国際化と新株引受権付き社債
新株引受権付き社債(エクィティー・ファイナンス)
上場、非上場を問わず、公募あるいは私募の形態を問わず、直接金融の時代となった日本企業へ、その収益性、成長性、財務の健全性に狙いをつけた
欧米の投資銀行が、「外貨建て社債」の発行を盛んに勧誘した。
欧米銀行の売り込み戦術は、日本の企業経営者の心を捉えた。「日本経済は、幾多の試練を乗り越えて発展してきた。これからも、成長を続けるでしょう。自分たちの経験とノウハウを以てすれば、格別有利な条件で起債できる。」
「今が、チャンス」。
米国学者の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉は、日本人を喜ばせた。マスコミは、この言葉を流布し煽った。
間接金融時代は目立たぬ機関投資家で、限界金融機関などと陰口を叩かれていた生命保険会社は、ジャーナリズムによって、「ザ・生保」の尊称を得るほどの強大な影響力をもつ機関投資家になった。
この時期、日本全体がどれほど、「解放感」に毒されていたのだろうか? 一寸、テーマからそれるが、「市場解放」「国際化」行政が、大蔵省と通商産業省で実施され、マスコミがこれを喧伝している一方で、驚くべき事態が同時進行していた。
まったく畑違いの文部省管轄の公立中学校の教育現場でも、
「国家意識」を否定する教科書が、昭和56年から使われ始めたことが次の著作で明らかにされている。
日本国民の中学生をして、家族や日本国民の意識を捨てさせ、平成の現在、今や定着した感のある日本人の国境、国籍に対する無感覚、日本人の自覚なしの青少年、グローバル(=地球市民的)思考を促す教育である。
平成22年12月15日に発行されたばかりの、大月短期大学小山常実教授が「公民教育が抱える大問題」(自由社)で明らかにしている。小山教授は、21年間、中学校公民教科書と歴史教科書を研究してきてこられたが、この著作の中で教授は、次のように述べておられる。
「中学校公民教科書の歴史を振り返ってみると、大きく、昭和53年~55年度版までの時代とそれ以降に分けてとらえることができる。
55年度までの教科書は、一編または一章を割いて家族について説明していた。
ところが、昭和56~58年度版以降になると家族を節見出しまたは項見出し扱いするようになり、頁数で言えば、平均六~七頁ほどに大減少してくる。その後さらに家族に関する記述は減少し、
現行教科書では、三頁平均となっている。二頁程度又はそれ以下で家族を記す教科書が四社もあり、扶桑社も旧版の九頁から二頁に大減少させている。」
「新しい歴史教科書をつくる会編」(自由社)
歴史教科書については、つくる会の努力で、正しい方向への記述改善が少しづつ実現してきているが、かつて「社会科」と呼ばれた「公民教育」の教科書は盲点になっていて、日本国という「国の枠組み」と愛国心を否定し、家族共同体の理念を否定する教科書が都道府県で採択され、中学校で堂々使用されているという。日本経済の実態面のみならず、日本人の精神形成面でも、「国際化」が行政組織をあげて行われてきたことを示している。
このように、世を挙げて「閉ざされた日本列島」から「世界の中の日本」という意識転換が、外圧によって、また教育界の中から起きてきた社会情勢の中で、企業経営者も、海外市場に向かう関心の度合いを一層強めた。
自信にあふれた企業経営者は、証券会社の誘いに乗って、同業他社との横並び意識にも駆られた。バスに乗り遅れるな、と。
こうして、ユーロ市場での新株引受権付き社債発行(エクィティー・ファイナンス)が大流行した。邦銀や証券会社は、国際業務推進はここぞと、起債市場に参入した。
バブルの頂点だった平成元年は、1年で10兆円を超える外債が発行された。
本邦企業の外債発行状況 (単位:億円)
出典:大蔵省証券局年報 第31回、平成4年版
普通債 転換社債 新株引受権付 合 計
年 件数 金額 件数 金額 件数 金額 件 金額
昭和55 39 2,209 73 6,149 - - 112 7,358
昭和59 131 19,552 153 12,271 61 4,335 345 36,127
平成01 133 17、028 174 17,389 242 82,698 549 17,114
注 :(1)払込日ベースによる。 〈2〉円換算は払込日現在の実勢レートによる
最終更新:2011年02月05日 22:53