忍び寄る不穏の影

ドラコ✕シュテルン
メアーネ認識前




 雨が重く降っていて、周囲は暗かった。
会議がある為にドラコが私室を離れてしまい、部屋にはシュテルン独りのみ残っていた。
特別何かを任されているわけではないので、彼はただベッドの上で横になっていた。

「…」

 外では強い雨音と共に、時折雷が激しく鳴り響く。
シュテルンは雷のような大きい音が苦手で、今も枕を頭から被り音を消していた。
暗く、静かで寂しい空気がただ流れるだけ。

(…眠い…)

 瞼がとても重く、意識も微睡んでいる。
本来なら会議を終えたドラコを迎えたいところなのだが、この時だけ何故かとても眠かった。
瞼だけではなく、伸し掛かっているかのように身体も重い。

(…少し、だけ…)

 ほんの少しだけ寝て、起きてドラコを迎えよう。
そう決めて、シュテルンは眠気を受け入れ、そのまま眠りについてしまったのであった。


 外ではまだ、雨が降り続いていた。




「…はぁー、疲れた…」

 ドラコは首を鳴らしながら、私室に向かって歩いていた。
会議はそれほど長引かなかったのだが、議題が議題なだけに気力を必要以上に使い過ぎたようで、表情

には疲労の色が伺える。しかし、シュテルンが部屋で待っていると考えれば、その鬱蒼とした気持ちも少し

は晴れる。

「シュー、ただいま。」

 私室の扉を開く。おかえり、と言う言葉を待っていたが、帰ってこなかった。

「…あれ?シュー?」

 首を傾げ、名前を何度か呼びながら部屋の中を探すがシュテルンの姿は見えない。
ベッドへ視線を移すと、何故か不自然に濡れている。まるで、雨に打たれた後のように。

「…?」

ふと、ベットの下で何かが灯っている事に気が付く。ドラコが近づいて屈めば、そこにはシンティが蹲っていた

。様子がどこか、おかしい。両手で彼女を救い上げると、重力に従ってだらりと落ちかける。

「シ、」

 声をかける前に、シンティは小さく、何度か光を点滅させてドラコに訴えた。
それは、メテオーア同士の信号で、『警告』や『危険』の意思表示だ。

「―――っ!!!」

 弾けたようにドラコは部屋を飛び出す。雨が降っていても気に留めず、馬を連れて走らせた。
ベッドの上の不自然に濡れた跡、それは廊下まで伸びていた。嫌でも、シュテルンが誘拐されている事を

知らしめるのに十分であった。

「…シュー!いるんだろ!?シュー!!」

 雨に打たれながら、町中で名前を叫び続ける。返答は、来ない。
すると、肩に乗せていたシンティが再び、何かを訴えている。

「シンティ、シューの居場所を、知ってるのか?」

 その問いに答えるように、シンティは顔を道路の上へと向ける。
つられるようにそこを見れば、雨で濡れた道に混じり、黒い跡が見える。
それはずるずると奥へと続いている。その先は、国の外だ。

「…一体…いや、分かった、行こう。」

 正体を考える前に、ドラコは馬を走らせた。今はシュテルンの安否だけが、気がかりだった。
黒い跡を追えば、視線の先に何かが映る。それに対し、ドラコは絶句する。

「…っ何だよアレ…!?」

 ドラコの先にいたのは、黒く大きな生物であった。犬でも鳥でも、スライムでも何でもない。
楕円形ではあるが触手で身体を覆っており、全身が巡るように蠢いている。今まで見たことのない生物だ

。正体不明の化け物に竦んだが、その身体の中に埋もれている腕に気が付く。その腕の先を辿ると、人

間の顔が見えた。シュテルンだった。

「シュー!!!」

 シュテルンは目を閉じており、呼びかけに答えない。死んでいるのか、と嫌な考えばかりがドラコの頭を駆

け巡る。

「……返せよ、シュテルンを返せよォォオ!!!」

 右手に風を纏い、黒い生物へと放つ。鎌鼬のような強風で身体を傷付け動きを鈍らせるが、止まる気

配がない。それどころか、走り続ける生物の背中から触手が伸びて、ドラコへと襲い掛かる。

「っち!」

 短刀を抜き、応戦する。鞭のように振るう触手が、ドラコの頬を打つ。痛みに怯むが、風で触手を斬り

捨てる。斬り捨てられた触手は、黒い靄を残して消える。

「シュテルン、っぜぇ、シュテルン!!」

 シュテルンは起きない。それどころか、徐々に伸びる触手が身体に取り込もうとする。

「待て、っやめろ!!シュテルン!!待て!!…っ!!」

 国の外へと出た先にはドラコの視界に入ったのは、陰鬱に茂る森。あの中へと入られたら、追撃出来なく

なってしまう。ドラコの気持ちばかりが焦る。

「待てよ…!頼むから、っやめろ…!!」

 届かない手に、彼の心が折れかける。シュテルンの身体も、もはや目を残すだけだ。

《―――ドラコ、》

 ふと、ドラコの耳に声が聞こえてきた。

《―――ドラコ、聞こえますか―――》

「…誰?」

 雨が打ち付ける中で、その声だけがはっきりとドラコに聞こえる。
姿は、見えない。

《―――貴方の眼ならば、あのモノの核が見えます―――》
《―――そこを叩くのです―――》

「………」

 ドラコは意識を集中させ、目の前の生物を見据える。
埋もれたシュテルンの先に、赤い点が煌めくのを捉えた。

(…そこか!)

 ドラコはシンティを馬の頭へと乗せると、ゆっくりと立ち上がり風を纏う。
そして、飛び上がり生物の真上まで至ると、剣を抜いて、その赤い箇所を突き刺した。

「コォォォォォォオオオ……!」
「うわっ!」

 黒い生物は急停止し、ドラコを振り落とそうと激しく暴れ回る。

「暴れるんじゃねぇよ!!」

 ドラコが更に深く突き刺せば、再び咆哮を上げるが動きが止まり、そのままドスン、とその場で崩れた。
ドロドロとした黒い液体と靄を垂れ流した後、形を残さずに消えてしまった。

「っはぁ、はぁ………」

 剣だけが地面へと転がる。しかし、自身の背後にシュテルンがいる事に気が付いた。

「っシュテルン!!」

 倒れているシュテルンを抱き起こす。顔色は真っ青で、息遣いも途切れ途切れだ。
このままでは、危ない。

「シュテルン…!起きてくれよ…!!」







「…ん…?」

 暗い空間で、シュテルンは立っている事に気が付く。
確か、さっきまでドラコの部屋で寝ていたのに、と記憶を思い返すが、逆に思い返すと自分の不在でドラコ

が怒るんじゃないか、と不安が生まれてくる始末だ。

「…あ、れ…」

 ふと、視界の先に誰かがいる事に気が付いた。向こうからこっちに来ているようだ。
徐々に見えてきたその人物に、シュテルンは驚いた。

「か、あさ…ん!」

 現れた人物は、黒髪の女性でシュテルンの母親であった。
思わずシュテルンは駆け寄って、母親へと手を伸ばしたがその手を払われる。

「え…」
「この、出来損ないが。」

 母親は表情に憎しみを浮かべそう突き放すと、シュテルンに背を向ける。

「か、あさ、…嫌、だ。待って…」

 泣きそうな声で呼び止め手を伸ばすが、母親は振り向かない。
すると、その伸びた手を誰かが掴み、自分の方へと引き寄せる。

「えっ!?」

 背後から抱き締められ、顔を向ければそこにはドラコがいた。
優しい笑みを浮かべ、愛おしそうにシュテルンの顔を撫でる。

「ドラ、コ、」

 その表情に安堵していると、ドラコが口を開いた。

「お前は、ずっと、俺の奴隷だ。」
「…は…?」
「生きているだけで無駄なお前が、王子の奴隷として生きていけるのだから名誉だろ?」
「…い、や…違、おれ…」
「出来損ないのお前が、必要とされてるんだぜ?なぁ。」

 ドラコは優しい笑みを浮かべたまま、残酷な言葉だけをシュテルンに告げる。
彼がそんな事を言わないのを知っている筈なのに、本心なのかと錯覚してしまうほど、今のシュテルンは傷

付いていた。

「いやだ、」
「シュー、愛してる。」
「違う、そんな、の、」
「ずっと、一緒だ。」
「聞きたくない…やめて…」

 ついには、目を瞑り耳を塞いで、その場に蹲ってしまった。
足音が聞こえ、誰かがシュテルンを囲む気配がしたかと思えば、罵詈雑言が浴びせられる。

「使えない。」「出来損ないが。」「マナに嫌われた子。」「帝国の恥晒し。」
「死んでよ。」「消えろ。」「屑。」「お前は、この世界でいらない。」

「う、うぅ………」

 跳ね返す気力すら、シュテルンになかった。

《かーあーいーそーう。》

 突然、ふわり、とシュテルンは前から抱き締められた。
姿を確認する事はなかったが、声色は少女であった。
少女の声が、シュテルンの耳元で囁く。

《マナに嫌われた愛おしい君、世界はこんなにも拒絶しているんだよ。》
「………」
《君を必要とする人間がいない、母親すら君を捨てたじゃあないか。》
「…すてた…」
《そう、こんな世界で生きる意味がある?》
「………」

 シュテルンは手を離し、顔を上げる。暗闇の中で一際輝く少女が、にっこりと笑っている。
少女はもう一度、問い掛ける。

《こんな世界で、君は生きる意味があるのかな?》
「―――」

 シュテルンは、少女の問いに答えようとしたその時、

―――シュテルン!!

「……あ…」

 聞き覚えのある声に、目を見開いた。
これは、いつも聞いていたあの人の呼び声だと気付く。
すると、視界が急に白くなり―――









「……?」

 ゆっくりと目を開けば、まず飛び込んできたのは天井と自分を見つめるドラコであった。
ドラコの顔は何があったのか分からないが、あちこち傷付いている。

「…ドラ、コ…?」
「シュー!」
「わっ」

 彼の名前を呼べば嬉しそうに、横になっているシュテルンへと抱き着いた。
更にその彼の肩から降りたシンティが、シュテルンの頬へと頬擦りをした。
ドラコもシンティも、何故か肌が冷たかった。
暫くして、ドラコがシュテルンから離れるとこう言った。

「大丈夫か、何か…ほら、食べたいものとか、ないか?身体とか冷えてるだろうし、」
「…冷え、てる?」
「お前、連れ去られてる間、ずっと雨に打たれてたんだよ。急いで帰ってきて、風呂に突っ込んだけど、全然起きる気配がなくて、」
「………」

 ふと、シュテルンはドラコの異変に気が付いた。

「…ドラコ…泣いてる…?」
「は?」
「あ、…いや、ごめ…」

 ドラコは自身の目を拭う。余計な事を言ってしまったか、とシュテルンは竦んでしまう。
ぼんやりと、先程見た夢を思い出してしまい、今度はシュテルンが泣きそうになった。

「…ドラ、コ…」
「…何?」
「……おれ、奴隷…?」

 奴隷、と聞いて、ドラコは目を丸くしたが、シュテルンはその表情を見る勇気がなく、言い訳をしながら布団に隠れた。

「ごめ、聞かなかったことに…変なこと…ごめん…」
「シュー、」
「嘘、だから、だから、」
「シュー、こっち見て。寂しくて、また泣くよ。」

 シュテルンがおずおずと布団から顔を出すと、ドラコが微笑んでいる。
おいで、と手招きをすれば、シュテルンは身体を起こしてドラコに抱き着いた。
ぽつぽつと、ドラコは話す。

「俺、泣いてたよ。お前が変なのに連れ去られて、走ってるのに届かなくて、呼んでるのに届かなくて、泣いてた。」
「……うん…」
「やっと、手が届いたけどやっぱりお前、目が覚めなくてさ、出来る限りの事をしたけど、やっぱり、目が、覚めなくて、」
「…うん……」
「死んだのか、って絶対考えたくなかったけどさ………少しだけ、思った。」
「……うん…」
「奴隷だ、って思ってるなら、こんなに心配なんてしないっつーの。馬鹿。」
「……ごめん…」

 抱き締める手が強くなるのを感じて、シュテルンは涙を流した。
ドラコもまた、抱き締める身体の温かさを確認して、涙を流したのであった。





 雨の日はしばらく嫌いになりそうだと、ドラコはそう、思った。

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最終更新:2015年08月05日 22:41