【元ネタ】史実
【CLASS】アヴェンジャー
【マスター】
【真名】菅原道真
【性別】男性
【身長・体重】225cm・125kg
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷C 魔力A 幸運E 宝具EX
【クラス別スキル】
復讐者:B
復讐者として、人の恨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。
既に復讐は果たされたが、祟りを恐れられた怨霊としての側面が強調されている為、
自他を含めた恨み・怨念等の負の感情が貯まりやすくなっている。
忘却補正:B
優れた学者・詩人としての記憶力は、恨みも決して忘れない。
青天の霹靂のように、自身を忘れ去った者達へ危機的な祟りをもたらす。
自己回復(魔力):A
復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。
魔力を微量ながら毎ターン回復する。
アヴェンジャーの場合、信仰を集めるためか回復力は高い。
【固有スキル】
神性:A
神霊適性の有無。
天女の子、菅生神社の菅の中から光を放ちながら飛び出した等出生には諸説あり、
また、死後天変地異が多発したため、菅原道真の祟りとして畏怖され
「天満大自在天神」「火雷天神」等と呼ばれ神格化された。
現代では学問の神として広く信仰されている。
魔力放出(雷):A
武器ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出することによって能力を向上させる。
アヴェンジャーの場合、火雷天神の神性(雷)が魔力となって使用武器に宿る。
和魂漢才:A+
学問の礎である漢才とそれを活かす処世術・判断力である大和魂の両立。
その具現化とも言えるアヴェンジャーはサーヴァントとして現界した時点で
学術、呪術、剣術、弓術、騎乗等のスキルをA~Bランクの習熟度で発揮出来る。
また、新たに研鑽を積むことにより更なるスキルを会得することも可能。
【宝具】
『火雷天気毒王(からいてんきどくおう)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:10~40 最大捕捉:500人
アヴェンジャー第三の眷属、火雷天神が雷電纏う甲冑へと変化した宝具。
アヴェンジャーの魔力放出(雷)の神威を構成(補強)している。
触れたものに対し雷撃によるダメージと共に重度の火傷状態を与える。
更に真名解放によって放たれる冥雷は神殿クラスの陣地をも灰燼に帰す程の威力を誇る。
『八百万・怨天威霊(やおよろず・おんてんいれい)』
ランク:EX 種別:対城・対国宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人
日本最大級の怨霊・祟り神としての神威の具現。
宝具『天國』、『火雷天気毒王』にアヴェンジャー自身の怨念が合わさることで、
呪詛が溶け込んだ超大型積乱雲(スーパーセル)を形成し蹂躙する。
呪詛は敵対心を持つ者に疫病の如く感染し毎ターン判定に失敗した者に
ランダムにバッドステータスを付与する。
怨念が深まる程にその規模は拡大し、最大展開時には一国を覆う規模となる。
【Weapon】
『天國』
アヴェンジャーが生前佩刀したとされる、驟雨の呪詛が込められた宝剣。
稲妻を刀身に集約させる性質を持ち、鞘から抜き放たれれば豪雨を齎す。
『火雷天気毒王』と共に、『八百万・怨天威霊』の基点となる。
『猫丸御剱』
走ってきた猫がぶつかった瞬間に胴が真っ二つになる程の切れ味を持つ脇差。
魔力放出(雷)スキルにより、雷光を纏い敵を滅する妖刀と化している。
『無銘・弓』
生前、アヴェンジャーは矢を射れば百発百中の腕前だった程の武芸者でもある。
魔力放出(雷)スキルにより、稲妻の如き速度の矢を放つ魔弓となっている。
【解説】
9世紀の日本における漢詩人、政治家。
出生には諸説あるが幼少より詩歌に才を見せ、18歳にして文章生となる。
その5年後に文章得業生として正六位下に叙されて以降順調に位階を進め、
最終的には従二位・右大臣にまで上り詰めた。近世以前の朝廷において、
学者から立身して大臣にまでなったのは、
吉備真備と菅原道真のみである。
890年までは家格に応じた官職に就き諸国を転々としていたが帰京した際、
宇多天皇にこれまでの手腕を買われてか、以降要職を歴任する。
道真が務めた時代は後に善政として知られる延喜の治・天歴の治の礎となる
寛平の治と呼ばれ、遣唐使の廃止に代表される数々の改革が行われたのであった。
その真の目的は中央集権化による貴族・寺社の
弱体化にあり、道真自身の登用も
当時から権勢を振るっていた藤原氏を牽制する狙いがあったとされているが、
道真は自らの職務を実直にこなし、後の醍醐天皇の代でも昇進を続けていく。
しかし、これらの治世や昇進は由緒ある家柄の諸貴族らの不興を買っていた。
901年、道真はついに従二位に叙されたがその直後に醍醐天皇の廃位と
娘婿である斉世親王の擁立を謀ったと誣告され、大宰員外帥に左遷される。
既に仏門に入っていた宇多上皇にはこの騒動に口を出すほどの力は残されておらず、
菅原の子も流刑となって一家は離散、道真は無念のうちに大宰府浄妙院へと向かった。
名ばかりの官位を得た道真は給与も職も従者もなく、廃屋で謹慎する他なかった。
悪人と野次馬の蔓延る大宰府を歎き、自分を追って産気づき客死した側室を悲しみ、
貧しい暮らしの中生薬を送る妻を憐み、公家に仕えたことを悔やむ日々の暮らし。
そして余命幾許もない痩せた躰で天拝山にて祈り、大宰府の地に骨を埋めた。
多くの和歌を詠み、いろは歌の作者であるとも伝えられる菅原道真は、
現代では主に学問の神様として信仰されているが、若いころは弓を射れば百発百中で、
「天國」などの刀剣を常に佩刀し、大宰府へ行く途中に大鯰を切り伏せる等
武芸にも優れた逸話が多く、武神として盛んに信仰された時代もあったという。
【キーワード】
「清涼殿落雷事件」
時は延長8年6月26日、干害に見舞われた平安京では雨乞の実施の是非に関して、
醍醐天皇の住まう清涼殿において太政官の会議が開かれることとなった。
しかし昼過ぎより愛宕山上空から黒雲が現れ平安京を覆いつくし雷雨が降り注ぎ、
それからしばらくした後、清涼殿の南西第一柱に落雷が直撃した。
周囲にいた公卿・官人らは巻き込まれ、藤原清貫は胸を焼き裂かれて即死し、
そのまま衣服ごと燃え上がった。平希世も顔を焼かれて瀕死で担ぎ出され、
後に程なくして死亡した。清涼殿のみならず、隣にあった紫宸殿にも落雷は直撃し、
右兵衛佐ら3名も身体を焼かれ、警護の近衛2名と共に死亡したという。
この未曽有の大惨事により清涼殿内は大混乱に陥り、醍醐天皇は常寧殿に避難したが、
惨状を目の当たりにしたためか体調を崩し、三ヶ月後に崩御してしまう。
天皇の居所に落雷したことの衝撃も然ることながら、この事件で死亡した藤原清貫は
かつて大宰府にて左遷された菅原道真の動向を監視する命を受けていたことから、
道真の怨霊に殺されたという噂が広まり、また道真の怨霊が雷神となって雷を操った、
あるいは道真の怨霊が配下の雷神を都に遣わしたといった伝説が流布する契機となった。
最終更新:2023年11月04日 08:07