「アジアを侵略した欧米 解放した日本」
「タイ国ピプン首相の大東亜戦争の大義」(大阪毎日新聞昭和17年1月1日)
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開戦直後に大東亜戦争の大義を説いたピプン首相
「日本はアジア諸国への侵略戦争を起こし、人的、物的に多大の損害を
与えた罪を深く謝罪しなくてはならない。」
いわゆる「村山談話」に代表されるこのような感覚は、現在でも
日本政府を束縛し、多くのマスコミをも同調しています。
しかしながら、大東亜戦争開戦の昭和16年12月の東南アジアには、
独立国タイを除いては欧米各国の植民地しかありませんでしたから、
当時はアジア諸国という地域も概念も存在していませんでした。
そこで、日本人以外のアジアの人々が日本の対英米開戦をどのように
受けとめたかを端的に表現している論説を紹介します。
昭和17年1月1日の大阪毎日新聞(現毎日新聞)に、タイ国の当時の
ピプン首相が寄稿した文章です。
「大東亜戦の一翼分担、アジア民族開放に敢闘」
という大見出しに続いて、次のような主張をリードとして紙面を飾つています。
「日タイ攻守同盟によってアジアのタイに、その本然の姿に還り大東亜
戦争遂行に一役を分担した最近のタイは活発なる活動をつづけている
東亜開放の新春を迎えた。
タイ国民は日本によって掲げられしたアジア民族解放の大旆のもとに一致団
結、雄々しくも立ちあがったのだ。東亜の盟主日本と固き契りを結んだ
タイ国首相ルアン・ピプン・ソンクラム氏は新春壁頭特に本紙を通じたの如く
「タイ国の日本の大東亜戦争に協カする万全の準備はすでに整った」と
固き決意を表明した。
本文は以下の通りです(現代仮名遣いに改めました)。
<英国は数世紀にわたって世界六大州を悉く荒し回った。われわれ
アジア民族も同じようにある者は領土を奪われ、自由をもぎとられ、
甚だしきに至っては全く奴隷に等しい苦しみを受けてきた。わが
タイ国は英仏よりおびただしい領土を奪取されたが、幸いにして佛の
加護によって完全な独立を保持することが出来た。しかしかような人
道に反し誤った秩序はいつまでも許される筈はない。仏教の教えにも
「善は善を伴い、悪は悪を伴う」とあるように、近い将来にアジアの
大改造が断行される時がやってくることを私は固く信じていた。
果たせるかな日本は、アジアの新秩序建設を目指して起ち上がった。
これは直ちに民族解放戦となって展開されてきた。タイ国はもちろん
のこと、インド、ビルマ、マレー、東南アジア諸民族も相呼応して
一斉に動きだした。これは全アジア民族共通の熱望の現れであり、
強カなる反発力なのである。この自然の奔流こそ、あらゆる障害を
突破し得る聖なる力といえよう。
日本はタイ国に対して名誉ある独立を尊重することを固く約束してくれた。
独立と自由を愛好するタイ国民にとって無上の喜びで、伝統的中立を
捨てて全面的に日本に入る決心を促したのも、日本が独立を尊重して
くれたからであった。また日本軍司令官の宣言は、アジアの被圧迫民族に
非常な感激を与えた。
「たとえ敵国の国籍を有するアジア人でも一様にアジア人と見なして、
タイ国の平和を乱さぬものはこれを保護する」
という温かい気持ちが同時にわれわれの心に反映しないことがあろうか。
インド、ビルマ、マレーの彼らは、民族の自由を得んがために英国の
国防戦に立たされどれだけ尊い血を流し、いかに多くの生命を捨てて
来たかわからぬ。すべては英国の欺瞞であった。しかるにタイ国および
虐げられてきたアジア諸民族に示された日本のこの寛大なる態度こそは、
民族解放戦遂行の根本思想である。新秩序建設への根本理念であらねば
ならぬと私は痛感した次第である。
タイ国はこの変転するアジアの大転換期に際して、1932年の立憲革命
以上の大きなショックを受けたが、同時に新しい段階に躍進したアジアの
タイ国を見出した。ブラヂット氏(次席摂政)、シン氏(文部大臣兼海軍
司令官)その他の指導者らは、ようやく30代になったばかりのわれわれ
革命の同志は、パリに於いて英・仏勢力下の君主専制体制にある祖国を
いかにして救い出すかについて相談し合ったことも、早くも10年前の昔の
ことと過ぎ去ってしまった。革命に成功してわれわれ同志は、タイ人のタ
イ国建設に向かって邁進して新たなる責任を担当することとなった。
日本民族の最も誇りとする武士道こそ持たぬが、建国以来700年の永きに
わたって鍛えられた仏教精神で固められ、来たりたる伝統的精神によって、
或る時は宗教的侵略を排し、英・仏の独立侵略を抑え、英・仏の侵略から
逃れることが出来たのである。アジアの精神によって鍛えられた日、タイ国
国民はここに強大な固い契りを結ぶことが出来た。
日本の興亡は直ちにアジア全民族の興亡である。タイ国は日本の大東亜
戦争に協カする万全の準備は既にととのった。
今こそ全アジア民族は、敢然起ってわれわれアジア民族の解放のために、
その全力を挙げて戦う時はやってきたのである。>
この論調で明かなように、ピブン首相は「アジア諸国」という言葉は
使っていません。
そして侵略者としてイギリス、フランス、と名指ししています。
その他にもアジア諸民族の領土を奪って植民地を領有していたのは、
アメリカ、オランダであって、それは東南アジア全域にまたがっていました。
そして日本が宣戦布告したのは、これらの植民地を持つ西欧諸国でしたから、
「アジア諸民族」を敵として戦ったのではありません。
東京裁判をもって日本を侵略国であると断罪した形になっている
マッカーサー(朝鮮戦争中に解任)が、アメリカ上院で日本が起こした
戦争は資源確保のための自衛戦争だったと証言した。
その証言のみならず、ここに書いてきたような開戦当時の歴史を直視
すれば、日本がアジア諸国を侵略したとの主張がいかに史実から離れ
た暴論であることがわかります。
ところが東京裁判史観に基づく「村山談話」を遵守したり、それに束縛
されている政治家、学者、マスコミ、日教組など数多く存在します。
最終更新:2010年06月16日 12:22