バブル期間中の外国投資家の動向



実際、バブル期間中、外国投資家はどういう行動をとっていたか?


下の表を見ていただきたい。「市場解放」が始まり、バブル発生直前の昭和61年頃(1984年)には、すでに売り越し、つまり「安値」で買って、「高値」で売っている。その後、また「安値」になって買いなのだ。日本の投資家は、バブル膨張期に「高値」をつかみ、バブル収縮期に「安値」で投げ売った。

先を走る外国投資家を追って、日本の投資家は、「赤信号皆で渡れば怖くない」と大勢で走っている構図である。

       外国投資家の対内直接投資 
  (出展:財政金融統計月報596(2001.12),財務総合政策研究所編)

平成10年(1998年)から平成14年(2002年)位まで、バブル崩壊後の経済低迷期に不良資産を抱えた多くの金融機関が統合・廃業された。戦前から日本経済の重化学工業化、富国化、近代化、合理化のため、長期の設備資金を提供してきた国策名門銀行の日本興業銀行は、直接金融時代の到来によってその営業基盤を失い、第一勧銀・富士銀行との統合に追い込まれた。
同じく、明治時代のはじめから日本政府そのものの機能を果たしてきた横浜正金銀行、後の名門東京銀行も、「市場解放」によって外国為替専門銀行の営業基盤を失い、まだ体力がある内にと、一足早い平成7年(1995年)に三菱銀行に吸収され姿を消した。

バブル崩壊後、日本経済が破綻しないようにと、政治とマスコミの焦りで、緊急経済対策やら景気刺激策やらで、国債が湯水のごとく発行された。平成元年度の公債残高157兆円が、平成14年度末には421兆円に膨らんだ。 平成20年度には、553兆円になっている。(資料:日本統計年鑑収録「財務省財務総合政策研究所システム部「財政金融統計月報(予算特集)」一般歳出等より」)

平成13年(2001年)、小泉首相が誕生。「改革なくして、成長なし」。

小泉首相の得意とする短いキャッチ・フレーズで、「官から民へ」、「郵政民営化」など、経済・社会の構造改革に政治が走り出した。
小泉内閣は、平成14年6月(2002年)、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」を閣議決定し、平成16年の商法の改正で「株式振替制度」を導入し、

平成19年から第一部、第二部上場会社に「四半期毎の計算書作成」を義務づけ、併せて、株式会社の象徴「株券の廃止」を決めた。グローバル企業の世界会計基準に合わせたのだ。


四半期毎決算は、「3カ月単位の株価指数先物」取引の参考資料になり、市場操作、つまり株・社債の直・先裁定取引で、鞘取りを狙う価格誘導を可能にする。実際バブル期に、投機を可能にしたのは昭和63年東証でも導入された株式先物市場だ。
マスコミや外国投資銀行が、日本経済を褒めそやし、株は「上がる、上がる」と煽って先物を買い、上がったところで売り抜ける。

3カ月毎決算は、経営者が長期視点ではなく、目先の利益追求に追われる。

 時間をかけた人材育成や研究開発投資を行う経営に悪影響が及ぶのは避けがたい。3カ月単位で会社業績の先行きを診断されて、投機的に会社株式が売買されては、会社の安定的な経営が損なわれる。

同時に、その会社の株を保有する株主たる他の会社の経営基盤をも不安定にする。


そもそも、四半期毎決算も株券不要も、その導入に際して「会社とは何か」の原理原則に関する論議が欠けていた。

投資家から見れば、投資対象の会社の財務状況や収益予想を早く知りたいと考えるのは当然だが、問題は日本の会社は、地域社会の主要な経済単位であり、その個体は研究開発・製造・販売活動の有機的組織体である。
会社の構成員相互の連帯意識で団結され、地域社会で中心的役割を果たしてきている点が無視されていることだ。
もの作りが生命線の日本では、経営者と従業員は運命共同体で、会社は社会に貢献するという使命感を抱いてきた。

その使命感の中で、会社は、従業員とその家族のものであった。 「家(うち)の会社」がごく自然に口に出る言葉だった。


ところが、市場解放され、グローバル化した経済になってからは、

「会社は投資家のもの」という考えが、マスコミや市場関係者の間で支配的になった。

グローバル企業の経営者までがその認識に染まった。

業績向上のため、製造原価に占める人件費割合を可能な限り低くするため、実際、アルバイトや派遣社員など非正規社員の雇用割合を高めたり、生産拠点を海外移転したりする動きが実際に出て、日本国の社会の不安材料になっている。

会社が、地域社会から逃げ出し、地域社会が崩壊しはじめた。

(つづく)
最終更新:2011年02月10日 11:07