明日の日本列島の姿
少子高齢化で国内消費市場の縮小を怖れる財界までもが、「移民1000万人受入」を秘かに歓迎する立場だと聞いたことがある。TPP参加は、日本の生きる道と見なして、賛同しているのである。
まさに個別の会社栄えて、国滅ぶ。低賃金の外国人労働者で、日本の生産人口が占められれば、社会保険料の負担を支える層が薄くなり、結果的に、そういう外国人の移入者に対する医療、住宅など社会保障費が増すだけなのに、そういう指摘や予測は殆ど聞かれない。
過去、日本の国際場裏での経済活動において、
マスコミと経済界があげて賛同する経済行為は、実は、日本に大きな災厄を齎してきたことを、我々日本人は、TPP参加の議論の前に、知っておかねばならない。
平成以降の日本の経済社会は、「失われた20年」と言われる。どうしてこのようになってしまったのか、どの経済学者も研究者も、ジャーナリズムも言及していない、分析仕切れない論点なのだ。何故かというと、まさに「情報遮断」で、行政に携わるごく一部の者あるいは現場で体験した者しか知り得ない情報の中で生起した事だからである。
昭和63年頃は昭和元禄と例えられた爛熟した時代だった。大東亜戦争の敗戦から40年、明治の時代精神を継いだ昭和生まれが活躍した昭和の末期、経済繁栄の頂点の時代だった。日本経済は賑わい、日本人の多くが大金持ちでもないが、貧乏でもないと自覚し、そこに幸せを感じる中流階級意識で満たされた時代だった。
だが、その頂点を過ぎるや、明日への期待が明日への不安に急転する逆落としの時代になった。
誰もが中流意識で、均質社会と信じていたのに、僅か10年で、勝組み、負組みという言葉が象徴する時代になった。学生の世界にも、サラリーマン世界にも、意識の階層分化が始まった。
この繁栄の暗転がどうして起きたのか、誰も明快に説明できずにいる。いつしか、「失われた10年」、そして「失われた20年」へと形容されるようになった。景気回復、景気浮揚のため、財政投融資による公共事業を何回継続しても、内需の自律反転がなく、更なる財政投融資が必要となる。
製造業の労働人口が増えないのだ。
昭和47年に、13,335千人いた製造業従事者は、平成18年時点の統計で、9,921千人と、25%も減っているのだ。現在は、もっと減っているはずだ。
製造業の海外移転、合理化・機械化の影響で、その従事者の多くは、卸・小売り・飲食業などが吸収しているが、付加価値は低い分野だ。
平成23年の今、国の公的債務が1000兆円に迫り、天文学的に累増した。この財政危機を前にしても、政治家も国民も、それが何を意味するかを説明しない思考停止の状態にある。選挙のため危機意識を喚起しない。財政資金を思い切って投入すれば景気は回復し、経済が成長し、国民の所得が増えると、根拠なく吹聴する。何とかなるのではないかと。だが、現実に財政破綻した北海道の夕張市を例に見れば、財政破綻とは、どういう結果を齎すのか、目前に実例が出ているではないか。
雇用機会の減少と人員削減、所得の激減だ。明日の日本列島の姿なのだ。
最終更新:2011年01月30日 15:23