123話 優しい悪魔と人間と人間
ごとりと音がしたので、彼女はそちらへ向け引き金を引いた。思慮も配慮もない、ただ恐怖からの反射的な行動だった。
強烈な光線が銃から飛び出し、ただの瓦礫を吹き飛ばす。ついでに建物の一部も破壊し、また新しい瓦礫を生み出した。
ごろりごろりと音が立つたび、彼女は半狂乱になって光線銃を乱射する。そのたびにまた新たな瓦礫が生み出され、また
新たな音を立てていく。彼女はこの単純な循環にも気づくことなく、ただただ銃を乱射するばかりだった。
ひとしきり撃って、引き金を引いても銃が反応しなくなった。弾切れではない。幸か不幸か、彼女の持つ銃は弾切れの
心配がない光線銃だ。連続で撃ちすぎてエネルギーの充填が間に合わず、一時的に使用不可能になっただけだった。
「落ち着け、落ち着け」
彼女はゆっくりと呟いた。これまた幸か不幸か、粉になった瓦礫と先ほど撒いた煙幕とが霧状になって、視界を塞いで
いる。この隙に逃げよう。とにかく逃げて逃げて逃げまくろう、殺されるのはイヤだ、死にたくないなら逃げるしかない。
そう思い、振り返って走り出そうとしたら、目の前の壁に吸い寄せられるようにぶつかってしまう。背後に壁があった
記憶はないのに、なぜ? そう思っていると、地面もなくなってしまったことに気づく。壁がまるで磁石のように強烈な
力で自分を吸い寄せるため動けない。いったい何がどうなっているのか。
軽くパニックになりながら、力のほとんど入らない手足をばたつかせる。そのうち、これが壁ではなくて地面だという
ことに気づいた。自分は、倒れたという自覚もないままに倒れてしまっているのだ。
早く逃げなければ、煙幕も埃も晴れてしまう。そうなったら殺される。逃げなければ、逃げなければ。その思いだけで
必死に手足に力を入れた。立てない。それでもなんとか逃げようと、必死で這い蹲って進んだ。視界が涙で歪み、呼吸が
嗚咽で乱れるのを感じたが、構っている暇はない。全身がしびれ、酷く寒いが、そんなことも気にしている余裕はない。
ぷにょ、ぷにょ、という奇妙な音と気配を感じた。ひいっ、と喉の奥で悲鳴を上げながら、彼女はそちらを振り返る。
「こないで、こないでぇえ!」
ロクに確認もせず、彼女は叫びながら引き金を引いた。大きくて重い銃を、片手で、しかも狙いも定めずに撃ったので、
まるで見当違いの方向に光線が飛んでいく。1発、2発。3発目を撃とうと引き金を引いたが、何も出なかった。
「ウォー! 撃た、撃た、撃たないで! 撃ったってモコイの死体ができるだけ、いいことなにもないよ!」
「いやぁぁぁあああ! こないで、こないで……こないでぇえええ!」
悪魔の言葉も耳に入らず、彼女はただひたすらに引き金を引き続けた。かちかち、とトリガー音だけがむなしく響くが、
そのことすら気づいていない。ただただ夢中で、目の前の脅威に対して銃を向けて引き金を引き続けている。
「ウォー! ウォー! やめ、やめ、やめ、やめて、撃たないでー!」
彼女に負けず劣らずのパニックになりながら、モコイは独特の柔らかい身体をくねくねと動かして彼なりの最大速度で
のらりくらりと逃げ回る。そうこうしているうちに光線が飛び出てこないことにようやく気づいて、モコイは落ち着きを
取り戻した。独特の精神構造を持つ彼は、一度落ち着くとあっさり自分のペースを取り戻すことができる。
「イヤよ、やめて、こないで……死にたくない、死にたくないのよぉぉぉ!」
彼女の悲痛な叫びに、モコイの心は痛んだ。こちらに危害を加えてきたから敵だと思っていたけれど、こうして見ると
彼女も完全な被害者だ。むしろどっちかというと自分たちのほうが加害者っぽく見えてくる。そのちょっとした罪悪感と
憐憫の情から、モコイは彼女を説得してみることにした。
「……ねえ、チミ、泣いてるの?」
上半身を起こす力もなく、寝そべったまま必死で引き金を引き続ける彼女に、モコイはそう話しかけた。
「近寄らないでええっ! いやぁああああっ!」
「ウォー! ちょ、銃やめて! ボクやる気ないよ! ほら、武器捨てるよ、ね? これで安心、ラブアンドピース」
からん、と足元にトレードマークのブーメランを投げ捨てる。それを見たからか、彼女の引き金を引く指が止まった。
しかし震える銃口はモコイにしっかりと向けられている。そこからいつ光線が飛び出るかとビクビクしながら、けれども
表情に乏しい顔と口調でそれを隠すともなく隠したまま、モコイは交渉を続ける。
「これ、見てよ。キミの魔法でボロボロ、戦えっこないよ。無害だねボク、哀れな子羊、メーメー」
腰をくねくねさせながら伸びをひとつ。自分の傷ついた身体を見せつつ、武器を隠していないことを示すための姿勢の
つもりだったが、ちょっと決めポーズっぽくなってしまったことにモコイは照れ笑いをする。
「ドゥフフフ」
「ひぃっ!」
「ウォーッ! やめ、やめて! なんでもないよ!」
また彼女の指がカチカチとトリガーを引く。モコイは今度は震え上がって腰をくねらせる。幸い、光線銃のエネルギー
充填がまだ終わっていなかったので、銃からは何も飛び出すことはなかったが、しかし彼女がまったく安心も信用もして
いないことは明らかになってしまった。モコイはちょっぴり傷ついて、
「こんなにプリチーなのに、ボク……」
とぐったりと肩を落としてつぶやいた。場違いなまでのオーバーな感情表現はあるいは相手に安心感を与えることすら
ありえる愛嬌のあるものだったが、しかし彼女にとってはそれすらも脅威であるのか、またびくりと肩を震わせて、手の
中の銃を激しく操作する。ただただ半狂乱になって、彼女はやみくもにトリガーを引きまくった。
かち、かち、かち。銃はなんの反応も示さない。
殺さなければ殺される、その思考に支配された彼女にとって、他者を殺すための武器が無力化したことはこのうえない
恐怖であった。反応しないのはなにかの間違いだ、といわんばかりに、彼女は盲目的に銃を操作し続ける。
かち、かち、かち。銃はなんの反応も示さない。
「いや……」
かち、かち、かち。銃はなんの反応も示さない。
「いや……いやぁぁ……」
かち、かち、かち。
「いやぁぁぁぁああああああああ!!」
ひときわ大きく絶叫し、銃を投げ捨て、頭を抱えて、彼女はうずくまり、そして、動かなくなった。
「……あれ?」
しばらく震え上がって固まっていたモコイは、ふと気づいて声を上げた。彼女の殺意とそれを体現する銃口が自分へと
向けられていないことに、ではない。いや、それにもいまさっきようやく気づいたのは確かだけれど、それともうひとつ、
彼女の意識が変化するときに、なんとなく、ブレのようなものを感じ取ったのである。
「もしかして、誰か、いる?」
みよん、と外法の力を全身から放ち、目の前で震える彼女の心を探る。「読心術」。夜魔に属する悪魔なら、ほとんど
基本技能と言ってよい技だ。さすがに低級夜魔のモコイの魔力では、彼女の精神世界の奥底まで潜り込んでいくことまで
要求されると酷なものがあるが、彼女の心の中に巣食っている同胞に挨拶するぐらいなら簡単なものだった。
《あらぁ、私に気づくなんて、誰ぇ?》
必要以上に色っぽい、気だるげな声が返事をした。この口調、正直モコイの得意なタイプではない相手のようだ。彼は
内心「やっちまった気味だねコレ」と思ったが、そんなことはおくびにも出さず、というか出したくても彼の粘土細工の
表情は変えられないし、動揺していたところで独特の口調ではそれが伝わりにくいのであるが、まあとにかく応じる。
「ボク、モコイさん。こう見えて、地元じゃけっこう大物ってことになってるんスよ」
《ふぅん? で、その大物さんが私に何か用なのぉ?》
ふわ、と、彼女の心の中に潜んだ悪魔が、その姿をあらわにする。四肢が虫のような節足のものに化した全裸の女性。
「あれ? 見ない顔だね、チミ。しかもなかなかストロング、今の時間に出歩くのはルール違反じゃないかな?」
片足を軸にくるりと回転しながら、モコイはこの街に集められた悪魔たちに下された命令について触れた。あの青白い
船長とメイドさんが言うには、最初は弱い悪魔から、だんだんと強い悪魔を放っていくということになっていたはずだ。
目の前にいるこのクモっぽい女悪魔は、ざっと見積もってモコイの3.2倍から7.4倍は強い。そんな強い悪魔がこんな早い
時間に外を出歩いていていいのだろうか。
《そんなこと言われてもねぇ? 私、さっき蘇ったばっかりでなにがなんだかわかんないし》
「お、今の発言、とってもストレンジ。興味しんしん君だね、ボク。詳しくプリーズ」
強いと褒められてまんざらでもないのか、体を揺すりながら応じた女悪魔に、モコイがテンポよく合いの手を入れる。
ノリのよさの中に知性のひらめきも見え隠れするモコイの口説き術に、女悪魔も警戒心を解いてか饒舌に答えた。
《私は鬼女アルケニー。このヒロインちゃんのメシア覚醒を邪魔しろって命令を受けてね》
「ふむふむ。あ、誰に、は言わなくていいッスよ」
とモコイは必要のない気配りを見せる。悪魔に対して命令を出せるような存在など、言わずとも限られている。
《まぁ、命令じゃなくたって、こんな高貴な魂ほうっておく手はないじゃない?》
「気持ちはわかるね。う~ん、見るからにテイスティ」
モコイは口を腕でぬぐうそぶりを見せた。女悪魔の話をスムーズに聞きだすためのオーバーな相槌ではあるが、実際
彼も悪魔だから、半分以上は本気で"救世主"の清らかな魂を味わいたいと思っているのは仕方がない。
《で、まぁこの子の心の奥に網を張って、じっくり頂こうと思ってたんだけどね》
「清らかな乙女の危機、そこに颯爽と現れる一人のヒーロー、その名は!」
《ザ・ヒーロー》
「安直だね」
ちょっと拍子抜けしてモコイはがくりと肩を落とすが、まぁ田中太郎とかよりはマシだったということで我慢しよう、
と意味のわからないポジティブシンキングで再び顔を上げた。
「で、そのヒーローくんに殺されちゃった、と」
《そう。ただ、完全には死にきらなかったみたいね。いまこうして蘇ってるってことは》
とアルケニーはまるで他人事のように言った。実際、彼女自身にも実感はないのだろう。なんとしてもという意地と
執念で蘇ってきたわけではなく、なんか気がついたら蘇っていたのだ、投げやりになるのも無理はない。
《原因はこの子たち、でしょうね、きっと》
アルケニーは自分の体にたかる虫を追い払うようなしぐさをした。その言葉と動作の意味がわからず、モコイは少し
首をかしげながら目を凝らす。すると、うすぼんやりとだが、白い糸くずのようなものがアルケニーにまとわりついて
いるのが見えた。いや、同化している、というか、アルケニーの肉体を形作っている、というほうが正しいか。
「なにそれ」
《あら、知らないの、夜魔のクセに》
「同属仲魔にウトいんスよ、ボク。タラスクくんとかは仲いいんだケド」
つい最近まで死んでいた悪魔に勉強不足を指摘され、モコイはフクザツな気分でポリボリと頭を掻いた。
《"虫"よ。あなたみたいな夜魔になりきれなかった、弱い弱い"虫"。それがこの子に憑いて、いっぱい増えちゃって、
それでなんかいろいろあって私を蘇らせたみたい》
そのなんかいろいろってなんなのかな、と思ったが、それを指摘すると「そんなの知るか」と逆ギレされそうだった
のでモコイはただ「へぇ」と感心だけすることにした。
《正直、いい迷惑よ。このままじゃ、また怖ぁい怖ぁいお兄さんに神経弾ハメされちゃうわ》
「外道だね、ヒーローくん」
《外道ね》
モコイの独特の言語センスから見事な形容表現が飛び出して、アルケニーはくつくつと笑った。外法の悪魔から外道
よばわりされるのは、ヒーローくん的にはどう思うところなのかな、とモコイは場違いなことを考える。悪魔より悪い
ド外道という意味なのか、それとも裏の裏は表でまっとうなことだと胸を張れることなのか。ま、名前からしてかなり
イケてない系だから、どっちでもいいのかな、という結論に達して、彼はシニカルな微笑みを浮かべる。もっとも彼の
体の構造の都合上、いつもの口をポカンとあけた表情からほとんど変わっていなかったが。
「それで、どうするのチミ?」
《どうって?》
モコイの漠然とした問いに、アルケニーが取り付く島もない返事をした。そのニヤついた表情から察するに、なにに
ついて聞かれたかわからなかったわけではないだろう。むしろ「そういう質問だと、たくさん答えがありすぎるのだが
どの答えをお望みかしら?」と言わんばかりの、底意地の悪い反応と受け取るほうが自然だ。
「とりあえずなんとかしないと、その子死んじゃうよ。左手ないし」
と、モコイはそもそも最初の目的であった少女について触れた。彼が指差したアルケニーの足元には、彼女の宿主で
あるところの少女が、頭を抱えて丸まっている。顔は覆われていて表情や顔色はわからないが、体が痙攣に近いような
震え方をしているのを見るだけでも相当危ないことはわかる。
《そうなのよねぇ》
とアルケニーも表情を曇らせる。普通なら「死んじゃえばいいじゃない、ていうか死んでくれたほうが手間が省けて
好都合」と答える場面なのだが、なにせいま現在アルケニーの生命を支えているのは、足元の彼女の精神の中に残って
いるアルケニーの残滓に"虫"がたかったエネルギーだ。彼女が死んでその精神が消滅したら、アルケニーも運命を共に
せざるを得ないだろう。望まぬ蘇生とはいえ、再度死ぬのもごめんだ、と彼女は不快そうに手足を揺する。
《実体化できるだけのMAGがもらえれば、とっとと出てくのもやぶさかじゃないわよ?》
と提案はしたものの、モコイは顎に手を当てて首をひねるばかりである。そんな持ち合わせがあるならば、初めから
「どうするの」なんて聞きはしないのだから、当然といえば当然の反応だ。もちろんアルケニーだって期待して言った
わけではなかった。
「う~ん」
《冗談よ。間に受けたならごめんなさい》
妙に熱心に考え込んでいるモコイに、アルケニーは優しい声をかけた。傲慢さゆえに女神の怒りを買ってクモに転生
するハメになった悪魔らしからぬ行動は、彼女は彼女なりに今の状況に混乱と後ろめたさとを覚えている証拠だった。
「うん、外にいるボクの仲間なら、そのMAG持ってるかも」
とその思いやりを知ってか知らずか、モコイは勝手に話を進めて、ひとり外へと出て行く。
《ちょ、ちょっ? どこ行くの?》
「ドンウォーリー、そこで待っててよ」
あくまでマイペースな小さな悪魔は、彼特有のふらふらとした足取りで外に出て行く。その背中が、妙に頼りがいが
ある大きいものに見えて、アルケニーは思わず前肢で両目をこすった。
ぷよん、ぷよん、と気の抜けた足音を立てて(ウォー! 立てたくて立ててるんじゃないよ!)、建物の外に出る。
視界もいつのまにかずいぶんと晴れており、きょろきょろと見渡すと、先ほどの看板の陰に二人の人影が見えた。
……あれ、二人? と疑問を抱きつつも、悩んだ所で意味がないためモコイはさっさとそっちへ向かって歩き出す。
ぷよん、ぷよん、と気の抜けた足音を立てて(しつこいねチミ、ボクは大真面目なのに、失礼だよホント)、一直線に
看板の陰へと向かっていき……がしりと掴み上げられた。
「ウォー! なんなのチミ! 暴力反対!」
先ほど同じようにして衝撃魔法をブチ込まれた記憶が蘇り、モコイはバタバタと手足を動かして、精一杯抵抗する。
頼れる武器であるところのブーメランをついうっかり置いてきてしまったことが悔やまれてならない。
「……放してあげて、私の仲魔よ」
と横から救いの女神の助け舟が入る。ナオミの呼びかけに応じて、学生服の男はモコイをぼとりと地面に落とした。
ずいぶんと無礼な扱いにさすがのモコイも憤慨するが、とりあえずそれはそれとして、今は大事な用件を優先だ。
「チミ、チミ、チミ! そのパソコンの中、MAGのいい香りがするね」
といろいろすっ飛ばしていきなり本題に入られて、学生服の男……中島朱美は反応に困って眉をひそめる。その顔を
見て、はっと気づいたモコイは最初から丁寧に説明しなおすことにした。
「じつはかくかくしかじか。これで全部説明終わりってことで、小説のお約束ね、コレ」
「……つまり、その子が誰彼かまわず攻撃していたのは、アルケニーという女悪魔のせいだってこと?」
モコイのメタフィクショナルかつ抽象的な説明に、ナオミがうまいことフォローの会話を入れる。さすが、フリーの
エージェントとして世界を股にかけて活躍するサマナーはコミュニケーション能力が高い。
「うーん……えっと……あー……その通りだね、ザッツライト」
「今の間はなんだ」
とモコイの下手な嘘はあっさりと見破られ、中島の冷たいツッコミに晒される。
事実、彼女が暴走していたのは、あながちアルケニーだけのせいでもないのだ。もともと彼女の心に「他者を殺して
でも生き残る」という思想の片鱗があり、それがアルケニーや"虫"のせいで増幅した、というのが正確なところである。
その意味では「彼女は自分が生きるために他人を殺そうとしている」のは事実と言わざるを得ない。
だが、そういう思いを抱かない人間なんかいるのか? 他人より自分が大事だと思うのはしごく当然、当たり前だ。
そういう当たり前の思いを、無理やり増幅させられてしまったという意味では、やはり彼女が攻撃的になっているのは
アルケニーのせいだというのも、同時に事実ではあるのだ。
そのへんの複雑なニュアンスをなんとかして伝えたいのではあるが、モコイの知恵と語彙ではかなり難しいのだった。
どうやってこの男を説得しようか、モコイは首と、ついでに体をくねくねと捻って考える。
「……いいだろう」
と、モコイがグッドアイディアをひねり出す前に、中島があっさりと承諾した。
「もっとも、ロハでMAGだけくれてやるつもりはない。契約して仲魔になるぐらいはしてもらう」
「うーん、まあ確かに妥当なトコだね」
しごくごもっともな中島の主張に、モコイは同意を示してうなずいた。アルケニーだって、あの女の子と心中をする
ハメになるぐらいなら、その程度の条件なら呑むのは覚悟の上だろう。
「交渉成立、ってことでいいかしら?」
ナオミが看板の陰を出て、親指でクイッと先を指差しながら微笑んだ。無防備に姿を晒しても攻撃が来ない、と確信
していなければできない振る舞いだった。彼女が攻撃してこない、というのは事実ではあるが、それを証明するものは
なにもなく、モコイの証言があるだけだ。それでもナオミはそれを信じてくれている。それだけ仲魔を信用してくれて
いるということに、モコイは感激して涙を拭った。涙は出ない体だが、まあ気分で。
「……ああ」
と言いながら、中島はまだ半信半疑な様子がありありで物陰から体を出す。失礼なヤツだね、とモコイはちょっぴり
不満になった。せめてナオミみたいに、全身に緊張感は張り巡らせているけれどそういうそぶりは見せない、ぐらいの
洒落た対応はできないものか。
「じゃ、レッツゴー。こっちだよ、こっち」
と、ぷよん、ぷよん、と気の抜けた足音を立てて(ウォー! まだひっぱるのそれ?)モコイは先導して歩いていく。
もっとも彼のそんな気配りなど必要もなく、すでに煙も埃もすっかり晴れており、明らかに不穏な気配が漂う店が一軒
あることはそこにいる全員にはっきりと見えていた。不自然なまでに壊れた店先、あちこちに残る焦げ跡。店先に放り
出されていた光線銃を、中島はそっと拾い上げた。ところどころに染み付いた血は、おそらく彼女自身のモノだろう。
その血なまぐささと生暖かさ、ぬるぬるとした感触……そして銃そのものの重みが、中島になんともいえない不快感を
与える。軽く舌打ちをして、モコイのうしろについて店内に入った。
「こっちこっち、紹介するよ、マイフレンド」
モコイが手招きする。その先には、クモのような姿の悪魔と、その足元でうずくまった姿勢でガタガタと震える少女。
これはモコイにしか分からぬことだが、その姿勢はさきほどこの店を後にしたときからほとんど変わっていなかった。
唯一と言っていい違いはといえば、服と地面とに広がった血の染みが大きくなっていること。
「かくかくしかじか、面倒な交渉は中略。小説のお約束ね、コレ」
「誰に話してるの?」
「それは聞かない約束だよ、マイスウィート」
奇妙なコンビの奇妙な会話を聞き流しつつ、中島はCOMPを開き、プログラムを操作、契約モードに切り替える。
「こっちの準備はいいぞ。いつでも入れる」
《ありがとう、助かったわ。……いちおう言っておこうかしら。コンゴトモヨロシク、ね?》
中島の言葉を受けて、アルケニーは新たな主に向かって科を作った。この出会いを仲介してくれた小さな同胞に向け
ちらりと感謝の視線を送る。モコイは照れくさそうにブーメランを持った手を顔の前でぶんぶんと振った。
では早速、とCOMPの中に入り込もうとしたアルケニーを、中島が片手を上げて静止した。
《……?》
「まずその前に一仕事だ」
言いながら、中島は前に出した手をすっと腰の後ろに回す。
「……!? あなた、まさかッ……」
ナオミの表情が変わる。なにが起こっているのかわからず、モコイは不安げに二人の顔を交互に見渡した。その目が、
見覚えのある"それ"に吸い寄せられるのは無理からぬことだ。"それ"はあの女の子が持っていた光線銃。禍々しく光る
銃身は、中島の手から女の子の頭へと一直線に伸びて……
ど し ゅ っ 。
「なッ、なにするのッ……」
突っかかろうと一歩前に出たとたん、モコイは重量のある何かに真上から踏み潰された。アルケニーがモコイの体に
前足の一本をのしかけてニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべている。先ほど心安く会話していたときとはまったく違う
表情。なにが彼女を豹変させたのか、とモコイは説得すべく大声を上げた。
「ウォーッ! ど、どいてよッ!」
「それは無理ね、命令だし」
アルケニーの笑顔がいっそう邪悪にゆがむ。もうニヤニヤというよりニタニタという感じだ。それを見てモコイは、
自分が大きな考え違いをしていたことに気がついた。そう、そもそも最初の最初、根本から間違っていたのだ。
「命令とかッ……! こいつは、あの子をッ、せっかく、助かりそうだったッ……!」
「アンタ、悪魔のクセになにズレたこといってるのぉ?」
アルケニーが前足にぐっと体重をかける。その重量と筋力たるやすさまじく、モコイに骨があったらバキバキと音を
立てて折れているところだ。
「確かに、ズレてるわね」
背後から、冷たいツッコミの言葉が降りかかる。ナオミだった。
「チミまでそういうことッ……」
信じていた契約相手にまで自分の意見を否定されモコイは小さからぬショックを受けるが、しかしナオミの表情と、
そして全身から立ち上る感情の気配に気づいて抗議の言葉は中断された。
「ここでは殺し合いが正義。殺せる相手を殺すことで、文句を言われる筋合いはない。それは認めるわ」
「あらぁ。そっちの召喚師さんは分かってるじゃな……い、がッ!」
ナオミの細腕が、見た目からは想像できないような握力でアルケニーの顔面を締め上げる。
「あなたがその子を撃ったことに関しては、不愉快でも我慢してあげる。でもそれとは別に我慢できないことがある」
もう片方の手で、モコイの上に載っている足を掴み、こちらもまた万力のように締め上げる。ミリ、ミリ、ミリ、と
肉が軋む音が、荒れ果てた店内に響く。それは死霊の泣き声のようにモコイには聞こえた。
「私が怒っているのは……あなたが、私の仲魔を傷つけたこと」
アルケニーが声にならない叫びを上げながら、前足に絡みついた万力を必死で振りほどいた。顔面のほうも剥がそう
と、前足両方をナオミの手首に必死に引っ掛けるが、クモの節足が災いして無駄な抵抗に終わっている。
「足蹴にしただけじゃない……私の仲魔の、真剣な行動を……侮辱した」
顔面の拘束が急激に緩んで、アルケニーの姿勢が軽く崩れる。その瞬間に、ナオミの拳が無防備な顔面にめりこむ。
巨体が、浮き、吹っ飛び、壁に激突した。
重石のなくなったモコイは、よろよろと立ち上がった。ナオミの顔を見る。なんと表現すればいいのだろう、怒り、
悲しみ、自省、同情、虚無感……いろいろなものが混じりすぎていて、その表情を一言で表すことができそうにない。
その鬼神のような表情を見て、モコイにはなぜか、優しい、という表現が頭に浮かんだ。
「侮辱、ね。たかがそれしきのことで戦うのか、君は」
端正な顔を不気味な微笑みで歪めながら、中島が呟く。片手にパソコン、片手に光線銃という姿は、戦うには非常に
アンバランスな格好に見えるが、誰知ろうこれこそが中島にとっていつもの戦闘スタイルだった。
「たかが? 名誉と信用は何より重いのよ。あなたもサマナーなら覚えておきなさい、ボウヤ」
対するナオミは徒手空拳。だが拳法使いでもある彼女にとっては決して戦力不足の状況ではないし、なにより彼女は
酸いも甘いも噛み分けてきた歴戦の戦士であり、その経験という武器がある。
一触即発の空気が、荒れ果てた店内に張り詰める。
[午前10時半]
【ナオミ(ソウルハッカーズ)】
状態:左肩に抉られた傷(出血なし)、全身に軽い打撲、頭から少し流血。憤慨中
武器:なし
道具:日傘COMP、黄金の蜂蜜酒、酒徳神のおちょこ
仲魔:夜魔モコイ
現在地:港南区・シーサイドモール
行動指針:呪印を無効化する、情報を集める、レイホゥを倒す
中島を不快な敵と認識、戦闘態勢
【中島朱実(旧女神転生)】
状態:右腕にレーザーによる傷、頬に軽い傷
武器:ジリオニウムガン
道具:封魔の鈴、COMP、MAG2550
仲魔:ロキ、ゴブリン、アルケニー他2体(ロキは現在別行動中)
現在地:港南区・シーサイドモール
行動指針:弓子の安否を確かめる、弓子との合流、弓子以外の殺害
ナオミが仕掛けてくるなら、自分の身を守る
【夜魔モコイ(ナオミの仲魔)】
状態:けっこう大ダメージだが、問題なく動ける
行動指針:それなりにナオミを助ける
【鬼女アルケニー(中島の仲魔)】
状態:MAGをもらって実体化、健康 顔面にダメージ
行動指針:中島の指示に(いちおう)従う
【ヒロイン(真・女神転生)】 死亡
道具:ロイヤルポケット(残弾なし)、毒矢×4、煙幕弾×3は近くに放置中
最終更新:2010年12月26日 23:23