「新株引受権利付き社債」と大蔵省、日銀




エクィティー・ファイナンス(新株引受権付き社債)の動機となった魅力は、超低利の長期資金を調達できることだった。

長期資金なのに、実質負担金利が1%程度とか、一時は、円ドルスワップの為替相場のダンピング競争で、起債金額より償還額が少ない、という極端な取引事例が出たほど過熱した。起債が実現すれば、ユーロ市場の引受幹事が主催する調印式挙行が取引習慣になっていて、豪華な欧州観光旅行が漏れなく用意されていた。

財務担当は言うに及ばず、社長までもが修学旅行気分を楽しみにした。

多くの企業が、本来事業の長期投資計画とは必ずしも直結しない形で、市場関係者に勧められるままに調達した資金を、不要・不急の本業外の投資に費消した。そして、

その投資対象が不良債権化して、債務が残るケースが多かったと推測される。


どれほどいい加減な投資話があったのか、一例をあげれば、

○「米国の玉石混交の住宅ローン債権を束ねた投資ファンド」

○「航空会社の発注契約書の存在を担保にした飛行機購入投資ファンド」!!

○「企画段階のハリウッド映画製作の投資ファンド」!!

○「オーストラリアのリゾート開発プロジェクト・ファンド」

○「米国大学の大学会館建設ファンド」!!など、

いろいろなプロジェクトが勧誘された。

日本企業によるニューヨークのロックフェラー・センタービル買収は

「アメリカの富の象徴の買収」だと、米国メディアに批判までされた投資だったが、これも結局はバブル崩壊後、買値の半値くらいで手放したのではなかったか。

バブルのダメ押しのような、対米投資だった。


日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権銀行、北海道拓殖銀行は、倒産あるいは身売りとなり、名門山一証券などが倒産した。平成10年7月17日に金融監督庁から公表された銀行の「預金取扱金融機関の不良債権等の状況」によれば、
この時点で銀行の不良債権は35兆円と報告され、日銀によるゼロ金利政策と公的資金投入によって金融の破綻が回避された。
中でも象徴的な日本長期信用銀行は、資産21兆円の内、重大な懸念あるいは回収不能債権額は4兆5千億円、実に総資産の20%が不良債権と認定され、米銀へ身売りされる運命となった。

300兆円の外貨建てインパクト・ローンや、30兆円のエクイティー・ファイナンスで取得された不良債権の実態は明らかではない。

企業や銀行に残された不良資産の不動産は、ゼロ金利で塩漬けにされ、破綻を免れている事例もまだ相当あるのではないだろうか。
しかし、これから国債が売られて金利が上昇に転ずれば、国債消化が困難になるだけでなく、売れない不動産を抱えた企業に倒産するところが出てくる。背に腹は代えられないと、

支那中国など外国の国家資本に所有不動産を投げ売るところが出るであろう。国土防衛の大リスクが潜んでいる。


エクィティー・ファイナンスは、結局、
①外資におだてられて、成長は何時までも右肩上がりで続くと盲信すること、
②不確実な将来の経済成長から生まれると期待される剰余価値が、現在時点で実現されるものとみる前提条件に、当事者もマスコミも何の疑問も抱かなかったこと、
に基づいているのである。
エクィティー・ファイナンスで調達された累計で30兆円を超える資金の全てが投機だったとは言えないものの、これに外貨建てインパクト・ローンの債務と合わせれば、
3百兆円を超える不良資産が積み上がった。

10年後の平成10年(1998年)頃には、株価も不動産市場価格も、半値になってしまった。これが、「失われた10年」の実体だ。

そして、国内政治で見れば、自民党単独政権から、いよいよ平成12年に、自民党と昭和40年代から地方政治でずっと二人三脚、裏で政権与党を支えてきた公明党との自公連立政権が始まった。因みに、国土交通省の全国市街地の地価指数が、平成12年を基準年としていることも、政権党になった公明党に対する国土交通省役官僚の心機一転という国内政治での転換点が意識されたものであろう。


平成22年の8月2日、臨時国会の衆議院予算委員会で、民主党松原仁議員が、政府参考人日銀白川総裁に「今の不況に、金融政策の責任者として日銀に責任があるのかないのか、イエスかノーで答えよ」と凄んだ。言葉は勇ましいが、問題を単純化してはいけない。

日銀の金融政策が有効なのは、企業に絶対的資金不足があった昭和40年代の中葉までで、その後、合理化で生産性が上がり、輸出で稼ぐ大企業に資金が余ってきている中では、その効果は一時的にはあっても持続的ではない。
例えば、昭和49年頃、オイルショックで原油がいきなり、バレル1ドル程度から3倍以上に跳ね上がったとき、原油輸入の決済代金が一気に不足し、国内短期金利が9%に跳ね上がったことがあった。このとき、日銀が資金供給を増やして、短期金利を短い期間で鎮静化させたことがあった。
しかし、55年以降の解放経済の中では、自由に活動する各経済主体の行き過ぎを事前に抑制するのは日銀の仕事ではない。事後対応でしかできないのは当然のことである。
よって、白川日銀総裁はイエス・ノーの答えの用意はなかった。

バブルが発生し崩壊したのは、三重野日銀総裁が金融政策を誤ったからだと、日銀の責任を問う声が、当時マスコミで激しかった。

冷静に見れば、行政と政治、マスコミが、日銀をスケープ・ゴートにしたのだ。

大蔵省は行政機関として、金融・資本市場政策を企画・実施して、「市場解放」政策を遂行し、銀行・証券業界の経営に影響を与えた。

これに対して日銀は、「景気の番人」と言われるように、企業活動に対して、常に「従者」に過ぎないのである。


不動産価格指数(平成12年3月=100)
出典:日本統計年鑑(原資料「不動産研究所研究部」市外地価格指数
昭和42  19.2

昭和55 70.7

平成01 117.4
  02 133.9
  03 145.2

  04 145.2

  05 137.2
  14  87.4
  21  61.4

年次  時価総額 1日平均売買高 東証株価指数 日経平均
35   5,411   90,166    97.35
45  15,091  138,194    163.35
50  41,468  178,708    312.06 4,243.05
55   73,221  351,648    474.00 6,870.16

60    182,697 414,754    997.72  13,113.32

61  277,056  693,914   1,556.37  18,701.30
62  270,952  946,753   1,725.83  21,564.00
63  462,896 1,020,541   2,134.24  30,159.00

元年  590,909  876,917   2,569.27  38,915.87

 2  365,155  483,878   2,177.96  23,848.71
 7  350,238  357,032   1,378.93  19,868.15
14  242,939  842,609    979.49  8,578.95
19  475,629 2,227,902   1,663.69  15,307.78
20  278,989 2,210,515   1,187.82  8,859.56

22 284,816   1,035,349   838.71    9,301.32

最終更新:2011年02月08日 22:38
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