バブル発生は「国際化/市場解放」が序章だった



国債1000兆円の累積債務の発端は、そもそもバブル発生の時期に遡る。何が発端だったのか? 勿論、原因は一つではなく、いくつかの要素が絡み合っている。

バブル発生の序章は、貿易・為替管理の自由化、「市場解放」だ。

昭和55年、外国との貿易や外国為替の取引が自由化され、それまでの「原則禁止」から、「原則自由」となった。40年代後半、日本経済が高度成長を実現し、内外から自由化を求める声が高まって、大蔵省が戦後の管理行政を転換したのだ。 

この転換期をマスコミは、「国際化時代の到来」と謳いあげた。

海外旅行も自由化され、国民が外国を身近に感じるようになった。欧米銀行の動きも活発になった。企業金融では、「間接金融」(=銀行融資)から、「直接金融」(資本市場での起債)へ流れが変わった。

市場解放により、日銀の「貸出総枠規制」がなくなった。しかし、企業の借入需要は弱かった。他方、海外事業展開を加速する企業の海外での金融需要は拡大した。

メインバンク制の日本の銀行は、競って「国際化」に力をいれた。


銀行が昭和58年頃から資金使途自由な「外貨建インパクト・ローン」の扱いを拡大した。「国際業務」推進の一環だった。外貨は、金銭感覚を麻痺させる。100万ドルと3億円とでは、100万ドルは桁が小さいので、金額の大きさの実感がないのだ。そして、当時日本全体を支配していた「成長はずっと続く」という確信から、インパクト・ローンは、企業にとっては本来事業とは別口の、「財テク」の儲け話と考える時流があった。円高傾向なので、期限の返済額が少なくなる為替差益も得られる期待もあった。上場会社は勿論、非上場会社、ノンバンク、個人企業、個人にまで、まさに猫も杓子もと、猛烈に拡大した。

日本中が、「国際化」の熱気に包まれた。


国内で、銀行預金を何十億円も集める苦労は並大抵ではない。しかし、成長する日本経済を支える邦銀の海外での信用は絶大だった。ユーロ市場では、電話1本で何十億円という外貨資金を簡単に調達できた。企業も銀行も、外(調達)-外(運用)、外(調達)―内(国内運用)という隠語めいた語呂合わせで、内外の投資案件を求めた。

ドルをユーロ市場で調達し、その資金と運用をセットして、欧米の投資銀行の創案した投資案件などを紹介・販売した。こうして、インパクト・ローンの残高推移は次の通り異常な数字となった。

インパクト・ローン残高             (単位 百万ドル) 
                           出典:大蔵省国際金融年報
 昭和     邦銀       外銀           合計

55年    0    3,353      3,353

56     38,741     16,284        55,025
57     96,112    105,636       201,748
58    154,974    118,223       273,197
59    244,403    160,923       405,326
60    300,477    202,381       502,858
61    528,426    208,782       737,208
62     961,727    198,154      1,159,881
63   1,471,661    225,010      1,696,671
元年  1,361,124    203,172      1,564,296

2  2,076,393 192,345 2,268,738

 3   1,418,173    116,739      1,534,912
 4    976,439    103,374      1,079,813
 5    913,890    116,551      1,030,441
 6    933,909     72,928      1,006,837
 7  1,345,996     88,377      1,434,373

平成2年の為替相場は1ドル140円くらいであるから、ピーク時残高は、実に350兆円を超す規模である。


日本企業の本業の活動から遊離し、投機的事業である内外不動産や、外貨建て証券化商品が投資対象として物色され、その原資として外貨建てインパクトローンが利用された。これこそがバブル発生の起爆装置だった。

このことを指摘する学者やジャーナリストはいない。金融の現場を知らないからである。

日銀の金融政策とは何の関係もない、「市場解放」で発生したバブルだった。


投機化した不動産市場の鎮静化のため日銀が貸し出規制をとったことを契機に、不動産価格と株式相場が下落、証券化商品が紙くずになっていった。借入元本が額面で残る結果になった。残高が減っていないのは、返済不能で元本を借換継続で繋いでいるからだ。
最終更新:2011年02月03日 11:41
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