金融工学と称した「通貨スワップ」の正体
「新株引受権利付き社債」で導入された新しい考えは「年金の現価」だった。
そして金融技術が「通貨スワップ」だ。通貨スワップは、昭和56年頃からユーロ市場で盛んに利用され始めたもので、バブルの日本で大ブームになった。
外貨と円貨を等価にして、一括交換する技術だ。
当時、米国NASAを解雇された多くの科学者が投資銀行に職をもとめ、「金融工学」と言われる高等数学を利用したハイテク商品が登場し出した。
日本市場は、格好の応用と売込みの市場だった。このエクィティー・ファイナンスの欠陥は、その計算基礎になった「年金の現価」の考え方の妥当性にあったが、この点は誰も問題にしなかった。
それも当然で、エクィティー・ファイナンスの仕組み経済的側面を理解しているのは、投資銀行だけで、交渉している担当者も、行政も、当の経営者も細かなことは知らなかったと思われる。
外国投資銀行の持ち込む話は、何か「ありがたいもの。信頼できるもの」と頭から信用してかかっていたのではないだろうか。実務はすべて担当者任せなのだ。
担当者は、経営側で決めた「外債発行」の方針に従い、新しい考え、新しい仕組みの国際化商品に取り組めれば、覚え目出度くなる。上昇指向のサラリーマンには好機だ。
「何か落とし穴はないか」などと疑問符をつけること自体マイナス思考で、経営の方針に逆らうことになる。エクィティー・ファイナンスは、時代の流れなのだ。
普通、銀行に定期預金すれば、満期(n年後)に元利金(=元本×(1+r)n)を受け取れる。勿論、金利変動があるから、長期預金は変動金利になっている。年金も、一定期間、一定金額を積み立てた後に、将来、その元本と運用収益に当る部分を「年金」として受け取る考えである。債務の社債(借金)であれば、その元利払いの原資は、企業の拡大再生産で得られる剰余価値の中から調達される。
ところが、「年金の現価」とは、n年後にAである金額を、今受け取るとすると、いくらかと、考えるのである。
簡単に言えば、期日到来前に手形を現金化する「手形割引」と同じ発想である。
満期に、券面額が全額支払われることが保障されてのことだ。それでも、手形割引の期間は、満期まで精々3カ月以内である。更に身近に例えれば、昭和30年代のはじめまでは、日本全体はまだ貧しい時代だった。その頃「給料の前借」はよく行われた。その場合、前借できるのは、精々当月末までの「予定勤務に見合う給料」で、翌月以降の将来の所得を前借することなど、端から問題にならないとんでもない話だ。
エクィティー・ファイナンスの「年金の現価」は、n年間の年毎の元利金を計算し、各々を仮定の金利で割引き、それらを足しあげた合計金額を「年金の現価」とし、その外貨額を通貨スワップで円に交換して、円債務の金額とする。
つまり、n年間における資本の時間的再生産過程をすっ飛ばし、従って、その間に起きるかも知れない経済情勢の変動要因を捨象し、将来実現するかどうか、そもそも不確実な期待値に過ぎない剰余価値を、現時点で実現したものとして、「先食い」する。
そして、そうして得た資金を、今度は、同じ発想で仕組まれた 証券化商品に投資する。その投資のはじめの段階では、順調であっても時間が経つうちに想定した経済条件に想定外の変化が出てくれば、運用・調達の歯車がかみ合わなくなる。
現在価値=元利(1+r)/(1+r)+ 元利(1+r)2/(1+r)2 +
元利(1+r)3/(1+r)3 +・・・・元利(1+r)n/(1+r)n
エクィティー・ファイナンスは、国の徴税権までも侵していた。スワップされる円貨額=外貨額の中には、その社債の元利合計金額は、将来の事業活動から得られる期待収益の中から弁済計画が立てられているわけだから、「未実現の利益」がその中に含まれているとみなされる。これが、外貨とのスワップで、現在時点で「現金化」されて外国に移転させられてしまうことを意味している。つまり、国の法人税徴税権が、著しく侵害されることになる。
バブル後の日本経済の低迷は、企業が不良債権と債務金額を抱え込んだことと同時に、期待収益が非課税で、事前にバブル期に外国投資家に吸い取られてしまった点でも、日本経済の長期低迷の一因にもなっていたのだ。
現在価値の考え方が所得の先食いを前提としている点に関して、ずっと後の1999(平成11年)に出版された「キャッシュフローリスク・課税」(中里実著 有斐閣)が、的確に次ぎのように指摘している。が、このような認識は、バブル発生当時の行政当局はもちろん、金融機関も企業経営者など当事者も誰も持っていなかった。
[事前(リスク)か事後(課税)か]
「結局、金融派生商品の取引は、事前の視点に立って組みたてられるものである。しかし、所得課税は、あくまでも事後的な視点から課されるものである。われわれは、たとえ時価主義的な租税会計方式を採用した場合であっても、(すなわち、未だ実現されていない所得に対する課税を認める場合であっても)、純粋な将来の可能性に対して所得課税を行うということはありえない(すなわち、未だ発生もしていない所得に対して課税を行うことはありえない)。
所得というものは、その本質においては、あくまでも取引の後に結果として産みだされるものだからである。
したがって、金融派生商品により引き起こされる課税問題が所得課税の基礎を揺るがせているという認識は、少なくとも論理的には正しいのである。
そこで、所得課税の他に、流通税のような事前の視点に立ったまったく新しい課税方式も、あわせて考えていく必要性があるのかもしれない。
流通税の下においては将来における単なる可能性に過ぎない事象(たとえば、将来利益の事前の視点に立った予想)に対しても課税を行うことができる。流通税中心の租税体液の構築が困難であろうとしても、所得税の補完税として何らかの流通税を低い税率で導入することには、それなりの意味があるのではないかと思われる。たとえば、印紙税のようなものは、その有力な候補といいえるかもしれない。」(同書 148頁)。 つづく
最終更新:2011年02月07日 00:07