度に粗暴な、そこら辺に湧いているような性格をした人間だ。
一つ溜息をつきながら、私が地面に座り込むと、ジェイムズ上等兵が笑いながらオイオイと言った。
「この程度でくたばんのか、技術屋ってのは?」
「い、いえ、私はこれが初めての戦地なので・・・少し緊張して力が入りすぎたんだと思います」
私は正直に答えた。例えこの場で嘘を言っても彼は微塵も疑わなかっただろうが、私には少尉よりも少し背が高く、筋肉の塊のようなこの男に嘘などつく度胸は無い。
ジェイムズは装填手だからなのか(それすら私には分からないのだが)、41歳には見えぬほど『マッチョ』である。
角刈りオールバックの金髪に鍛え上げられた肉体、趣味は何ですかと聞いたら「筋力トレーニング」と答えたと言う噂も頷ける。
彼は昇格と降格を繰り返していたため、今は上等兵になっているという。理由は聞かないほうが良いと少尉から警告されていたので、聞かないことにする。
「何でぇ、初体験ってか?ハッハッハ!そりゃぁ良い経験になったろぉ?」
「え、えぇ、まぁ・・・」
ここで言うと、私はE-トランクの評価試験で出会った彼らの事はそれなりに尊敬しているのだが、年齢が開きすぎているせいか、やや圧倒され気味である。
気弱な私は口下手で、このハイテンションな人にどう接していいか分からない。
・・・思えば、やはり私のこの23年間と言う人生は薄いのではないかと、改めて思う。
そこで、司令所から出てきた少尉がまた小走りでやって来て、私をやや哀れむような顔で見てから言った。
「骨骨大尉が呼んでるぞ技術屋、何かしでかしたか?」
「は?いえ、自分は何も・・・」
「まぁ、とりあえず行って来い、そして出来ればぁ・・・冷たいビールを土産に戻って来い」
少尉が笑いながらそう言うと、ジェイムズ上等兵も俺にも持ってこいと言い出した。
こっちはこの補給基地司令に呼び出されて、何をしてしまったのか、何が起きるのかとビクビクしているというのに。
最終更新:2009年01月12日 22:01