大連残留二十五万人同胞を救った日本人の記録(上)-03


第三章 大連を後にして

いよいよ好機到来

満州日日新聞が接収されて中国語の新聞を出しているが、ある日、
赤沼がその新聞を持って飛んで来た。読んでくれというのだ。
二頁の号外全面をつぶして、シヨッキングな活字が躍っている。

「元満州国軍姜中将ハルピンにて逮捕、裁判の結果、銃殺を執行」
の見出しで、次のような記事が載っていた。

「北京で終戦を迎えた満州国軍の鉄石部隊は無傷のまま蒋介石軍に
編入された。
日本人と多くの日本留学生、隊の幹部にも、鉄石部隊の反人民的行為は
編入のその日から始まった。
第二十六軍長という空名を与えられ姜は、蒋軍の東北侵入を支援し、
その先導を務めた。

そのころの蒋軍は、既に東北地区に進出して人民蜂起に成功した
解放軍と、これに合流の動きを見せている旧満州国軍の向背に恐れをなして、
海路より東北に侵入すべく企図した。
蒋軍最大の軍艦重慶号が、これらの作戦を援助しながら営口に向う途中、
我が方に帰順してからは、陸路、山海関よりの道を選んだ。
旧満軍鉄石部隊は姜軍長指揮の下に、北京を出発、山海関を経て
錦州に進駐した。鉄石部隊にとっては、故国への帰還である。

錦州に帰った姜軍長は後続の国民党を迎え、蒋介石総統の検閲を受けた。
そして、その夜、第二十六軍長の職を解かれた。
そこで姜に与えられた新任務が彼を今日の悲劇に追いやった。

その任務は、「単身ハルピンに潜入して、所在の旧知を集めて地下軍を
組織し、予め定められた日時に、鉄道に沿って長春から北進、
国民党と呼応して、ハルピン守備に任じている解放軍を背後から攻撃せよ」

というものであった。

姜は数名の腹臣を従え、便衣をまとって錦州を出発した。
無謀というほかない。
この情報を入手した解放軍は、関内から侵入して来た国民党の北進を
長春北方で阻止するとともに、ハルピン周辺の警戒を厳重に行っていた。
「六月中旬、ハルピン松花江沿いの伝家甸で、解放軍公安局は、
行動不審な男を逮捕した。
取調べたところ姜頭目であることが判明、軍事裁判の結果、死罪と決定、
去る八月下旬、ハルピン郊外で人民立会いの下に銃殺刑に処した」

赤沼はこの記事を門脇に繰り返し読んでもらってから、
「銃殺されたなんて信じたくない」と眩いた。

姜は彼の知人の夫で、赤沼がこれから世話になろうと思う相手である。
赤沼の思いがわからぬではないが、現実は厳しいのである。
まず新聞の誤報ではあるまい。

「知人が家族とともに錦州か奉天に居るはずです。彼女に会えば真偽が
はっきりするでしょう。あれほどの力を持った軍長ですから、
双方で利用しようとしているのです。だから言う事を聞かないと
わかれば殺しにかかると思います。
私は一刻も早く知人の安否を確かめなければなりません。

あるいは姜軍長の参謀になる夢は立ち消えになるかも知れませんが、
御同行願えないでしょうか。
中国語の堪能なあなたと一緒なら、本当に助かるのです」

赤沼の最初に提案した内容とまるで違ったものになってしまったが、
それは意とするには及ばぬ。
門脇は赤沼と奉天まで同行しても、そこで別れて関東州在留邦人の
引揚げのため奔走するつもりだった。
いよいよ、その時が来たのである。胸が高鳴るばかり。
「後はどうすればいいのでしょう」と妻の愛子に泣かれたが、妙案が浮かばない。

まず金目の物を洗いざらい叩き売って、家族の生活費と門脇が北へ向う
旅費を作らねばならない。
次に公安局へ旅行届けを提出しなければ、同局の検問で露見するは必定。
その結果、妻子がひどい目に会うのは明白である。
そして行先をどこにして届けるか、どうやって大連を離れるか。
計画を実行に移すのは大変である。

虎穴に入らずんば虎児を得ず

誰に聞いても、北に向って大連を抜け出す方法は見つからなかった。
引揚げ促進を陳情するためという内容がスパイに察知されれば、
「反動」として処刑されるだろう。
家族も道連れにされるが、それは仕方ないとしても二十数万の在留邦人は
死ぬまで祖国へ帰れない。だから他人事のようにして聞くわけだが、
誰にも妙案がなかった。
夜になれば隣家にすら行けない日本人にとって、大連を抜け出すなど
考えてもみなかったのである。

「門脇さんは、関東州と満州の事情を知り過ぎているから、駄目なんです」
ある日、赤沼は吐き捨てるように言った。

「私は沖縄へ幾度も出撃しました。護衛の戦闘機なんかない方が安全です。
夜、たった一機で飛ぶんです。敵のレーダーに捕捉されると、
前を向いて横に飛ぶんです。金属の粉を撤きながら・・・・・・
米軍の高射砲は、大体、機体の前方で炸裂しました。米軍の計算よりも、
ぐんと遅く飛ぶのです。
もちろん、単機ですから、戦局を覆すような戦果は挙げられませんが、
一機としては充分な任務を果たして九州へ帰りました。
油を補給すると朝鮮の群山まで飛んで一息入れました。
これなども、沖縄における米軍の状況をよく調べて知って居れば、
とても出撃する気になれなかったでしよう。

門脇さん、近日中に決行しましょう。さもなくぱ満州には寒い冬が襲って来ます」
それから三日後、赤沼が息をはずませて門脇宅にやって来た。

「今夜、ソ連軍司令官宛に林檎を運ぶ列車が大連―熊岳城間を走ります。
暫くぶりに石河から北へ汽車が走ります。これに乗りましょう。
日が暮れるまでに大連駅に着かねばなりません。

さあ、近所の人に気付かれないように家を出ましょう」
〝足もとから鳥が立つ〟というのは真にこのこと。しかし単機出撃の
爆撃王にハッパをかけられては、モタモタしていられない。
もっとも彼に誘われなくても門脇は一両日中に出発と心に決めては居た。
終戦後の実情調査のため米軍が奉天に来ている、という話を前日聞いたのである。

大連の鉄道工場に来る前は大連列車区に勤務していた関係上、
大連から北の満鉄本線は数十回も往復している。
途中の沙河口、周水子、南関嶺をはじめ途中の簡易駅の名称まで、
総ての駅名を暗記しているほどだ。

そんなわけで勝手知った満鉄本線だが、今は事情がまるで違う。
切符を売ってくれるはずもない。柵の外にひそんでいると、貨車三両と
客車一両が連結されたが、機関軍は現れない。いつかは発車するだろうが、
時間がわからない。聞けるものでもないし、日本人が駅の囲りをうろついて、
発見されだら、それこそ危険だ。あせらず待つことにして座り込んだら、
その日はちょうど九月十八日で、満州事変の記念日に当たることを思い出した。

先のことがまるでわからなくなると、急に身近なことだけ思い出す
ようになった。今更満州事変を思い出してみても、なんの得にもならないが、
それと同じように妙なことばかり浮んでくるのである。
そんなくだらないことを小一時間も考えていたら、港の方から機関車が
走って来て、さっきの貨車に連結された。ホームの裏側をさりげなく歩き、
そして貨車に飛び込んだら、人間の足を踏んでしまった。
外で時間をつぶしているうち暗くなったが、車内に先客が居たのである。
壁に向って座ると、いろいろの戒めや諺が浮んでくる。

「その秋は雨か嵐か知らねども今日の努めの田の花を取る」
「事を成すは窮苦の日にあり」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
「志ある者は事ついに成る」

どれをとっても門脇の心すべき事だから、夢中になって知ってる
限りの諺を思い出していたら、汽笛が鳴って汽車は動き出した。
途中駅は止まらないにしても、国境の町石河ではソ連軍保安隊の
臨検があるだろう。前にも書いたが、ペストの発生で、国境では
厳重な検査と防疫が行なわれている。

暗い貨車の中だから、どのくらい走ったのか、さっぱりわから
なかったが、石河に着いたらしい。人間のわめき声が近づいて来る。
扉を開けられたら万事休す。逃げる術はない。

怒声が起り、汽車が動いた。「入れ替えだね」と思ったが、それにしては
「停めろ!」「停めろ!」という叫いが聞える。
「検査終了まで出発してはならんぞ」と叫びながら中国人が走って行く。

しかし汽車は停止も後退もしない。なぜか汽車はソ連兵と中国の警察を
置き去りにして、ひたすら北に向って走る。

次の駅、瓦房店に到着したら夜が明けた。もうそれで検閲もなく、
奉天に向うだろうと胸なでおろして居たら、「日本人は降りるんだ」と
日本語のわめき声がする。扉が開けられ、
若い声で、「出て来い。ぼやぼやするな」と怒鳴られた。
門脇も、単機出撃の得意な爆撃王も、青菜に塩の如く、
首うなだれて外に出るより途はない。

赤い腕章つけ、スキー帽に似た解放軍独得の軍帽かぶった
日本人がたむろして居る。
いずれも十七、八歳の子供だ。彼等はそり身になって、
「証明書を見せろ」と命令し、
続いて、「日本人がここから北へ行く事は許可されていない。
大達へ帰れ。命令に背いてこの汽事に乗る者を発見したら、直ちに銃殺する」
と言う。
子供だから、同じ日本人だから、といって安心するのは禁物。
背後にマンドリン抱えた荒くれソルダートが立って居る。

爆撃王の赤沼が、見るも無惨、米つきバッタの如く頼んで居る。

「帰れ、と言われても、大連にはもう家もなければ、一銭の金もありません。
私達は、寒くなるまでに内地へ帰らなければ死んでしまいます。
お願いします。奉天まで行かせて下さい」

「ダメだ。ダメだ。絶対駄目。その足で、大連まで歩いて帰れ」

ソ連兵の点数稼ごうという心算らしく、日本の子供達は冷たく言い放つ。
非情でこすっからいガキとは別に、

「ホームにも、駅の外にも解放軍が居るから注意しなさい。
日本人を見つければ必ず射撃するからね」

そっと耳打ちしてくれる坊やも居た。その子は、駅前には数百人の
解放軍が集合、客車に乗り込むため待機して居ると話してくれた。
それじゃあまるで機関車の釜に薪放り込みながら、近くでガソリンの
詰め替えするようなものだ。
門脇、赤沼の二人は満鉄杜宅へ行って見ることにして歩き出したが、
日本人は既に引き払い、社宅はもぬけのからだった。

駅の方へ引き返すと、あの機関車が盛んに蒸気を吹き上げていた。
やにわに爆撃王が走り出した。

「ついて来て……」
ホームの方に向っている。門脇も走った。さっきの少年がこの騒ぎを
聞きつけ、走り出して来た。
汽車は既に動き出して、門脇がいくら走っても並行線。ステップが
見つからないのである。
満鉄の軍輌は背が高いから、ホームが切れればもう乗れない。
だから門脇は力の限り走るのだが、刻一刻スピードを増す汽車には叶わない。
赤沼は大きなコンパスで機関車に飛び乗った。
門脇は己の体力、スピードがわかっているから、もうやめようと前を見ると、
機関車の窓から白い手袋が出て、盛んに「おいで、おいで」と招いている。

汽車のスピードは始めのままらしい。門脇の足がもつれて遅れをとっただけだ。
それがわかって門脇は、一世一代の力をしぼり、
機関軍のステップにしがみついた。
三段の鉄のステップを、どうやってよじ登ったか、わからない。夢中だった。

「山の監視哨に兵隊が居ます。怪しいと見れば、発砲しますから、
後ろの炭水車の石炭を掘ってかくれて下さい」

日本語である。乗務員の一人が中国人、二人が日本人だった。
〝地獄に仏〟である。門脇ら二人は炭水車の右側の壁へ、
するめのようにへばりつく。途中の駅では小旗を振って小学生が歓迎していた。
後ろに乗った解放軍のためである。

国民党の南下を防ぐための解放軍駐屯地があって、瓦房店から
乗り込んだ兵隊はそこへ行くらしい。

それにしても、小学校は政治的変革には最も保守的。
従来の政権に忠実であるが、もうダメときまれば、
コロリと変って進歩的になり、そして新しい旗を振る任務を負わされる。
林檎と蟹のうまい熊岳城までの列車が、日本敗戦後の最高の
長距離列車であり、この貨客混合列車が当代随一の豪華特急と
いうことになるだろう。のろのろと走っても、歩くより遥かに速い。

いずれにしてもここまでは大成功だった。

続く
最終更新:2010年06月13日 01:04