狄青

【元ネタ】史実、民間伝承
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】狄青
【性別】男性
【身長・体重】175cm・70kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷A 魔力D 幸運D 宝具B++
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

【固有スキル】
騎乗:B
 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

鉄の兇面:A
 西夏軍の心胆を寒からしめた武勇。
 仮面で素顔を覆い尽くした異様な風体から放たれる鬼気は卓越した武技とともに振り撒かれ、敵軍に重篤な恐慌をもたらす。
 正体不明ゆえに畏れられる怪物に近しい威圧のため、真名の判明もしくは仮面の破棄によって軽減可能。

誉れの刻印:B
 卑賤の身にあって将軍の位を得たアーチャーの信望の源。
 カリスマの亜種に分類されるスキルであり、低い身分にあるユニットほどその影響力は高まる傾向にある。
 アーチャーは将軍位にありながらも下級兵士の希望として顔の刺青を消すことを良しとせず、事実、その誠実さから下級兵士の心を掴むことに成功した。

武曲星:B
 後世の伝説により獲得したスキル。
 皇帝を助けるため遣わされた北斗七星が転生した者達の一人。
 死兆星の生まれ変わり、生まれついて戦乱と業を背負う。
 アーチャーは武芸と勇猛さに極めて優れた武曲星であるとされるが、
 本人が庶民の生まれである自分にそのような大層な経歴は無いと否定しているためBランクに留まる。

【宝具】
『天帝宣託・百銅銭』
ランク:B++ 種別:対軍宝具(自陣) レンジ:1~5 最大捕捉:レンジ内全て
 兵達の士気を上げるため用意した100枚の銅銭が後世、アーチャーは天帝の命により地上に派遣された武曲星の化身とされた伝説と合わさったことで昇華された宝具。
 銅銭を投げ、落ちた時に表が出れば天帝の祝福によりいずれかの能力値が強化され、更に即死耐性まで付与される。
 投げた枚数が多いほど強化される能力の種類及び効果量は増大し、100枚全て投げればまさに神兵に等しい力を自軍に齎す。
 なお、これらの銅銭は元々全て表しか無いため、この宝具を阻止したければ投げて落下するまでの僅かな間に的の小さな銅銭を全て破壊する必要がある。

【解説】
 姓名を狄 青(てき せい)、字は漢臣(かんしん)。
 中国の北宋の武将。文民優遇の北宋において、一兵卒から叩き上げで将軍の位まで出世した稀有な人物。
 庶民からの人気も高く、『狄青演義』『万花楼演義』の主人公として活躍してもいる。
 武人ではあるが、『春秋左氏伝』を愛読し、兵法・歴史にも通じていたという。

 狄青は汾州西河(現在の山西省汾陽)の貧家に生まれ、もともと異民族の侵入しやすい土地柄であったため、武術にはげみ、騎射に優れていた。

 宝元年間(1038年から1040年)に宋・西夏戦争に従軍し、前線で活躍する。
 4年の間に25回も大きな戦いに参加し、敵の流れ矢を受けること8度という激戦の中、多くの城を落とし、5700の捕虜を得るという戦果を挙げる。
 このとき、狄青は兜をかぶらず、銅の面をつけ、ざんばら髪で戦ったそうである。

 このころ、一兵卒には逃亡防止のために刺青が彫られており、狄青にもこの刺青はあった。
 狄青が銅の面をつけて戦ったのは、敵を威嚇する目的もあったが、刺青を隠す目的もあったという。
 敵が「一兵卒出身の武将を使うとは、宋にはまともな人材がいないのでは?」と疑われるのを避けるためだった。
 この姿を見た西夏兵は彼を恐れ、敢えて近寄ろうとするものはいなかったという。

 慶暦4年(1044年)に西夏との和議がなると、現地で勤めていたが、1052年には枢密副史(軍事の副長官に該当する職)に任命され、都で勤務する。
 この枢密副史はたいていは文官がなるものなので、武官上がりの狄青がこれを務めるのは異例のことであった。

 しかし、広源州の儂智高が華南で反乱を起こすと、その平定のため再び前線に出ることになる。
 このとき、官軍はあまりに士気が低く、どうにもならない状況であった。
 そこで狄青は「今から銅銭を100枚投げるが、これで全て表が出るようなことがあるなら、これは神のお告げである。必ず官軍は勝つ」と発言した。
 狄青は銅銭を投げたところ、すべて表を向けて転がった。
 これはあらかじめ狄青が用意した、もともと表しかない銅銭によるイカサマであった。
 そうと知らない兵らは大いに士気を上げ、儂智高の反乱軍を平定したという。

 反乱平定の功績により、狄青は武官の最高位である枢密正使にまで出世した。
 だが、あまりに出世しすぎたため朝廷から疑われ、至和3年(1056年)には枢密正使を免職され、陳州長官となる。
 その後も朝廷の監視を受け、翌年に死す。享年49。

 狄青には上記の他にもいくつかの逸話、伝説がある。
 宋の仁宗皇帝を助けるべく北斗七星の一つ、武曲星が天帝の命によって天下ったものが狄青であるという伝説が水滸伝に記されている。
 (同時代にいた名裁判官の包拯は文曲星の天下ったものだという)

 また将軍にまで出世した狄青に刺青があるのは望ましいことでないと考えた仁宗が、薬で刺青を取るように命じた。
 これに対して狄青は「この刺青があると、下級兵士の励みになるから消すわけにはいかない」と拒否したという。
 事実、狄青は下級兵卒にかなりの人気があった。

 そして狄青が高官になってからのこと、彼に取り入ろうとした人物が、狄青は唐代の宰相であった狄仁傑の子孫にあたるという家系図を持ってきた。
 これに対し狄青は「自分は庶民の生まれで、そのようなことがあろうはずはない」と言ってはねつけた。狄青の謙虚さを表す逸話である。
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最終更新:2023年11月03日 22:29