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120話 An Encounter~遭遇と交渉

 いつごろからか記憶はなかったが、しかし思い出す気もなかった。暖かく甘い痺れが彼女の頭の中を覆うのが
はっきりと感じられた。優しく力強い安らぎの波に、身体が、意識が、飲み込まれていきそうになる。
 ――いけない!
 抗いがたきに抗い、ガクン、と姿勢が崩れた。その衝撃で、彼女は覚醒する。今いる建物の彩り鮮やかながら
無機質な内装が目にまぶしい。差し込む日光が、疲れた体を包み込むように暖めていた。
 しばらく腰を下ろして、考え事をするだけのつもりだったのに、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
数秒かかってそのことに気づいて、彼女は愕然とした。死んでいてもおかしくなかった。そう考えると冷や汗が
出る。大剣を持った豹頭の悪魔――ご丁寧に「我が名は堕天使オセ」と自己紹介をしてくれた――が見張りを
していなかったら、参加者、あるいは野良悪魔にさえ襲われる危険性があったのだ。
「どうした、悪い夢でも見たか?」
 件のオセがからかい半分の口調で話しかけてくる。主たる男には慇懃な口調を崩さぬくせに、他に対しては
尊大だ。契約に忠実なのは悪魔の習性であるが、この悪魔は特にその傾向が強いらしい。
「……悪夢のほうがマシだわ、この現実よりよっぽどね」
 皮肉で返した。手負いの仲間を守るべき自分が、敵であるはずの悪魔に守られて。お情けに近いような条件で
共闘を申し付けられて。まったくもって最悪だ。
「ハッ。上手いことを言う」
 オセが鷹揚に笑う。豹にも表情筋はあるのだろうか、それとも悪魔ゆえにできる技なのか。そんなどうでも
いいことが頭をよぎり、彼女を首を振ってそれを追い出した。
「顔でも洗ってきたらどうだ、幸いここは電気も水道も生きている」
「お気遣いありがとう。そうさせてもらうわ」
 答えて、立ち上がる。不自然な姿勢を強要されていた腰の筋肉がきしむ。このことにも彼女は愕然とする。
こんなになるまで長い時間座っていたつもりはなかった。短時間に魔法を連発したことで確かに疲労はしていた
が、これほどまでという自覚もなかった。無自覚なままでいたら……と、ついまた考えてしまい、冷や汗を流す。
(魔女は心配性だなァ)
 少年の声が脳裏をよぎる。荒廃した東京で、闇に満ちた魔界で、考え込んでは暗い顔をしていた彼女のことを
いつも明るく笑い飛ばしては、不安を追い払ってくれたものだ。その明るさに感謝しつつも、それを悟られるのが
恥ずかしくて、彼女はいつも仏頂面でこう答えるのが常だった。
「君が楽天的すぎるんだ」
「……なにか言ったか?」
 オセが振り返りながら聞いてきた。
「……なんでもないわ」
 冷たく言い放ち、彼女はトイレへと向かうべくロビーを横切ろうと進む。
「……おい」
 オセが不機嫌そうに声をかけてきた。
「……なに?」
「俺を信用しろとは言わん。だが敵に対するような警戒を抱くのはやめろ」
 剣を杖のように地面に突き立ててオセが言う。双眸が鋭く光った。
「俺とて悪魔のはしくれ。主の命令とあらばお前に一時的に従うことにいささかの不満もない」
 まるで演説をぶつように弁ずるオセを見て、彼女は思わず噴きだした。
「なにがおかしい?」
「……あなたのことは信用してるわよ。嘘がつけない性格らしいし」
 うろたえるオセに彼女は答える。オセは口ではああは言っているものの、一時的に、を強調しているあたり、
不満たらたらなのが明らかだ。そういう腹芸が得意なタイプではないらしい。
「でもね、あなたの主のことはまだ信用できない。つまりそういうことよ」
 考えてみればあいつは共闘の申し出をしてきたくせに自己紹介もしなかった。オセが呼んでいたから辛うじて
名前が氷川であることが分かったが、それ以上のことを何一つ明かしていないのだ。MAGと即席の武器を気前よく
置いていきはしたが、これとてそのへんで現地調達したものであろう。彼の個人情報にはまったく直結しないし、
推理するにも、悪魔召喚術に精通しており、こういう場にいささか慣れている、という程度しか読み取れない。
これが意識的なのか無意識的なのかは分からないが、どちらにせよ氷川のほうでもこちらをそれほど信用はして
いないということになる。そんな相手を無条件に信用できるほど彼女はお人よしではなかった。
 オセは仏頂面で黙り込んだ。豹頭のくせに意外と感情表現が豊かだ。オルトロスを思い出す。いかにもケモノな
外見に口調ながら、なかなか感情豊かな奴だったので、からかって遊んだものだ。無定の"力"が人間の想像により
悪魔としての性格を付与されるならば、悪魔が人間以上に人間くさくなるのも当然なのかもしれない。
「……なにがおかしい?」
 またオセが不機嫌そうにたずねる。その声で、彼女は自分が笑っていたことに初めて気づいた。
「……なんでもないわよ」
 彼女は先ほどと同じように答える。しかしその口調からは、少しだけ棘が抜け落ちたようだった。

 トイレへ行き、顔を洗い、ついでにタオルを拝借して体を拭った。直射日光の当たるところで寝入ってしまった
ため、全身に不快な汗をかいている。日差しがそれほど強くなくてよかった。うっかり油断でこんがり日焼けして
痛みで戦いに集中できない、なんて、笑い話にもならない。
 身支度を整えタオル2枚をとり、少し考えてから洗剤を手に取った。蓋を開けてニオイをかぐ。強烈にすっぱい
ニオイがする。毒ガス、と思ったが、さすがに実用性がなさ過ぎるだろう。とはいえ目潰しぐらいにはなりそうだ
……悪魔に通用するとは思えないが。とりあえずそっと懐に忍ばせ、タオルをぬらしてよく絞ってから外に出た。
「……遅い」
 トイレから出てきた彼女を見て、オセがつぶやいた。
「あら失礼。でも女の身支度にしては早かったほうよ」
「そのことではない」
 彼女のおどけた答えを一言で切り捨て、オセは眉をひそめて壁掛け時計を指差す。
「氷川様が上に行かれてから3時間あまり経つ」
 心配そうな口調で言う。その時間経過に彼女は驚いた。かれこれ2時間ぐらいは寝て過ごしてしまったわけだ。
ついこの間まで戦闘に次ぐ戦闘の日々を送ってきていた。もっと大量の敵にもっと大量の魔法を浴びせてもこんな
失態をしたことはないし、徹夜で戦い続けたことだってあった。それがこの体たらくというのは、彼女の腕がここ
数日で急速に鈍ったのでない限り、回復魔法だけでなく魔法全体の使用に制約が掛かっていると推測できた。
 軽く舌打ちして、指を首に這わせた。探ろうとせずともぴたりと刻印に指先が当たる。
 ――原因はこれかしら?
 触った限りそれほどの呪法ではないように思えるのだが、自分の未知の方式でつけられた超強力なものなのかも
しれない。軽く弄ってみる。特になにも感じなかった。魔力を流してみようか。思ったが、さすがに危険すぎた。
何もせずそっと指を離す。やはり特になにも変化はない。呪いなどかかっていないようにさえ思えた。
「氷川様は『2~3時間待て』とおっしゃった。その時間は過ぎようとしている」
「……ちょっと興が乗って時間オーバーしてるだけじゃないの?」
 オセが再び言った言葉に、彼女は考えを横道にそらしたまま生返事をした。オセの表情がみるみる曇る。
「氷川様はそのような無計画な行動とは対極におられるお方だ。何か問題があったに違いない」
「なにかって、例えば?」
 その問いに、オセは少し考えるふうな表情をして、突然なにかをひらめいたようにニヤリと笑う。
「……おっと、その手には乗らんぞ。俺を通じて氷川様の情報を集めようというのだろう? 俺の答えによって、
どのような仲魔がいるかなどが推測できる材料を得られると思ったのだろうが、そうはいかん」
 と得意げに語りだす。そのニヤニヤとした勝ち誇った表情は、まさに人間のそれそのものだ。そのような下心
などなく、ただ普通に疑問に思ったから尋ねただけだった彼女は、苦笑いをするしかなかった。
 彼女は寝ている少年の傍に腰を下ろした。熱を持った額に、ぬれたタオルをそっと置く。

 その瞬間、世界が、変わった。

   おおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!

 揺れている。いや、震えている。いやそんな言葉でも甘い。ただ、衝撃。そうとしか言えなかった。これほどの
揺れはいまだかつて経験したことがなかった。東京にも地震は多い。が、この衝撃はそれらの比ではなかった。
 このスマルテレビのビルそのものはさほど揺れていない。せいぜい、ガラスがビリビリと振動している程度だ。
震えているのは、自分たちだった。殺気という言葉でさえその鋭さを表現しきれぬ強烈な何かが、震えの波に乗り
広がり、魂に直接たたきつけられている。その禍々しい波動が、衝撃に似た感覚を引き起こしているのだろう。 
「な……なんだ、これは!?」
 オセが、天井を見上げて震えている。彼女は少年に目をやった。傷を庇うように右手を当てて、起き上がろうと
している。片手でそれを制した。
「寝てなさい」
「……でも」
「大丈夫」
 言い切った。我ながら根拠のない強がりだ。いつもの彼ならそれを見抜き反論していたことだろうが、今は何も
言わず、黙って従った。負傷ゆえ気弱になっているのだろうか、と思うとなんとなく不安だ。
 震えは十数秒続いて、嘘のようにぴたりと止んだ。振動の余韻が、耳鳴りや全身の痺れとして残っている。
「……氷川様」
 思い出したようにオセがつぶやいた。実際、忘れていたのであろう。ほかのことを考えられる余裕があるような、
そんな生易しい衝撃ではなかった。倒れている仲間が少年でなければ、彼女もそのことを忘れていたかもしれない。
「私なら無事だよ、オセ」
 その言葉を待っていたように、冷たい声が応じた。振り向くと、ちょうど氷川が階段を下りてくるところだった。
そうとう派手にやってきたらしい。上等なスーツは返り血に塗れ、独特な異臭がむっと鼻をついた。
「御怪我はございませんか?」
「ああ。新しい連れができたのでね」
 右手に下げた大剣をオセに返却しながら氷川が言う。その肩のあたりでは、小さな羽根を羽ばたかせる小さな
少女たち――妖精ピクシーと……赤いほうの悪魔は初めて見るが、ピクシーの亜種かなにかだろうか?――が、
胸をそらせて得意げな顔をしていた。
「……は? こいつら、ですか?」
 あんぐりと口を開けてオセがマヌケな声を出す。
「こいつらとはなによー!」
「そうだそうだー! バカにしてるとアギっちゃうぞー!」
 と口では勇ましいことを言いながら氷川の背中に隠れる少女たち。信じられないという表情でそれと主の顔を
交互に見渡す豹頭の悪魔。何も言わず苦笑するだけの男。シュールな絵に、彼女は思わず吹き出してしまった。
「……なにかおかしいかね?」
「いえ、別に。心強いお仲魔がたくさんいて、うらやましいことですこと」
「皮肉だろうが、甘んじて受けておくよ。とにかく今は何もかもが足りないのでね、なりふり構わぬことにした」
 と氷川は冷たい笑みを浮かべる。身を切る冷水のような表情は、自嘲だとしたら痛々しすぎるような気がした。
「ところで、こうしてここで待っていたということは、同盟の意思ありと見てよいのかな?」
 氷川が大げさな身振りを交えて彼女に話しかける。一呼吸置いただけで、さきほどまでとまったく違う姿を見せる
ことができるあたり、この男は優れた話術を持っている。おどけているようにさえも聞こえる芝居がかった口調は、
そのすべてが装いで固められており、言葉の裏を読もうにもどこが表でどこが裏かも分からないような感じだった。
 一瞬、彼女は考える。この男は、非常に厄介だ。敵に回したら、万全の状況ならともかく、今では間違いなく太刀
打ちできない。しかしかといって、味方にしたから安心できるという類の人物でもなかった。とにかく扱いに困る
曲者だ。しかも厄介なことに、この曲者を信じて、その協力を得ざるを得ない状況で、しかもその曲者はそのことを
ちゃんと理解しているのである。
 ――あくまで同盟。仲間とまでは行かない。そのことを忘れてはいけない。
「……ええ。それで構わないわ」
 自らに念を押して、彼女はうなずいた。それを見て氷川は口元だけで微笑む。かすかな嫌悪感が湧き上がるのを、
彼女はなんとかこらえた。
「それはありがたいことだ。仲間は多いに越したことはない」
 彼女の心を読んでなのか、氷川はあえて仲間という言葉に軽くアクセントをかけてつぶやく。嫌味な男だ。
「それにしても、さっきの地震はなんだったのかしら?」
 このままこの話を続けるのも癪なので、彼女は意図的に話題をずらした。
「この街は空を飛んでるって話だったのに、地震なんて起こるのかしら」
「地震か……ふむ、まあ『あれ』が一種の『厄災』であることは変わりないか」
 と氷川は意味ありげにつぶやく。なにかを知っていることを臭わすような口ぶりだった。
「『あれ』ってなによ?」
「それも含めて、そろそろお互いのことを話すべきだと思うのだが……どうするね?」
 言いながら、氷川は視線をちらりと寝ている少年の方に向けた。二度同じことをしたくないので、できれば少年が
起きてからにしたいのだろう。
「お願いするよ」
 壁に寄りかかりマントを毛布代わりに体にかけていた少年が、目を閉じたまま答えた。氷川の目に一瞬だけ驚きの
色が浮かぶ。それを見て彼女はなんとなく溜飲が下がるような思いをして、そんな自分を少しだけ恥じた。
「寝てなさいと言ったでしょう?」
「寝られないよ、痛くてね。まあ、起きてるのもキツいけど」
 彼女の声に答えるようにして、少年が顔を上げる。顔は高潮し、目はなんとなく濁っている。見るからに、どこか
異常がある顔だった。痛みには眠りを誘発する性質がある。完全には眠れず、かといって完全に覚醒もできぬまま、
ずっと横たわっていたのだろう。そうと知らず少年の傍で惰眠を貪っていた自分に、彼女は強い羞恥と怒りを感じた。
「無理なら後にするほうがいいのだがね?」
「いや、大丈夫。今でいい」
 片手で腹部を押さえつつ、壁に背中を預けながら、少年がよろよろと立ち上がる。赤い顔、荒い息、おぼつかない
足元。見るからに大丈夫ではなかった。頭の中に思わずよぎった暗い言葉を、彼女はあわてて打ち消す。傷は完璧に
治したのだ、大丈夫に決まってる。
「とても大丈夫には見えないがね」
 彼女の心を知ってか知らずか、氷川が冷徹な口調で事実を指摘する。
「ああ、でも後だともっと大丈夫じゃなくなりそうなんだ」
「……え?」
 少年がなんでもないようにぽつりと言った、その思わぬ内容に驚き、彼女は思わず聞き返した。
「まだどこか痛む? 今、治療を……」
「違うよ、傷じゃない」
「じゃあ、毒? 傷の消毒はしたはずだけど、念のためもう一度ポズムディ……」
 あわてて魔力を掌に集中させた彼女を、少年は軽く手を上げて制した。
「ダメだ、無駄な魔力を使っちゃいけない」
「無駄って、あなたを治すのが無駄なわけないでしょう!」
 ついカッとなって、彼女は鋭く叫ぶ。スマルTVのだだッ広いホールにヒステリックな声が響いた。
「……なるほど、天使の剣か」
 黙って二人のやり取りを聞いていた氷川が、ふとつぶやいた。その言葉に、少年はその通りとばかりにうなずく。
彼女は話題に置いていかれたような寂しさを覚えたが、それを噛み殺して少年に尋ねた。
「どういうこと?」
「それは後でよかろう。今優先すべきことを先にやるべきだ」
「そうしてくれると、助かる」
 氷川が言い、少年も応じる。そう言われてしまっては、彼女としても反論のしようがなく、黙り込むしかなかった。

 目の前で、交渉の達人同士の会話が交わされる。彼女はいつも悪魔との交渉のときにしていたように、少年にすべて
任せて周囲の警戒にあたることにした。同じように氷川の後ろで周囲に目を配っているオセと目が合う。微笑みかける
と、オセは不機嫌そうに目を逸らした。
「ふむ、だいたいこんなところだな」
 そこらで拾ったボールペンを胸に刺し、ルールブックをパタンと閉じながら、氷川が言った。お互いのできること、
持ち物、仲魔の情報、参加者の中にいる知り合いなど、ある程度までの情報を共有はしたが、さすがに少年は抜け目が
ない。自分の右腕が義手だとは言ったが、COMP内臓だとは明かさなかった。氷川のほうも、オセとピクシーとカハク
以外にもなにか仲魔がいそうな気配があるのに言わなかったところを見るに、おそらく何かを隠しているのだろうから、
お互い様というところだろう。
「その……あんたを殺した少年……『人修羅』だったっけ?」
「そうだ。ちなみに本名は知らんよ、会ったことも数えるほどしかないのでね」
「いや、それはどうでもいいんだけど……さっきの『あれ』はそいつかい?」
 荒い息の合間に発せられる少年の言葉に、氷川の表情がぴくりと動く。『あれ』とは、先ほど起こった大地震に似た
衝撃のことを指しているのはあきらかだった。一瞬だけ浮かんだその表情は……嫌悪、だろうか?
「そうだ……と、思うが、確証はない」
「違うだろ?」
 目を伏せた氷川に、少年がずばりと切り込む。
「言葉は正しく使わなきゃな。確信はある、そうだろ?」
「……驚いたな」
 氷川がつぶやく。口調と表情から察するに、今回の言葉は装いではないのだろう。
「正直なところ、君を侮っていたよ。不注意なお人よしだとしか思っていなかった」
「そいつは、どうも……で?」
 少年が先を促す。話をはぐらかすのは許さない、という少年の姿勢の表れだ。氷川もそれに気づいたのか、観念した
ように苦笑を浮かべた。
「その通り。確信はある。明確な証拠はないが……なんというか、身体が覚えている、という言い方でいいかね?」
「十分だ。あんな怖いのとやりあったのか、ご愁傷様。忘れたくたって忘れられないだろうさ」
「……怖い?」
 意外な単語が出てきて、彼女は思わず口出しをしていた。少年が、怖い、という言葉を使うのは初めて聞いたような
気がする。どんな敵に出会っても、強そうだの勝てる気がしないだのと軽口は叩いてはいたが、決して怖いとは言わず、
戦って、すべて打ち破ってきた。
「怖いよ、あれは……邪悪でもないし、歪んでもいない。ただ空っぽなだけだ。なんの想いも籠っていなくて、そして
ただただひたすら強い。なんて言うか……うん、やっぱり、怖いよ。理解できないものは、さ」
 淡々と、少年が語る。熱のせいなのか、声が弱弱しいのが彼女の不安を煽る。
「空っぽ、か……言いえて妙だな。私の感じ方とは少し違うが」
 氷川が口元だけで笑う例の表情で応じた。目の光から先ほどまでの冷たさが消えたように見えるのは彼女の気のせい
だろうか、それとも氷川は氷川なりにこちらに対して気を許すようになったということなのだろうか。
「あんたは、どう思った?」
「さきほども言ったがね、あれは『厄災』だよ。意思も目的もなく、躊躇も慈悲もないという意味でね」
 手を鼻のあたりに翳し、表情を隠すようにしながら氷川が言う。しかし隠れていない目は、先ほどまでとは比べ物に
ならないほどにゾッとするほど冷たく鋭く、そこだけで十分すぎるほどに彼の感情を指し示していた。
「我々は……というのは、私と、私と争った二人という意味だがね……あれに"思想"を与えた。歪んではいただろうが、
しかし真理に沿った理想たる"コトワリ"をね。しかしあれはそのすべてを否定し、打ち砕いた。文字通りに、その拳で、
打ち砕いたんだよ、ひとつ残らずなにもかも」
 一様な声のまま、氷川が語る。手に隠れた後ろで、表情が動いたような気がしたが、なにを思ってかまでは分からない。
「空っぽなら中に何かを注ぐことができるかもしれない。だが、あれにそうすることはできない。あれの中は、なにかに
満ちているよ……そして、それを否定されることをなによりも嫌っているように思う。あれがあれでなくなるような……
あれに何かを押し付けるようなことを、ただただ全力で否定していることがその証拠だ」
「……まるでタチの悪い駄々っ子じゃない」
「地獄の魔王も真ッ青の、究極のガキ大将だな」
 思わず口をついた彼女のつぶやきに、少年が口元だけで笑いながら軽く付け足し、
「やれやれ、参ったね。そんなのが今、この近くにいるなんて、生きた心地がしないや」
 と続ける。飄々とした口調は変わらないが、しかし笑みが強張っているのを彼女は見逃さなかった。その理由は恐れか、
それとも傷の痛みだろうか。どちらにせよ、あまり彼女にとって好ましいものではなかった。
「……さて、とりあえず今のところは以上かね?」
「ああ、お互い、切れる札は切ったって感じだね、今のところは」
 氷川の言葉に、少年はニヤリと笑って答える。
「それでいい……やはり君は思った以上に切れる男だな。敵に回さずに済んでよかったよ」
「恐悦至極」
 氷川のリップサービスとも本心ともつかぬほめ言葉に、少年も皮肉にも取れる慇懃さで答える。この二人は、いったい
どこまでお互いの腹の内を探り合っているのか、彼女はちょっとだけ考えた。当然、分かるわけもなかった。
「ところでさ」
 と少年が彼女のほうに向いて、いつもの軽い口調で微笑みかけてきた。
「休もうにも、痛くて眠れそうにないんだけど……ドルミンかけてくれる?」

「破傷風を知っているかね?」
 少年を休ませたあと、先ほどの『天使の剣』うんぬんの話について尋ねた彼女に、氷川はこう切り出した。
「傷の消毒はしたって言ってるでしょ!」
 見下すような氷川の言い方が癇に障り、彼女はまた大声を出す。氷川が遮るように両手をあげ、冷笑を浮かべた。
瞬時に彼女は冷静さを取り戻して黙り込んだ。それを見て、安心したように続きを話し出す。
「知っていたか、それは失礼。だがこれはどうかね?」
 と、氷川は傍らにいるオセに向かって手を伸ばした。意図を察して、オセが剣の片方を手渡す。
「暗殺を生業とする者は、武器の刃物に毒を塗ったそうだ。小さな切り傷ひとつでさえも致命傷とするために」
 それも、知っていた。毒ナイフは使ったことも使われたこともある。
「毒を買う金がない者はどうしていたか? 己の剣を糞尿に漬け込んだのだ。刃の表面に雑菌を繁殖させるために。
刃の切れ味は多少落ちるが、これで傷をつければ、破傷風を誘発することができる」
 それは初耳だった。が、そんな豆知識など興味はなかった。傷の消毒はちゃんとした。ならば関係ないはずだ。
「オセ、この剣でどれだけの悪魔を斬った?」
 受け取った剣を傾け、表面を走る光を目で追いながら、氷川が自らの下僕に尋ねる。
「百から先は数えておりません」
「その血は洗い流しているか?」
「まさか。刃を研ぎはしますが、そのようなことはしません、もったいない」
 当たり前のようにオセが答える様を見て、なんとなく、氷川の言いたいことが彼女にも分かってきた。
「君も知っているだろう、天使がどれほど狂信的で残酷な悪魔なのか。悪魔との闘争に使われるその刃には、どんな
毒が塗られ、どんな血が重ねられたか……その刃に触れた人間はどうなるか……考えるだけでもおぞましいことだな」
「どうすればいいの?」
 気がついたら、彼女は氷川に尋ねていた。この男を頼るしかない。ダメだとは思ったが、しかし他に道はない。
「わからんよ、私は医者ではないのでね。専門家に聞いてくれ」
 そんなのがどこにいる、とまたヒステリックに叫びそうになり、彼女はそれを何とか堪えた。
「他の参加者か、あるいは悪魔か……治療の術のある者を探すしかないだろうな。……いや、それ以前に、どういう
毒による、どんな状態異常なのかを、正確に見たてる必要が……」
 言いながら、氷川はちらりと少年の様子を見る。そこでその目の色がみるみる変わった。その尋常でない様子に、
彼女も慌てて少年へと目線を移す。背骨に氷柱を突っ込まれたように、ゾッと全身に鳥肌が立つのがわかった。
 少年の顔色が、先ほどまでの上気した赤から、見るだに恐ろしい土気色に変わっている。
「やはり無理をしていたか、しかしそれを感じさせないとは、大した男だ」
「そんなこと言ってる場合じゃ……ッ」
 慌てて両手に魔力を集めた彼女を、氷川が手首を掴んで押さえつける。
「なにするのよ!?」
「無駄はよせと言ったろう。単純な解毒で治るなら最初からこうはならない」
「そんなこと知ってるわよ! だからって何もしないわけにはいかないでしょう!」
 掴んだ手を振り払おうと腕を振るが、氷川はそのか細い印象からは考えられないほどの力でそれを抑え込む。
「無駄に力を使い果たし、少年と心中でもする気かね?」
「そうはならないから手を離しなさい、絶対に治すわ」
 彼女は語気強く言い放つが、氷川は否定の返事代わりとばかりに手首を握り締めてくる。
「保証はあるかね?」
「ないわよ、必要ない」
「ならば賛成できんな」
 みしり、と絡み合ったまま膠着した。お互いの視線だけが鋭くぶつかり合う。険悪な静寂の中、少年が吐く荒い
息だけが時を刻んでいるような錯覚を覚える。
「……誰だ!?」
 見張りに立っていたオセが、声を上げた。彼女と氷川は、同時に顔を入り口のほうに向ける。そこには、まるで
先ほど下ろしたばかりのような、のりの利いた綺麗なスーツを着た黒人の男が、懐っこい笑顔を浮かべていた。

「お困りノようでスね?」


【時間:午後0時】【場所:スマルTV・1Fロビー】

【主人公(旧2)】
状態:重度のSICK(傷は大分治った)
武器:円月刀
道具:スコップ他
方針:それどころではない

【東京タワーの魔女(旧2)】
状態:軽度の疲労
所持品:簡易型ハンマー 鉄骨のストック×2(氷川から借りた物)、タオル、酸性洗剤
方針:とにかく少年を守る、そのためにはどうすればいい…?

【氷川(真・女神転生Ⅲ-nocturne)】
状態:正常
装備:鉄骨の防具
所持品:死肉を詰めたビン×7 古めの腕時計 傷薬×10 魔石×3 4000MAG
仲魔: 堕天使オセ 邪神サマエル 地霊カハク 妖精ピクシー
方針:見知らぬ来訪者に対応

【シド・デイビス(真・女神転生デビルサマナー)】
状態:良好、服は着替えた
武器:不明
道具:盗聴器1個、専用受信機
仲魔:なし(ハンニャをゾンビ化して使役中)
行動方針:皆殺しでス  
     人修羅の咆哮を追ってきたが、別の面白い連中を見つけたのでとりあえずそちらを優先     
     殺すか利用するかはまだ考え中

旧2-氷川同盟について

共有された情報
 本人たちお互いの能力および持ち物
 旧2キャラ・真3キャラのデータ(強さ・思想など)

隠匿された情報
 旧2主人公の義手がCOMP内蔵であること(義手であること、召喚師であることは言った)
 旧2コンビの冒険譚(唯一神を殺した件やルシファーとマブダチな件など)
 主人公や氷川が魔法を使えるか否かについて
 氷川の仲魔・邪神サマエルの存在

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最終更新:2009年02月14日 22:56